2006年07月11日
今後の北の動向を探る
北朝鮮の今後の動向を探る
北朝鮮がまたミサイル発射を準備しているとのニュースが流れている。国連安保理において北朝鮮制裁決議案の採択は、中国側の要請で延期された。日米は最終的には決議案の採択を目指すとしているが、北朝鮮がミサイル発射を取り止め6ヶ国協議に復帰すれば、国連での制裁決議は見送りになるかも知れない。
今回流れているミサイル発射準備のニュースは、その発射取り止めの取引材料とするための作業ではないのか、といった見解もある。しかし、このようなミサイル発射で恫喝して、少しでも有利な条件を引き出させようとの魂胆には恐れ入るばかりだ。
テポドン2についても最初から米国との交渉が目当てであったと考えられる。「米国がミサイル発射を憂慮するなら、交渉を通じて問題の解決を図るべきだ」との北朝鮮の発言にそれは表われていた。
しかし、一体誰が7発ものミサイル発射を予測出来たであろうか―。この間、テレビに北朝鮮専門家の大学教授や評論家、軍事評論家が出演したが、誰一人として事前にそれを予測した人はいなかった。
それらの人々も今回のミサイル発射について、それぞれの立場でその意図を探る発言をしているが、どれもなるほどと思えるものはなかった。閉ざされた国家の独裁者の考えは杳(よう)として伝わってこない。
しかし、この間の北朝鮮の動向を注意深く見てみると、どうしても理解に苦しむことがある。それは労働党と軍の間で、何らかの軋轢が生じ、金正日がそれをコントロール出来なくなっているのではないかという疑問である。
まず、ミサイル発射前日の4日に、日本の朝日新聞、読売新聞、共同通信、NHKなどが平壌入りをしていた。これは朝鮮総連がお膳立てしたもので、明らかに拉致問題の幕引きを狙ってのものだった。
この訪朝のお目当ては何と言っても、横田めぐみさんの元夫の金英男氏との共同記者会見だった。先の金剛山における韓国の母親と姉との再会では、意図的に横田めぐみさんの話題は伏せられた。
前回の記者会見は最初から第二幕が仕組まれていたその第一幕でしかなかった。前回の金英男氏の会見では、横田めぐみさんに関する質問はしないように韓国のマスコミは言い渡されていた。つまり、今回の日本のマスメディアを呼んでの共同記者会見に相当力を入れていたと考えられる。
しかし、このマスコミ工作は5日未明から始まったミサイル発射で吹き飛んでしまった。記者会見場に現れた朝鮮労働党の幹部候補生と見られる外務官僚は「軍部のやることは知らない」と苦虫をつぶしたような顔で応えるしかなかった。
これはどう見ても労働党の幹部らが知っていたとは思えない。彼らは今回の記者会見を開くことで、行き詰っている交渉を少しでも前に進めたいと思っていたはずだ。
しかし、それを知らないはずのない人民軍はミサイルを発射した。これはどう見ても外務官僚に対する挑戦であり、そのような交渉の成果など最初から当てにしないというメッセージでもある。
この同時進行した北朝鮮の外交姿勢と軍事的挑発に整合性は全く感じられない。考えられるとしたら、それは一つしかない。これまでの古今東西の歴史を見ても、このような情況とは政権内部における権力闘争の兆しである。
北朝鮮の独裁体制は朝鮮労働党と人民軍の二本立てであったが、先軍政治ということで、実権は軍部が握っている。これを快く思わない内務官僚・外務官僚らがこれを機に動き出すとも限らない。
北朝鮮の内部崩壊が軍の暴走で始まってしまえば最悪の事態が予想される。中国もロシア、韓国、米国も今後の動向を読み切っていないだろう。勿論、日本も同様である。
かつて「軍部の独走」を許した経験を持つ日本は、今日の北朝鮮から何を読み切らねばならないか―。それはそのような独走が戦争への道に必ずつながるという歴史の鉄則である。
もはや戦争は避けられないという覚悟を国民に知らしめるべきであり、そのための準備を怠らないことである。
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『悪魔の詩』事件の「受難」を忘れるな!
『悪魔の詩』翻訳者殺害事件が時効へ!
あの「受難」を無駄死にしてはいけない!
