北朝鮮が核保有を宣言した今、非核三原則に意味があるのか。
北朝鮮の核開発問題を協議する6ヶ国協議が、今月末に再開される見通しとなった。
既に北朝鮮は核の保有を宣言している。これに対して日本などは北朝鮮の核保有を認めず核の完全放棄を求めている。
東アジア情勢はこの核の問題を巡って緊迫した情況が続くことになる。
日本は世界の中で唯一の被爆国である。
これまで一貫して核の廃絶を国際社会に向け訴えてきた。
それは人類にとってこれほど悲惨なものはなく、唯一の被爆国として、この悲劇を再び繰り返さないためには、日本こそその核廃絶の先頭に立たなければという使命感にある。
しかし、北朝鮮の核開発と核保有宣言に見られるように、それはこれまで効果を挙げてはこなかった。
わが国の左翼勢力は、防衛予算の増額や自衛隊の海外派遣を「右傾化」や「軍国主義化」と非難はするが、北朝鮮の核開発や共産中国の軍備拡張には何ら異を唱えてこなかった。
その結果が北朝鮮の核保有宣言や度重なる共産中国の領海侵犯などである。
気がついて見ると日本は核保有の敵性国家に取り囲まれ、日本はその中で孤立してしまった。
日本はこれまで米国の傘によって守られてきたことは紛れもない事実だ。
しかし、「持たず、作らず、持ち込ませず」とする非核三原則を掲げている。
在日米軍基地に核ミサイルが存在しているのは、最早公然の秘密なのに、こうした歪(えびつ)な「理想論と現実との間のギャップ」を政治レベルで維持し続けることに何の意味があるのだろうか。
北朝鮮の核保有宣言に「日本も核の保有で対抗」などという性急なことを言うつもりはない。
しかし、非核三原則を破棄することによって、日本にも核兵器が存在し、相手方からの核攻撃に対しては、対抗する手段があると宣言することが大切ではないのか。
日本に対して威嚇を続ける敵性国家に対して、これ以上調子に乗せないためにも、非核三原則を見直す時である。
それが戦争によって核の攻撃を受けた唯一の被爆国としての、身を守る時の当然の選択肢である。

