2006年08月06日
安倍氏の歴史認識を全面的に支持したい
自民総裁選スタート その��
「歴史認識」問題で持論を貫け!
自民党総裁選レースを独走中の安倍官房長官にどうしても関心が向いてしまう。自民党の総裁になるということは日本国の首相になることだ。ポスト小泉を確実にした安倍官房長官の思想について考えてみましょう。
安倍氏は著書『美しい国へ』の中で、極東国際軍事裁判(東京裁判)の正当性に疑問を投げかけるとともに、A級戦犯については国内法では犯罪者ではなく、合祀批判をそのような視点から行なうことは「誤解がある」とこれを退けている。
これはこれまでの日本国の首相の歴史観から見ると、明らかに違っている。ただ、歴代の総理も同じような考えを持ってはいたが、それを口にすることが出来なかったのだろう。
靖国参拝に反対する中・韓を内政干渉であるとして批判する小泉首相も、先の大戦については「植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して、多大の損害と苦痛を与えた」として謝罪は済んでいる。
また、東京裁判についても「A級戦犯のために参拝しているのではない」と語っているので、東京裁判史観を受け入れていることは間違いない。これは小泉首相に限らず、これまでの歴代内閣の基本的な歴史認識であった。
かつて故竹下登首相は、総理就任時に共産党議員の「太平洋戦争をどう思うか?」との質問に対して「侵略戦争だったかどうかは、後世の歴史家が評価すべきこと」と答えた。
この発言に対して真っ先に噛み付いたのが朝日新聞社などであった。まだ中・韓が何も報じていない内から「中国や韓国の反発は必至の情勢」などと書いて「国際社会で孤立する」と決めつけた。
ここまで書かれては中・韓も黙ってはいられない。日本のマスコミに急かされる形で「竹下首相の歴史認識は問題だ」と抗議の声を伝えたのである。
政府は慌てて「首相答弁は舌足らずだった」などと意味不明の弁解をして事を収めたが、全く呆れ果てた醜態であった。それまでの日本の総理は大平首相にしても中曽根首相にしても「後世の歴史家が判断すべきこと」としていた。
しかし、これ以降宮沢、細川、村山と立て続けに日本の首相は「自虐戦争史観」に追いやられて行く。小泉首相でさえもこの誤まった歴史認識を認めざるを得なかった。
ところで、この歴史認識問題がまた左翼と反日マスコミから安倍官房長官に投げつけられている。また、このような連中だけではない。加藤紘一なども次のように発言した。
「小泉首相はA級戦犯に関係なく、特攻隊員のように若くして亡くなったものに誠を捧げるとの考えだが、安倍氏には東京裁判の否定が根底にあるのでより深刻だ」
安倍官房長官が首相就任後の国会で、竹下首相以前までの首相答弁であった「後世の歴史家の評価に任せる」と果して言い切れるか。そこにもう最大の関心を持たねばならない。
安倍氏は次の政権の課題として、はっきりと憲法改正を口にしている。小泉首相を含めて憲法改正の必要性に言及した首相はいたが、「自分の内閣で憲法改正を手がけたい」と語った人はいない。
憲法改正は自民党だけではできない。民主党の改憲勢力の協力なくしては絶対に不可能である。安倍氏は政界再編を考えているのだと直感した。
A級戦犯合祀については野田前民主党国会対策委員長は、安倍氏と全く同じ考えをもっているし、民主党の若手の中には歴史認識でも安倍氏に近い議員はたくさんおられる。
安倍氏が本気で日本を変えようと考えるなら、自民党だけを相手にしていては駄目だろう。また、広範囲な国民運動も起さなくてはならない。日本に巣食う反日勢力を駆逐する戦いに我々も積極的に係わっていかねばならないと考えます。
※今朝は朝一番で羽田から福岡に向かいました。丁度広島上空にさしかかり、広島の市街を空から見ることが出来ました。心よりご冥福をお祈りいたしました。
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2006年08月05日
「反日屋」のスポンサーは特定アジア
特定アジア勢力と結託する“反日屋”
日本を弱体化させて支配を目指す!
東アジアにおいては20世紀の残滓でもあるコミュニズムという妖怪が未だに幅を効かし、日本における“反日屋”をマインドコントロールしている。また、日本のマスメディアはこの“反日屋”と“在日”に支配され、国家に敵対する怪物へと変貌した。
怪物は公然・非公然を問わずこの残滓勢力と内通して、我が国の文化・伝統・歴史を破壊せんがために日夜暗躍している。彼らは夜な夜な徘徊し、今では政界・財界・マスコミ界・労働・宗教界まで幅広く魔手を伸ばしている。
今回の日本経済新聞社の「富田メモ」捏造報道事件で、いかにこの怪物が大きな勢力であるかを見せつけられた。また、安倍官房長官の靖国参拝についても、この怪物どもは連携を強めています。
連中の裾野は広く、広範囲な反体制運動に支えられています。反戦平和などというスローガンを掲げてはいますが、その実態は暴力的な極左集団も内包しています。
このような連中がこの8月に入ると勢いづいて、侵略戦争云々を声高に叫びますが、これは特定アジアと結託しての日本弱体化であることは、もう既に多くの愛国者によって見破られています。
このような連中が決まって口にすることがあります。それは特定アジアに対する「謝罪」です。靖国参拝に内政干渉するのも、実は日本にいつまでも謝罪させるためでもあります。
日本は侵略戦争の加害者である立場を忘れ、傲慢になっている。その反省のなさの現われが靖国参拝であり、真摯な謝罪の気持ちを放棄している―と、このような悪罵を投げかける。
いつの場合も、これに便乗して日本を批判するのがマスコミであるから、彼らマスコミが特定アジアと結託していることに疑う余地はありません。このような“反日屋”が跳躍跋扈しているのが現在の日本なのです。
では、そもそも「謝罪」とは何か?
