2006年06月15日
靖国と政治、守るべき日本文化の象徴の靖国
日本変革への願い 第一章
政治編�◆〔�国神社参拝
「ポスト小泉」政治を語るに当たって「派閥政治の終焉」と世代交代の次に、この靖国参拝を取り上げる理由は言うまでもなく、政治家としての気概を問う問題であるからだ。
共産中国や韓国からの度重なる批判に対しても、小泉首相は一切ひるむ姿勢を見せず、毅然たる態度で自らの靖国参拝に信念を貫き通した。小泉首相以前の日本の首相は、中韓の言われるままに「お詫び発言」だけを繰り返し、愚劣なまでに中韓の言いなりであった。
小泉首相はこれまでの首相とは違い、中韓が「靖国参拝をすれば首脳会談に応じない」と恫喝しても、それに屈することなく、靖国参拝へのこだわりを見せた。
私はこの点を高く評価する。小泉首相への批判があることも事実だ。何の功績があったかについて答えよ―と言った質問もコメントで寄せられるが、これが最大の功績であろう。
何よりも日本の未来を背負って立つであろう青少年に、日本人としての毅然たる態度を示してくれた。もうこれに勝るものはない。一国の総理大臣とは過去ではなく、未来にこそ責務を負っている。
その意味で小泉首相はあっぱれであったと拍手を送りたい。そしてまたその意思を安倍官房長官が引き継いで欲しいと願うものである。間違っても中韓に「お詫び」して、靖国参拝を取り止めるような後継総理であってはならない。
靖国参拝を巡って自民党の実力者や野党指導者の中から、A級戦犯と呼ばれる人達の分祀論が出ている。靖国に眠る英霊とこのA級戦犯と呼ばれる人達が合祀されたのは、昭和53年秋である。
クリスチャンであった大平正芳首相、鈴木善行首相も靖国神社を参拝した。中曽根康弘首相は昭和58年から同60年春にかけて計8回も参拝した。この間、日本国首相の靖国参拝は「国内問題」にしか過ぎなかった。
左翼やキリスト教団体、創価学会などが憲法違反だとして騒いでいた。公式参拝か私的参拝かなどという下らない質問が浴びせられていたが、外国からクレームがついたことは一度もなかった。
しかし、中曽根首相が同60年8月15日に参拝しようとしたら、中国はこれまでの態度を一変させ横槍を入れてきた。なぜ、それまで沈黙していた中国がこの時から急に態度を硬化させたのか?
そのことに対して中国側が答えた資料はない。多分その謎は明かされることはないだろう。ただ一つ言えることは、このA級戦犯合祀の事実を知らなかったということは絶対にない。
それは当時から左翼や宗教団体が問題にしており、朝日新聞なども大きく取り上げてきたからだ。では、なぜ中国はこの時点で唐突にこの問題を持ち出し反対を始めたのか?
このことについてはこれまで当ブログにおいても、当時の国際情勢などを分析して、様々な要因を挙げてきたが、やはり中国の対日外交戦略として、これが取り上げられてきたことは間違いない。
つまり、日本側を揺さぶり自らが外交交渉で優位に立つための戦略的手段として登場した。これを可能にしたのは日本側に中国に同調する勢力(マスコミ、左翼、宗教団体、政財界の親中派など)が大勢存在したからであった。
日本のこれまでの対応を見ると、この中国側の攻撃に対して一方的に押し捲られてきた。日本側は彼らが意図的に持ち出してきたことは承知しているが、そのことには触れられないで来た。
何よりも日中友好というその幻想に縛られてきたからだ。しかし、言うべき事ははっきりと言わねばならない。それが主権国家の政治家として当然の責務であるからだ。
我々日本国民が靖国神社で両手を合わせ、深々と頭を下げるのは何のためか―。
我々が拝んでいるのは霊魂である。日本の文化には心ならずも非業の最期を遂げられた時、その霊魂が地上を彷徨ってはいけないとして、両手を合わせ、それを鎮めるように「心安らかにお眠り下さい」とお祈りする慣習がある。
そうした日本の文化との違いを、靖国神社を否定あるいは敵視する輩は巧妙に利用している。だから中国に対して「あれは戦犯に手を合わせ頭を下げ感謝している」などと�犖翆躾吻瓩鬚垢襪里澄�
元々そのような霊魂の存在など知らない中国人は、それを真に受けて益々いきり立つ。いや、知っていながら攻撃材料として使っているのであろう。
考えてもみたまえ―!
