2008年11月05日

昨夜・防衛省玄正面口での感想

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昨夜・防衛省正面口での感想

 戦後社会への痛撃・反日左翼との対峙!

 もう、日が暮れるのが早い。
 4時半過ぎとなると急に周りが暗くなって来るのを感じます。
 防衛省の正面入り口に到着したのは丁度5時頃でした。集合は5時半となっていましたが、少し早めにと思って来たわけです。

 もう、既に「主権回復を目指す会」の西村修平代表や「在日特権を許さない市民の会」の桜井誠会長らの姿がありました。十人前後の人が集まっていました。

 正面口の反対側には反日左翼の姿も見えます。こちらも十人くらいの人数でした。防衛省の正面口でこのように反日左翼と右派・保守派が対峙するという光景こそ、ある意味で我々が望んできたことでもありました。

 これまでだったら、この防衛省の前には反日左翼の姿しかなく、反自衛隊活動が展開されていたことでしょう。しかし、時代はまさに様変わりを見せました。

 それから30分後、我々の陣営には続々と人が集まり、ゆうに80名を越すほどの大きな塊となったのです。多くの人が日の丸を掲げ、ハンドマイクを持っています。

 昨年の夏から9月までの間で、「行動する保守運動」の回数が100回を超えてきたと紹介しましたが、その成果というものが現れてきたと感じました。

 防衛省の玄関口で反日左翼勢力と衝突も辞さないという、その過激な呼びかけにも関わらず、実に多くの人が躊躇することもなく参集してくれました。

 特に若い人が多かったと感じましたが、同志のブログに掲載された写真を見るとそれがハッキリわかります。着実に若い層に我々の支持者が増えていることの証左でしょう。

http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/36842303.html


 対する反日左翼は寂しいものでした。活動家が集まらず30人にも達しない規模で、我々に圧倒されマイクの声もかき消されて、まったく気勢の上がらない抗議でした。

 このような光景を待ち望んでいたのは、実は我々だけではなかったと思う。それは戦後一貫して反日左翼の猛攻にさらされながらも、それに耐え忍んできた筈の自衛隊員にとっても同様であったと思います。

 ようやく自分たちを本当に支持する勢力が出現したことに、会心の笑みをもらすと我々は期待していました。しかし、残念ながら防衛省の職員にはそのような人はいなかった。

 ただ足早に我々の方を見ることもなく去って行った。心の中では我々と共に叫びたい人もいたのかも知れません。残念ながら我々の期待は裏切られ失望へと変わらざるを得なかった。

 しかし、これが自衛隊全体の空気でないことは知っています。自衛隊には現場の制服組と本省の背広組とでは、やはり温度差があるようです。
 航空自衛隊内部では田母神空将を支持する声が圧倒的であるとのメールも頂いています。

歴史の歪曲を許すな! 戦後半世紀の空白化

 大東亜戦争の歴史的考察の一側面を見ると、そこには明治維新以来の近代日本史が避けることの出来なかった宿命のようなものを背負ってきたことを否定できません。

 悲運なまでの日本民族の闘争が広島・長崎への原爆投下という形で一時的には終結を見たとはいえ、日本民族は滅んだわけではなく、その再生の機会をうかがって来たに過ぎない。

 日本民族の正気を回復する行動こそが、戦後の病理的社会を打倒する原動力であり、戦後原理を失権させることへと通じます。

 今回の田母神論文を我々は検証し、この戦いを前に進めなくてはなりません。現在失われてしまった日本民族史の正統なる回復と復権―!

 そして現代社会における困惑と矛盾を創造的に解消し得る叡智をそこから学び、再び祖国を立ち直させなければならないのです。

 まさに昨日はその歴史的な一歩を踏み出したと言って良いでしょう。大東亜戦争突入までの数々の歴史的事実、欧米諸国の日本への干渉、国際共産主義者の工作や戦争挑発並びに戦争突入への誘導…。

