2007年10月14日

収穫の秋を迎えて

収穫の秋を迎えて

 私の実家のある福島県では今が一年間では一番忙しい収穫の時を迎えています。実はこのブログではお知らせするのが遅れてしまいましたが、先週実家では稲刈りを行ないました。

e16d574b.jpg8874e670.jpg   昔はバインダーで刈って天日干しと言って杭を打ち、そこに刈り取ったものを掛けたのですが、現在は殆どの家がコンバインで刈り取りします。

 私の同級生が4人ほど来て手伝ってくれました。私としては一年で一回か二回しか顔を合わせる機会がないので楽しみにしています。

 上の写真の左側はりんご園の写真です。下に敷いてあるのは反射板です。これについて少し説明しましょう。

 スーパーなどで売られているリンゴは真っ赤に色つきしていますが、自然界ではあのような色にはなりません。葉をちぎって落としてしまう、葉詰みという作業が行なわれています。

 太陽光線を葉が遮断してしまうというので、葉を落としてしまうわけです。確かにそうすれば色つきはよくなるのですが、葉を落とすと光合成が行なわれずに糖度が落ち込んでしまいます。

 だから、真っ赤なリンゴが必ずしも美味しいとは限りません。葉詰みは大変手間暇がかかる作業なので、本来はやるべきではありませんが、消費者がどうしても色つきのよいリンゴを求めるので仕方がないという事情もあります。

 そこで、余り葉を摘まない分、下にこのような反射板を敷いて色つきを良くする方法がとられます。この場合は反射板に太陽光線が当たり反射して、リンゴや葉に跳ね返ります。

 色もつきやすく、また葉に当たって光合成も活発化して甘いリンゴが出来るというわけです。

 さて、このブログの投稿欄でも新米やリンゴを買って食べてみたいという方もおりましたので、それを近く行ないたいと思います。先ずは新米から始めたいと思います。

 私が栽培した銘柄はコシヒカリです。現在都内のスーパーマーケットで価格やその形状(5キロ〜10キロ)を調査しています。

 何か特色をと思いましたので、精米の時に出る米糠(こめぬか)を一緒に送らせて頂こうとも思っています。勿論、ご希望の方のみです。

 昔、祖母が布の袋に米糠を入れて肌を擦っているのを思い出しました。また風呂に入れていたこともあります。化粧水の殆どが米糠エキスから抽出されているとも聞きました。

 個人差があるので、誰にでも薦められるものではありませんが、化粧品を買えない昔の農家の人がやっていたことなので、何らかの効果があるのかも知れません。ストッキングにでも入れて使用されてみては如何でしょう。

 コメについては注文を受けた週末の日曜日に精米から配送まで、その日の内に行ない新鮮なものを届けたいと思っています。ただ、これはカンパではないので市場価格で行ないます。

 よって、手間をかける割には儲からないということになれば、継続していけるかどうかはまだ判断がつきません。どの位の方が購入されるかで決まってくると思います。

 近く、その概要をお知らせしたいと思います。コメと違ってリンゴの場合は十分採算がとれると思います。こちらは11月に入ったら、またお知らせ致します。

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2007年09月06日

祝・悠仁(ひさひと)親王誕生日

祝! 悠仁さま 満一歳お誕生日

718d6880.jpg 秋篠宮殿下ご夫妻のご長男・悠仁さまは6日、満一歳のお誕生日をお迎えになられました。日本国民の一人として心からの御祝福を申し上げたいと思います。

