2006年01月08日
政治をレジャー化して弄ぶマスコミ
亡国マスコミの犯罪性を斬る (第二弾!)
マスコミの罪科として昨日は愛国心の欠如を挙げた。今日は第二点目としてマスコミの通俗民主主義への信奉を考えて見たい。自らを「自由」を守る尖兵であると思い上がっている。それがはき違えた「自由」だから始末が悪い。
現在の新聞社(テレビメディアを含む)は文化はもとより、政治・経済の分野にまで、その低劣な意識を持って支配せんとしている。だが、マスコミは所詮非力な烏合の衆に過ぎない。
恥じ知らずの扇情的報道によりかきたてられた群衆心理をたくみに操り、自らを「世直し」の主役であるかのごとく振る舞っているだけのお粗末なのだ。
そして、民主主義の前には民族主義も国家主義もすべて悪であると決め付けて見せるのである。民主主義に敵対する訳でもなく、その中で競合を目指そうとする政治・思想全てをを否定する。
余りにもの民主主義絶対化を叫ぶ結果、社会の各所に無責任な権利主義を浸透させ、堕落文化の横行に一役買うものである。そして、無視できないことは、このような風潮の蔓延が、政治そのものへの不信と軽視をあおり、政治のレジャー化につながっていくということなのである。
古くは大阪の知事に当選した漫才師がいた。愛国心もなく政治についての知的レベルも低い者が、安易に政治に参画できるという事態が、民主主義の制度的貧困さを意味しているのに、それを警鐘するどころか、それを利用することしか考えていない。
テレビマスコミはその男が当選した後も、依然としてお笑い番組に出つづける事に何らの異議をはさむこともせずに「私はちゃんと仕事をしており、こうして番組を通して国民の皆さんと接している。」という開き直りを支持していた。
最近やたら増えた娯楽番組において、お笑いタレントが高飛車な態度で政治家に接し、敬語も使わずに呼び捨てにする時もある。政治家の方もただ笑って愛嬌をふりまいている。何と、恥知らずな政治家達であることか。
これらの事例はいずれもマスコミが政治を軽視している、すなわち政治を娯楽番組レベルに見下げる事によって、国民の政治への尊厳と期待の念を踏みにじっているのだ。
また売国的な朝日新聞や毎日新聞などは、共産中国の走狗となって代弁者の役割さえ担っている。政治の娯楽・レジャー化、国家の弱体化に増々拍車をかけている。このまま放置するならば、新聞社の犯罪行為は限りなく増幅されて、日本は亡び共産主義者の毒牙にかかり犠牲を被ることになるのではないか・・・・・
2006年01月07日
極左評論による『極右評論への疑問』に徹底反論する!
以下は記事の引用である。
極右評論への疑問
ランキング上位に極右評論http://blog.m.livedoor.jp/the_radical_right/というブログがある。
そもそも名前だけでも対立している訳だが、勿論思想的にも大きく相違がある。
まず、極右評論での先の西村眞梧氏の逮捕についての評論では、西村氏の犯罪を政権中枢の陰謀のように表現している。
それ自体の真実はわからないが、極右評論管理人の西村氏への期待は並外れではないか?