 これらを徹底的に検証することによって「日本は侵略国家ではない」ということを実証し、新しい日本の社会を創造する維新運動へと邁進する覚悟です。

※昨日は5月以来、久しぶりにブログのアクセス者数が1万2千人となっていました。やはり田母神論文への国民の関心が高いことがこれでも分かります。

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2008年11月03日

田母神論文を検証す��

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田母神空将の憂国論文を検証す��

反日左翼を震撼させた日本民族の正史

朝日新聞社説〜ゆがんだ考えの持ち主の空幕長の暴走に、驚き、あきれ、心胆が寒くなる

 こんなゆがんだ考えの持ち主が、自衛隊組織のトップにいたとは。驚き、あきれ、そして心胆が寒くなるような事件である。田母神(たもがみ)俊雄・航空幕僚長が日本の植民地支配や侵略行為を正当化し、旧軍を美化する趣旨の論文を書き、民間企業の懸賞に応募していた。

 論文には「我が国が侵略国家だったというのはまさに濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)である」など一部の右派言論人らが好んで使う、実証的データの乏しい歴史解釈や身勝手な主張がこれでもかと並ぶ。彼は防衛省内では要注意人物だと広く認識されていた。なのに歴代の防衛首脳は田母神氏の言動を放置し、トップにまで上り詰めさせた。そして政府の基本方針を堂々と無視して振る舞い、それを誰も止めない。

 国際関係への影響も深刻だ。自衛隊には、中国や韓国など近隣国が神経をとがらせてきた。長年の努力で少しずつ信頼を積み重ねてきたのに、その成果が大きく損なわれかねない。米国も開いた口がふさがるまい。日本の国益は深く傷ついた。

http://www.asahi.com/paper/editorial20081102.html


 この朝日新聞社の社説もそうですが、今日見たテレビのワイドショーに出演しているキャスターや評論家も酷いものでした。根拠がないとか、思い込みが激しいなどと批判しているが、本当にこの人たちは歴史を知っているのかと疑いたくなるコメントばかりでした。

 それでは、この田母神空将の論文を歴史的に検証していくことにしましょう。

>日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を
>進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍
>を進めたことはない。
>現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、
>我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的
>に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて
>軍を配置したのである。

 これは歴史的事実であり、この事実を歪めているのは反日マスコミや左翼勢力に他ならない。
 このことについては、当ブログにおいてもこれまで書いてきたことです。

『反中国講座』��

 日清・日露戦争とはそのような状況の中で起きたものであり、日本は多大な犠牲を払ってこの戦いに勝利したのである。日露戦争の勝利で得た最大のものは、当時ロシアが清国・満州に持っていた様々な権利であった。これを日本は清国との協議の中で譲渡を受けたものである。

満州に関する日清条約の要約(1905年12月22日)(明治38年)

第1条 清国政府は露國が日露講和条約第5条及び第6条により日本国に対してなしたる一切の譲渡を承諾する。

第2条 日本国政府は清露両国間に締結された租借地並びに鉄道施設に関する原条約に照らし、努めて履行すべきことを承諾する。将来何ら案件の生じたる場合には随時清国政府と協議の上これを定むべし。

 このように見てくれば、確かに日本は満州に様々な権利を有することになったが、これは日本が直接支那大陸に戦争を仕掛けて奪い取ったものでないことは明らかだろう。

http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/50515146.html


『反中国講座』��

 日本は国際社会の要請によって共産主義と戦うためにシベリアに出兵。その後撤兵したが、満州に持つ権益を保持し、共産主義の南下を食い止めるため、支那大陸を分割支配していた地方軍閥の協力を得ながら共産主義と対峙して満蒙国境沿いに展開していた。

http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/50521868.html

 民族の正史を綴ることの困難さを、我々は改めて今回もまた認識させられた。しかし、このことはいかに困難な作業であっても行なわなければならない。

 まさに田母神氏が言うように我が日本国、日本民族は濡れ衣を着せらてしまった。この歴史の捏造を正さなければなりません。いくら困難なことでも、この戦い勝利しなければ日本民族の将来はありません。

 このシリーズは今後順次取り上げて紹介したいと思います。

 さて、今回この問題で田母神空将を麻生内閣が更迭したことに対して、我々はこれについては大きな失望を抱かざるを得ません。私は麻生総理を断固支持すると表明して来ました。

