農業の再生と環境問題 ��
日本の未来の為にも農業は大切です。
余りテレビを見ない私ですが、昨夜はNHKの衛星放送で7時から9時まで放映した「未来への提言・低炭素社会」というドキュメント番組を見ました。
これからの未来社会はこれまでのような化石燃料を使わずに、太陽光、風力、地熱、波力などの自然界のものをエネルギーとして利用する新たな社会の出現を目指さなければならないというものでした。
このような自然界にあるものを新しいエネルギーとする社会は、新しい産業を生み出し、雇用の面でも期待できるというもので、見所のある内容でした。
さて、私は自然エネルギーの活用には勿論大賛成ですが、環境問題とリンクさせるならば、日本における農業問題ということも見直しを図っていくべきであると思います。
昨日の放映の中でも、バイオマス燃料が注目されるほどに穀物の国際価格が値上がりして、結果的に食料の大半を輸入に頼っている日本はやがて苦境に立たされることを示していました。
日本農業の再生こそが、食料自給の向上は勿論のこと、日本の環境を守る意味からも絶対重要な施策となります。今日と明日の二日間に渡って日本農業の問題について書いてみることにしたいと思います。
下記は昨年、『維新政党・新風』の茨城県本部1周年記念で「農業問題」について、話をさせて頂いた時のものです。
【御報告】
11月29日(土)茨城県護国神社において維新政党・新風茨城県本部発足一周年記念集会を行いました。

まず第一部、参加者全員での昇殿参拝、戦没者への慰霊祭を行いました。
続く第二部は鈴木信行本部幹事長の挨拶、新風講師団の忠宣叡先生の挨拶、全国身体障害者政治連盟の高木豊会長の挨拶、党友塩田尚つくば市議会議員の当選報告があり、新風三唱、聖寿弥栄三唱で終えました。

第三部で瀬戸弘幸本部副代表の講演会を行い、農業問題についての話の後、参加者全員で討論がなされました。瀬戸副代表から農業体験の提案がありましたが、参加者全員が納得しました。早期実現が望まれます。 茨城県本部事務局長 八木康洋
http://www.shimpu.jp/chihon/blog/20081129.html
この時にお話をさせて頂いたことに、新たに付け加えて今回ブログでご紹介させていただくことに致します。
日本農業と環境問題について
私と農業の関わりから始めたいと思います。私は農家の生まれで私は5代目の長男として生まれました。江戸時代の末期に本家から分家したと聞いています。
私が生まれる前の戦前は養蚕農家であったと言いますが、私が生まれる頃にリンゴの苗木を植えてリンゴ栽培農家になったと聞きました。稲作もやっていますが、中心はリンゴ栽培の農家として営んで来たわけです。
何故リンゴ栽培が盛んになったかと言えば、リンゴの栽培に適していた土地柄であったと言います。列車の東北線が近くを通っていますが、その線路上では海抜(海水面から測った陸地の高さ)が、一番低いところだと以前から聞いていました。
その一番海抜が低い場所が山で囲まれて盆地の中にあります。盆地の一番底という意味なのでしょうが、これは寒暖の差があるということです。この寒暖の差がリンゴの栽培に一番適しているという事でした。
残念ながら、今は温暖化が進み冬は昔ほどの寒さは感じません。越冬時に寒くないということは、病原菌や害虫が駆除されないということで、本来好ましくはありません。
よって現在においては、リンゴの適作地ということは言えないのかも知れません。農家の長男、すなわち後継ぎとして生まれた私は自分が農家を継ぐのは当たり前だと思って育ちました。
祖母は私に「農家の倅は勉強などしなくていいんだ。しんしょう(身上)つぶすだけだから」と言って、学校から帰ると農作業を手伝うことを命じました。
このしんしょう(身上)とは福島県の会津に伝わる「小原庄助の唄」に出てくるものです。
♪小原庄助(おはらしょうすけさん)さん. なんで身上(しんしょう)つぶした. 朝寝(あさね)、朝酒 朝湯(あさゆ)が大好きで ...♪ 身上(しんしょう)とはその家という意味です。
私は余り勉強をしませんでしたが、祖母には書物で学ぶ以上のものを教えられて育ったと思っています。子供の頃から植物や家畜(当時は牛や羊を飼っていました)を育てるということの大切さというものは、自分のその後の人生に大いに役立ったと思っています。
高校には進学せずに、そのまま家業を継ぐ気でしたが、私が中学校を卒業する年に、農業自営者を養成する専門学校が出来ることが分かりました。
3年間全寮制で過ごし福島県に一校だけ出来るという触れ込みでした。そこでそこの園芸科を志望して受けることになったわけです。福島県全域から生徒が集まるので、その競争倍率は2・6倍という高さだったと記憶しています。
進学校をもしのぐ倍率でした。当時まだまだ農業という産業は魅力あるものだったと思います。今、私が卒業した福島県立農蚕高等学校はありません。自営者養成校というその目的も外され、名前が変更されています。
工業化が優先された産業社会の中で、常に農業は犠牲にされてきたと私は感じています。私が学んだ高校の時代の校歌の始まりは♪国の基の農の技…♪でしたが、現在はその校歌も変えられていました。
私は農家の跡継ぎとして学校卒業後は農業後継者として家業に就きました。しかし、当時宅地の乱開発などの問題で、農地と宅地を線引きする都市計画法の制定が持ち上がり、私の家はその農地の殆どが宅地開発地域に指定されました。
当時は宅地並みの課税が実施されるということで、農業の将来は非常に暗いものでした。そこで私は農業を諦めざるを得なかったわけですが、現在も父が86歳にも関わらず、稲作とリンゴ栽培をしています。
私も金曜の夜には福島に戻り、土日は一年間欠かさずに農作業を手伝ってきました。土日帰れない時には月曜、火曜に帰って手伝ったことも度々ありました。このような生活をもう25年以上続けました。
家の周りは宅地開発が進み、団地の中に取り残されたような形で田んぼとリンゴ畑があります。私は農業を専門にやってきた人間ではありません。よって専門の人から見たら、その知識や経験はないに等しい。
しかし、自分でなければ知り得なかったこともあります。周りは次々に住宅地として開発が進められてきました。そのような中で農業をしていると、これまでまったく見えてこなかったことが見えてきたのです。
明らかなる環境の変化でした。住宅地が相次いで出来たことで、顕著に現れたことがあります。
皆さん、何だと思われますか?
農業が破壊されていくことによって、先ず引き起こされたことに関してお話をさせて頂きます。そして、実はそのことこそが日本の環境問題を考える上で、最も重要な視点になると私は思っております。
(続く)
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