2008年09月08日

攘夷に散った志士達

【現代維新講座】

攘夷に散った志士達 寺田屋事件と薩摩藩士

 私は殆どテレビを見ませんが、NHKの大河ドラマだけは昔から見ています。
 そのためにだけNHKの視聴料を払っているようなものです。

 現在、放映中のドラマ『篤姫』はこれから幕末の志士達がたくさん登場してきます。
 このドラマを通して「尊皇攘夷」について、その都度解説をしていきたいと思います。

 先ず篤姫に関してですが、よく知らない人のためにNHKのHPより紹介しておきます。

2008年NHK大河ドラマ 『篤姫』

 薩摩・島津家のわずか1万石余の分家に生まれながら、将軍正室にまでなるシンデレラストーリーのような篤姫の人生は、一方で波乱と苦難の人生でした。

 夫が急死。幼い第14代将軍・家茂の名目上の母として皇女・和宮を嫁に迎え「公武合体」に尽力するも、倒幕という時代の渦に巻き込まれます。

 しかも倒幕派の中心は、生まれ故郷・薩摩藩という悲運・・・。

 大河ドラマ「篤姫」は、時代に翻弄されながらも、自らの運命を前向きにとらえ力強く生き抜いた“薩摩おごじょ”の一生を、宮尾歴史絵巻の金字塔「天璋院篤姫」を原作に、魅力あふれるヒロイン像を描くことに定評のある脚本家・田渕久美子が、熱く、鮮烈に描きます。

 日本史上の新しいスーパーヒロインの誕生に、ご期待ください!
 

 篤姫(あつひめ)とは…。

 天保6年(1835)生まれ、 明治16年(1883)没。篤姫は、薩摩・島津家の分家に生まれながら、江戸幕府の第13代将軍・徳川家定(いえさだ)の正室となった女性です。しかし、病弱だった家定は嫁いでから約1年半後に亡くなり、篤姫はわずか23歳で、落飾して「天璋院」と号します。

 将軍の跡継ぎをめぐる幕府内の凄まじい抗争、さらには、篤姫の故郷薩摩を中心とした反幕府運動の激化・・・。篤姫は大奥を預かる総帥として、明治維新の動乱の中、嫁ぎ先である徳川宗家のために、そして日本のために力を尽くしました。

 また、江戸城に迫りくる西郷隆盛ら薩摩藩を中心とした新政府軍に働きかけ、無血開城の実現にも大きな役割を果たしました。

 明治維新後は、徳川宗家を継いだ家達(いえさと)らの教育に専念し、未来の日本を支える人材の育成に心血を注ぎました。
 

 さて、昨日放映は寺田屋事件を取り上げたものでした。

 文久2年(1862年)4月23日、伏見の寺田屋で薩摩藩の尊皇攘夷派の志士達が、島津久光藩主の命によって粛清された事件です。
 島津久光はこの年、千人余りの藩兵を率いて江戸へ向かう途中京都に立ち寄っていました。

 久光藩主が倒幕に決起すると信じていた志士達は、この気を逃すべきではないと、幕府所司代や幕府に通ずる公家などを暗殺する計画を立てていたが、公武合体の強化を狙う久光にとっては、これは阻止しなければならないことだった。

 久光は攘夷派を鎮圧するために精鋭の藩士を寺田屋に派遣、攘夷派と斬り合いになって攘夷派の有馬新七らが死亡して、薩摩藩における攘夷派は壊滅した。

 昨夜の最大の見せ場はこのシーンでした。これまでにも、何度も映画やテレビでも放映された有馬新七の最後を、的場浩司(まとばこうじ)さんが熱演していました。

 有馬は斬り合いの最中に刃が折れてしまうが、その折れた刀を捨て、相手の道島に抱きつき、助太刀に入った橋口に「おい(俺)ごと刺せ」と叫んだというのは、余りにも有名な話です。

