2005年11月04日

[仏・移民問題]寛容の限界に倣え!

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 移民暴動が拡大の一途を辿るフランスの混迷状態は、「自由・平等・博愛」なる理念が即ち理想に過ぎなかったことを物語っている。この国が移民問題に起因する治安の悪化ひいては国内状況の不安定化に対し、三色旗に示された「寛容」の旗印を捨てた時、我々はそこに生存を賭した国家の真の姿を見た思いだ。
 先のイラク攻撃において、米国の同盟国として機能し得なかったフランスとドイツは共に国内に多数のイスラム教徒を抱えているという事情を見逃せない。我が国でも不法滞在外国人が治安状況に与えた影響は甚大で、国内状況はおろか国際情勢さえも左右する人の移動は紛れもなく「戦争の一形態」とさえ言えるだろう。
 「寛容ゼロ」を標榜し、「放水で移民を一掃せよ」「ゴロツキ」など乱暴な表現を用いてでも治安回復に臨むサルコジ内相への支持が高まる背景には、移民を排斥することで逼迫した事態を打開し、自らの生存圏を死守するには暴力(=武力行使=戦争)を用いる以外にないという人間本来の生存本能が露(あらわ)になっている。
 動物にはテリトリーがあり彼らは自然の摂理を厳格に守っているが、ただ、人間のみが無限にテリトリーを拡大させることに努めてきたことは歴史を顧みれば一目瞭然であろう。かつてはその手段が植民地支配に見られる戦争であった。そして今、それぞれの民族が自らの生存圏を飛び出し、一つの国家に密集することで軋轢・衝突を生んでいる。
 一国の閣僚が過激発言に及び、国家そのものが生存と安全を求めてエネルギーを昇華させる時、それ以外の一切の理性さえも失われつつある状況に、我々は��力の哲学�瓩砲茲訐限厳�防衛という、ナショナリズムの究極形態を見るのだろう。

パリ郊外で暴動拡大 首相ら火消し躍起 
移民差別・失業が背景 内政問題に
【パリ=山口昌子】アフリカやアラブ系の移民が多いパリ郊外セーヌ・サンドニ県で先月末、未成年の若者二人が変電所で感電死した事件をきっかけに発生した暴動事件がパリ郊外全体に拡大。背景には失業や人種差別という難問があるため、ドビルパン首相とサルコジ内相が外国訪問を急遽(きゅうきょ)、中止して対応にあたるなど、内政問題の焦点に浮上してきた。
 二人が感電死したのは先月二十七日。移民側は強盗事件を捜査中の警官に追跡された結果だと警察の落ち度を主張。一方、警察側は二人が三メートルの塀を乗り越えて禁止地区の同所に逃げ込んだときには警官は警察署に引き揚げていたとし、食い違いをみせている。
 さらにサルコジ内相が事件の翌日、二人は「追跡されていなかった」と言明したことで、移民側が反発。同夜から移民若年層による暴動が発生し、二日にはパリ郊外全域に拡大。三日までに三百台以上の車などが放火された。内相は「寛容ゼロ」を標榜(ひょうぼう)し、厳しい態度で治安回復に努めてきた。しかし、「放水で一掃せよ」「ごろつき」など乱暴な言葉を吐いたため、社会党をはじめ野党は「挑発者」(ファビウス元首相)などと内相批判を強め、移民出身のベガッグ機会平等促進担当相ら政府内からも異例の批判の声が出た。
 内相は先月三十一日に二人の親族と会談する予定だったが、親族が拒否したため一日に首相同席で会合が持たれるなど、二〇〇七年の大統領選候補を争う二人のライバル意識もかき立てている。
 パリ郊外は犯罪の多発地区。サンドニでは感電死事件が発生した同じ日に、町を撮影中の男性が二人の若者にカメラを奪われたうえ撲殺される事件も発生しており、内相の支持率が高いのも治安回復を願う国民の共感があるからだ。
 シラク大統領は二日、事件の「沈静化」を訴え、首相は同日からのカナダ行きを遅らせたほか、内相もパキスタン、アフガニスタン行きを中止した。犯罪多発の背景には失業や人種差別、貧困、教育問題など、いわゆる“郊外問題”があり歴代の政府も頭を悩ませてきただけに、解決は容易ではない。
(産経新聞) - 11月4日2時35分更新