葬式の場で手を合わせ頭を下げる光景を見て、それを死者に感謝しての行為だと一体誰が思うのか。言ってみればそのような馬鹿げたことが、この靖国神社参拝騒動なのである。
※生前亡くなった方に感謝の念を捧げることと儀式としての葬儀とは別である。よって私は密葬と一般の儀式としての葬式と二つあるのだと思っています。ただしこれは私の個人的見解です。
このような中国側の日本文化を否定した内政干渉にうろたえ、A級戦犯と呼ばれる人々の分祀を唱えることは、まさに我が国の永い歴史と文化に唾する行為であり、その愚かさに驚く他ない。
死者に鞭打つ行為は愚劣なものとして、我が国では天罰があるとされてきた。お隣の中国では復讐として墓の骨壷まで引き出して槍で突いてきた。
現在、中国では故・東条英機氏の銅像に縄をかけ、後ろ手に縛り上げ、道端に転がし、足蹴りや唾をかけては引きづり回している。これなどはまさに死者に鞭打つ行為である。
靖国神社に反対する輩はまさに、このような人達と変わらぬ精神構造を持っている。およそ日本人の生死観からはかけ離れた人間でしかない。
そう考えるなら、今日の日本政治の最大の問題は、日本文化を知らない人達が多数存在する―、そのことにあると断言しても良いのではなかろうか。その政治改革こそ急務である。
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2006年06月14日
<変革>の旗手となれるか、安倍晋三氏
日本変革への願い 第一章
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私が政治活動を始めた頃の日本の政党は、自民党と社会党という大きな二つの政党があり、そこに公明党や民社党と共産党があった。私は一番最初は自民党に入党しました。いずれ福島市の市議会議員でも目指そうかと思い、行政を学ぼうと福島市役所の試験を受け地方公務員になりました。
そこで目にしたのが地方公務員を牛耳る自治労という社会党を支持する労働組合であり、若い活動家は「社会主義協会」という親ソ連派の過激な組織に組み込まれていた。
この当時の日本の政治には<変革>への期待などを抱くことは絶望的な状態だった。社会党と共産党の二つの左派政党が政権を取れば、北朝鮮や中共のような独裁体制への移行が必至であり、選択の余地など全くなかった。
冷戦の崩壊でようやく日本の政治にも<変革>への期待が出てきた。1993年5月に誕生した非自民の細川連立政権は、日本がより良い方向へ変わる始まりではないかとの期待が膨らんだ。
しかし、政治は殆ど変わりなく、逆にここから急速に日本の政治は奈落の底へと落ち始めた。一つ痛快だったのは自民党と連立を組んだ社会党が事実上消滅しかけたことぐらいだろうか。
今、国民は社会党を一つの政党と見なくなっている。ただ官公労がまだ健在なので、完全な消滅だけは免れている。こう見てくると、私が政治活動に足を踏み入れてから、自民党という政党だけはしぶとく生き残り、他の政党はその影響力を失ったと言っていいだろう。
つまり、自民党がどのように変化して行くかによって、日本の政治は<変革>されるし、また、その逆もあり得るという事なのである。小泉首相はその自民党を「ぶち壊す―」と言って登場したが、逆に自民党は昨年の総選挙で歴史的な大勝利をものにした。
自民党は<変革>されるのか?