 橋口は言われるがままに新七ごと道島も串刺しにした。この事件で7人の薩摩藩士が死んでいる。この話は薩摩勇人の勇猛果敢ぶりを後の世にも伝えた。

 有馬はこの時、37歳であった。当時の武士の社会にあっては、藩主の命に背くことは絶対に許されないことだった。その家系ごと断絶される可能性も高かった。

 しかし、有馬は藩士としての自分の立場よりも、日本国家の行く末を考えて藩士としての立場を捨てて、藩の命に楯突いても尊攘運動の道に殉じた。

 これは再度書きますが、当時の武家社会においては驚愕すべきことでした。それは純粋に国家に殉じようとする真心があったからに他なりません。

 それはまた藩主の命に従った者達も同じであった。同志の決起を止めようと向かった奈良原喜八郎は、両刀を捨て、もろ肌を脱いで涙を流しながら叫んだ。

「行くなら自分を斬って行ってくれ!」

 そして、両手を合わせ目を閉じたと言われています。その閉じた目から涙が止め処なく流れ落ちた。残りの志士達はその姿に打たれ降伏して薩摩藩に戻った。

 「攘夷」か「開国」かで国論が分裂し、攘夷派の志士達は幕府の対応の軟弱さに激怒して、時代は大きく変貌を遂げようとしていた。

 この時の互いの行き詰る交渉の中で、もう話し合いに応じようとはしなかった決起組の田中謙助の言葉を最後に紹介しておきましょう。

「事ここに至る何ぞ是非を論ぜん」

 田中はしびれを切らした道島に「上意!」と言われるなり、眉間を斬り付けられ真っ二つに眉間は割れ、眼球が飛び出して昏倒した。その場では絶命は免れたが、後に切腹を命じられた。
(※今回の記事は宝島社刊・幕末志士列伝を参考にして書きました)

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☆動画ご紹介!

池袋チャイナタウン構想に反対する朝日新聞社前抗議活動!

【せと弘幸編】朝日新聞と凶悪シナ人から池袋を守れ!
ドガログ版
http://dogalog.excite.co.jp/viewvideo.jspx?Movie=48051149/48051149peevee198252.flv

YouTube版
http://jp.youtube.com/watch?v=jSrWxY-mD0U

【有門大輔編】朝日新聞と凶悪シナ人から池袋を守れ!
ドガログ版
http://dogalog.excite.co.jp/viewvideo.jspx?Movie=48051149/48051149peevee198256.flv

YouTube版
http://jp.youtube.com/watch?v=7kr7K7iD71Q

  

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2008年06月11日

秋葉原事件と社会的背景

秋葉原無差別殺人と社会的背景

社会に対するテロであるとの認識を持つべきだ

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 凶行の現場は私の事務所から近い所にあります。JRを利用する時には、いつも通っている場所でした。

 昨日の夕方はテントが張られたその献花所において、犠牲者に対してお祈りをさせて頂きました。

 このような事件を二度と起さないためにも、この事件の根本的な要因を探らなければならないと思います。

 

 この事件については前回のエントリー「秋葉原無差別殺人とマスコミ」の一回で止めておくつもりでした。
 しかし、ネットの投稿板などを見ていると、どうしても書いておかねばという気持ちにさせられた。

 帰宅してからテレビをつける人とパソコンのスイッチを入れる人の割合がほぼ同数になったというニュースが今朝流れていました。今回のネットの書き込みには、この事件をマスメディアが報じる視点とはまったく別な視点から行なっている人が意外に多く見られました。

 私は評論家ではありません。このような問題については犯罪心理学者でもなければ専門家でもないので、これはあくまでも一人の政治思想家の感じたものであるとして、読んで頂けたら幸いです。

 先ずは今回の事件で優等生的な発言をするならば、次のようになるでしょう。

 全ては自分の努力や我慢の足りなさが原因なのに、それを社会に責任転嫁し逃れた。何の関係もない人たちを無差別に襲い殺したもので、犯人には同情すべき点は一つもなく、絶対に許されない行為である。

 これはほぼマスメディアが報じたものであり、ブログなどでもそのような主張が大半であった。

 しかし、これが『2ちゃんねる』のニュース速報板などを見るとまったく違ったものが現れた。

「今回の事件の最大の要因は、社会の階層化だ。
 格差社会が広がって社会的な一体感が失われ、社会に対する憎しみが爆発した結果であり、今後このような下層階層に位置する若者の叛乱が続くであろう」

 まさに社会に責任転嫁するものですが、このことについて考えてみることにします。このような意見を言う人間を卑怯者とか無責任な者と批判するのは簡単です。

 しかし、現実にこのような考えを持った若者が、この社会に多数存在し、今回の事件で「加藤智大容疑者に自分がなったかも知れない」という発言が繰り返されていることも、決して無視することは出来ないと感じたからです。

 「誰でも良かった。殺すためにやってきた」

 7人もの人が、この「誰でも良かった」という犯人の言葉で身勝手に殺されてしまった。皆さんにはそれぞれの人生があり、それを一瞬で奪われた無念さは言葉では表せない。

 マスメディアは犠牲になった人について、どのような人であったか、何故そのような凶行に遭遇してしまったのか?
 そのことについて秋葉原に行った経緯などを詳しく伝えています。

 これは確かに大事なことであり、テレビ・メディアなどにとっては、いつもの事件報道であり、特にワイドショーなどにおいては、この犯人の生い立ちや両親のことなども伝えることがワンパターンとなっている。

 しかし、それだけでは事件の本質は見えてこない。

 「誰でも良かった」ということは、まさしくこれは社会全般を指す言葉であって、個人を指す言葉ではない。ただ、結果的に個人が被害に遭われたということです。

 つまり、これは社会に対するテロ攻撃であったと見るべきです。

 あの何事も他人事で「われ関せず」の鈍感男・福田康夫でさえも、今回は「社会的背景をしっかり調査するように」と国家公安委員長に命じています。この事件に為政者がこれまでとは違って即座に反応したことが、何よりも社会的意味を持つ衝撃的事件であったことを物語るものです。

 今回の事件の社会的な背景をネットや凶器、ゲームなどに求めるような大手マスメディアの報道にはウンザリします。これは朝日新聞社も産経新聞社も大差ありません。

 携帯サイト掲示板 不適な予告 凶器のナイフ ゲームアイテム(産経新聞)

 ネットで犯行予告、ネットで存在誇示?(朝日新聞)

 まるでネットが一番悪いかのようなタイトルが紙面上に大きく躍っていた。しかし、だからと言ってネットへの書き込みを規制し、サバイバルナイフの販売を禁止し、ゲームの製作販売を禁止しても、この種の犯罪を防ぐことが出来ないことは誰でも知っている。

 若者の一部に見られる犯人への共感とは何なのか?

 勿論、「犯人を許せない」という前提で書かれたコメントではあるが、そこには同時代に生きる若者の切ないまでの社会に対する告発が見られる。

 「若者が希望を持って働ける社会にして欲しい。我々は所詮は使い捨てかよ。こき使われて要らなくなったらポイされるなら、誰だって同じ心境になるよ」

 「裏で悪いことやってても捕まらないという奴等がいる限り、社会の閉塞感が要因となってまたこのような事件はおきる」

 「社会的な背景を見ないで、アキバだの、ナイフだの、ネットだのと犯人探しをしているやつらを見ていると絶望してくるね」

 このような書き込みが延々と今でも続いている。これを負け組や駄目人間の恨み言と批判するのは簡単でしょう。しかし、このような怨嗟の声が社会に急速に拡散していることだけは間違いない。

 「誰でも良かった」の、この誰でもとは「私」なのではなく、社会体制そのものであることを為政者は心に深く受け止めなければならない。

 私は今回の事件の背景には、若者の心を蝕んでいる雇用形態にあると思う。不安定な雇用と不当な解雇に対しても戦えない無力感。その日暮らしでいつ社会から振り落とされてしまうかも知れないという恐怖感に常に支配されている。

 日本のマスメディアよりも外国のメディアのほうが、この問題をより抉り出そうとしている。我々はこの社会に突きつけられた若者のテロリズムにどう向き合えば良いのか。その答えをまだ見出していないように思います。

 下記は2ちゃんねる板に紹介された英国BBC放送です。

【通り魔続発】格差や疎外感に絶望?無職で周囲にとけ込めないと村八分の日本…悲劇の背景、日本のTVは言及不足/英BBC★11

(前半部略)日本のテレビ局は日曜の午後、この悲劇(=秋葉原の通り魔事件)について最 新情報を伝え続けた。しかし、なぜこのような事件が起きてしまったのかについては、この地 のメディアはこれまでのところほとんど言及していない。

