「戦争責任論」の現状認識
左翼が認めた天皇陛下の権威
平成の世に突如として甦った昭和天皇の「御言葉」。その「御言葉」が本当に昭和天皇自らが発言されたものなのか―、或いは富田朝彦元宮内庁長官が別人の言葉を単にメモしたものなのか。
それは新聞・テレビの報道で昭和天皇自らの「御言葉」であると喧伝され、間違った考えが広く国民大衆に広まってしまった。根拠も示さないで検証も行なわれない…、このような状況は残念でならない。
その点を糺していくことも大切ではあるが、今回の「御言葉」問題が投げかけたものも無視できない。今後の日本の進路について、国民の責務と新たなる決意を促したことも事実であったのだ。
流動する東アジア情勢の中で、いかにして日本国を守り存続させて行くのか。自らの運命を切り開いて行くにはどうあるべきなのか。日本国はまさに重大な判断の岐路に立たされている。
となれば、この時期にこの昭和天皇の「御言葉」問題が浮上した事は、我が日本国にとっては、これ以上ないという「考える機会」が与えられたのではないでしょうか。
その第一は先ずは歴史の検証です。明治・大正・昭和の三代にわたって日本国家のために命を投げ打った尊い生命を祀るのが靖国神社です。この靖国神社に祀られた人達こそ、現在の日本の繁栄の礎となられた方々です。
その靖国神社に日本国の代表である総理大臣が堂々と公式に参拝できない。このような状況が果して正常な姿と言えるのでしょうか。何故に日本はいつまでも諸外国の圧力に屈し続けなければいけないのか?
日本人の多くはそのように感じているはずです。しかしながら日本のマスコミに登場する靖国神社は、その国民感情とは反対に諸外国の内政干渉を正当化するものとなっています。
日本が先の大戦に敗れたのは半世紀も前のことです。その後遺症に起因するとしても、このあまりにも長期間に及ぶ「敗北自虐史観」から、一体いつになったら抜け出せるのでしょう。
依然としてマスコミは偏向報道を繰り返しています。これから終戦記念日の8月15日に向けて、その幼稚極まりない一方的な日本の歴史に対する批判・冒涜キャンペーンを行なうでしょう。
さて、今年の夏はこれまでとは違った意味で注目されることがあります。それはこれまで天皇陛下の戦争責任にこだわる低級な論説を以て国民を惑わしてきた朝日新聞社のような左翼マスコミの立場です。
彼らはこの度「天皇陛下の思いは何よりも重い」として、靖国神社のA級戦犯合祀批判を行ないました。昨年までの主張と今回の天皇陛下の「御言葉」に関しての主張は明らかに違うものです。
これまで左翼マスコミは戦前の戦争史観において、常に軍人は悪玉で民衆は善玉であったとする単純な構図を描き出していました。そして天皇陛下はこの中にあって、それは中立ではなく軍人の側に立たせてきたのでした。
しかし、これからは民衆の側に立った論説を行なうでしょう。だが、その一般大衆の側に天皇陛下が立たれ、先の大戦を検証するとなれば、これまで左翼が主張してきた歴史観は吹き飛んで消滅するでしょう。
いや、もう既に左翼の歴史観など消えかかっていたのですが、今回の「御言葉」問題でそれを決定的なものにすることでしょう。
そもそも、A級戦犯などの戦争責任論の根拠は勝者である連合国が演出した東京裁判という猿芝居にある限り、全く学問的価値を見い出せません。
戦後長らく「象徴」としての存在であった天皇陛下の在り様が、これほどまでに重みを与えられた時代は戦後においてはなかった。我々《極右》はそのような時代の到来を待ち望んできました。
今まさにそのような時代に突入しました。靖国神社、天皇陛下、戦争史観、熱く燃える真夏を前に、現状認識を述べさせて頂きました。
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日経「捏造報道」その��
