2006年01月24日
[朝日新聞]記事に隠された�猗森餡鉢瓩料衙討鮖造襦�
左翼のレトリックは実に巧妙である。一見、中道を装ってはいるようだが、その論に嵌れば誘導されてしまうので危険極まりない。
例えば対北朝鮮外交において朝日新聞も「対話とムチ」の必要性を提唱してはいたが、朝日新聞が一度として「ムチ」に言及したことがない事はかねがね指摘されている。
その実、こちらが見極める真贋を持てばそう恐くはない。つまり新聞を盲信しないということだ。そうすることで巷で喧伝される形骸化された左翼イデオロギーの虚しさが嫌と言うほど伝わってくる。
「愛民心」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
おそらく多くの人にとっては聞きなれない言葉であろう。
朝日新聞では『時流自論』なるコーナーが設けられているが、平成18年1月23日付の朝刊では「愛国心と愛民心」なるタイトルで昨今の世相を説くコラムが掲載されていた。執筆者は写真家にして作家の藤原新也氏。
皮肉にも、ここに朝日新聞の“相貌”が顕わにされているように思う。ここで、そのような妄言に徹底反論することで巧妙に仕掛けられた左翼イデオロギーを喝破するとともに、皆様が愛国心についてより一層造詣を深める一助となれば幸いだ。
コラムの冒頭は、門松や日の丸など正月行事において日本の伝統や愛国心が地に墜ちたことを嘆くタクシー運転手の言葉が紹介されているところから始まる。
確かに正月行事は簡略化されつつあり、年々正月らしさを失いつつあることは客観的な事実であるのかも知れない。しかし、それを以って即ち「伝統や愛国心の減退」と断じるのは早計ではないか。
大晦日や元旦など各地の神社へ初詣に向かう参拝客は毎年過去最高を記録しているし、箸を使い、家では靴を脱ぐ日本の伝統的習慣は生活様式が変われど脈々と生き続けている。
また、藤原氏は文中、「平成の日本人、とりわけ若者らはかつての時代のように愛国心に燃えるようなことはない」と述べているが、緊迫化する極東アジア情勢の変動を受けたせいか、インターネット上における若年層の保守傾向は著しい。Webサイトにとどまらず拉致問題や人権擁護法案、皇室典範改正案など種々の問題意識を基に、自発的に動員される人数は相当数に上る。
サッカーW杯における応援サポーターの数も国民的熱狂ぶりも、本大会出場さえも叶わなかった十数年前とは比較になるまい。
もとより藤原氏は国民の日本への帰属意識について思い違いをしていると感じざるを得ないのだ。我が国の根幹を成す「日の丸・君が代」「ご皇室の存続」について積極的反対・廃止論を唱える向きは国民世論として形成されていない。誰しも自身の自宅周辺など近隣住民に問うて見れば歴然としているだろう。
その意味で、我が国とていつナショナリズムの隆盛が再興したとしても不思議ではなく、その土壌は常に形成されているのである。
さらに藤原氏は「愛国心とは〔中略〕きわめて身近な愛情の相互補完の土壌の中において芽吹くものなのである」とし、その意味で「家族や隣近所の土壌が痩せ細っているこの国において、仮に年寄りが若者に愛国心を求めるとするなら、それは無いものねだりに過ぎない」と結ぶ。
確かに近年、家族崩壊が指摘されて久しく、親が子を、子が親を殺すような事例が後を絶たない。しかし、それこそマスメディアの報道を盲信した一例と言えよう。
小手先の小細工で成り上がったIT長者の若者が「カネが全て」と言い放つ一方で、マスメディアが注目しない健全な若者、マスメディアが注目しない健全な家族、マスメディアが注目しない健全な地域社会が多数存在することに注目すべきである。
終りに藤原氏が致命的な意味の取り違いをしているところに反駁することの虚しさと、そのような論説を掲載した朝日新聞の低劣さを感じずにはいられない。
そこにはこうある。
「愛国心を掲げる人たちは愛とは他者との相互関係において成り立つという基本的なことをも忘れている。愛国心、つまり『民が国を愛する』ということは即ち『国が民を愛する』ということと相応の関係であらねばならないわけである。親子の関係でなぞらえれば、親(国家)が子を愛するからこそ子(国民)は親を愛する。仮に『愛国心』という言葉があるなら、それに相応した『愛民心』という言葉とその行ないがあってしかるべきなのだ」
〔中略〕
「近年の国の行ないを思い起こしてみるに、国家は逆に民を欺いているのではないかとの感すらある」
もう、目を覆わんばかりの誤認だ!
