2006年08月12日

大義に殉じた日本兵

8・15の世界史的意義 その��

 アジア解放・民族独立の大義に殉じた日本兵

 前回のエントリーで特定アジアを支持する方のコメントがあり、白熱した激論が戦わされた。共産中国や韓国、北朝鮮にしてみれば、先の大戦は日本の一方的な侵略戦争で、自分達は被害者であり、世界史的な意義などトンデモナイと思っているのだろう。

 しかし、東南アジアにおける日本軍の戦いはアジア諸国のみならず、戦勝国もそれを認めている。展転社刊の『アジアに生きる大東亜戦争』の中からそれを紹介しましょう。

 米国の著名な国際政治評論家のオーエン・ラティモア氏は次のように指摘している。

「真珠湾以降最初の2年間の日本の勝利は、アジアの勢力をはかる古い標準を打ち毀し、手に負えなくなったアジアが残った」

「日本が立派にやり遂げたことは、アジアにおける植民地帝国の19世紀的構造を破壊した事である」

 日本軍によってシンガポールが陥落したという報道が伝えられた時、ロンドンに亡命していたドゴール将軍(後のフランス大統領)は、その日の日記にこう記した。

「シンガポールの陥落は、白人植民地主義の長い歴史の終焉を意味する」

 我々日本人は戦後、大東亜戦争と呼ぶことさえも禁止され、学校の教科書では太平洋戦争と学ばされた。マスコミなども大東亜戦争とは言わずに太平洋戦争と言っている。

 インドネシア、シンガポール、マレーシア、タイなどの教科書には、自国の独立と大東亜戦争について、かなりのスペースを割いて、ほぼ正確に教えているのとは対照的である。

 日本の教科書の中には左翼歴史教授によって、全くのデタラメな記事が掲載されてきた。かの家永三郎教授の如きは次のように書いていたのである。

「日本がアジアの諸民族を解放したのではなく、諸民族は抗日闘争という実戦過程の中で独立を勝ち取った」

 断言してもいい―!!日本軍の協力なしに独立運動を起こした国は何処にもありません。北ベトナムのホーチミンだって、日本軍兵士の協力を得て独立運動を戦っています。

 戦後の混乱の中で正確な数字は掴めてはいませんが、日本の敗戦を知った後も、自分の意志で祖国への帰還を拒否し、現地に残留した日本兵は2千人〜3千人とも云われています。

 これらの多くの日本兵はジャングルに入り、インドネシア、ビルマ、ベトナム、カンボジア、ラオスといった地域で現地の独立義勇軍に参加して戦ったのです。

 もし彼らが侵略のみを目的として現地に赴いていたとしたら、日本が敗戦した後も残って戦うことがどうして出来たでしょう。それに現地の独立軍も決して彼らを仲間として受け入れることなどなかったでしょう。

 日本兵の多くがアジアの解放と民族の独立を掲げた戦争であったからこそ、祖国に還ることも拒否して戦い死んでいったのです。この史的事実こそ大東亜戦争の大義であったのです。

 前回も紹介した『酒たまねぎURAホームページ』さんより、今日も一部抜粋してみましょう。

1951年9月、サンフランシスコ対日講和会議の席上、セイロン(現スリランカ)代表のJ・R・ジャヤワルダナ蔵相(後に首相)はこう演説した。
「アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望しているのか。それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきのゆえであり、また、列強の植民地として従属的地位にあったアジア諸国民が、日本に対して抱えている深い尊敬のゆえである。
往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。私は前大戦中のいろいろな出来事を思い出せるが、当時、アジア共栄のスローガンは、従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである」。
「我々アジアの将来にとって、完全に独立した自由な日本こそが必要である」と強調。ロシアなどが主張した日本分割案に真向から反対して、これを退けた。
そして、『憎しみは憎しみによってやまず、愛によってのみやむ』というブッダの教えを引いて、対日賠償請求権を放棄し、各国にそれに続くよう呼びかけた。
インド、ラオス、カンボジアなどがこの呼びかけに答え、自発的に対日賠償請求権を放棄した。

