2006年12月02日
「恨(ハン)」と「畏(かしこ)まる」
「恨(ハン)」と「畏まる」
朝鮮人と日本人の民族性の違い
今回の鬼畜の仮面を被った「在日朝鮮人」や左翼思想信奉者の「皇室中傷」芝居は、日本人の皇室に対する尊崇の念を踏みにじるもので許せない。
皆さんのコメントを読んで、今回改めて加瀬英明先生の一冊の本を思い出し、書棚から取り出し斜め読みしました。「『恨(ハン)』の韓国人。『畏(かしこ)まる』日本人」という本です。
恨(ハン)の韓国人=在日朝鮮人については、今回を例に取るまでもなく、説明を受けなくとも何となく分かります。
では「畏まる」日本人についてはどうでしょう。加瀬英明先生は次のように書いています。
「一人ではおとなしく畏まっているが、集団に属すると大きなエネルギーを発揮する日本人」
対して韓国人は常に「恨」のエネルギーを噴出させている。
日本人は本当に一人、一人はおとなしく我慢強い国民であると思います。常に畏まっています。
この「畏まる」という言葉が実は日本だけで、同じ漢字文化圏であっても、中国やかつての朝鮮半島にもないと書いておられます。
この畏まるという言葉は、身分の高い人や目上の人に対して、おそれを敬う気持ちを表して謹んだ態度を取る事で、「天皇陛下の前で畏まる」などと使われてきました。
畏まるという言葉には、自らの「分」をわきまえる―という日本人の賢さがあるとも書いておられます。この言葉のない、朝鮮半島や支那大陸の出身者はさしずめ、次のように言えるのではないでしょうか。
つまり、「分」をわきまえない、賢くない連中であると―。
しかし、今回は賢いとか、賢くない、と言ったそんな問題ではないでしょう。
加瀬先生が書いておられるように集団になると大きなエネルギーを発揮します。このコメント欄に寄せられた多くの皆様のご意見を読むと、その大きなエネルギーがついに始動したと感じない訳には行きません。
最後に反論があると思うので、それを書いておきます。それは次のような反論です。
確かに韓国には「恨」(ハン)という言葉はあるが、それは日本でいうところの「恨(うら)み」とは全く違う。
日本語の恨みとは他人に向けられたものであるが、韓国人の「恨」は内に向けられたもので、激しい自責の情念から生まれた言葉である。
しかし、今回の「在日朝鮮人」などを見ていると信じられません。彼らは日本に置いてもらっている、その感謝の念を全く持っていません。
彼らからは日本人社会に対する憎しみしか感じられない。それがあのような「皇室中傷」芝居となって表わされたのではないでしょうか。
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2006年12月01日
「御皇室」中傷芝居に憤激した!
「皇室中傷」芝居について
“さもしい”輩に捧げるサヨナラの言葉
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週刊新潮が事務所に届いたのは昨日の午後でした。トップネタですから、すぐに目に留まりました。
悠仁親王は「猿のぬいぐるみ」! 「陛下のガン」も笑いのネタにした「皇室中傷」芝居
このタイトルに先ず驚きましたが、この市民集会に参加した人物の名前を見て、<なるほど、こいつらなら、やりかねないな…>と思わず頷いてしまいました。
そこには永六輔、中山千夏、矢崎泰久、本田勝一、佐高信らの名前があったからです。
―と言っても、若い人は誰が誰だか分からないのではないでしょう?