国を愛する「愛国心」とは政府や為政者に対する愛では断じてない!
勿論、同胞をも含むであろうが、人対人、官対民というの関係のみで論じられるものでもないだろう。
東京都の石原慎太郎知事は自著の中で次の旨のことを述べている。
「政治家が真に政治を行なおうとする時、国家は必ずそれに応えてくれる。その関わり合いは愛し合う男女の間をさえ超えたものだろう」
愛国心とは形や数値に表わせるものではないし、理屈を超えたものだ。
分かり易い例えで「愛社精神」に擬えて言うなら、その会社に勤めている人間を含め、自社が社会に貢献してきたという歴史・伝統・業績を尊び、誇りに思うところから自社に対して愛情を滾らせる。自らがそれを受け継ぎ、より発展させ、やがて後輩に引き渡す―。そのような個々の使命感、奉仕精神の下に上下、横との信頼関係の発展・強化をもたらすのではないか。藤原氏の述べることは順序が逆なのである。
社内システムを愛するわけでもなければ、ましてや会社の建物・施設を愛するのとも訳が違う。
耐震偽装で官民一体による国民への背信行為があろうとも、上層部(政府)と社員(国民)の関係とは別次元の問題であると思っている。
愛国心ゆえに政府の弱腰外交を非難することもあれば、愛国心に基づいて政府の行動を熱烈に支持することもあるだろう。
最後に藤原氏は、契約社員や派遣社員なる「使い捨て雇用システム」を問題点として、そのような労働システムの横行を放置している国の長が、国民に愛国心を求めても「虫の良過ぎる話」と指弾した。
しかし、正規の雇用関係の下に社員を募集している会社はあるのではないか。昨今、話題にのぼるニート問題でも言われるが、そうした会社・職場を探さない側の“甘え”の問題でしかなく、愛国心と結び付けられるべき問題ではない。
何よりも精神科医のヒキコモリ男性に対するアンケートで、「徴兵制が施行されればどうするか」との問いに、8割以上が「喜んで行く」と答えたという統計に注目すべきだろう。国家が真に国家としての役割を果たそうとする時、国民は自らの使命感(愛国心)の基に、国家からの要請に自発的に応じるのだ。
崇高な精神たる「愛国心」の重要性を謳いつつも、その実、徒な政府批判に終始し、国民を誤った方向へ導かんとする朝日新聞の言論手法に騙されてはならない。
※今回は簡単なところで斬ってみました。
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日本よ国家たれ! 〜もう忘れたのか、人質の訴えを〜
国家意識なき時代に噴出した亡国の諜報スパイ事件
昨日も伝えたヤマハ発動機の外国為替法違反容疑での家宅捜索事件だが、その全容が新聞紙上で報道された。既に軍事転用可能な最先端技術は共産中国の人民解放軍の手に渡っており、日本の防衛に大きな影響が出る事が懸念されている。
更にこの無人ヘリコプターの対中不正輸出には、取引の仲介をした中国人ブローカーの存在が明らかになったが、警察当局はこのブローカーは「中国の公的機関の職員」と認定した。
これは当初、産業スパイ事件と見られたが、実はそのような産業スパイ事件であれば、わざわざ「公的機関」とは公表しない。民間の産業スパイ事件とは違う。となれば、これは人民解放軍直属の情報機関ということになる。
この事件は福岡県警が昨年4月に摘発した不法就労助長事件の捜査が端緒となって、ブローカー2人が経営する都内の会社を捜索。そこで一連のヤマハ関係の書類を発見したことに始まる。
外国人の不法滞在を勝手に超過滞在と言い換える造語をつくり出し、不法滞在者の人権擁護を訴える反日組織が勢力を拡大しているが、我々《極右》はこの不法滞在者の追放を掲げ活動してきた。もし、この重大事件も不法滞在者への取締りが行なわれなかったら発覚することはなかったのかも知れない。
この共産中国への不正輸出だけでも驚きなのに、北朝鮮が不正に日本の防衛情報を入手していたとのニュースには驚きを越して愕然とさせられた。在日朝鮮人科学技術者協会なる団体が、最新のミサイル開発システムに関するデータを入手したという。
北朝鮮のノドンなどの弾道ミサイルから本土を防衛するには、それを打ち落とす迎撃ミサイルしかない。その最新の開発データをみすみす盗み取られてしまうとは、一体どういうことなのか?徹底した調査を望む。
さて、この一連の事件報道を目にして思うことは、「日本よ国家たれ!」の言葉だ。私の耳から離れない、この「日本よ国家たれ!」と言ったのは、政治家や評論家でもない言わば普通の日本人である。