 今朝、宮内庁のHPを開いて見たが、残念ながらこのことに対する記述がなかった。天皇陛下、皇太子殿下などにおいては、その誕生日には必ずその旨を知らせる記述がある。

 宮内庁は各新聞社には悠仁さまの近況について会見を開き伝えているようだが、今後は出来ればHPにおいても健やかなる成長をお知らせして欲しいものである。

悠仁さま、伝い歩き=楽器や絵本がお気に入り−きょう6日1歳に

                          9月6日5時31分配信 時事通信

 秋篠宮ご夫妻の長男悠仁さまは6日、満1歳の誕生日を迎えられた。発育は順調で、伝い歩きもできるようになったという。

 宮内庁によると、3日時点の身長は75センチ、体重は9285グラム。上下に数本ずつ歯が生え始め、母乳に加え離乳食も取っている。

 動きも活発で、伝い歩きを覚えたほか、ハイハイで階段を上るなど、運動量はこの1カ月で特に増えた。

 遊びの幅も広がり、長女眞子さまや二女佳子さまと一緒にピアノの鍵盤に触れ、太鼓や木琴を鳴らすことも。絵本も好きで、自分でページをめくり、終わりまで繰ると同じように何度も開く動作をして楽しんでいる様子だという。  

・・・・・・・・・・・・・・・・ここまでが引用

 悠仁(ひさひと)親王は次世代における我が日本国の唯一の親王です。現在のところ皇位継承順位は3位であり、将来、天皇即位となる御方でもあります。

 テレビの時代劇などを見ているとよく分かりますが、将来その家を継ぐ者には、その心構えというものが、幼少の頃より求められ学ばされていきます。

 これは「帝王学」と呼ばれるものですが、今週発売の週刊朝日に気になる記事を見つけました。

 「帝王教育」は無駄である。−象徴天皇制は終焉した。

                     成城大学専任講師 森 暢平

 元毎日新聞社の記者で「天皇家の財布」という著書がある御仁のようです。この記事を目にして、なぜか言い知れない寂しさのようなものを感じた。

 この森氏が言われていることは反面当たっているようにも思えたのだ。だからこそ、終焉させてはいけない。我々の時代にそのような“終焉”などという言葉を見たくない。

 そのような気持ちに駆られ、このようなムードが社会にあるなら、それを一掃するために、何からはじめるべきなのか?それを思い巡らしていました。

 是非、皆様にも下記のこの森氏の文章を読んで考えて頂きたいと思います。

 森氏は次のように書いています。

「皇室の仲睦まじい姿を注視し、国民が成長をともにした時代は、過去の遺物なのだろうか」

「ほほえましい家族像の代わりに、一部メディアを賑わすのは、皇室の一体感のなさをことさらに強調する言説である。女性週刊誌を見ると『天皇ご一家すれ違いの夏』『終わらない皇室の迷走』と刺激的なタイトルが並んでいる」

 この後にその具体的な事例を紹介しているが、森氏はこうした批判の真実性や妥当性はこの際問題ではないとして、本質的部分に切り込んでいる。

「かつての皇室は理想の家族の形を表象していた。その皇室が親子の意思疎通のなさ、嫁姑のあつれき、兄弟不和など、世間によくある家族のいざこざの文脈の中で語られる」

 これはまさに現代の皇室ジャーナリズムの本質を衝いています。余りにも皇室が一般国民と同レベルなところにまで来てしまった。ここが最大の問題であると私は常々考えてきました。

 私は過去ログで天皇とは我々一般大衆階級とは別の特権階級であってもかまわない存在であるべきだと、批判を承知で書いたことがあります。

 天皇という存在が余りにも大衆化したり、メディア化することを恐れるものです。日本の歴史・伝統・文化と密接にあった天皇陛下という御存在は、一般大衆にとっては実は雲の上の存在でした。

 森氏は次のようにも述べている。

「『象徴天皇制の終焉』とは、皇室が日本人の心象全体をシンボライズした時代が終わったいうことだ」

 その理由の一つとして、次のように続けている。

「皇太子は病気になった妻のために、仕事を犠牲にする現代の優しいパパたちを象徴し、秋篠宮は趣味に生きるこだわりの親の代表だという反論もあろう。それはその通りだ」

「しかし、それは我々全体を象徴してはいない。分節化した『個』の延長に過ぎない。全体性を創出する装置だった皇室は、それぞれのライフスタイルを追及するどこにでもある普通の存在になってしまったのだ」

