「現実主義者」の視点と論説
現実感覚を学び、その論拠に触れることも大切
訃報:永井陽之助さん84歳=国際政治学者、冷戦を研究
現実主義の論客として活躍した国際政治学者で東京工業大、青山学院大名誉教授の永井陽之助(ながい・ようのすけ)さんが昨年12月30日に亡くなっていたことが分かった。84歳だった。
東大卒。丸山真男らに師事し政治社会学を専攻したが、米国留学中に遭遇したキューバ危機の衝撃から国際政治学に転じた。軽武装・経済重視の戦後日本外交を「吉田ドクトリン」と名付けて評価するなど現実主義的な論を展開。冷戦研究でも知られた。66年の論文「日本外交における拘束と選択」で吉野作造賞、85年「現代と戦略」で文芸春秋読者賞を受賞した。
幅広い視野と優れた文章で60〜80年代の論壇で活躍する一方、北海道大、東京工業大、青山学院大で長く教えた。84年から86年まで日本国際政治学会理事長。アジア調査会幹事も長年務めた。著書に「平和の代償」「冷戦の起源」「時間の政治学」などがある。
毎日新聞 2009年3月18日 2時30分(最終更新 3月18日 2時30分)
昨年12月30日に亡くなっていたのに、何故今月18日になってから報道されたのか? そのことに関しては各紙とも伝えていませんが、ご冥福をお祈りします。
私が何故、永井陽之助先生のことを取り上げるかと言えば、永井先生の著を読み尊敬してきたからです。私が思想運動に精魂を傾けていた若い頃は何と言っても米ソ冷戦の最中でした。
ソ連による北海道侵攻、或いは核戦争の危機の中で、日本の択るべき国家目標、その実現すべき手段とは何なのか。永井先生は『現代と戦略』という著の中で、それを我々国民に示唆してくれました。
−から、人物評を先ず紹介しておきます。
東京出身。安積中学、1945年 第二高等学校文科乙類卒業、1950年 東京大学法学部政治学科卒業。
東京大学では堀豊彦に師事。当初は政治意識の研究など、政治学・政治理論研究にその重点を置いていたが、ハーヴァード大学での在外研究中にキューバ危機という米ソ二大国間のパワー・ポリティクスを目の当たりにし、強い衝撃を受ける。
一方で、依然として日本国内ではそのような権力政治的要素を等閑視し、イデオロギーに規定される形で国際問題についての硬直化した議論が行なわれていることに不満を感じたことから、国際政治に関する研究・評論を開始、『中央公論』1965年5月号に発表した「米国の戦争観と毛沢東の挑戦」で論壇にデビューする。同時期に論壇に登場した高坂正堯とともに、現実主義の立場から日本外交を論じ活躍することとなる。
核時代の権力政治という状況への注目から、いわゆる非武装中立主義だけでなくタカ派に対しても批判的であり、1980年代前半の米ソが厳しい対立状態にあった「新冷戦」期には、岡崎久彦らを軍事力を行使可能な手段として過大視する「軍事的リアリスト」として批判、一方で軽武装・経済重視の戦後日本外交を「吉田ドクトリン」と名づけ高く評価し、岡崎との間に「政治的リアリスト―軍事的リアリスト」論争を展開した。
その評論活動に対しては専門外の人間からの注目度も高く、三島由紀夫、福田恒存などからも高い評価を受けていた。1967年、『平和の代償』で第2回吉野作造賞を受賞。1985年、『現代と戦略』で文藝春秋読者賞を受賞。1984年から1986年まで、日本国際政治学会理事長を務めた。
私は若い頃から右翼活動の道を歩んできたが、いわゆる反米一辺倒でなかったのは、一つには大日本愛国党の赤尾敏先生を尊敬していたことと、もう一つはこの永井先生のような現実主義者の考えを受け入れてきたからだと思っています。
永井先生は左翼の反戦主義者に対しては、その思想や行動には常に懐疑的であり、厳しく批判し時には皮肉をかました論評を公表しています。それを『現代と戦略』の中の防衛論争の座標軸という項目の中から紹介します。
「日本のように多くの人が『平和』の言葉を愛し、理想と正義感にみちた文書を期待し歓迎する空気のあるところで、平和と反戦と反米を説くほど気楽なことはない」
「米国にいて日本の知識人の言動を遠くから眺めていると『現代における非同調の単なる証し−慣習への拝跪(はいき)の拒否は、それ自身一つのサービスである』というジョン・S・ミルの言葉が実感として浮かんでくる」
「政治権力への抵抗のポーズ自身が何かに対する一つのサービスなのだ。という現代の逆説に厳しい自覚を欠いた言論は、いつかまた、世論や民衆の変化に応じて、たちどころに総転向が始まるだろう」
この永井先生の予測はその後的中することになります。左翼が天下を取っていた時代が、その後大きく変わることになりました。永井先生のような抵抗の気概をもって左翼論壇の主流に挑んだその勇気は報いられたのです。
永井先生を評価しない人もいます。それは左翼的な立場の人ではなく、右派と呼ばれる人の中にもいました。それは余りにも現実を冷徹に直視してきたその「現実主義者」としての立場が嫌われたのかも知れません。
しかし、現実を先ず冷静に分析するところから始まることこそが求められるのではないか。私はその姿勢こそが重要であると考えてきました。
永井先生らしい「戦略の本質」を紹介しましょう。
戦略の本質とは何か?と訊かれたら。私は躊躇なく「自己のもつ手段の限界に見合った次元に、政策目標の水準を下げる政治的英知である」と答えたい−と記しています。
このことさえ守れば、多くの愚行は防げるとも言っています。
このようなことを言うにはかなりの勇気がいることです。例えば自己の能力や手段の限界に見合うまで国家目標のレベルを下げるべきだなどと言ったら、それこそ弱腰な姿勢として糾弾されるでしょう。
正に戦後日本がそうでした。日本国民は自らの防衛力の限界を知り、そのレベルに合った弱腰外交に終始してきた。これを永井先生は逆に低姿勢外交に徹してきたと評価したのです。しかし、売国的な心情などはまったく皆無の先生でした。
読者の皆さんは、不思議に思われたかも知れません。それは何故私がこのような永井先生の論拠を紹介したかです。
その理由こそまさに「現実を視よ!」なのです。
現実的な視点を欠いた議論は結局は虚しいものです。今、永井先生から学ぶものがあるとしたら、そのことだと思います。
今日の繁栄は現実的な思考と英知によって作られたものです。今それが崩れ去りつつあります。危機の時代の到来が避けられないからこそ、我々は真の戦略的な思考とは何かを学ばねばならないと思います。
〜新風連ブログ〜