世界の他の国と比べれば、日本は比較的まだ安全な国であるが、似たような殺傷事件が今 年初めに起きている。1月には、東京の商店街で16歳の少年が包丁で5人に切りつけ、2人 がケガ。3月には、殺人容疑で逮捕されたい男が、土浦の駅で通行人8人をナイフで殺傷した。

この国の治安悪化を恐れる人もいるが、今のところ凶悪犯罪数は他の国に比べ少ない。

人々は、失敗や異質なものに対して寛容でない日本社会からの圧迫感を批判する。周囲に なじめず、無職で、みんなと同じように振舞えなければ村八分になる。多くの人は、平等で なくなることを過剰に恐れる。社会の底辺にいる人達は、大きな格差を感じ、仕事につくと、 おそらくそれをさらに一層感じるようになる。
(略)
報道によれば、容疑者は警察に単独犯行だと語り、「人生に疲れた」と発言したという。

しかし、背後から切り付けられた犠牲者達の悲惨な状況から目を移せば、一体何がこの 男を人通りの多いショッピング通りでの凶行に駆り立てたのか?と問わずにはいられない。

狂った個人の行動なので、前もって予想することも防ぐこともできなかったと釈明するだけ でよいのだろうか?

それとも、積もり積もった社会の圧迫感やストレスが、問題を抱えた人々を恐ろしい行動へ と駆り立てて悲劇的な結末を招き、さらに物騒な日本社会へと至る兆候なのだろうか?

(以上、下記英文ソースより2ch記者ネットナンパ師が意訳。誤訳あればご指摘ください)

http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7442545.stm


 今回他のブログなども読み、皆さんにも読んで頂きたいと思ったブログを紹介させて頂きます。

日本社会への警告  日本社会の根本問題とは?耳ある者は聞け!


<語る保守運動>から<行動する保守運動>へ

もう我慢できない!福田内閣は即時解散せよ!!

<福田政権の退陣を要求する集会とデモ行進>

シナ人に屈服した福田政権(長野県警)の不作為に時効はないぞ!


 毒入ギョーザに始まってから胡錦濤来日に際して、福田政権が示すシナ人におもねる媚中の数々に国民から怨嗟の声が槇挙がっている。福田内閣の支持率が19・8%と10%代まで下落している(共同通信社5月1、2両日実施)のがその何よりの証だ。

 ところが民意を失った史上最悪にして最低の内閣を、マスコミを含めて野党も与党からも退陣要求の声が出ない不可思議、列島を覆う馴れ合い、事なかれ主義を「もう我慢できない!福田内閣は即時解散せよ!!」の集会とデモ行進で一掃しよう。

 さらに、4・26長野暴乱を働くシナ人に屈服し、我が国民の生命・安全を蔑ろにした福田政権(長野県警)の不作為をも徹底糾弾しよう。


日時:平成20年6月14日(土)13時半集合(挨拶、決議文朗読)、デモ出発14時

場所:渋谷・宮下公園

※雨天決行、プラカードの持参歓迎

【主催】主権回復を目指す会 せと弘幸Blog『日本よ何処へ』 NPO外国人犯罪追放運動 在日特権を許さない市民の会 人権擁護法案を阻止する市民の会 外国人参政権に反対する市民の会・東京

連絡:西村修平(090-2756-8794)有門大輔(090-4439-6570)

 

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2008年06月09日

秋葉原無差別殺人とマスコミ

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秋葉原無差別殺人とマスコミ報道

 

マスメディアは歪曲することなく真実を伝えよ!


 この事件についてはテレビが大きく報道しており、本日は新聞休刊日ですが、夕刊などでも詳しく報道されると思うので、その事件の内容については省略します。

 下記の視点から考察することに致します。
 おそらくテレビのワイドショーなどでも、ニュース・キャスターが、これらの点について歪曲して伝える可能性があるので、テレビなどをご覧になる方は、そのことについても分かったら書き込んで下さい。

1.犯人像について

 この犯人が青森県出身で高卒者ということで、次のように報道される可能性が大きい。
 地方出身者で低学歴で駄目人間というレッテル貼りです。

 同じような境遇の人は社会にたくさんおります。そのような人たちを傷つける結果にもなるわけで、そのようなことを平然と書く新聞や平然と述べるキャスターはいないと思いますが、監視する必要があると思います。

 ネットで読む限りにおいては、この犯人は優秀でスポーツマンで明るい性格だったとされていますが、何故、このような残虐な人間に変貌してしまったのか?

