2006年10月09日

「戦略的互恵」についての疑問

「戦略的互恵」外交について

 岡崎久彦先生が『戦略的思考とは何か』という本を出版したのは1983年でした。それから『大国と戦略』『国家と戦略』(伊藤憲一先生)『現代と戦略』(永井陽之助先生)と続けて戦略本が出版された。

 この「戦略的―」とは、そもそもどのようなことを指すのであろうか?

 岡崎先生の『戦略的思考とは何か』の冒頭では次のような文章が書かれてあった。

 「戦後あれだけの防衛論争がありながら、賛成論と反対論の間の勢力の消長はあっても、その立場がちっとも収斂してこない」のはなぜかと問い「日本人が論理的なものの考え方に弱いからではないか」と述べておられる。

 私などもあまり論理的な人間ではないので、この度の「戦略的互恵」などと言われても、即座にそれが何を意味するものなのか理解できない。正確に申すならば、目指そうとしているものは漠然とは分かる。

 しかし、私の頭の中にある戦略とは「哲学なき戦略は不毛だ」という頑迷な考えなので、今回の「戦略的互恵」がいまいち理解できないというわけだ。

 前回も紹介したが、安倍晋三氏が総裁選に臨むにあたって表明した考えを再度見てみることにしましょう。

■主張する外交で「強い日本、頼れる日本」の中に次のような言葉がありました。

 米欧豪印などの価値観を共有する国々との戦略的対話を促進する

 このよく見かける「戦略的対話」とか「戦略的連携」といった言葉の裏に隠されたものであるが、それは事実上「敵・味方」を分別した上での同盟関係の構築に他なりません。

 もう一度、この戦略とか戦術という軍事用語について学んでみることにしましょう。この言葉の違いを理解できるのは、やはり軍事上からの分析が手っ取り早いのです。

 戦略と戦術の違いは、戦略とは全地球的規模で眺めた安全保障や軍事力の構想及び展開であり、戦術とは個々の戦場における限られた目標に対する行動である。

 戦略とは大局的見地に立って策定する統合的・全体的な構想や計画であり、戦術とは対症療法的で部分的・実戦的手段を指す。

 これに当てはめれば、なぜ中韓が戦略的対話から外れたのかは明白であろう。中韓とはその都度戦術的に対処して行けば良いのである。

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 この時の戦略的対話には哲学がある。それは共有する価値観である。つまり、「自由・民主主義・基本的人権の尊重」である。これは人類の普遍的な考えであり、目指すべきその「政治哲学」が感じられる。

 対して、この人類の普遍的価値と対立する共産主義国家との間に果たして「戦略的互恵」関係が成り立つのだろうか?例え成立しても、今後問題なく機能していけるのだろうか。

 ただ、戦略的とは二ヶ国間というよりは、他国に対する意思表示が隠されているとしたら、それは北朝鮮しか有り得ない。北朝鮮の崩壊を前にして、崩壊後の処置を決めておく必要はあるでしょう。

 そのような意味からの戦略性なら、それはある意味で理解できる。北朝鮮をどうするのか―、米国もそのために日本に対する働きかけを強めてきているのかも知れない。

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Posted by the_radical_right at 06:55 │ mixiチェック │特定アジア(中国・歴史認識) 

2006年10月08日

現代の呪文“日中友好”

76f4550c.jpeg現代の呪文“日中友好”

 言葉とは厄介なものである。独り歩きを始めると、どんどんそちらに傾斜していく―。それに異議でも唱えようものなら、歴史の反動者扱いである。

 小泉純一郎前首相は稀に見る政治家であった。いくらマスコミが呪文を唱えようが、聞く耳を持たなかった。別に小泉前首相が傲慢であったわけではない。

 そのような呪文に惑わされないことが、小泉前首相の政治家としての資質であった。共産支那の内政干渉に毅然とした態度で、これを退けたその態度は近年の政治家にはない気概を見せつけた。

 その辺りを右傾化する慶應生のブログさんも改めて「凄い」と驚いています。小泉前首相はやはり辞めた後でも若者に影響を与え続けることでしょう。

 もう、引退した人を思い出しても仕方がない。我々はその小泉前首相が後を託した安倍晋三という若き指導者に期待をかけるしかない。その安倍総理は今日共産支那(中国)を訪れた。