私が外国人の不法滞在者を日本から追放する運動を提起するきっかけともなった一つの殺人事件が、今日の午前0時を以って時効となった。サルマン・ラシディー原作『悪魔の詩』の翻訳者、五十嵐一筑波大学助教授が殺害された事件である。
平成3年7月11日に起きたこの事件は、改めて一神教世界における“憎悪の哲学”の根深さを垣間見させ、“無宗教の民”と自他共に認める我々日本人が、ひとり蚊帳の外という訳にはいかないという現実を目にすることになったのでした。
当時の『世界戦略放送』で放送した、この事件に関する原稿がありましたので、それを紹介します。もう15年以上も前のことになりますが、この事件が時効を迎えてしまったことも含め、多くの問題点を我々に突きつけていると感じました。
平成3年7月記
事件の全貌が明らかとなるか定かではありませんが、状況から見て故ホメイニ師が発動した『悪魔の詩』関係者全員に対する“死刑宣告”を忠実に守るイスラム原理主義者の計画的、組織的犯行と見て間違いないでしょう。
それにしても、つい先日イタリアにおいて、やはり翻訳者が今回と全く同じ方法でイラン人に襲われています。さらに我が国に不法滞在するイラン人達が異口同音、程度の差こそあれ今回の五十嵐教授殺害を“神の声”として称賛する旨をマスコミに語っています。
こうしたことから、何らかの形で不法残留するイラン人が関与していると考えるのはむしろ自然な流れです。普段は憶測記事の乱発で国民をミスリードしてやまないマスコミが、慎重な物言いをしているのは、この事件が我々に与える影響の大きさ、つまり急増する外国人問題に直結するからです。
それは国際化を錦の御旗に、我が国の歴史・伝統・文化を遠回しながら、否定無化せんと企てる反日マスコミの直感とも言えますが、まさしくその通りであり、もはや不法滞在を続ける外国人に対しては断固たる処置を実行しなくてはなりません。
そうしなければ、東京はニューヨーク同様に治安の悪化は避けられず、世界で唯一女性が夜独り歩き出来、また地下鉄で居眠りが出来るといった大都市の美徳は崩壊を免れなくなってしまうでしょう。
どのような国家であろうとも、自国の安全と国民を保護することは、当然過ぎる道理に他なりません。まして法治国家である以上、他の国からの不法滞在者がのうのうと暮らすなど許されないことです。
現在、特に問題なのはビザの取得なしに入国できるイラン人の存在です。上野公園や代々木公園は今、リトル・テヘランといった有り様を呈しています。昼間から働きもしない異形の連中が屯(たむろ)する奇怪な情況がそこかしこに展開されているのです。
外務省はイランからの石油の輸入において、日本側を有利にするためと称してビザなし入国を決定しましたが、直ちにこれを取り止めなければ数万、いや数十万のイラン人が大挙して押し寄せてくるでしょう。
近年の外国人犯罪の急増を国民は心配しています。先般、偽造した就学ビザで入国した中国人に巡回中の警察官が刺殺されました。また、外国人による強盗事件が発生しています。
もし、このまま外国人による犯罪を放置するなら、我々の社会はかつて経験した事もないような不健全なものへと変貌する事を余儀なくされてしまうでしょう。人種の坩堝と化すことが、国際化への第一歩などと論ずる作家の石川好などは売国奴の典型です。
我々は今回の事件は斯様な情況の中で引き起こされた事件であり、これを徹底的に解明し、真相が明らかになることを願っています。殺害された五十嵐教授の冥福をお祈りします。
あれから15年―、事件は迷宮入りとなり時効を迎えた。国際化の幻想は日本を蝕んでいる。確かにイラン人はビザなし入国の廃止や強制退去で減少した。しかし、この後、中国人や韓国人が急増している。
我々《極右》の戦いに終わりはない。共に闘う同志を募っております。現在はNPO法人団体『外国人犯罪追放運動』として活動しています。興味のある方は是非ご連絡を下さい。
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2006年07月10日
親米派か反米派か、それを考察する!
親米論者から、反米論への反論
昨夜、コメント欄にMultiSynさんから、次のような書き込みがありました。
『尚=毒吐き@てっく=様』で、佐伯啓思先生の「この国の価値」を紹介されてますが、鋭い分析だと思います。
実は私もこの佐伯先生の文を読んでいました。これを取り上げてみたいと思っていたのですが、批判的に反論すれば尚=毒吐き@てっく=様を批判していると受け取られかねないので止めようと思いました。しかし、常連の方からの紹介もあり、またその下に「かとぅー」さんと云う方からも次のようなコメント文がありました。
アメリカの一国主義がこの先も続くのでしょうか?アメリカの下に付き、アジア諸国と対立するのではなく、韓国、中国とFTAなどを行ないつつ東アジア共同体を構築することが、朝鮮半島有事に対して有効であるとは思えません。
お二人のご意見に答える意味で、この論文を考えてみます。私は自分のブログを批評されない限り、左翼を除いては相手を批評しないことにしています。今回この問題を取り上げても、これは尚=毒吐き@てっく=様への批評ではありません。全文は下のアドレスでご覧になれます。 http://tech.heteml.jp/2006/07/post_610.html
我々が最も重視している「現実的な選択肢」を批判の対象にしているが、この種の論文にありがちな対案は示されていない。簡単に言えば「ならずもの国家」に単独で対峙する方途が示されていない。
我々は佐伯先生が云われる保守派を自任したことはない。よって我々≪極右≫がこの点において矛盾を感じたことは一度もない。しかし、保守派を自任する人にとっては、まさにこの指摘が当てはまるのであろう。
「日本には明治以来、大アジア主義という理念がある。あなたのやっていることは同じアジア人を排斥するもので、それは我々の目指すものとは違う」
価値観について考えてみましょう。
世界に開かれたナショナリズムと偏狭なナショナリズムとの違いは、この西欧合理主義に対する基本的なスタンスにあるのではないだろうか?
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