 難しい言葉を羅列しながら述べてはいますが、言いたいことは最後の「どこにでもある普通の存在になったのだ」という箇所でしょう。本来はどこにでもある存在などでは決してないはずなのに、どうしても結論はそこに導かれてしまう。

 森氏は次のように結論付けた。

「こうした公共性が見失われた時代に、帝王教育などと騒いでみても無駄ではないか。皇室のレーゾンデートルは祈りだからと、被災地に入ってみても、かつてのようにみんなから感謝されるということはなくなってしまったのだから」

 私はそうは思ってはいない。このような時だからこそ、次世代の日本のためにこそ「帝王学と教育」は必要不可欠であると考えます。また、レーゾンデートル(存在価値)が失われることなどは有り得ません。

 そもそも皇室の存在価値とは何か。

 そのことを国民がもう一度考える良い機会が訪れていると思っています。

 女系天皇問題や皇室典範問題の時に、私は余り発言をしないでいました。その頃はまだ人気ブログ・ランキングでも下位にあったと思います。この時に次のような質問を頂きました。

 2005年12月11日のエントリーより

 『三輪のレッドアラート』という政治ブログをなさっている方から、下のようなコメントをお寄せ頂いた。この点について答えておきたい。

 極右評論様は、まだ女系天皇関係のエントリーを建てておられませんね?
 それでは意見が見えません。我々としては、そこらが釈然としない訳です。
 返答をお願いします。

 確かにこの《極右》のブログの中では、我々はこの女系天皇問題については言及していません。その理由について述べます。我々はこれまで天皇陛下と天皇(制)については幾度かブログで一般の人でも理解出来る言葉で述べてきたつもりです。

 愛国党の故赤尾敏総裁は常々語っておられました。
「天皇スメラミコト、すめるという文字は元々は統一するという意味だよ。日本の天皇とは統一の神なんだ」

 私はこの先生の言葉を今でも正しいと信じている。

 天皇(制)の問題というより、その存在は単なる血統のことではなく、霊統の天津日嗣のことであり、そしてそこにこそ践祚(せんそ)の宗教的真髄があると考えます。

 この女系天皇については、今後も静かに見守る立場です。発言しないからといって、我々が天皇を避けているわけではありません。我々《極右》は天皇の持つ霊威に従うものです。

 天皇(制)の持続の原理は政治権力とは異質であると考えます。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・ここまでが過去ログ

 私にとって皇室の存在とは日本をお守りする神と結びつくものであり、故に一般大衆と同列に論じることに違和感を覚えるものです。

 話を森氏の「シンボライズした時代の終わり」という言葉に戻しましょう。占領軍が押し付けたこの象徴天皇という意味の中に、私は宗教的意味が含まれていたと思います。

 そのように受け止めれば、確かにそれは終焉しないまでも、危機的な状況にあることだけは間違いありません。しかし、天皇という存在が霊威を持つ存在であるとするなら、それは消え去ることなどないのです。

 天皇崇拝ということについて考えてみましょう。

 例えば歴史を積み重ねてきた大樹があったとします。それを崇拝するということは、その大樹そのものというよりは、そこに宿っていると考えられる聖なるものへの崇拝である。

 これを聖体示現とも言う。つまり、天皇は崇拝される時には「人」としてではなく、この聖体示現によってすなわち聖なるものとして崇拝される。

 そのような存在である以上、「帝王学教育」は当然であり、それが良くも悪しくも皇室に生を受けた運命でもあると思います。

 我々一般大衆人とは違った哲学的視点や世界観、宗教観を会得して頂くためにも、その点を譲ることは出来ない。

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2007年08月13日

「盆の迎え火」と盆棚

0df62094.gif「盆の迎え火」と盆棚

 猛暑が続く中、皆様におかれましては、如何にお過ごしですか。福島は36度という暑さでぐったりです。午前中は農作業を手伝いましたが、この暑さではさっぱり仕事が進みません。それでもやっとの思いで里芋に土を寄せる仕事を終えました。

