2006年03月11日
岩国基地反対運動について
左翼が主導する岩国住民投票を
不成立に終わらせよう!
山口県岩国市において、明日12日に神奈川県厚木基地から移駐が計画されている空母艦載機の受け入れの是非を問う住民投票が実施される。この住民投票については反対の立場を取る井原岩国市長も左翼に同調していると見られている。
米軍展開の世界再編については後日触れたい。しかし、この艦載機の移駐は北朝鮮の核開発や共産中国軍の東シナ海での活発な動きを見据えてのことであり、政府は当然のことながら、仮に住民投票が成立しても、この日米合意に変更はない。
今回注目されるのは岩国商工会議所の青年部が、この艦載機移駐問題で受け入れ賛成の立場から積極的に活動していたことである。このような基地問題の場合、地域エゴが優先して、いくら国防の重要性を理解しても賛成の立場からの運動は勇気のいる行動だ。
この青年部の活動に対して共産党や社民党は陰湿な嫌がらせを続けてきた。賛成派の商店には「モノを買わない」不買運動を仕掛けていた。しかし、青年部はそのような嫌がらせにも屈せずに今日を迎えている。
共産党・社民党は勿論、極左勢力も「米軍再編粉砕!」を叫び、全国動員をかけている。彼らは「日米帝国主義は、日米英枢軸を形成し、市場争奪の世界戦争を準備し始めた。北朝鮮・中国への侵略戦争が狙いであり…」と、いつもながらの帝国主義戦争論を振りかざしている。
この住民投票には大きな疑問があります―。
安倍晋三官房長官は3日の記者会見で、5日に告示される米空母艦載機部隊の移設受け入れの賛否を問う山口県岩国市の住民投票(12日投票)について、「住民投票は市長、議会が結果を尊重すべきものだ。安全保障にかかわる問題だから、我々は米国との合意に沿って理解を得るべく努力したい」と述べ、結果が受け入れ反対でも米国との合意に基づき説得する考えを示した。また、市町村合併で20日に新岩国市が生まれることから、「数日間で現在の岩国市が消滅するにもかかわらず、なぜ数千万円のお金をかけて住民投票をやるのかという疑問の声も上がっている」と語った。
岩国市は周辺の町村と20日には合併を控えている。周辺の7町村の首長はこの住民投票に反対している。井原岩国市長は19日に失職する。もういくらも任期がないのに何故強行しようとするのか、大きな不信感を周辺町村住民に与えてしまった。
皆さんの中で岩国市に住んでいらっしゃる親戚・知人・友人がおられましたら、住民投票に行かないように説得してください。よろしくお願いします。得票率が50%を越えなければ開票されません。すなわち不成立です。
ブログランキング参加 応援よろしくお願いします!
2006年03月10日
誰がこの事件の仕掛け人?蘆溝橋事件
「反中国歴史講座」��
蘆溝橋事件は中ソ共同の策謀?��
中国共産党の設立経緯については、前にも述べたようにモスクワを総司令部とするコミンテルンの一機関として誕生し、事実上ソ連の手先であった。私たちは戦後の中ソ対立や自主独立路線を思い浮かべるので、戦前においても独自の戦いをしていたように勘違いしがちである。
この点をよく押さえておく必要がある。何故かと言えば毛沢東の人民解放軍は支那大陸においては、共産主義の唱える暴力革命の一環として戦争を引き起こしたものであり、「抗日救国」のスローガンの救国などは後付けに過ぎない。
毛沢東の最初の頃の最大の敵は日本軍などではなく、蒋介石率いる国民党政府であった。孫文の後を継いだ蒋介石は清王朝を倒し、毛沢東の共産軍や周辺の異民族(満州馬賊や蒙古軍)の征伐に当っていたのである。
1936年(昭和12年)12月、蒋介石は西北において、掃共戦を督励中、共産軍と共謀した張学良軍に拉致監禁された。この時に馬賊や共産軍と共闘して日本軍と戦う「一致抗日」を誓わされた。
張学良は蒋介石に従っていたが、父・張作霖を日本軍に爆殺されたと思い込んでおり「抗日気運」が高まっていた。張学良は蒋介石との会談中に拉致して、強引に共産軍との和解を迫った。
またこの時期、対ソ防衛のために内蒙工作を推し進めていた関東軍が支援していた蒙古軍が傳作義軍に大敗してしまった。共産軍は支那全土において、あたかも関東軍の精鋭部隊が敗北したかのように反日キャンペーンを展開した。
昔も今も中国共産党は謀略宣伝工作に長けており、このような工作は蒋介石をも篭絡した。蒋介石は共産勢力の鎮圧を中止して、支配地域においては親日分子への弾圧を強めていった。
この翌年の1937年7月7日に日本側からの発砲だとされる蘆溝橋事件が発生した。この事件は日本軍が支那大陸の支配を狙って仕掛けられたとされて来たが、この頃の状況はとても日本軍から仕掛けられるほど楽観したものではなかった。
起こるべくして起きた事件であるなら、誰がこの事件の仕掛け人であるかは、今更言うまでもないことだろう。
ブログランキング参加 ←応援クリックお願いします!