 今回の中国訪問が日本の外交政策上、避けて通ることが出来ないものだとしたら、私は別に反対する気はない。しかし、もしそうであったらもう少し演出を考えたら良かったのではないか。

 昭和46年7月、ニクソン米大統領はキッシンジャー補佐官と共に電撃的に中国を訪問した。日本は何も知らされていなかったので「米中頭越し外交」をやられたと大きなショックを受けた。

 安倍総理にもこの位の演出をして欲しかった。勿論「頭越し外交」でショックを与えるのは朝鮮半島の分断国家である南北朝鮮に対して、である。

 これだったら、日本国民の多くが拍手喝采であったと思う。なぜ、このような古い話を持ち出したかと言えば、どうもわが国には、この日中友好という言葉が呪文のようにへばりつき縛られてしまっていると感じるからです。

 日本は米中接近という時の国際情勢の趨勢を読み損なった。このために時の佐藤栄作総理が退陣を余儀なくされてしまった。その後、田中角栄によって日中国交正常化が行なわれた。

 これまでの日中関係はこの時の立場が尾を引いてしまっている。つまり日本側から慌てて外交交渉に入った、その立場の弱さがその後も続いている。

 今回の訪中においても、やはり米中接近という流れがどうしても頭を離れない。米中がまた「頭越しに外交」を行なえば、日本は吹き飛んでしまう。そのような恐怖観念にからめ取られてしまっている。

 この現代の呪文から、日本を一日も早く解き放たなければならない。今回の安倍総理の訪中によって、一時的に友好ムードが起きるだろう。しかし、それは長続きはしない。

 日中友好は幻想に過ぎない。我々はいつの場合でもそのことをきっちりと肝に銘じ、共産支那の脅威に立ち向って行かなければならない。

池田大作200個目の名誉学術称号

 今朝の朝日新聞は、公明党の池田大作名誉会長が海外の大学、研究機関から通算200番目となる名誉学術称号を受け、7日に東京都八王子市の創価学会で授与式があったと報道している。

 今回200番目に授与したのは中国北京師範大学で、これまで授与した大学・研究機関は42ヶ国にも及ぶという。

 先ず、これをわざわざ新聞の紙面で報道する価値があるのでしょうかね。池田大作氏がどこの国から称号を授与されたとして、それが国民にとっては何の関係もなかろう。

 伝えなければならないことには沈黙し、くだらない個人賛美の記事を掲載する、もう朝日新聞は社会の木鐸とは呼べない。恥を知れと言いたいですね。

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Posted by the_radical_right at 17:52 │ mixiチェック │特定アジア(中国・軍拡) 

神札は悪鬼の住み家、創価学会の教義

「天皇VS創価学会」

創価学会の反天皇性を厳しく問え! 
理論武装シリーズ��

 創価学会を批判するにあたって、なぜこのようなタイトルなのかに、先ずは疑問を持たれた方にお答えしておきます。創価学会員に「貴方方の考えは間違っています」と言った時に、では「貴方方はどのような国を目指しているのですか?その基本となる考えは?」と逆に訊かれた時に答えなければならないからです。

 愛国者は「伝統・文化・歴史を守る」ことを最も大切なことと考えておりますが、この中の伝統・文化こそは天皇という御存在と深く関わるものです。そして実は創価学会は左翼と同様にそれを否定してきた事実があるのです。

 現在は憲法で位置付けられた象徴天皇制には反対しないという立場ですが、彼等が創価学会の教義の中で、天皇(制)に反対してきたのは明白な事実です。

 実は前回のシリーズ�,砲�いて、天皇と日本の歴史について「日教組の教育のためか、あまりそのことを意識せずに生きてきたので、正直言ってよく理解できない」というコメントを頂きました。

 戦前の教育を受けた世代と戦後の教育を受けた世代では、この天皇観というものが、全く相反するものになっています。特に団塊の世代と呼ばれる人で、学生運動の経験者は天皇陛下に対する尊敬の念を抱く人は非常に少ないと感じます。

 さて、それでは天皇とはそもそも何なのか?これまでも幾度も書いて来ましたが、今回もそこから始めたいと思います。天皇とは我々日本人及び日本にとっては、世界に誇れる価値であり、それは単なる価値ではなく、能力を兼ね備えた価値なのです。