 そのことで私の姿勢に一貫性がないと批判している人がおりますが、これまでの小泉・安倍政権時代もそうでしたが、各個別の案件については是々非々で対応して来ました。

 よって、自分では今回も同様な立場での対応を取っているに過ぎません。この問題は「村山談話」や「河野談話」を踏襲せざるを得ない状況を打破しない限り、誰が総理になっても同じような過ちを繰り返すことになります。

 戦後社会を肯定するすべての政治勢力が、この問題の責任を負うものであり、これは自民党から民主党、公明党、共産党などの国会に議席を有するすべての政党の責任を同時に追及していかねばならないと思っています。

 我々が証拠を示して、「侵略戦争は一方的な見解だ。従軍慰安婦の強制連行はなかった。南京大虐殺なども捏造だ」といくら言っても、「政府見解」で認めているではないか―と言われると反論し難くなるのは事実です。

 まず、このような状況を打破していかねばならないと強く痛感しています。そのためにも、この戦いは中途半端な形で終わることは出来ません。

※明日の「行動する保守運動」ですが、私は夕方に行われる反日左翼との対峙には間に合いますが、午前中の行動には参加できません。申し訳ありませんが、時間のある方はよろしくお願いいたします。


☆緊急集合! 市ヶ谷自衛隊前へ


<国民は認めない!田母神俊雄航空幕僚長の更迭を>

航空幕僚長の罷免は自衛隊への死刑宣告

国民は自衛隊員へ訴える!
<田母神俊雄航空幕僚長を我々は断固支持します>

�‘�時:平成20年11月4日(火) 午前8時半集合
※【登庁する自衛隊員に檄(決起)を飛ばします】

�� 同日:    〃    午後5時半集合
※【夕刻に集合する反日左翼を蹴散らします】

【場所】
市ヶ谷 防衛省・自衛隊前
※ JR・地下鉄市ヶ谷駅より正門まで、徒歩10分
※ JR四谷駅より正門まで、徒歩10分
※ 地下鉄都営新宿線曙橋駅より薬王寺門まで、徒歩5分

連絡用情報  住所 東京都新宿区市谷本村町5‐1
電話(代表) 03‐3268‐3111

<抗議活動のお知らせ>
茶髪、眉そり、尻出しズボンは公教育の破壊行為・日本の恥

神奈川県教委は校長への処分という「異動」を撤回せよ!
県教委の横暴から真面目な生徒の人権を守れ

【日時】
平成20年11月4日(火)11時30分開始(「異動」撤回の抗議文提出)

【場所】
神奈川県教委前(231−8509 神奈川県横浜市中区日本大通33)
神奈川県(高等学校関係)教育委員会 045−210−1111
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/40/4001/map/index.html

【呼び掛け】
主権回復を目指す会、せと弘幸Blog『日本よ何処へ』、NPO外国人犯罪追放運動、在日特権を許さない市民の会、
外国人参政権に反対する市民の会・東京

【連絡】
西村修平(090−2756‐8794)
有門大輔(090−4439‐6570)
※雨天決行、プラカードの持参歓迎


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2008年11月02日

田母神俊雄空幕長論文��

日本は侵略国家であったのか��

                                
田母神俊雄

   時間は遡るが、清国は1900年の義和団事件の事後処理を迫ら1901年に我が国を含む11カ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2600 名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会)」。

  また1915年には袁世凱政府との4 ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。

   中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4年後の1919年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」。

  また我が国は蒋介石国民党との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901年から置かれることになった北京の日本軍は、36年後の廬溝橋事件の時でさえ5600名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出会) 」。

 このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。

 さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に
突入し3百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。

  実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局( N S A )のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成18年5月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。

  ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカは1940年から1948年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。

 そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943年から解読作業を開始した。そしてなんと37 年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980年に至って解読作業を終えたというから驚きである。

 しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば1933年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3百人のコミンテルンのスパイがいたという。

 その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2 の財務次官ハリー・ホワイトであった。ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。

 当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1 ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。

 ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。

 日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2,第3の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。

 結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。

 強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。

 それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2 百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。

 一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。

 亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。

 日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない。ロシアとの関係でも北方四島は6 0 年以上不法に占拠されたままである。竹島も韓国の実行支配が続いている。

 東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63 年を経てもなお日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。

 自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。

 このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。

 日本国民は2 0 年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。

 子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。

 今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。

 そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。

 我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。

 日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。

 日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。

 私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※田母神氏を孤立させてはなりません。

 ご本人も戦う気満々であると伺っています。
 我々は全力でこの戦いを支援していきます。抗議行動・集会とデモ・シンポジウムなど、あらゆる手段でこの戦いに参加をしたいと考えています。

 
☆緊急集合! 市ヶ谷自衛隊前へ


<国民は認めない!田母神俊雄航空幕僚長の更迭を>

航空幕僚長の罷免は自衛隊への死刑宣告


国民は自衛隊員へ訴える!