 必ずその原因があると思いますが、その原因を地方の出身者や低学歴にのみ求めるようなことがあっては絶対にならないと思います。
 大都会における孤立感や閉塞感、それがどのようにして人生の絶望感へと自分を追い込んで行ったのか?

 そのことを今の段階で軽々しく論じてはいけないと思います。もう少し取り調べ段階の供述や周辺の証言が明らかになってきた段階でなければ、真相は明らかにはならないと思うからです。

2.派遣社員であったということについて

 派遣社員として働いていた。これだけで社会の落ちこぼれ人間のように言う人もいますが、これは大きな間違いであり、実はこのことこそが今回の事件の真相を一番象徴することであると考えます。

 しかし、この派遣先がトヨタ関連の会社ということで、昨夜は一部の報道機関では一旦報道した会社名を後で消すということが行なわれていました。

 早い段階で、この犯人が住んでいた住居の契約者は派遣会社の日研総業という派遣会社で、その派遣先はトヨタ関連の関東自動車工業であるとされていました。

 しかし、この日研総業という会社名が、一斉にネットから消えたのです。どこからか圧力があったのか、或いは会社名を間違えたかのいずれかですが、お詫びの文字がなかったので、これは事実だがマスコミが自主的に名前を消したのでしょう。

 今回の犯罪において、この犯人が派遣社員をして、その寮に住んでいたという事実は重要な点になるはずです。ネットなどでは関東自動車が派遣社員の継続を止め、次の派遣先が決まらなかったことが直接の犯行への引き金になったとも書かれてもいます。

 派遣会社の寮というのは、現代におけるタコ部屋であり、安い賃金で労働者を囲っておくためのものではないのか? その辺りに対する取材が必要と思います。

3.犯行現場が秋葉原であったことについて

 「誰でもよかった。殺すために秋葉原に来た」

 この犯人の言葉から漫画・アニメ・ゲームなどの新しい文化を発信する秋葉原と特別に関連させる話が出てきていますが、これも今の段階では早すぎます。

 この犯人が秋葉原に特別の思い入れを持っていたという情報はありません。今の段階で考えられるのは、日曜日には歩行者天国が開放されていたという事実です。

 犯人が一人でも多くの人を短時間で殺害しようと考えるなら、そのような歩行者天国を先ず考える筈で、おそらくそのように考えての秋葉原であったのではないか。

 そう考えれば、オタク文化の秋葉原などという表現は余り意味を成しません。これは今後の取調べの状況を待たなければ何も言えない。この段階でこのことも軽々しく結びつけるべきではないということです。

 それから警察官への批判や遺族へのインタビューなどでも行き過ぎた報道が懸念されます。この点は今回に限ったことではないので、今回は詳しくは触れません。

4.心の深い闇について

 人間の心の中では、何事も不可能なことはありません。自分は絶対的な存在にもなれるものです。それだけ創造性に富んでいるということですが、そのことを現実社会で試そうとする傾向が最近目立っているように思えてなりません。

 女性を監禁して自由に扱いたいなどという願望を現実に実行しようとして逮捕された事件がステーキ店を舞台にありました。妄想を抱いて実行してしまうというところに、余りにもの短絡的な考えに驚かされます。

 また、同じマンションの女性を襲って殺害し、死体を処理して完全犯罪を企んだ男もいましたが、本人は逮捕されるということなどは想定外だったのでしょう。

 今回の事件にしても、何故社会が嫌になったことが、このような事件に結びついたのか、この犯人の妄想とは一体何なのか?
 そこには本人しか知りえない深い闇の世界があるようです。

 考えられる点を列記してみます。

A.社会にたいする復讐

 自分は能力があり、努力してきたのに、どうにもならない。そのことが社会に対する強い憤りとなって復讐心を募らせた。

B.誤った英雄主義

 大きな事件を起して、世間を見返してやろうなどという妄想に囚われていたかも知れない。そのような行為が自分の中では自分を最大限に評価するものと勘違いして、やがて使命感にまで達していったのかも知れない。

C.絶望からの解放

 本人が自分の人生に絶望していたとしても、何故他人を巻き込むのかという疑問は解けませんが、自分の人生に終止符を打つ場合に、このような他人を巻き込む殺人願望にかられる異常な心理が、人の心の奥底には潜んでいるのかも知れません。そのように考えるしか、答えを見出せないのも事実です。

 今回の事件に巻き込まれ、突然命をなくされた被害者の冥福をお祈りいたします。そして、この事件の背景をマスメディアが歪曲せずに報道することを切に要望いたします。

《6月9日》
反支那(反中国)討論大集会!