もし、この人達に言葉を差し上げるとしたら、どのような言葉が適当なのか、昨晩から考えていました。
考えた末にこのような方々には「さもしい、根性の持ち主」という言葉を送りたいと思います。
さもしい。
この言葉の語源は沙門(さもん・しゃもん)という仏語だと今回初めて知りました。
この言葉は一般的には見苦しい、卑しい、卑劣、心が汚い、みすぼらしい…などを意味します。
また、「アイツはさもしい奴だ」という場合は、何か得をしようとする魂胆が丸見えである。そのような使われ方もしている。
では、今回彼らは何をこの「皇室中傷」芝居の中で得しようとしたのでしょうか。
彼らはこれまで日本の伝統や文化、天皇と日本国、そのようなものを貶しめてさえいれば世間から注目され、それだけで普通の人の何倍もの収入があり、豪勢な暮らしを満喫出来てきた。
日本の国に反対の言辞を常に吐き、そのような害毒を撒き散らすことによって、日本社会に寄生しながら生息を続けてきた「反日・侮日」活動家達である。
ジャーナリスト、進歩的文化人、評論家などという名称で呼ばれては来たが、その実態は“反権力”を売り物にしてきた売国奴集団に過ぎなかったのだ。
そのような連中も、このネット社会によって急速に社会の流れが変わり、もうまともに相手にされなくなっている。そのような焦りが今回のこのような、初めから売名行為を狙ったお芝居だったのでしょう。
その意味では、その「さもしい」までの根性はもう見え透いています。何を得しようとしたか、それはかつてのような社会からの脚光だったのでしょう。
しかし、もう時代は急速に日々変化を遂げているのです。自分達が時代から取り残されてしまうのではないか―その焦燥感の中で彼らが思いついたのが、今回の「皇室誹謗」のお芝居であったとすれば、それは容易に推測できることでもあるのです。
このような手法によってしか、世間の注目を集めることが出来ない。もうそのことが既に彼らが歴史的には消え去る運命の方々であることを証明している。
このような「さもしい根性」の輩とは、一日も早くサヨナラしたいものだ。
「一木一草に天皇(制)が宿っている」とは、或る高名な左翼学者の嗟嘆である。
マルクス社会主義思想の敗退は、天皇を否定した時から既に始まっていた。
日本国に根差した尊皇心の前には、彼らは早くから“敗北宣言”を出していたのである。
今回の輩は当然の如く、それを承知していた。にも関わらずこのような愚かなことを繰り返している。故に許せないのである。
確かに表現の自由は大切なことだ。しかし、これはもう表現の自由の問題ではない。社会風刺といったものでもなければ、芸風も何もあったものではない。
単なる誹謗中傷の類でしかなく、これまで述べてきたように、世間から疎まれつつある彼らが、その鬱憤晴らしで行なった低俗極まる愚劣なる行為に過ぎない。
今さら彼らに反省を求めても、彼らが真摯な気持ちで詫びることもないだろう。「開かれた皇室」論やその風潮を危惧して、エントリーを立てたばかりであっただけに、この問題の深刻さを痛感しました。
この際はやはり「不敬罪」という法律の制定をも念頭に、我々が何から手をかけるべきかを、もう一度真剣に考え直さねばならないと思いました。
※この↑の最後の文章に対して、コメント欄で言及する方が多いので、ここでその真意を載せておきます。(午後にアップ)
各位
「不敬罪」も念頭に・・・という文章に対して、どうもストレートに反応した方もいらっしゃるようなので、ここで改めて説明します。
現在「不敬罪」はありません。しかし、だからと言って天皇陛下を一方的に公然と侮辱することは罪となります。しかし、これは親告罪で侮辱された人が訴えなければ、捜査にも着手できません。
ご存知のように天皇陛下には、それが出来ませんが、内閣総理大臣が代わって告訴をする事が出来ます。今回、もし安倍総理が告訴すれば、問題はありませんが、もし告訴をしなかったとしたら、どうでしょう。
一体誰が天皇陛下の名誉をお守りするのでしょうか。そのような意味でも、この問題を根本的に考え直す必要があると思っています。
第231条 《侮辱罪》
事実を摘示せずと雖も公然人を侮辱したる者は拘留又は科料に処す。
『公然の侮辱罪とは、不特定多数の見聞き得べき場所で人の名誉を毀損すべき意見を発表する行為をいうのであって、 被害者がその当時その場所にいたかどうかを問わない』
『他人の名誉を毀損する具体的事実を公然告知したのではなく、
単にその社会的地位を軽蔑する自己の抽象的判断を発表したのにすぎない場合には、侮辱罪が成立する』