 フランスが我が国に教え示しているのは、移民を受け入れた場合、人種・民族別によって職種が分類され、被差別階層を生み出すということである。日本人の存在そのものが差別になりかねないというのだ。既に不法滞在外国人らの就労によって「構造化」は進行、定着しつつある。彼らの権利、要求を容認すればより事態が悪化することも必至だ。こうした事態を回避すべく多民族・多文化共生社会を築こうとの論が戯言であることは、改めてフランスの例を出すまでもない。 
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Posted by the_radical_right at 17:18 │ mixiチェック │欧州極右 

2005年11月03日

支那人の「中華帝国主義」の根源とは何か?

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「中華思想」こそ危険な侵略支配の思想である。

共産中国の本質は共産主義思想というよりは、古来よりの中華帝国主義にあることは昨日述べた。では、そもそもこの「中華思想」とは、どのようなものであったのか?実はこの中華思想こそが、あの「日中戦争」の原因であると指摘する識者も多い。となれば、この中華思想を避けては通れない。

この中華思想を語るときに私はある人の言葉を先ず紹介することから始める。それは東京在住のチベットの独立運動家、ペマ・ギャルポ氏の言葉である。「中国人とは、妄想の中で面子を立てることができる器用な民族である」と評したことだ。

皆さんは中国人と言った場合、それはどのような人達を指すのでしょうか。共産主義者が支配する現在の共産中国に暮らす全ての人を考えておられるなら、それは大きな間違いである。中国人とは自らを漢人と呼ぶ人達であって、それ以外の民族や人種は入らない。

つまり、中華思想とは漢民族が持つ特異な思想であると言う事ができる。この中華思想は古くからあったが、それを古代にまで遡っても意味がないので、取り敢えずは近代社会に入ってからを考えて見ることにしよう。

かって広大な支那大陸を支配していたのは漢民族ではなく、清国を創った満州人であった。もともと満州とは漢民族の版図ではなく、満州人のものであった。このことは「万里の長城」を築き、漢人は「関外」と称して「中原」と区別していた。

日露戦争前、清国は腐敗して弱体化、ロシアの南下を食い止める事が出来ずに、満州への侵攻を許して、ロシアの南下膨張を阻止できなかった。このことが日露戦争の原因ともなった。

もし、日本がロシアに勝利しなければ、満州はもとより支那大陸そのものがロシアによって征服されていたことは疑いない。この時漢人の間で清国の支配から脱しようとの気運が持ち上がり、それは中国革命という旗印を掲げた戦いになった。

この時漢人が掲げたスローガンが「滅満興漢」であったが、この滅ぼす満州の中には、当時満州人の支配に喘いでいた蒙古、新疆、チベットなどの地方と民族が入っていた。

漢人は自分たちと同じ境遇にある、これらの異民族と共闘するということではなく、満州人を滅ぼしその支配下にある地域をこんどは漢人の支配する国へ併合するという革命方針(スローガン)を掲げたのである。

冒頭に紹介したペマ・ギャルポ氏の「中国人とは妄想の中で面子を立てることが出来る器用な民族」という言葉はこのことに通じてくる。かって清王朝の従属下にあった諸地域を悉(ことごと)く「中国領」と思考する漢人の感性はまさにアナクロニズムの一種の「侵略」思想である。

この考えこそが「中華思想」の根源を為すものである。この論に従えば、もし日本に「我が国は米国の属国だ。」などと言うものがあれば、「中華思想」を持つ漢人は「ならば、米国を追い出してやろう。」と言うことにはなるが、それは日本を独立させるためではなく、併合するためであることは歴史が証明している所である。

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Posted by the_radical_right at 11:09 │ mixiチェック │特定アジア(中国・領土) 