 水田を見たら穂が出始めていました。この暑さですから稲にとっては最高の気候です。イナゴやカマキリも見る事ができました。昆虫も今年はいつもより数が多いようです。

 午後からは盆だなを組み立てました。
 このお盆の期間中はご先祖様がやってくるというので、仏壇とは別に盆だなというものを作ります。簡単なもので4本の縦木と横木を組み合わせて作ります。

 正面の縦木には今年芽を出した竹の笹とほおづきの枝で飾り立てをします。その廻りには盆提灯を並べるわけですが、この盆だなは今日13日につくります。

751f0596.bmp
 というのも、今日の夕方にお墓に行ってお参りをして、家にご先祖様を迎えいれるという風習があるからです。それを「迎え火」とも呼んでいます。今はやらなくなりましたが、昔は玄関前で火を焚いて、それを蝋燭(ろうそく)に移し、提灯に入れて点していました。

 ご先祖様が夜家を間違わないで、やって来るようにと云うことですが、今はそのような提灯を出す家は見なくなりました。
 また、お墓に行った時にはハスの葉に見立てた里芋の葉にご馳走を添えてお墓に置いて来たものです。

 それもカラスなどの害鳥が増えるという理由で廃止されました。昔の風習が次々に消えていく中で、我が実家では盆だなだけは今も変わらずに行なわれています。

 このような古くから伝わる風習が今急速に失われています。両親も高齢になると、余計やらなくなってしまいます。昔は盆棚の上には桃やリンゴなどの季節の果物をたくさんお供えしたものです。

 私は子供の頃などは、本当にお盆の季節には、ご先祖様が家にやってくるものと信じていました。今はそのように考える子供はいないでしょう。何か、ロマンに溢れたこの季節が懐かしい。

 日本人として先祖の墓をお参りし、一年に一度家に迎え入れ上がって頂く。そのような風習が続いてきたことの素晴らしさを噛み締めた一日でした。明日はいつもの仏壇ではなく、この盆だなに手を併せ拝むことになります。

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2007年08月11日

農作業と母の退院

「農作業日記」

 真夏の暑い一日でした。汗が体中から噴出す、そんな表現が大げさでない日でした。雑草が伸びて野菜が隠れてしまいそうになって、必死で草むしりをしました。

 葱(ねぎ)は乾燥には強い植物ですが、さすがにこの暑さのためか弱っている感じでした。明日は里芋と一緒に潅水をする予定です。里芋の大きな葉の周りが黄色く枯れ始めていました。

 しかし、この暑さは稲やリンゴには豊作を意味します。特に水田は青々とした稲がすくすくと育っていました。もう暫くすれば一斉に穂を出すでしょう。稲の開花といっても遠くから見た目にはさほど変わらないのですが、この季節に暑くないと実りが悪く冷害となります。

 今年はそのような心配は全くありません。暑い時は稲の大敵である「いもち病」も発生しません。ほぼ豊作は間違いないでしょう。しかし、こうなるとまた違った悩みが起きてきます。

 農水省は10日に昨年の食糧自給率が13年ぶりにカロリーベースで40%を割ったと公表しました。その原因がコメの一人当りの消費量が減少したからというのです。

 食生活の欧米化で年々低下しているコメですが、皆様にはどうかこのコメを食べて頂きたい。稲作専業農家では豊作になれば価格の下落や来年の減反の話が必ず出てきます。

 この食糧自給率を2015年までには45%にするという目標があるのですが、まったく効果が現われていません。コメを食べることの大切さをもっと積極的に宣伝すべきでしょう。ドイツなどは食糧自給率が日本の倍以上の84%です。見習わなければいけないと思います。

母の退院

 私の母は実は5月22日より緊急入院していました。81歳と高齢で今年、人工透析6年目でしたが、突然透析が3日間出来なくなりました。一日置きにしなければならない透析が出来なくなって、全身に毒が回り集中治療室に入りました。