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Posted by the_radical_right at 12:03 │ mixiチェック │教育・日本人精神 

2006年08月11日

革マル・黒寛の死について

6ab5cd3d.jpeg極左・頭目の死について

 過激派「革マル派」の実質的指導者である黒田寛一前議長(78)が6月下旬に埼玉県内の病院で死亡していたことが関係者の話で10日分かった。

 黒田前議長は昭和38年に日本革命的共産主義者同盟(革共同)が分裂して革マル派が結成されて以来議長を務めた。平成8年に辞任後も強い影響力を及ぼしていた。

 昭和42年以降は集会などに姿を見せず、演説は録音テープで流したり代読されたとされ、消息は謎に包まれていた。

 8・15に向け民族心の高揚を図らなければならないのに、何故こんな極左の頭目の死亡を話題にするのかと、訝(いぶか)しく思われる方もいるかも知れない。

 ブログで検索したら50人くらいが取り上げていた。「現代におけるシーラカンスのような存在」とか「革命家らしからぬベットで老衰死」などの記事を目にした。

 そのような言葉でしか語られない極左とは、今日の日本でほんの少数派に転落、組織はJR労組などを牛耳り金太りの肥えた豚状態であるという。革命勢力とはおよそ無縁な存在である。

 この革マル派の最高指導者の本が一冊だけ本棚にあった。「米ソ角逐」という題名で今から20年ほど前の本だが、なぜ購入したかといえば、「ヤルタ体制への挑戦」という項目があったからだ。

 我々≪極右≫は「ヤルタ・ポツダム体制打倒!」をスローガンにしており、極左の主張も勉強してみようと思ったからでした。我々は戦後体制を「米ソ超大国による分割統治支配であり、その背後にいるのはユダヤ的世界観である」としてきた。

 この当時は米国はレーガン大統領、ソ連はゴルバチョフ書記長の時代である。黒田寛一はソ連が危機的状態にあったが崩壊するとまでは見ていなかったようだ。「米ソ瞞着(まんちゃく)の新局面」では、次のような箇所があった。

「ほとんど親ソ国家の経済的破綻と帝国主義諸国との関係改善という名の妥協及び屈服としてあらわになっている。」

 「力による平和」というレーガン流の攻勢に対して、クレムリン官僚指導部は抗し切れず、これからの世界を東西両権力者の相互欺瞞と相互瞞着の場になると予測していた。

 ヤルタ体制への挑戦では次のような見解を述べていた。要約して紹介します。

「現代ソ連邦の軍事力を基礎とした膨張主義(これを彼らはスターリン主義と呼んでいたようだ)、これに対する帝国主義的反作用がレーガンの巻き返しになり、ヤルタ体制への挑戦となる」

「ソ連=社会主義という神話の崩壊は同時に戦後ヤルタ体制の根底的な動揺をあらわにした。ここにヤルタ体制の見直しの現実性が必然的に浮かび上がった」

 黒田寛一はヤルタ体制への挑戦が、世界の危機を創出し、その危機に埋没することなく、この危機を撥ね退けて自らの主張する革命の正しさを訴えていた。

 今改めて読み直せば、彼ら極左が世界革命などという幻想に惑わされていたことがよく理解できた。しかし、黒田が病床で見ていたものは何であったろう。最も彼は目が悪く失明状態とも云われていた。

 この20年の間に世界は目まぐるしく変動した。ヤルタ体制は昨年のブッシュ演説によって、その歴史的な誤りが宣告された。戦勝国と敗戦国はヤルタの取り決めでもあった。

 今まだこの呪縛から離れられない人達がいる。それこそ現代のシーラカンスである。
 我々≪極右≫は極左の頭目の死に何らの感情もない。ただ一つ言えることは、彼らの時代は終わったという事だけである。