2005年11月02日

共産中国の東アジア支配の狙いは「大中華帝国再興」の野望

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共産中国の『覇権主義』と東アジア支配への野望

共産中国という国家はわが日本にとっては厄介な国である。できれば親しく付き合いなどしたくはないが、なにせ日本のお隣であるし、しかも強大な軍事国家である。しかも、これまで安易な考えから日本企業が多数進出して、言ってみれば人質に取られたようなものである。

日中両国の境界線上では地下資源の開発をめぐって、共産中国側は一方的にガス田開発を強行し、日本も対抗上ガス田開発に乗り出さざるを得なくなっている。共産中国の海空軍はこの日本側の開発を傍観する筈はなく、東シナ海は“一触即発”の偶発的軍事衝突の危険性が高まっている。

現時点においては日本を常日頃から恫喝を繰り返す北朝鮮よりも、その危険性は増しており「仮想敵国」であることは疑う余地もない。東西の冷戦構造が終焉して久しいが、この東アジア地域だけは冷戦の終焉は熱戦(ホォット・ウオー)の時代の到来となった。

なぜ、このように緊張関係が高まっているのか、そのことを冷静に分析しなくてはならない。先ず第一に共産中国の異常なまでの膨張ぶりである。なぜ、このように軍事力の増強を続けるのか?この事について考察する必要がある。

かって東西冷戦時代、米ソは共に軍拡競争を演じた。西側はソ連の軍備増強は、彼らの唱える共産主義の世界革命と無縁ではなく、ソ連はそのために戦争を準備していると言うものだった。これは共産主義の暴力主義的な思想性や歴史的な経緯からも支持された考察だった。

対してソ連は米国の帝国主義論を盛んに宣伝した。資本主義はやがて帝国主義に傾き、軍事力によって戦争を始めるという考えだ。これに対抗するために、やむ得ず軍備の増強を図るという考えであった。

しかし、東欧の共産国家群がドミノ現象のように相次いで倒壊し、ついにソ連邦も崩壊した。このことによって緊張緩和が兆しが見え、世界はこれでようやく恒久平和の時代を迎えるのではと期待された。

しかし、東アジアにおいては共産主義の亡霊はしぶとく生き延びたばかりか、その共産主義思想の衣をまとった独裁政治は再び軍備の増強を図り周辺国に脅威を与え始めている。

さて、この共産中国の軍備拡張は、その根底に何が存在するのであろうか?確かに共産主義という思想が「銃口から革命は作られる」というものである以上、軍事力と切っても切り離すことの出来ない思想であることは分かる。

しかし、共産中国がこれほどに軍備の拡張に走るのは、その背景に一体何があるのか、それを正しく見極めていかなくてはならない。現在強大な国土と人口を有する共産中国に対して侵攻するような国家の存在は考えられない。

冷戦時代、その可能性を持つ国家が一つだけあった。それはソ連であった、だからこそ共産中国は米国と手を結び、ソ連と対立したのである。しかし、現在ロシアは共産中国に脅威を抱いてはいるが、逆に共産中国がロシアに脅威を抱いているとは考えにくい。

自らを脅かす国家が存在しないのに、軍備の増強を続ける、その目的とは考えられることは一つだ。それは周辺地域に自らの『覇権』を唱えようとの魂胆があるからに相違ない。

全てはこの『覇権主義』によって行なわれてきたことである。ガス田開発、原子力潜水艦による領海侵犯、上空における境界線ぎりぎりの戦闘機の威嚇行為、これらはすべて軍事的威圧であり、その目的ははっきりしている。それは彼らが軍事力を背景に恫喝を行い、領海及び領土に対する野心を果たそうとしているからだ。

この共産中国の政策は何も日本に対してだけのものでなく、自分より弱い者に対しては否応なしに、このような威圧によって黙らせ侵攻を繰り返してきた。それは共産中国によって事実上支配されて植民地にされたウイグル、モンゴル、チベットなどを見れば明らかだろう。

これは共産主義と言う思想もさることながら、中華帝国と言われた時代からのものであり、その中華帝国主義についても、考察しなくてはならない。これまで日本には共産中国に対する認識の甘さがあった。