<田母神俊雄航空幕僚長を売国総理から守れ>
国軍(自衛隊)は村山談話を継承する麻生太郎を許すな!


�‘�時:平成20年11月4日(火) 午前8時半集合
※【登庁する自衛隊員に檄(決起)を飛ばします】

�� 同日:    〃    午後5時半集合
※【夕刻に集合する反日左翼を蹴散らします】

【場所】
市ヶ谷 防衛省・自衛隊前
※ JR・地下鉄市ヶ谷駅より正門まで、徒歩10分
※ JR四谷駅より正門まで、徒歩10分
※ 地下鉄都営新宿線曙橋駅より薬王寺門まで、徒歩5分

連絡用情報  住所 東京都新宿区市谷本村町5‐1
電話(代表) 03‐3268‐3111

◆周知のように、真っ当な歴史観を公表した自衛隊幹部が、それも幕僚長が更迭された。この更迭は自衛隊という国軍に対する“死刑宣告“である。

◆村山、河野談話という亡国談話を継承すると宣言した麻生総理大臣にして当然のことであるが、心ある国民は麻生の更迭処分は絶対に認めない。

◆自衛隊員よ!田母神俊雄航空幕僚長を売国総理から守れ。国軍(自衛隊)は村山談話を継承する麻生太郎を許すな!

◆11月4日、我が国軍を国民の力で市ヶ谷駐屯地に集結する反日・左翼集団と売国奴・麻生総理大臣から守ろうではないか。

【呼び掛け】
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2008年11月01日

田母神俊雄空幕長論文��

日本は侵略国家であったのか��

                                田母神俊雄

 アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。

 日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。

 これに対し、圧力をかけて約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。

  この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。

 これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。

  コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15 日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻ぼうれいを膺懲ようちょうし以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

 1928年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて力になってきている。

 日中戦争の開始直前の1937年7月7日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争( 岩間弘、岩間書店)」。

 もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。

 我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932年1月には3 千万人の人口であったが、毎年100万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5千万人に増加していたのである。

 満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。

 朝鮮半島も日本統治下の35年間で1 千3百万人の人口が2 千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。

 我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。また1924年には朝鮮に京城帝国大学、1928年には台湾に台北帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9 つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6 番目、台北帝国大学は7 番目に造られた。

 その後8 番目が1931年の大阪帝国大学、9 番目が1939年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊ホンサイクという陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校2 6 期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。

 朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1 期後輩には金キン錫源ソグォン大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。

 もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。1 期後輩で蒋介石の参謀で何応欽カオウキンもいる。李王朝の最後の殿下である李垠イウン殿下も陸軍士官学校の2 9 期の卒業生である。李垠イウン殿下は日本に対する人質のような形で1 0 歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。

 陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠イウン殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子まさこ妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠イウン殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930年に新居を建設した。

 現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀フギ殿下の弟君である溥フ傑ケツ殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。

 これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。

 一方日本は第2 次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1 次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。

 続く

<戦争に至った正しい歴史認識> 
…かなり長いので覚悟して読んでください。

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Posted by the_radical_right at 19:39 │ mixiチェック

田母神発言を断固支持する!

田母神空幕長の発言を断固支持する!

国家防衛の最前線に立つその覚悟を示した!