しかし、彼らは普通の日本人であったが、ある事件に巻き込まれ特異な経験を積んだ。第1次湾岸戦争の直前、イラクに足止めをされ人質となった日本人商社マンの家族である。全員無事帰国され、成田で会見を開いた時の言葉である。
「日本人が思っているほど世界は平和ではないと実感しました。正義は正しいと言っても、それを通す力がなければ、どうしようもない。日本が国際社会の一員として、平和や正義を口にするなら、何が必要なのかをもっと議論すべきだ」
「軍事力のない交渉なんか無に等しいのに、自衛隊の海外派遣に同意する人が少なかったのは、皆が無関心だったからだと思う。同じようなことがまた起きたら、今度は助ける政府になって欲しい」
「日本人として英米人の人質と暮らしていて、どこに誇りを持って良いか分からなかった。彼らは少なくとも自分たちの政府を固く信じていた。それに対して私たち日本人はどうだったか…情けなかった」
人質にされた多くの方々の口から出た言葉は「もっと強い国家にならなければいけない」という率直な気持ちであった。
この言葉を我々日本人は忘れてしまっていた。国家を蔑ろにするような風潮が全てのこの種の事件の背後にあるのだ。
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2006年01月23日
ホリエモン逮捕は“軽薄”な社会の象徴的な事件
軽佻浮薄な社会は政治・経済・マスコミが演出
ライブドア事件は現在の社会現象を見事なまでに写し出している。彼が注目されたのはただおカネを持っているという、その成金としての特性にあった。それ以外で彼を人間として評価できるものは何もなかった。これが今日のカネが全てだという殺伐とした社会風潮を見事なまでに象徴していた。
別におカネを儲けることは悪い事ではない。誰しもがおカネは必要だし、あったに越したことはない。しかし、「カネで全てが買える」と豪語されてしまうと世間には途惑いを感じる人も多かったはずだ。そこには「お前、違うだろう〜」と反発する声があってもおかしくはなかった。
問題はここにあった。その反発する…いや疑問視する声を社会が聞こうとしてこなかった事にある。ここで言う社会とは政界・経済界・マスコミなどである。彼らはこぞって彼を英雄に持ち上げてしまった。何故そのようになってしまったのか?逮捕された堀江社長よりも、彼をそのように持ち上げてしまった社会の側にこそ、厳しい反省が求められてしかるべきではないか。
先ずは政治である。自民党は抵抗勢力のドン・亀井静香代議士への刺客として彼を放った。公認もしなければ推薦もしなかったと今強弁しているが、恥知らずという言葉があれば、応援演説で絶叫した武部幹事長や竹中大臣に先ずは与えられる称号だろう。
次にマスメディアである。彼につけたホリエモンというニックネームは、いかにもマスコミが飛びつきそうな愛称であった。まるで視聴者は幼児意識の中で踊らされているとでも言いたげなドラえもんをもじっての愛称には、マスメディアが彼を操り視聴者を低劣な考えで支配せんとする野望さえ垣間見させるものだった。
そして極めつけは経団連・奥田会長の言葉だった。彼は記者会見で堀江社長の経団連への加入問題を聞かれ、ニヤニヤしながら「ミスった」と答えた。誰しも間違いや勘違いはある。しかし、経済界の最高峰と言われる経団連への入会が「ミスった」との一言で片付けられてしまったのである。
我々はこの社会を一言で表わすなら、次の言葉しか浮かばない。“軽薄な社会”である。もう少し飾らして言わして頂くなら“軽佻浮薄な社会”である。まさにこのような言葉がピッタリ似合う社会が現在の社会なのである。
さして政治についての知識もなく、しかも愛国心の欠片も感じられないような人物を担ぎ上げて、それを改革の旗手のように持ち上げた為政者達。もし彼が当選して代議士だったら、今日のこの社会は餓鬼道にも劣ると先祖は嘆かれただろう。
マスコミは散々ホリエモンと持ち上げていたのに、今度は掌を返したように毒づき始めた。詐欺師・ペテン師と悪罵の限りを連発しているが、国民はマスコミが思うほど幼稚意識に犯されていない。何が問題の本質かをきちんと見極めている。
恥知らずな扇情報道で群集心理を巧みに利用しながら、堀江社長一人を悪者に仕立て自らは正義面をしているが、最近まで彼、ホリエモンを時代のヒーローとしていたのは誰あろうマスコミではなかったのか。
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