 誰でもが理解して頂けるように簡単に説明します。よく皆さんは「万世一系の天皇」なる言葉を聞いたことがあるはずです。何もこれは日本だけの言葉ではありません。お隣りの支那にもこの言葉だけはありました。

 秦の始皇帝という絶大なる権力者は治世26年、次のような『万世無窮の勅語』を発しました。

「今より朕を始皇帝と為し、後世、二世、三世より万世に至るまで、これを無窮に伝えし…」

 ところがどうでしょう。この勅語を発してから僅か15年後に秦は滅び去ってしまったのです。秦に限らず多くの王国は滅亡しました。しかし、日本の天皇家・皇室は万世一系不断に永続し、現在に至っているのです。

 これはどのように考えればよろしいのでしょうか。これを大日本愛国党の赤尾敏総裁はいつも「天皇陛下だけが偉いのではない。それを守り通してきた、我々日本人が偉いのだよ。これこそ世界に誇れる素晴らしい価値だ」と語っておられました。

9fea9ef0.jpeg 正倉院という宝物殿には世界から頂いた装飾品の数々が展示されています。もう世界ではここにしかない物もたくさんあります。それは革命によって時々の権力者に略奪されたり、滅び焼かれて消滅したり、埋没してしまったからです。

 天皇家はそれを大切に保管してきたので、現在もそこに存在しています。そこは厳重に兵士が守ってきたわけではありません。しかし、日本人の誰一人として、それを奪い自らの物にしようとした人間は歴史上存在しなかった。

 価値があると申し上げたのは、物の価値ではありません。この歴史の断絶がなく連綿と受け継がれてきた、その天皇家に象徴される天皇と国民が一体となって作り上げてきた「伝統・文化・歴史」なのです。

 対して左翼や創価学会というものは正倉院から、宝物を盗む出す事を何とも思わないような輩なのです。日本の歴史上現れたことのない、まさに不埒な輩と言って良いでしょう。

 天皇と日本神道は密接な関係にありますが、創価学会の教義では神道を敵視し攻撃してきました。

「世間では神社から御札を買ってきて、それをどこかに貼っておけば、それが神信仰になると思っている。しかし神社で売っている御札などには神はおらず、それを貼れば悪鬼の住み家と化すだけだ」

 故に創価学会に入信すると強制的に神棚及び神札は焼き捨てられる。勿論、神社の参拝など認められるわけがない。これは創価学会の「折伏経典」に書かれてある。

 前回天皇の万世一系を中傷する創価学会員のブログを紹介したら、次のような創価学会員のコメントがありました。

 うわああ。この学会ブログ最低。
僕は学会員ですが天皇陛下大好きです。世界に誇るべきものだとおもっています。君が代だって小学校のとき歌の意味を教頭先生に教えてもらって鳥肌が立ちました。いまだってそうです。
学会員でも左から右までいますので、一緒にしないでください・・・。
もし会のながれでこんな意見が通るようでしたら僕が阻止します。

ですので人称を「彼ら」ではなく「彼」にしてほしいです。
サヨク思想と日蓮仏法を結び付けすぎ・・・。

ちなみに学会指導ではその国のよき市民たれと指導されてます。
まずは地域から。祭りにだって積極的に参加します。
みんな誤解してるけどうちの近所の会館は神輿の休憩所ですよ。
会員も神輿担いでます。
Posted by 学会員 at 2006年10月03日 00:47

 非常に胡散臭いコメントです。私の田舎での話ですが、神社の寄付に創価学会信仰者は一度も応じたことはありませんでした。いつも「私は神道を信じません」と言って断られました。

 なぜ、このようなコメントがなされたのか、一般の信者は池田大作氏や学会のことを書いた週刊誌やネットを見ることは先ずありません。創価学会のネット監視部隊が書き込んだのでしょう。

 彼ら創価学会が恐れるのは、愛国者が反創価学会でまとまり声を上げることでしょう。だからこそ彼らはその「本当の姿」を打ち消すのに懸命なのではないでしょうか。

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Posted by the_radical_right at 07:42 │ mixiチェック │公明党 カルト宗教