 毒入り餃子事件や長野・聖火リレー、胡錦濤来日への一連の反支那運動を総括した基調報告(酒井信彦・元東京大学教授)と参加者らを交えたディスカッションを予定しています。

日時:平成20年6月9日(月曜日) 18時開場
場所:東京・文京区民センター
※都営地下鉄三田線・大江戸線 春日駅 徒歩1分
  東京メトロ丸の内線 後楽園駅 徒歩3分
  JR水道橋駅 徒歩7分

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2008年05月14日

武士の情け「死なせて下さい」

「武士の情け死なせて下さい」

国会内で自衛官が自分の腹を刺す

7a3ff857.jpg 8日午後9時半ごろ、東京都千代田区永田町の国会議事堂中央玄関階段で、男が腹を数回刺した。通報で駆けつけた警視庁麹町署員が建造物侵入の現行犯で男を逮捕が、その後釈放し、病院に搬送した。軽傷で命に別条はない。

 調べによると、男は陸上自衛隊陸士長で自衛隊体育学校=東京都練馬区=の学生(20)。制服姿で、家族あての遺書を持っていた。男は国会の敷地北側から高さ約2・5メートルのフェンスを乗り越えて侵入した。センサーが作動し、国会の衛視らが取り押さえた。その際、男は「武士の情けだ、死なせてくれ」と叫んでいたという。
(5月9日 産経新聞)

http://blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/51121456.html


 重苦しい気持ちにさせられる事件です。
 だからこれを取り上がることに躊躇したのは事実です。しかし、この問題に触れないわけにはいきません。

 米国を始め多くの国で小さい子供が憧れる職業「将来、何になりたいか?」と訊くと、一番多い答えが軍人です。
 これは日本人には理解できないかも知れませんが本当の話です。

 日本においては国軍という名称すらなく、自衛隊と呼ばれてきましたが、日本が他国から侵略の危機に立たされたときに、真っ先に戦わなければならないのは自衛官です。

 現在、祖国の置かれている危機的な現状を憂いる自衛官は多数に上ることでしょう。
 何事か起きれば自らの命を賭けて戦わねばならない使命を帯びている以上、そのことに鈍感であるはずがありません。

 この自衛官はまだ20歳という若さであり、高さ2・5メートルのフェンスを乗り越えて国会議事堂の敷地内に進入、そこで制服姿で割腹自殺を図ろうとしたのですから、遺書や抗議文を見なくとも、何を訴えようとしたかは歴然としています。

 事態の深刻さを覆い隠そうとして、支配層は報道管制を敷いていますが、漏れ伝わってくる情報によれば、この若者の作成した抗議文には福田康夫首相が指示したと言われる胡錦濤が宿泊するホテル・ニューオータニへの天皇陛下の訪問問題があったと言います。

 また、遺書の最後には「天皇陛下万歳」とも記されていたことでも分かるように、この行為は現政権への激しい怒りと、それを阻止し得なかったことに対する臣民としての責任を感じてのものであったと思う。

 20歳の若者が自らの命と引き換えに、社会を糾そうとしたもので、私は正直この行為に衝撃を受けました。至純なる精神の発露から出たものであって、そこには売名行為などの不純なるものは一切ない。

 であるからこそ、この行為を突きつけられた我々としては言葉が出ないのです!

