池田独裁体制の変遷
昨日のオウムのエントリーに「日本海の竜」という方からのコメントがありました。クリックすると創価学会批判サイトに繋がりました。膨大な情報量に先ずは驚かされました。
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/sokakitacho.htm
最近、創価学会を批判するこのようなサイトが次々に作られています。今やネットでは「在日朝鮮人」に次いで「創価学会」が二番手につけているようです(勿論、批判の対象としての二番手です)。
私は左翼については正面から戦ってきた相手なので詳しい方ですが、創価学会については素人です。正直言って知らないことがたくさんありました。
創価学会については、私のブログでも9回ほど取り上げていますが、私も知っている範囲で取り上げてみることにします。実は先ほど素人と申し上げましたが、昭和53年頃に一度「創価学会研究」と題して、あるミニコミ紙に原稿を書いたことがありました。
当時は池田大作氏(以降敬称略)が創価学会の会長であり、池田大作の学会支配がなぜ成功したか?そのような観点から見た記事になっていました。
最近見る創価批判のサイトには、あまりそのような観点からの記事は見られないので、ここで取り上げてみたいと思います。かなりの分量なので一部抜粋して紹介しましょう。
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大組織には内部抗争はつきものである。自由民主党にしても、社会党にしても、それぞれ派閥抗争に明け暮れているのが実態です。ところが、今や700万世帯(当時)を呼号する創価学会のみは、池田大作会長の独裁体制の下、内部抗争など一切なく、文字通り“鉄の団結”を誇って来たように見える。
※しかし、創価学会に派閥が存在しないというのは大嘘である。当時、反池田勢力は存在していた。これから彼らの名を列記するが、ある共通点があることに気付いて欲しい。
初代会長・牧口常三郎門下として、学会最長老の小泉隆(理事長・公明党中央統制委員長・元都議会議員)、和泉覚(副会長・元参議院議員)、辻武寿(副会長・元参議院議員)、柏原ヤス(参議院議員・公明党夫人局長・元学会婦人部長)、小平芳平(元教学部長・参議院議員)、白木義一郎(参議院議員)。
※これらの人は当時は反池田と言われていた人達だが、共通点は都議会議員や参議院議員という点です。御存知のように創価学会の政界進出は、先ずは都議会、次に参院という順で行なわれた。
池田大作は牧口門下生の多くを都議会や参議院に送り出し、議員活動にくぎ付けさせて、学会運営の中枢から外して行った。その後、学会が急速に拡大すると衆議院にも進出した。
この衆議院には池田大作の子飼いが送り込まれた。竹入義勝や矢野絢也などであった。国政は衆院の方が重要な役割を果たすわけだから、自然に公明党は衆議院勢力、即ち池田直系が力を持つに至った。
反池田大作勢力は閉職に追いやられてしまった。また、昭和44年の「言論出版妨害事件」によって起きた政教分離も池田大作に有利に働いた。公明党と学会の役職は兼務しないことになったからだ。
学会と公明党の役職を兼務していた大幹部らは党を辞めて学会に戻ったが、そこにはもう安住のポストはなかった。既に池田独裁が完成していたからである。
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現在、学会研究家に聞くと、池田大作は長男の池田博正を会長にしようと必死だそうだ。今年に入ってから秋谷栄之助会長を叱責しているのも、その会長職を剥奪しようと考えているからだそうだ。
そう言えば当時(昭和53年)の私の文章に次のような箇所があった。
「秋谷栄之助・副会長・元青年部長は、戸田から城聖から城の一字をもらって城永と名乗っていた時期もあり、戸田に気に入られていたが、なぜか池田が実権を握るようになると、その名前を使わずに本名に戻った」
この秋谷会長の今後の動静が注目される。かつて派閥が存在していたのは事実であり、北朝鮮のような独裁者の世襲が果たして行なわれるのか?それが今後の最大の関心事になる。
ここは反池田勢力の反撃に期待したいところでもある。
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写真:創価学会二代目会長の戸田城聖