共産中国の「経済開放」政策を歓迎して「経済成長」が著しいとか「投資ブーム」の対象としか見てこなかった。強大な軍事大国となった共産中国の狙いが本当に何処にあるのか?我々はそれを見抜かなくてはならない。

台湾への軍事侵攻なのか、朝鮮半島の属国化か、それとも日本に対する軍事力を背景とした恫喝なのか。東アジアへの『覇権の確立』と制覇は着々と進んでいる。

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Posted by the_radical_right at 08:34 │ mixiチェック │特定アジア(中国・領土) 

2005年11月01日

日米安保体制の見直しを「対米戦略の切り札」とせよ!

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  小泉内閣の最重要課題は日米の戦略的提携『共同覇権』の構築だ。

第3次小泉内閣が発足した。安倍晋三官房長官、麻生太郎外務大臣、中川昭一農水大臣などの頼りになる政治家がおり、その意味では安心感がある。しかし、このブログで何度も書いているように、日米関係こそが最優先課題となる。

いくら家に立派な家財道具や電化製品を並べても、ならず者に押し入られて占拠されてしまったら、それこそ何にもならない。その意味からすればならず者に押し入られないように常に守りを固めておかねばならない。

日米関係とはまさに守りを固めるためには、絶対におろそかに出来ない、最重要な政治課題である。日米安保体制をより堅固なものにするためには、どうすればいいのか?それが現在の東アジアの情勢を考えれば急務となる。

共産中国の脅威に如何に立ち向かっていくのか。日米同盟は今新たな使命を担っている。普天間基地の問題もようやく政府間レベルでは決着をみたが、これから沖縄県民の理解を得るという一番難しい交渉に入らなければならない。

防衛長官に額賀福志郎氏が選出されたが、この人はこの問題を解決するには適任である。額賀防衛長官と沖縄担当大臣の小池百合子環境大臣には、小泉首相も期待をかけている。しかし、この問題は「丁寧に説得して、意見調整して理解を得る」(額賀氏の就任会見での談)という技術論法だけでは前には進まない。

民主党の前原代表は30日放映のフジテレビ『報道2001』で、米軍の駐留目的を極東の平和維持に限定した日米安保条約の極東条項が「さらに空文化してきた」と批判したうえで「極東条項に対する解釈の変更、或いは再定義を国民に問うべきだ」と述べた。

彼がどのような日米関係の再構築を考えているのかは定かではない。しかし、この前原代表の主張にも一理あると思う。何故ならば、今日の日米安保とは本質的には片肺条約であり、日米の従属関係に根差しているのは違いはないからだ。

よく戦後の日米関係とは米国への一方的な追従であり隷属関係だと言う人が多い。であるなら、これを対等の関係に持って行くにはどうすべきなのか?先ずそれを徹底的に論ずるべきではないのか。

私は「日米安保体制の見直しを『対米戦略』の切り札とせよ!」と以前から訴えてきた。日米安保体制は日米だけのものではなく、それはアジア・太平洋地域の平和と安定にとって必要不可欠のものである。

今共産中国がこの地域における軍事力を急激に増大させており、日米を分断させて、自らの勢力範囲として覇権を打ちたてようとしている。この脅威に対峙する道は日米安保体制を根本的に見直し、アジア・太平洋地域において日米が共通の認識を持ち『共同覇権』を握ることである。

そのためには日米安保条約の質的変化を行なう時でもある。軍事的なものを強調するのではなく、国家生存と繁栄を目指す総合的なものとすべきである。そこには食糧とエネルギーも加え、それらを総合的に包括した「戦略的提携」が望ましい。

米国の言いなりや、ご機嫌を取ることが「対米協調」ではない。両国家が21世紀の世界の平和と安定に如何に貢献できるのか、それを互いに話し合い、協調関係を構築することが大切である。『日米共同覇権』こそは21世紀に向けた日本が取る国家戦略であると考える。

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Posted by the_radical_right at 14:23 │ mixiチェック │日米関係