 命を賭けての抗議行動の意味するものは、為政者に対する挑戦ともなります。だからこそ権力側はこれまで、そのような行為を徹底的に批判するか、隠蔽しようとしてきました。

 これまでの歴史の中でも、そのような人は精神が病んでいるかのように報道されたり、誰か黒幕がいてそそのかされての行為と決め付けられてきました。つまり自らの意思ではないかのように報道が捻じ曲げられてきたのです。

 今回も同様なことが行なわれています。この若者と右翼団体の接点をマスコミや公安警察が必死になって洗っています。所謂、背後関係と言うやつですが、その方向に事件を誘導したいのでしょう。

 しかし、どのように事実関係が捻じ曲げられようとも、純真な若者の行動を貶めることは許されない。行為そのものに対する論評を現在の段階で私は敢えて申しません。許せないことは事件の本質を隠蔽することであり、そのことについては明確に今後も語っていくつもりです。

武士の情けについて

 さて、本人が語ったとされる「武士の情け」ということに触れておきます。
 私もこの事件に衝撃を受け、演説の際にこの事件に触れて「残念ながら、この若者は意を遂げることが出来なかった」と話をしてしまいました。

 この問題を取り上げたmixiのコミュニティの中に次のようなご意見もありました。

「死に切れなかったのは耐え難い屈辱なのだろうけど、この方には国のために死ぬよりは国のために生きて欲しい。自分の信念をしっかり持って生きたなら、どんな死に様でも立派なんだと思う。
 腹を切って武士の死に様を真似る必要なんて無かったんだと思う」

 確かにその通りであると思います。その意味では私は演説の中で間違ったことを言ってしまったのかも知れません。その点は自分も感じたので、その言葉の後に訂正をさせて頂いております。

 映像はUPされていなかったようですが、このことについて更に付け加えておきたいことがあります。武士の情けというのは敗者に対する優しさを意味する言葉として使われて来ました。

 この時の「優しさ」というのは西欧流の博愛やヒューマニズムとはまた違ったものです。どのように皆さんに説明するか迷いましたが、一つの例を挙げたいと思います。

 赤穂浪士のあだ討ち事件があります。この時、義士たちには助命すべきという意見もありましたが、幕府は法を曲げることは出来ないとして切腹を命じました。

 この時、まだ若い10代の者だけでも助命すべきという意見に対して、誰の言葉かは忘れましたが、次のように述べてそれを諭した武士がいると本で読んだことがあります。

「今、純真な気持ちからであっても、人間年老いてくると純真さが失われ、間違ったことをしてしまう人も出るかも知れない。その時に後世の人が、あの人が本当にそのような義挙を成し遂げたのかと疑いを持たれるかも知れない。
 よって純真な気持ちのままで死なせてやることこそ本人のためである」

 これは本当の話ではないかも知れません。あくまでも小説上のことかも知れません。しかし、私は若い時に読んだこの本の一文がどうしても頭から離れないで来ました。

 だから、この若者が「武士の情けで死なせて下さい」と言ったと聞いた時に「死なせてあげれば良かった」とも思ってしまったのです。しかし、それは一瞬の感情であり、今考えればこの若者は生きていて本当に良かったと思います。

 裁判などを通して、自らの考えを正々堂々と述べて欲しい。そうすることによって同世代の若者の魂への訴えとなるはずです。

 この件について書いてあるブログ『針谷大輔ブログ』をご紹介いたします。是非こちらもお読み下さい。
http://www.giyuugun.jp/sb/


「殺人未遂」を傷害罪で起訴する東京地検の対中屈服
【凶悪支那人を許すな! 地裁前街宣】

 昨年12月22日に、JRお茶の水駅で2人のシナ人によって男性警察官がホームに突き落とされ、電車にはねられて右足切断、頭蓋骨骨折、腰骨粉砕骨折、全治不能という「植物人間」にされた。

 しかも、犯人のシナ人・李志を東京地検は殺人未遂ではなく「傷害罪」で起訴した。走ってくる電車を確認して線路に突き落とす行為が殺人にならないととする。驚くべき地検の対中屈服である。事件と裁判の経緯を深く注目しなければならない。


☆第4回公判と街宣のお知らせ

日時:平成20年5月15日、街宣開始14時、公判開始15時

場所:東京地裁、531号法廷

【呼び掛け】
主権回復を目指す会 NPO外国人犯罪追放運動 せと弘幸Blog『日本よ何処へ』

【連絡】
西村修平(090−2756−8794)
有門大輔(090−4439−6570)
 

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2007年09月11日

9・11から6年目を迎えて

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テロ特措法と日本の選択��

9・11から6年、世界の位相

非西欧VS西欧

 2001年9月11日の米中枢同時テロから6年が過ぎた。西欧社会だけでなく、わが日本も含め世界は今なお国際テロ組織アルカイダの影に怯えている。

 イスラム原理主義者のテロは欧米社会にとどまらず、インド、タイなどにおいても活発化している。このようなテロ事件を通して彼らは何を訴えようとしているのか?