その小泉首相も9月には退陣する。中曽根政権の担当期間を上回る小泉政権の功罪は後にエントリーを立てて論じることにするが、小泉首相の最大の功績とは、実はこの政権担当期間に行なわれた様々な政策ではなく「ポスト小泉」への引継ぎにこそ見られるのではないか―。それが私の主張である。
これまでの自民党の総裁は派閥の支援を受けた人による争いであった。小泉首相も派閥の領袖ではなかったものの、森派の組織的な応援を受けて当選した。これは紛れもない事実である。
しかし、次期総裁選挙はどうだろう―?一番有力な安倍官房長官は派閥の支援を受けないで当選する可能性のある、歴代自民党総裁として最初の人になるのではないか。
自民党という政党の一つの特徴は派閥構造にあった。全てが派閥の「力」関係によって成り立ってきた。小泉首相はこの派閥政治を打ち壊した。そして安倍晋三氏が初めて派閥力学にとらわれない総裁となる可能性が強まっている。
安倍氏を応援する人達の輪は派閥横断的に広まっている。これに対して従来の派閥はその力を行使しようと派閥の幹部らが会合を開いている。しかし、この動きにも派閥の若手から強い批判が上がり始めた。
今回の「ポスト小泉」の大きな流れは、この派閥が急速に力を失い、世代間の争いになってきていることだ。60代以上のベテラン政治家に対して、30代、40代、50代前半の政治家の叛乱である。
今回の総裁選は世代間の闘争でもある。60代〜70代の政治家の多くは福田康夫氏を支持するだろう。しかし、そのような旧い世代の政治家に<変革>は望むべくもない。
小泉首相の最大の功績は安倍氏を次期総裁候補として育て上げたことであると私は思う。その安倍氏がどのような政治哲学を持った人物であるのか?それを次回で探ってみたい。
明日は「靖国」と政治について述べたいと思います。外交問題とリンクしますが、日本の政治との関わりについて考えたいと思います。
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2006年06月13日
日韓EEZ交渉
日韓EEZ交渉ー何も期待できない!
日本と韓国の排他的経済水域(EEZ)をめぐる実務者会談が外務省で6年ぶりに開催された。まだどのような結果が出たのかニュースはないが、おそらく両国とも互いの主張を述べ合っただけで終るだろう。
詳しいことは、この問題を専門に取り上げてきたブログやサイトに譲るが、日本側が主張しただけでも前進だと言った声がある。それほどにこれまでの交渉というのは、日本側の譲歩が目立った交渉だったのだろう。
しかし、問題なのはこの交渉ではないと思う。確かに交渉は大切なことだが、我が国には交渉で決められた最低限のことすらも、守れない重大な法的不備がある。
この日韓の交渉は互いの海洋権益をどのように守って行くかということに尽きると思う。自国の地下資源調査活動や漁船の安全操業が如何に守れるのか―、また外国の漁船の不法な密漁を如何に阻止できるか―、まさにそれが問われているのだと考える。
そのように考えると、日本側の排他的経済水域で、日本の漁船が安心して操業できない―、或いはそれを侵害されても取り締まれない―という事実こそ、交渉前に行なわなければいけない、国家として最低限の責務であったはずだ。
今国会でも海洋権益を守る法案は実現しなかった。これは自民党だけでなく民主党もそれぞれ提出していた。この法案が可決されれば、中国や韓国の不法な海洋調査などを取り締まる法的な根拠になるものだった。
交渉でいくら日韓境界線や日中中間線を引いてみた所で、これを取り締まる法律がなくては、そのような境界線は意味を持たない。
「取り締まりたくとも、取り締まることができない」
海上保安庁や水産庁はそのようなジレンマに立たされている。
平成16年7月、海上保安庁の巡視船は竹島の西北西約42キロの日本側EEZ内で、韓国海洋調査船がワイヤを曳航して調査をしているのを発見した。この時、海上保安庁は手を出す事が出来なかった。
外務省が何度か抗議をしたが、実行力を伴った阻止する手段を持たない日本を知っていた韓国側は、それからも調査を続行させてきた。もし、日本にこれを取り締まる法律さえあれば、このような韓国側の振る舞いは阻止できたはずだ。
また、この海上保安庁が発見する4年も前からこれは行なわれており、外務省は韓国側から伝え聞いていたのに、海上保安庁に連絡もしなかった。なぜ、このような馬鹿なことが起きたのか?
強盗に入られているのに警察に通報もしないのと、何ら変わらない呆れ果てた行為である。国連海洋法案条約が発効した平成8年7月、海上保安庁は自国の海洋権益をどのように守るのか、相手方の違法な行為に対する取締りの必要性を提起した。
しかし、外務省は周辺国を刺激してはいけないと、取り締まることに難色を示し、ついに押し切ってしまった。これで外務省は韓国や中国から通達があっても、領海保全にあたる海上保安庁に連絡できなくなっていた。
これはまさに驚くべき国家としての主権放棄である。世界中の国がその主権を如何に守るのかに腐心しているというのに、我が国外務省はそれを初めから放棄していたのである。
今回の交渉に何も期待できない
―と我々が最初に書いたのはそのためである。自らがやるべき事を放棄して、相手を追及しても、相手はせせら笑うだけだろう。
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