2005年09月30日
極右とは何か〜 懐かしの2ちゃんねる大論争 (21)

この天皇の問題というのは、それを理解しようとしない方には極めて困難な説得であることが、身に染みて感じているところでもあります。
様々な角度より天皇問題に関する投稿を試みたが、いずれも十分な理解を得ることは出来なかった。そこで、ここでは私は持論を展開させて頂くことにしたい。
今でこそ、あまり見られなくなったが、かつては左翼陣営から「天皇制ファシズム」なる批判があった。
戦前の状況を指してのことだが、戦前の日本においては天皇制という<システム>とファシズムが決して相容れるものではなく、それを目指したものは「日本的な、あまりにも日本的なもの」に埋没して、その中に溶解されてしまった歴史の事実がある。
我々はこの点をこれまで考え続けてきた「この日本的なるもの」とは一体、何であるのか。
しかし、それは非常に曖昧模糊としたものであった。
そこが日本という国家の不思議なところでもある。
しかし、だからと言って、我々の目指すべき政治運動において、これをいつまでも<曖昧>な存在としておくことは出来ないと思います。
では、我々の目指す極右運動における天皇の立場とはどのようにあるべきなのか?
現体制・保守派は今日の象徴天皇制を堅持するとしている。
市民リベラル派の皆さん(例:三郎さん=過去の記事を参照)は京都にお帰り頂いて共和国のようなものを目指し、段階的に天皇制はこれを風化させるという考えでしょう。アナーキストさん(過去の記事を参照)は飽くまでも天皇制を打倒し、これまでの日本民族の上にあった呪縛をこの際、取り除きたいということでしょうか…。
我々の目指す天皇中心の神の国とは、普遍神道の日本的形態を証明する存在としての天皇陛下であり、その天皇を中心とする国家の再興です。
民俗学、文化人類学の行く着く先は「全ての民族はそれぞれの土着的な神々を持つ」ということの証明でなければならない。
来たるべき21世紀の世界とは軍事力や経済力、イデオロギーあるいは宗教によって支配・分割されるものではなく、世界の新秩序とはこれらの土着的な神々の系譜、系統に従って民族国家が形成され、それが互いに自治を認め合う形で存在するものである。
ゆえに土着的信仰の最高峰におられる天皇家は尊敬を集めるものでなければならないと思うのです。
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2005年09月29日
極右とは何か〜 懐かしの2ちゃんねる大論争 (20)
天皇(制)と国家・神道
皆様へ
私が森総理(当時)の「日本は天皇を中心とした神の国」発言に関して、日本茶掲示板に投稿した文が転載され、そこでこれまで議論が盛り上がってきましたが、このスレッドに移行し、21世紀における「天皇制」とは如何なる形が望ましいのか?それらを議論してみたいと考えます。
今朝、食堂にいたらテレビで美智子様が実の父の遺産30億円を放棄したとの報道がありました。
周囲で食事をしていた方々は「天皇なんてお金いらないだろう」などと話していました。
2ちゃんねるサイトの反天皇論者は、天皇陛下をまるで税金泥棒呼ばわりする人がいます。つまり、国民の税金を出すなということですが、もしお金を出さないのであれば、天皇家にも財産運用の自由を与えるべきであると思うし、寄附なども認めるべきでしょう。
いずれにしても、様々な角度よりこの問題を討論してみたいと考えます。
アナーキストさんへ
〉おそらく瀬戸氏は天皇制に日本民族の安定性と秩序の象徴を発見したのだと思います。
〉「安定性と秩序こそは日本民族の美点である。
〉それを象徴する天皇制が政治機構(国家)として歴史上に君臨してきたが故に、国家と民族の概念は日本人にとって一体である」
〉だからこそ、瀬戸氏は国家社会主義を主張しているのではないでしょうか?
〉瀬戸氏が「象徴」天皇制の議論を振ってきたのも、この辺りを確認するためでしょう。
私はこれまでファシズムやナチズムを学んできました。戦前ヨーロッパでこの運動が起きた背景と同じようなものが我が国にも存在しました。
しかし、日本においては国家社会主義運動は大きな広がりを見せることなく、それは日本史の中でも然したる注目を浴びるものにはなり得ませんでした。
この一番の理由として考えなければならないのが、天皇の存在であったことは言うまでもありません。
北一輝にしても中野正剛にしても、日本におけるヒトラーとはなり得なかった。この事は決して過去のことではなく、未来の日本においても私は変わるものではないと考えます。
その理由はいずれ述べるとして、先ずはアナーキストさんへの返答です。まさにアナーキストさんのご指摘通りです。あなたには全てを見抜かれているようで怖い…。
しかし、あなたが最後に言われた「天皇制を打倒する」という考えは絶対に日本では成功しないでしょう。その理由については改めて投稿します。
皆様へ
日本における天皇制打倒の試みが失敗に終るであろう、との理由をもう先にかかれてしまいました。
「一木一草にまで天皇制が宿っている」
これはある高名な左翼学者の言葉でした。これはマルキシズムの直輸入による日本の天皇(制)否定の目論見が、日本固有の風土に根差した尊皇心の前には、何の効力も持たなかったことを自ら認めた敗北宣言であったのです。
ただ、その謂を借りるならば「戦後日本には一木一草に米国なるものが寄生し、宿ってしまった」というのも可能であろう。
故に、我々は天皇制が打倒されることはないと信じるが、変質していくことを恐れるのです。
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2005年09月28日
収穫の秋と日本、神への感謝と天皇の存在 その2

大嘗祭を見て感動した日本人としての誇り
我が国における「天皇陛下」の存在とは、一体どのようなものなのか?正直言ってそれを実際に目にして感動を覚えたのは、現在の天皇陛下が即位された年の「大嘗祭」の模様がテレビで映し出された時でした。
大嘗祭ーそれは科学万能の現代社会でせちがなく暮らしている我々に、日本民族の浪漫、根源にある精神の魂を感じさせるものでした。まるでタイムマシンに乗って古代の世界に舞い降りたかのようでした。
大嘗祭の古式ゆかしき儀式そのものは、まさに我々民族が、紛れもなく自然をいつくしみ、自然と共に生きてきた農耕民族としての証<あかし>を我々に見せてくれた。
世界中の多くの民族には、その民族や国家の起源と誕生に関する「神話」があります。大嘗祭は現代に忽然と甦った壮大な日本民族国家誕生の浪漫的神話の再現でした。神話は悠久の歴史の中で絶えることなく息づき、力強い国家生命の息吹きを示してくれました。
大嘗祭とは名の通り祭りであり、我が民族が回帰するロマンの舞台なのです。この大嘗祭とはいかなるものなのか、それは我々が古代より連綿と受け継いできた稲作文化と密接な関係にあり、それを抜きにしては語ることができない。
我々日本人の主食は米であり、この米こそが日本列島の中で最も大切にされてきたもので、ゆえに米には人間の生命を養ってくれる特別な霊の力があると考えられてきた。
新しく取れた新米を神に献上し、その中にある霊を新天皇陛下が自らの魂の中に、しっかりと取り入れ身に付けることによって、最高神の位につくとされる大嘗祭こそ、日本民族が守り通して来た<日本精神>そのものなのです。
更に興味のある方は続きをどうぞ。
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