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2006年11月30日
維新政党・新風��
シリーズ 維新政党・新風��
草の根民族運動の先駆者・魚谷哲央代表
私が維新政党・新風を応援することになった経緯については、このブログを読まれている常連の方は既にご存知と思います。しかし、維新政党・新風を知っている方はそう多くはないと思います。
確かに私が掲げてきた「西欧の極右政党のイメージとは少々違うのでは?」というご意見もありました。しかし、多くの共通点があることも事実ですし、何よりも結党以来11年という歴史と、これまで3回に渡って参院選挙を戦ってこられた実績があります。
政治信条・理念においても、戦後政治を打破するという、その大局的な見地は同じであり、その手法においても地道な努力の積み重ねによって支持者の拡大を目指すという点にも共鳴出来るものがありました。
来年夏に行なわれる参院選において、新風がたとえ一議席でも獲得すれば、それは日本の戦後政治に対する衝撃となり、その波紋は日本国内だけではなく、周辺諸国は勿論のこと、米国や西欧社会にも伝わることでしょう。
何事も一歩から始まります。一歩前に進まなければ、歴史を劇的に変化させることは出来ません。これまで何度も書いてきたように、21世紀は古今に比類の無い変革、即ち維新(革命)の世紀として世界史の中に位置づけられたのです。
我々はそのことを胸に刻み、この変革の嵐の中で、前に突き進み勝利を得なければなりません。そのためには多くの人に維新政党・新風という政党とその目指す国家と社会について理解を得られなければなりません。
そのような意味でこれからこのシリーズを二日間位の間隔を置きながら始めてみたいと思います。
新風は結党以来、民族主義の「草の根運動」として、その勢力拡大に務め、これまで3回の参院選において議席を得る為に立候補しています。
一つの政党として認められるには最低でも、地方区、全国区の二つの選挙区に党の公認候補を10人立候補させなければなりません。新風は小さな政党で資金力もないので、供託金の少ない地方区に8人ほどが立候補して、残りの二人が全国区に立候補することになります。
維新政党・新風の代表である魚谷哲央氏は同志社大の卒業で、学生時代から民族運動の経歴を持つ信念の人です。今度は4度目の挑戦であり、背水の陣で臨むことになります。
第18回選挙 比例区総得票数 56,966票
第19回選挙 比例区総得票数 59,385票
第20回選挙 比例区総得票数 128,478票
この第20回参院選挙の投票率は56・4%であった。
確たる支持基盤もなく、志を同じくする人達が、何とか自分たちの代表を議会に送ろうと選挙資金を積み立てての戦いである。言い方は悪いが、前々回、前回の得票数を見れば、第20回選挙においても家族や友人、知人に応援要請を求めても、それは死票を覚悟の上での要請となった。
それでも戦い得票数を倍増させたこの結果を、既成政党からは嘲笑と侮りの対象にしか過ぎない結果だったのかも知れない。しかし、この3回の戦いを通して国民に一つのことを示したのではないか。
それは結成されてもすぐ消えてしまうような泡沫政党ではなく、確固たる信念を持った政党であるということです。そのことを内外に示したと思います。
そして次の参院選挙までに残された時間は半年と迫ってきました。前回の3倍増でも一人当選させることは出来ません。10倍増を果たさなくてはならないのです。
私は選挙のプロではありません。しかし、新風を支援するにあたり、比例区で100万票を目指すことは可能であると思って決断しました。急速なインターネットの普及は、新しい社会を創造しました。
このインターネットこそが我々の最大の武器であり、我々はこの武器のみで為政者の支配する現下の社会に鉄槌を下すのです。その戦いに今乗り出したところです。
我々の目指す社会の前には多くの敵が立ちはだかっています。この敵との果敢な闘争を経て我々は必ずや半年後には勝利を掴むことが出来るでしょう。
※コメント欄には新風以外の話題でも、何でも結構ですので自由なご議論を御願いします。
週刊金曜日主催の天皇陛下と皇族を侮辱した劇の内容を、コピペさんがコメント欄に貼り付けたくれました。余りの酷さに驚きました。左翼や在日が敵意を剥き出しにしてきたようですね。
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