そもそも西村氏は拉致問題を取り込む素晴らしい政治家というまでは理解できる。だが、極右評論では非弁活動や先の刀剣友の会(西村氏が会長)のテロ事件なども踏まえた上でも拉致問題を取り込めば、政治家としてふさわしいと考えているようだ。
非弁活動やテロ団体の会長、それだけでも政治家としてふさわしい訳がない。全く呆れた話であるわけだ。
これからも注視していきたい。
(以上、引用終了)
まず最初に、立場は違えど「極左評論」の方々が言論による普及活動に務めておられる点を尊重するとともに、敢えて自身らのブログにおいて我々を取り上げてくれたことに敬意を表したい。
しかしながら疑問に思うのは、極左評論諸氏は拉致問題への取り組みに一定の評価を示しておられるが、真の極左であるならばソ連邦の崩壊さえ「西側のデマである」と言うくらいのスタンスを示してほしく思った。拉致事件があそこまで公になった今となってはどうにもならぬが…。然るに極左を標榜しつつも、その実、極左過激派に比して至極真っ当な意見を述べておられるところが、我々が極左評論諸氏に敬意を表する所以でもある。アドレスに「aikokusha」を用いているところも非常によろしい。
さて、本題に入ろう―。
「極右」なる表現について、実は自らが標榜し始めたと言うよりは中国からの批判によるところが大きい。中国が石原慎太郎東京都知事や西村眞吾議員を批判するにあたって、度々「極右政治家」なる表現を用いる。この両先生が極右でも軍国主義者でもなく、その実、至って中道的なスタンスの愛国者であることはかねがね指摘されていることではあるが、それほど中国共産党から恐れられている両先生を尊敬するが故に我々は「極右」なる名称を冠した。
西村眞吾先生の逮捕が「政権中枢の陰謀である」との主張については、多くのブログ・サイトで報道され、そのような論説が支持を集めていたので言及したに過ぎない。
ご指摘の通り、我々は主権国家として当然の主張さえ出来なくなった状況下において、至極真っ当な意見を述べられる西村議員に強い期待を寄せている。
罪は罪として厳しく指弾、処罰されるべきとしても、政治家として、あるいは人間としての人生全てが否定されるべきなのだろうか。
反対勢力は鬼の首をとったかの如く、西村議員が逮捕され、罪状を認めた事実を騒ぎ立てるが、それでも支持者の間で西村議員の功績は少しも色褪せることはないだろう。
我々が西村議員を支持する理由は何も「拉致問題に取り組んでいるから」という一点のみではない。日本国を取り巻く状況を総体的に見て、西村議員のような政治家が台頭しなければならないと考えるからだ。
最後に極左評論諸氏が事実を歪曲しているのは西村議員を「刀剣友の会」会長としている点である。正しくは「最高顧問」だったのではないだろうか?
そして「テロ団体の会長、それだけでも政治家としてふさわしい訳がない」と論じているのは順序が逆である。
一人の政治家が最高顧問を務めていた刀剣愛好団体がテロ事件を起こしたに過ぎないのだ。
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愛国心なき新聞社の犯罪性
亡国新聞社の犯罪性を斬る(第一弾!)
日本のマスコミの許すべからざる罪科を挙げてみよう。
第一にそれは「愛国心の欠如」だ。多くの国民はこの国を愛している。それを無視して一部の劣等意識にとりつかれた考えをもって、さも自分達が時代を代表する良心であるかの如く報道するなどは、愛国心の欠如以外の何ものでもない。
未だに国旗掲揚、国歌斉唱に反対する勢力を擁護して、国旗や国歌が戦争勃発に繋がるなどは、幼稚園児にも劣る発想と言わざるを得ない。教科書問題の「進出」から「侵略」への書き換えや南京大虐殺報道など、一貫した共産中国寄りの報道ぶりは、多くの日本国民の心情を逆撫でするものである。
これらの報道は彼等マスコミが権力に強制され、やむを得ずに報道している訳ではなく、終始一貫して日本国を貶めようとの策略によって行われてきた悪質極まりないものだ。彼等に愛国心のひとかけらも見出すことは出来ない。愛国心を持つことは、同時に国民を愛することであり、国民の幸せを求めることである。
それはまた、国際社会において相手国の立場を理解しつつ、共存共栄を計って行くことにもつながる。相手国が逆にこの精神を解せずに無法な行動にでるならば、当然相応の対処が必要となる。
国際協調の推進の基底には、常に一国の国益が優先されるのは当たり前であり、その国益を守るという精神が愛国心である。それぞれの国が国家間の対立した諸問題に対しては、愛国心を持って臨むのは自明のことである。
このような厳しき現実の中で、国論を分裂させるような報道は邪道である。マスコミは反国家的な報道が進歩的とかリベラルとか言っているが、全くの勘違いであることは言うまでもない。
共産中国などは一党独裁であり、政府に逆らうような新聞社は存続できない。情報は厳しく管理され操作されており、人民大衆は真実を知ることが出来ない。
我々はそのような共産主義国家と対峙しているのである。このことを肝に命じなければならない。その報道姿勢の根底に国家意識も愛国心もない日本のマスコミが、国益を忘却し民族の誇りを傷つけることに狂奔したとしても何ら不思議ではない。これは極めて憂慮すべき事態と言えよう。
これまで日本の為政者どもはこのような愛国心無き亡国マスコミを恐れ、それにひざまずくことによって、政治の舞台における彼等の跳躍跋扈を許してきた。これは為政者とマスコミによって作り出された国家への挑戦であった。国家に対しての反逆行為にも等しい。愛国心を持つ国民の心情に対する裏切りでもある。この意味で彼等はもはや日本人ではない。
明日はマスコミの通俗民主主義批判を投稿します。
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