2005年12月08日
歴史は敗者によってのみ正しく伝えられる。
我々《極右》は共産主義の独裁国家・中国、北朝鮮の軍事的威圧に対しては、『日米共同覇権』の確立によってこれを撃退して、東アジアに民主的な国家を誕生させる闘いの重要性を訴えています。
ただ、かって半世紀前に米国を相手に勇敢に戦った、我々の祖父母や父母の精神を忘れた訳ではありません。常に大東亜戦争を検証し、歴史は敗者によってのみ、正しく伝えられるとの信念に基づき活動しています。
記念すべき12月8日、半世紀前の父祖達を想う。
12月8日という日がやって来ても、それは365日の中の単なる1日、寒い冬の1日でしかない。そのような認識しか持たない世代が今日の日本社会の中枢を占めるに至った。しかし、明治維新後の日本にとって、この12月8日という日こそは、絶対に忘れてはならない日であり、この日の持つ重要性を我々は永く語り継がなければならない。
昭和16年12月8日、大東亜戦争は日本海軍のハワイ諸島・真珠湾への攻撃によって始まった。大正末期より昭和初期に至る日本を包む暗い重圧感は、この日未明の大本営発表と共に吹き飛び、多くの日本人にある種の解放感をもたらした。
この時、老若男女を問わず、全ての日本人は血の湧き立つのを覚えてであろう。それは明治維新の偉業を成し遂げた若き志士たちを想い、それを継承し西欧人の独善と欺瞞と横暴の上に打ち立てられた植民地支配を粉砕し、アジアの独立と解放を目指すという大理想に日がついにやってきたことへの喜びでもあったのです。
大東亜戦争の歴史的考察の一面を見る時、明治維新後の近代日本が宿命的に背負わなければならなかった道が、戦争という不幸な手段であったことを認めないわけにはいきません。しかし、そこには日本人の国際社会に対する目覚めと、自らの意志と力量を持ってアジアの解放を達成するという強い自覚と信念に満ちていたのです。
この日本人の考えと行動、先覚意識は多分に情念的なもので、いわば結果を余り深く考えないで突っ走った面もなきにしもあらずでしょう。これは後日の自己反省の材料であっても、他国からいわれなき追及をされるべき罪悪とは一切関係がないのです。
この民族一丸となって、欧米列強と戦った大東亜戦争の崇高なる理念を我々《極右》は決して忘れないし、これを今後も永く語り継ぐことを本日、靖国神社に参って誓うものである。
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2005年12月07日
耐震偽装マンションの責任の所在を問う
偽装マンションを担保したローン会社の
「貸手責任」を不問にするのか?
耐震偽装マンション問題で、政府は公費負担による住民救済を決定した。この問題では地方自治体が問題のマンションを買い取り、解体して立替え再び住民に販売するという方法が取られる。
この問題は先ず人命尊重という観点から急を要するということで、対策が先行するのはやむ得ないと思う。しかし、この結果責任を誰を負うのかという点だけは明確にしなくてはならない。
何故ならば、当面の資金は国民の税金でまかなわれるからだ。これまでのマスコミ報道などによれば、この結果責任を負うのは次のように分かれる。先ず設計図を改竄した姉歯建築士とそれを強要したと思われる施主並びに販売会社。この三者の責任は免れない。
次にこのデタラメな建築物の工事を認可した地方自治体と確認事項の事務を委託されていた民間の検査機関。自治体の確認作業と許可は国の委託業務ではないにしても、民間委託の検査会社は国土交通省の監督下に在るわけだから、当然のごとく国の責任もある。
そしてマスコミなどでは購入した住民の責任もある程度はあるとしている。これも他の物件よりも割安なマンションという宣伝を信じて購入したわけだが、その購入に際しての自己責任は否定出来ない。
デタラメな物を作った業者、それを検査で見抜けなかった行政と検査機関、それに購入者の自己責任の三つに大きく分けられている。