 私も始めの内は病院に泊まって様子を見ましたが、その内に回復し元気になりました。しかし、透析する時に利用する手首の手術が成功せずに長引いていました。

 結局、両手は血管が詰まっていて手術が出来ずに、胸からやることになりました。2ヶ月半にも及ぶ入院だったのですが、この間、選挙などもあって1ヶ月間はまったく顔を見せることも出来ませんでした。

 今日は仏滅なので明日退院を勧めましたが、本人は一日でも早く我が家に帰りたいということで、今日午後には無事退院を果たすことができました。

 我が家に戻った母は一番先に仏壇、そして神殿に手を併せて拝んでいました。お盆前には何としても家に戻りたかった。お盆にはご先祖様がやってくるから、自分がいなかったら罰当たりになってしまう。そのように申していました。

 母の言葉を聞いていると、本当に先祖のありがたみが心に沁みてきます。13日には盆棚を作らなければなりません。15日に上京するまでは、忙しい日々が続きます。

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2007年05月05日

子育ての原点・野生動物に学ぶ

祝 こどもの日

子育ての原点・野生動物に学ぶ

 今朝は政治思想の話は晩に回して、純粋に子育ての話題を書いてみたいと思います。我が家ではもう子育ては終わりました。娘と息子も成人になっています。まだ二人とも大学で学んでいますが、一応は親の務めは終了です。
 
 現在、子育て中のお母さんなども、このブログを見ている人には多いと思います。「こどもの日」でもあるので、子育てについて書いてみることにします。―と言っても、私の家庭でもなく人間でもありません。動物の子育てについてです。

 福島市のお隣りには二本松市があります。この二本松市には東北サファリパークといって、野生動物を放し飼いにしている動物園があります。

http://www.tohoku-safaripark.co.jp/
 
 私はこの東北サファリパークの熊久保勅夫(ときお)社長には若い頃大変お世話になりました。一週間に一度くらいは必ずいつも遊びに行っていたものです。

 この熊久保社長は現在はサーキット場なども運営し大成功を納めていますが、丁度ライオンパークとしてオープンした頃に知り合いました。正確にはライオンパークを開園する前年の冬でした。

 日本の最北限でアフリカ・ライオンが外で越冬できるのか、その初めての冬の季節でした。ライオンは降り積もった雪原の中で元気に飛び回っており、何とも不思議な光景でした。

 その後サファリーパークとしてオープン。多くの野生動物を放し飼いにして育てました。その中で野生動物の子育てを体験してきたわけです。

 また、サファリパークには多くの子供連れのお客さんがやって来ます。現代の親子の姿を誰よりもよく観察していました。熊久保社長はそれらをまとめて「野生動物の母に学べ・子育ての原点」という本も出版されています。

 よく野生動物の子育ての話を聞いたものです。もう二十年も前になるので、忘れている部分もありました。その本に書かれてあることも紹介しながら進めていきます。

 ライオンの子育てですが、自然界の場合は出産は雌ライオンが一匹だけ群れから離れて行ない、子供が立って歩けるようになるまではメスだけで育てます。

 サファリパークでは大自然ほどの大きさはないので、雌は檻の中に入れ、そこで出産させます。雌ライオンと子供達は出産後3ヶ月ほどは群(プライド)からは離しておきます。

 その雌がその後群れに戻る時のことです。先ず最初に雄ライオンのもとに歩いて行く。もともとそのプライドにいた雌であることは3ヶ月離れていても分かるそうです。
 
 雄ライオンに近づいた雌は頬ずりをします。すると子供たちがちょろちょろとやって来て、近づいて顔見せをする。同じようにプライドのすべてのライオンにそのように接して行くといいます。
 その様な儀式が終わって初めてプライドの一員として認知され、そのライオンの共同体の中で暮らしていく。よく見ていると元気な暴れん坊もいれば、静かにしている子供もいる。

 熊久保社長が言うには、体力的な違いや性格の違いがあっても、ひとたびそのグループに入れば、分け隔てなく仲間が接するという、そこには百獣の王らしからぬ優しい思いやりがあり、それがプライドと呼ばれる群れの生活の基調である。