「尖閣は中国領」中国外務省報道官
共産中国が剥き出しにした「尖閣諸島」への野心
中国外務省の秦剛副報道局長は9日の定例会見で「釣魚島(日本領・尖閣諸島)は中国固有の領土であり、日本の領土ではない」と公の場で、日本の領土に対する野心を露にした。
ついにこの時が来たなというのが実感であり、予想していた事ながら、次に予測される人民解放軍による尖閣諸島上陸に日本は備えなければならない。我々《極右》がかねてから主張してきた、中共の軍事拡張、膨張主義はついにその本性を見せ始めた。
中共がこの「尖閣諸島は自国領土」と明確にした経緯を、マスコミなどはガス田開発の既成事実化を図る、あるいは日中協議の延伸を狙う思惑があるなどと解説するが、もはやそのような悠長なことを言っている場合ではない。
彼ら共産主義者の狙いが武力を伴う尖閣諸島への侵略にあることは、予測を超えた規定の路線として対処しなければならないだろう。平和的な話し合いなどの可能性は全く消えてしまった。
中共は尖閣諸島が米国の施政下に置かれた時には、このような領土的野心を表に出すことはなかった。しかし、沖縄返還が日程に上り始めたら途端に領有権を主張し始めたのである。
昭和44年(1969)の佐藤−ニクソン会談で日米の合意がなされ、昭和47年(1972)の5月15日に沖縄返還は実現した。この同じ年の9月に日中国交正常化が国賊・田中角栄によって行なわれ、国交のあった中華民国(台湾)には断交を通告した。
この時に自民党内には尖閣諸島問題を明確にして、国交正常化にあたるべきとの意見があったのに、田中角栄はそれを無視して、佐藤栄作が沖縄返還を成し遂げたその偉業に自らも感化され、禍根を残す日中正常化を行なってしまった。
私の手元に昭和47年4月に作成された自由民主党政務調査会・外交調査会が作成した「尖閣諸島の領有権」と題した小雑誌(パンフレット)がある。
沖縄返還を一か月後に控えたその時期になぜ、このようなパンフレットが作成されたか。それは正式に日本に返還されれば必ずやこの尖閣諸島の問題が起きることを予測していたからに他ならない。
この尖閣諸島は、周辺海域に豊富な海底資源が埋蔵されていることが分かったので、中共は領有権を主張し始めた。また1992年には正式に領海法を制定して中国側が自国領土としている。
この手元資料から明らかなように、沖縄返還と同時に政府には中共の野心が伝わっていたのである。ちなみにこの返還前の3月3日、国連の海底委員会に中国側代表が突然この領有権の主張を提起していた。
日本側はこのような歴史的な経緯がありながら、これまで土下座と謝罪外交の中で、この問題を放置してきたことになる。このツケは国民の尊い血で贖うことになるやも知れない。
※昨日はまた過去最高のアクセス数を更新しました。ついに直接入力者が千人を突破しました。皆さんのご支援感謝申し上げます。
ブックマークや直接入力 1072人
ブログランキング政治経由 1028人
また、この後に各リンクを頂いている方からのアクセスが多数あります。合計で2427人でした。
ブログランキング 支援クリックお願いします!