ところで、マスコミや世間は全く触れないが、私はもう一つの重大な責任を持つ会社をここで上げておきたい。それはこのマンションを担保にしておカネを貸した金融機関の存在である。銀行や住宅ローンの会社については、その責任を問う声は今の所不思議にも一切聞こえてこない。
では、これらの金融機関にはどのような責任があるのか?それは「貸手責任」である。私は昔から金融機関の「貸手責任」について追及してきた一人でもある。
金融機関は担保を取る場合には、それなりの調査をして、物件にそれだけの価値があるかないかを判断する。殆どが自前でやる場合が多いが、不動産鑑定士に依頼する場合もある。また住宅ローンを利用する場合は保険に加入させられる。この時も建物の査定は行なわれる。
これらの金融機関はそこまでは知らなかった。というであろう。しかし、この知らなかったというのは、ある意味で検査機関や購入者と同等の言い訳でしかない。
法律はなぜに存在するかといえば、社会の公正と公平を守るためにある。我々の住む社会は法治国家である。常に法によって守られ、また守らなければならない。
何故最後にこんな文章を書くかといえば、今回の問題はある意味で法律を無視した“超法規的な処置”であり、公平を欠くものであることは明白だからだ。住専処理の場合のように、公的な資金が行政の尻拭いや大企業の責任逃れのためにだけ使われてはならない。
これが今日の日本社会の実態である以上、住民救済と言う美名の下に全てが許されるようなことがあっては絶対ならない。
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2005年12月06日
中国の「対日侮辱」外交に反撃せよ!
「民度の低さ」を露呈した共産中国の対日戦略
小泉首相の靖国参拝に対して共産中国や韓国が続ける「対日侮辱」外交について、我が国がいつまでもおとなしくして反撃をしないと、相手は益々増長して結果的には不利益を被る事態も考えられる。
共産中国の「反日デモ」などは、彼らの「民度の低さ」を世界中に晒し、愚劣なまでの政治ショーと化した。一国の総理大臣に擬える人形や国旗「日の丸」を燃やしたり、まさにその傍若無人ぶりは日本国民に対する挑戦といえた。
あの「反日デモ」の映像を見て、怒髪天を衝かぬ日本人は居なかったでしょう。かような彼らの非常識ぶりは、呆れるばかりでありました。しかし、看過するには余りにも重大であり、且つその背景を徹底的に分析しなければ、現状においても売国勢力が国策を壟断するなかで、益々もって敵性国家群の謀略に嵌り込む危険性が極めて高いと言わざるを得ません。
無論、共産中国の狙いは矛盾が噴出する国内情勢から目を日本に向けさせるためであり、そのための仕組まれた管制の「反日デモ」であったわけです。これまでだったら、「ゴメンナサイ」式の土下座外交を性懲りもなく繰り返す無様さを見せ付けて世界に恥を晒すはずでしたが、今回ばかりは日本側も毅然とした態度で抗議しました。
しかし、あろうことか共産中国は、一切謝罪しないどころか、その後もことあるごとに日本政府に対して言いがかりとも取れる言動を繰り返してきました。とても、まともな国のやることとは考えられない愚劣な対応でした。
譲歩に譲歩を重ねるから相手は図に乗るのであって、主張すべきを主張しないから連中の要求が際限なくエスカレートしてきたのです。その意味からすれば、今回、小泉首相が東アジア首脳会議における共産中国側の首脳会談延期の発表について「延期でも結構です。会談開催を自分の方から働きかける考えはない」とはっきり明言したのは痛快でありました。
敵性国家との話し合いは条件をつけられて行なうのではなく、互いに無条件で行なうべきである。「小泉首相が靖国神社へ参拝するから、会談は行なわない」と言うなら、結構なことではないか。現時点で会う必要などどこにもない。
産経新聞以外の日本のマスコミはこぞって、この小泉首相の態度を批判しているが、共産中国のようなならず者国家を何時まで賛美するつもりなのか?もういい加減にして欲しいものだ。我々《極右》は外交に関しては小泉首相の姿勢を断固支持するものです。