それは靖国批判と同一線上にあります。かつて日本が大東亜戦争で戦ったことを侵略戦争と規定するものです。つまり東京裁判史観に基づく歴史観より導かれて来たものです。言うまでもなく東京裁判史観とは連合国のサイドに立ったものです。
でも、そう規定すると、ここで不思議なことが分かります。
そもそも日本やドイツを裁いた戦勝国の裁判において、特定アジアは中国のみで、その中国も単なるお客さん扱い。主役は何と言っても米英とソ連(当時)でした。ところが米英やソ連は日本に謝罪など求めていない。
ここで我々はこれまでの認識をもう改めなければならないでしょう。
特定アジアと結託する“反日屋”は東京裁判史観に基づいているようで、実は違っていました。敵の正体はもうお分かりでしょう。中国、韓国、北朝鮮の手先となって、自らが支配権力の奪取を企てているのです。
つまり、彼ら“反日屋”のスポンサー兼ディレクターこそ、真の敵なのです。彼らこそ国家転覆を狙う勢力なのです。
そして、何故彼らが靖国を恐れ、靖国参拝に干渉し続けるのか。それこそがこの問題を解き明かす鍵となるのです。
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麻生氏の「靖国私案」に疑問
自民総裁選スタート その��
麻生太郎氏の『靖国神社改革私案』には
同意できない!
保守或いは右派系のブログでは、麻生太郎外務大臣を支持する人が多い。本人もやる気十分のようだが、何せ支持率があまりにも低い。これは党内基盤が弱過ぎるといっただけの理由ではないようだ。
ライブドアニュースに毎日新聞社が報道した記事が掲載されているが、もしこのような考えを麻生氏がお持ちであって、それを推進されようと考えておいでになるなら、多くの国民に誤解を受けないような説明をすべきであると思います。
〔靖国問題〕麻生外相が解決私案 まずは「宗教法人」解散を
私案では(1)靖国神社は東京都が認可した宗教法人格を自主的に返上し、「財団法人」などに移行する(2)A級戦犯分祀問題は移行後に議論する――という2段階の手順を示している。非宗教法人化すれば、憲法の政教分離原則に縛られることなく政治の側が分祀を働きかけることが可能になるためだ。
靖国神社の南部利昭宮司は昨年11月、「戦前まで国家の手で運営されていた経緯から、いずれ国家に返すべきだ」と表明しており、麻生氏は、同神社側が非宗教法人化を容認する可能性があると判断したようだ。ただ分祀について、現時点では同神社は認められないとの立場を示している。
また、遺族が高齢化し同神社の維持が将来的に難しくなることに配慮。非宗教法人化後に政府が財政支援することを打ち出している。独立行政法人「平和祈念事業特別基金」の活用などを検討する。同神社の儀式や施設を宗教色のない儀礼的なものに見直す必要性も指摘している。
自身の靖国神社参拝について、麻生氏は今年2月「個人の利益よりは国益が優先する」と表明し、外相在任中だけでなく首相就任後も見送る考えを示している。
この最後の「私は靖国神社参拝はしない」の報道については、麻生事務所は自らのHPでそれを否定している。↓
| 2006年8月4日 |
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靖国神社に天皇陛下の参拝が叶うように、これを実現したいというのは、麻生氏のかねてからの持論である。確かに靖国神社の戦前の国家管理と運営、戦後における占領軍の神道指令によって、止む無く宗教法人に登録したという経緯もあります。
また、右派・民族派勢力などは戦後一貫して靖国神社の国家護持をスローガンとしてきました。それは占領権力によって蹂躪された民族の栄光と精神的独立を回復させるために必要であると考えてきたからでした。
自民党内にもこの靖国神社の国家護持を願う声が高まったこともありました。しかし、それはあくまでも非宗教化が不可欠との前提に立つものでした。
今回も麻生氏は次のように述べたと報道されました。
「同神社の儀式や施設を宗教色のない儀礼的なものに見直す必要性も指摘している」
これは受け入れられるものではありません。英霊祭祀を排除して、信仰を「無化した」靖国神社なら、山崎拓や公明党が考えている国立追悼施設と何処がどう違うのか?
靖国神社は中・韓による度重なる内政干渉によって、それは我々国民がその横暴に屈するのか、それとも跳ね返すのか―。まさにそのような今日的な位置づけが与えられたのです。
かつて自民党が準備した靖国法案や昭和42年当時の衆議院法制局見解などの焼き直しではいけません。
現今の国際政治力学の中で、靖国神社に与えられたものとは、そのような国内的な妥協の産物であってはなりません。
国際的な諸条件の変貌とそれによって突き動かされる国家間の対立によって、それは日本国を守る「国の鎮守」としての役割が増大しています。
我々の戦う最後の砦としての靖国神社を財団法人などにしてはならない。我々が現在、命を賭けて国家のために戦うことが出来るか―、そのような決断に迫られた時に、何のためなら命を捨てられるか?
それは昨日のブログでも書きましたが、靖国神社以外にはその答えを見い出す事が出来ません。
命よりも価値があるものが靖国神社にあります
命と引き換えても守るべき価値とは、それは己への利となる以外のものである。
己の利ばかりを追う者に、その決断は出来ない。靖国神社には己よりも価値あるものが存在します。
それは信仰の対象としての靖国神社であるからに他なりません。
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