 また、国際社会はどのような対応が臨まれるのか。そのことに対してポスト冷戦の主流に躍り出た、このイスラム原理主義が意味する“非西欧”という思想に迫ってみたい。

 冷戦後の世界の特徴が民族紛争と宗教対立にあったことは衆目の一致するところでした。旧ソビエトが崩壊し共産主義の支配下にあった各民族が独立を果たした。

 この民族の独立運動は今も世界各地で続いている。旧ユーゴ内戦は終了したがコソボ問題は再び火を噴いた。チェチェンでの独立闘争は現在も進行中である。 

 多くの紛争や内紛の一方の当事者が「イスラム勢力」であったことは注目に値する。イスラムが台頭した背景については、それまで強権によって抑えつけられてきたものが、ここで一気に爆発したとも言える。

 ハンチントン・ハーバード大学教授は冷戦後の決定的な特質を「諸文明間の衝突」と捉え、もはや「西欧」が世界の主流であった時代は過去のものへ―となると予測した。

 代わって台頭するものが「非西欧」わけても「イスラム勢力」として、それが西欧社会にとって新たな脅威になるとしたが、やはりこの「文明の衝突」を抜きには現在を語れないのではないか。

 9・11事件を引き起こしたイスラム教徒の中には、中東からヨーロッパに移り住んだ比較的高学歴者が多かった。彼らがこのハンチントン教授が予言した西欧VS非西欧の先鋭的役割を担おうとしたとも考えられる。

 彼らの多くが西欧社会になじめずに、西欧社会に対する憎悪の念を募らせていった。9・11事件の際に犯人達が叫んだ言葉「ジハード」の意味こそがイスラムを象徴するものだ。

 そこには強い非妥協性と政治性を有している。この二つの面が自らの信奉するものには生命さえ投げ出すという考えにつながった。これを西欧社会は自分たちの文明への挑戦と受け止めた。

 なぜならば、長い間、西欧社会はイスラム社会を席巻し、植民地として苦難を強いてきた。そのような歴史的事実の中で、彼らイスラムがそのことへの反発として西欧への反撃を開始したと考えたのである。

 この今日的な世界の位相から、日本が無関係ではいられない。遠い外国における問題であって、日本が巻き込まれることはないとの考えは余りにも身勝手である。

 過激なイスラム原理主義を封じ込めることは、世界の安定を考える上で重要であり、放置することはその危険性を拡散することを意味する。日本人の中にはこれを「対岸の火事」としか見ない人もいる。

 これは大きな間違いだ。何故ならば多くの国がイスラム勢力を抱え込んでおり、その対策に翻弄されている。比較的イスラム勢力の少ない日本だが、国内における摩擦が少ないからといって、この問題から目を遠ざけることは許されない。

 今回、世界中で40カ国が派兵しているアフガニスタンにおいて、日本だけが、この国際テロ組織との戦いから離脱したらどうなるか?そのことに対する西欧社会や他の国々からの批判が一斉に浴びせられよう。

 民主党はこれまでも反対してきたから反対だ―というような子供の論理を振りかざしているが、日本が国際テロ組織との戦いから抜けるリスクをどのように考えているのであろうか。

 日本は歴史的には余りイスラムとの関わり合いを持ってこなかった希有な国家である。そのことから、この問題に深入りすることなく中立的立場にあるべきと論ずる人もいる。

 これほど国益を顧みない考えはない。それこそ日本の「一国安定論」であって、現在の世界の中で理解を示す国家は少ないであろう。最低限の責務として引き続きインド洋上においての活動を継続することに何の不都合があると言うのか。

 最終的なイスラム問題の解決を視野に入れておくことも大切である。それは多くのイスラム教徒を過激な袋小路から逃すことによって、時間をかけて現世化することだろう。

 穏健なインドネシアやマレーシアなどの経済的な成功に見られる方向性こそが、その目指すべき社会の回答の一つとなるのではないでしょうか。

 このエントリーに関しての質問や提言、意見などについては次回にまとめてお答えいたします。

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Posted by the_radical_right at 07:43 │ mixiチェック