 そのプライドを観察して分かったことがある。それは子供同士のじゃれあいケンかでも必ず勝ち負けはある。その繰り返しが毎日のように行なわれる。
 
 これを見て次のように思ったそうです。人間にも勝ち負けはある。その繰り返しが人生である。要はその勝ち負けに慣れてしまえば良いのだと。
 野生動物はそれを繰り返し慣れることによって育っていく。

 ところが人間の子供は一回や二回でそれを止めてしまう。とことん親もやらせようとしない。勝負には必ず勝ち負けはつきものである。勝ったものは誇らしく、負けたものはその時は惨めだ。

 しかし、見ているとその一瞬の内に勝った者は油断したために、今度は負けてしまう。負けた者は次に勝つための努力の結果、今度は勝者となる。

 人間社会の子供もそうだし、そのような子育てが必要だと言うのです。毎日、何百組もやってくる親子は、母親が何につけても「これ駄目、あれ駄目」とばかり言っている。

 子供に挑戦させようとしない。何事もやらせなければ覚えないし、負けたり、失敗することから、次には成功するための努力の方法を必ず見つけ出す。

 その小さい頃からの経験がやがては大人になった時に、苦境から切り抜ける道を自分で探し出す。その訓練を小さな時からして、その精神力を習得する子供には自信が備わる。

 自信を持たせることが、自然界における動物の子育ての原点であると言います。

 この熊久保社長は東北では所得番付で1位になったほどで、福島県ではいつも上位につけている常連です。この企業家としての成功の秘訣を、人との付き合いだと私に常々教えてくれました。

 仕事をする上で最も大切なのは、その人間を知るということである。それは机の前で座っていて本を暗記していても分からない。何かを判断する時に、そのような勉学だけでは役立たない。

 社会に出ればお金が必要になる時もある。その時に「孔子はこういっている、トルストイはこういっている」と言ったって、それで回りの人は感心するが、目的には何ら役立たない。

 ない時は、ある人のところに行って借りなければならない。その時に重要になるのが、ものの言い方、頭の下げ方であり、それを知らなかったら社会では何もできない。

 この人付き合いこそ、幼児の時から学ばなければ備わらない。それが社長の教えでした。人付き合いとは呼吸のようなものであり、心の持ち方である。心の技術(わざ)と言っても良い。

 よく、あうんの呼吸という言葉がありますが、このタイミングよく相手の心に取り入る技法こそ、幼い時に同年代の子供と遊ばせることによって会得出来るものであるというのです。

 だから子供を勉強付けにして遊ばせなければ、人付き合いの出来ない子供に育ってしまう。遊びこそが最善の教えであり、勿論、最初は親も一緒に遊びに付き合って、そのルールを教えるべきだというわけです。

 ライオンの社会がまさしくそうなのです。子供は徹底的に遊ぶ。かみ合ったり、のしかかったり、押し倒したり、肉食獣はその動作の一つ一つが捕獲につながる。

 良く見ていると親がたまにきて、身を低くして、パット跳びかかる。抑え込む姿勢をして見せるそうです。子供はそれを遊びの中に取り入れていく。親が教えなければならないわけです。

 親ライオンにじゃれて、子供がまともに噛んだりした時には、子供であっても猛然と襲いかかり抑え込んで子供に噛み付く、それは激しいが傷つくほどではないそうです。

 最後に私の意見としては、私も子供の頃、よく遊んだ記憶があります。石蹴りやかくれんぼ、毎日のように神社で遊びました。

 しかし、そのような光景を今、目にすることはありません。私の実家の近くは宅地化が進み、子供の数は増えているのですが、遊んでいる子供を見かけない。

 仲間と遊ぶことをしなくなった子供たちの将来、日本の未来はどうなってしまうのでしょう。そのことが一番の気掛かりでもあります。私の知らない所で遊んでいるのであれば、心配ないのですが…。

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