 その事だけを皆さんに知っていただくためにエントリーを立てました。彼らの時代の終わりは、我々の時代の始まりでもあるのです。

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Posted by the_radical_right at 18:36 │ mixiチェック │市民団体・極左動向 

8・15世界史的意義 ��

8・15の世界史的意義 その��

アジアの多くの国が認めた戦争の大義

 
アジアの人々は先の大戦をどのように見たのであろうか。前回も紹介した、『酒たまねぎやURAホームページ』さんの「アジアそして世界の友人」の中から抜粋して見て行きましょう。

ラダ・ビノード・パール(インド、極東国際軍事裁判判事・法学博士)
 要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行なったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の一七年間(昭和3〜20年、東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と烙印する事が目的であったにちがいない。
 …私は1928年から1945年までの一七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。
 この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。それを私は判決文の中に綴った。その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということが分かるはずだ。
 それなのに、あなた方は自分らの子弟に、「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」と教えている。
 満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。
 日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。あやまられた歴史は書き変えなければならない。
(昭和二十七年十一月五日、広島高等裁判所での講演)

 朝日新聞は『歴史に向き合う』の企画の中で、東京裁判におけるパール判事の文は、必ずしも日本の侵略戦争を容認したものではない―と書きました。

 しかし、その後来日した時に、前述したようにはっきりと申しています。我々は彼の言葉をもう一度肝に銘じて、民族の正史を綴る戦いに邁進しなくてはなるまい。

 東南アジアでは唯一西欧の植民地化を免れたタイ王国のククリット・プラモード元首相は次のように述べています。

 日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。
 
日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。
 
今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか。
 
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
 
この重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決心をされた日である。
 
われわれはこの日をわすれてはならない。

 ククリット・プラモード氏は、一九一一年(明治四十四年)にタイ王国の名門の家に生まれ、英国オックスフォード大学に留学。帰国後は新聞記者として同国で最も権威のある「サイヤム・ラット」紙の主幹を務め、一九五五年(昭和三十年)六月に元タイ駐屯軍司令官であった中村明人陸軍中将がタイ王国に国賓待遇で招待された時、同紙に発表した記事が先の文章である。
 
その後、一九七三年(昭和四十八年)には社会行動党の党首として首相になっている。(名越二荒之助編『世界に開かれた昭和の戦争記念館第4巻・大東亜戦争その後』展転社発行を参考)

 日本の参戦なくして、西欧の挫折もアジアの独立もなかった。この意義の確認なくして、靖国の英霊が静かに眠ることなど出来ないのである。

 この8・15こそが、アジア独立を記念すべき象徴の日である。しかるに日本は、この日本国が戦った大東亜戦争の意義を滅却して、西欧の事実上の敗退という史的事実を認識していない。

 この8・15を境としてアジアに新しい時代が訪れたにもかかわらず、依然としてそれを認識できないのは何故なのか?それは唯一に敗戦という眼前の事実のみに眩惑されて、東京裁判史観を受け入れてしまったからに他ならない。

 戦勝国は敗戦国を裁き、日本を侵略戦争の犯罪国家として規定した。しかし、本当に裁いた側が勝ったのか?勝利の美酒に酔いしれてはみたものの、醒めてみれば足元から崩れていったのである。

 アジアの多くの国々がこのように、日本の戦争の意義を高く評価する中で、特定アジアの中・韓・北のみが、これをいつまでも否定している。このような輩の主張に迎合し、或いは内政干渉の暴力に屈して、この世界史的偉業を無にしてはならない。

 8月15日、特定アジア3ヶ国が反対しても、多くのアジア人がその歴史的意義を認めているのだから、小泉首相は堂々と靖国神社に参拝すべきである。それも私的参拝などではなく、日本国総理大臣・小泉純一郎として公式な参拝とすべきでしょう。

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Posted by the_radical_right at 08:34 │ mixiチェック