航空幕僚長を更迭…論文で「わが国が侵略国家は濡れ衣」

 政府は31日深夜、持ち回り閣議で、航空自衛隊トップの田母神(たもがみ)俊雄・航空幕僚長(60)を更迭し、航空幕僚監部付とする人事を了承した。

 田母神氏が、昭和戦争などに関し「我が国が侵略国家だったなどというのは濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)だ」などと主張する論文を発表していたことが分かったためだ。

 過去の植民地支配と侵略への「深い反省」を表明した1995年の村山首相談話に反する内容で、田母神氏が防衛省の内規に反し、論文発表について事前の届け出をしていなかったため、浜田防衛相が更迭を決断した。

 論文は、田母神氏が、ホテル・マンション経営のアパグループ(本社・東京都港区)の懸賞論文に応募したもので、賞金300万円の最優秀賞を受賞。11月5日発売の同グループが発行する月刊誌に掲載される予定だ。

 「日本は侵略国家であったのか」と題した論文は「今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐え難い苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし、私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある」と主張。また日中戦争について「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者」、日米戦争についても「日本を戦争に引きずり込むためアメリカによって慎重に仕掛けられたワナだったことが判明している」などと指摘した。

 麻生首相は31日夜、首相官邸で「(論文を)個人的に出したとしても、立場が立場だから、適切でない」と記者団に述べた。

 田母神氏は防衛大学校15期生で、1971年に航空自衛隊に入隊。航空総隊司令官などを経て2007年3月に空幕長に就任した。  
 
読売新聞社ニュースより引用


 我々は田母神空幕長の発言を断固支持します。

 大日本帝国の終焉からもう半世紀も過ぎ去るというのに、日本はいまだに侵略史観に囚われ、言いたいことも言えない。

 何という情けない国家なのか。先人たちが開戦に踏み切った、その歴史的意義を日本国民は忘れてはいない筈です。まだ、忘れるほどの時間は経っていない。

 まだ、あの大東亜戦争を戦った人たちが生きている。私の父なども86歳でまだ元気に働いています。もう一度、その経験を持つ人たちに真実を語って頂かねばならないと思う。

 欧米列強の独善と欺瞞、横暴を排し、過酷な植民地支配に苦しむアジア諸民族の解放と独立を掲げて我々の先人は戦ったのです。

 今、日本の一方的な侵略史観だけが戦後社会を支配してしまっていますが、本当に日本だけが悪かったのか? 戦勝国と言われる国々には何らの責任はないのか。

 日本だけがその汚名を着せられ、100年後も、200年後も侵略国家として生き続けなければならないのか? そのことに疑問を抱かない人間がいるとするならば、それは左翼や反日主義者しかいないだろう。

 この問題についてはこれまで何度も書いてきましたが、この連休中におさらいの意味でまた書きたいと思っています。正しい民族の歴史の検証をしなければ、いつまで経ってもこのような問題に日本は振り回されます。

 さて、今回の田母神空幕長の発言に、日本を守る軍人としての、その気概と威厳を感じました。国家を守る為に戦うということは、当然その国家を愛し、その国家に誇りを持っていなければできないことです。

 北朝鮮がある日、突然核ミサイルの小型化に成功したと発表し、東京を火の海にしてやると宣言した時に、一体誰が日本という国家を守る為に最前線に立つのか。

 それは紛れもなく航空自衛隊に他ならない。米国が何もしなければ、日本は独自で北朝鮮の核ミサイル基地に先制攻撃を加えなければなりません。

 日本は専守防衛体制の中で、飛行距離が制限された攻撃戦闘機しか所有していません。北朝鮮を空爆しても日本に戻って来れない。かつて米艦隊に突撃した神風特攻隊と同じです。

 生きて帰って来れない―、その攻撃を部下に命じなければならない立場の最高責任者が、しっかりとした国家観と歴史観を持っていなければ、そこまでの決断などは出来ません。

 そして、部下も自らの命をかけることなど出来ない。

 田母神空幕長の発言を多くの航空自衛隊の隊員が支持していると確信しています。そして、自衛隊員の皆さん、我々もまた今回の発言を断固支持するものです。

 現在、平和で豊かな社会に住む日本人にとっては、戦争に行って死ぬなどということは、およそ実感としては湧いてこないのも確かです。

 しかし、そのために日夜厳しい訓練を積んでいる自衛隊員の人たちもいます。その人たちの士気が落ちるようなことがあってはならない。その為にも、我々は今回の問題を深刻に受け止め戦っていきたいと思っています。

 <戦争に至った正しい歴史認識> 
…か
なり長いので覚悟して読んでください。

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