【現代維新講座】
攘夷に散った志士達 寺田屋事件と薩摩藩士
私は殆どテレビを見ませんが、NHKの大河ドラマだけは昔から見ています。
そのためにだけNHKの視聴料を払っているようなものです。
現在、放映中のドラマ『篤姫』はこれから幕末の志士達がたくさん登場してきます。
このドラマを通して「尊皇攘夷」について、その都度解説をしていきたいと思います。
先ず篤姫に関してですが、よく知らない人のためにNHKのHPより紹介しておきます。
2008年NHK大河ドラマ 『篤姫』
薩摩・島津家のわずか1万石余の分家に生まれながら、将軍正室にまでなるシンデレラストーリーのような篤姫の人生は、一方で波乱と苦難の人生でした。
夫が急死。幼い第14代将軍・家茂の名目上の母として皇女・和宮を嫁に迎え「公武合体」に尽力するも、倒幕という時代の渦に巻き込まれます。
しかも倒幕派の中心は、生まれ故郷・薩摩藩という悲運・・・。
大河ドラマ「篤姫」は、時代に翻弄されながらも、自らの運命を前向きにとらえ力強く生き抜いた“薩摩おごじょ”の一生を、宮尾歴史絵巻の金字塔「天璋院篤姫」を原作に、魅力あふれるヒロイン像を描くことに定評のある脚本家・田渕久美子が、熱く、鮮烈に描きます。
日本史上の新しいスーパーヒロインの誕生に、ご期待ください!
篤姫(あつひめ)とは…。
天保6年(1835)生まれ、 明治16年(1883)没。篤姫は、薩摩・島津家の分家に生まれながら、江戸幕府の第13代将軍・徳川家定(いえさだ)の正室となった女性です。しかし、病弱だった家定は嫁いでから約1年半後に亡くなり、篤姫はわずか23歳で、落飾して「天璋院」と号します。
将軍の跡継ぎをめぐる幕府内の凄まじい抗争、さらには、篤姫の故郷薩摩を中心とした反幕府運動の激化・・・。篤姫は大奥を預かる総帥として、明治維新の動乱の中、嫁ぎ先である徳川宗家のために、そして日本のために力を尽くしました。
また、江戸城に迫りくる西郷隆盛ら薩摩藩を中心とした新政府軍に働きかけ、無血開城の実現にも大きな役割を果たしました。
明治維新後は、徳川宗家を継いだ家達(いえさと)らの教育に専念し、未来の日本を支える人材の育成に心血を注ぎました。
さて、昨日放映は寺田屋事件を取り上げたものでした。
文久2年(1862年)4月23日、伏見の寺田屋で薩摩藩の尊皇攘夷派の志士達が、島津久光藩主の命によって粛清された事件です。
島津久光はこの年、千人余りの藩兵を率いて江戸へ向かう途中京都に立ち寄っていました。
久光藩主が倒幕に決起すると信じていた志士達は、この気を逃すべきではないと、幕府所司代や幕府に通ずる公家などを暗殺する計画を立てていたが、公武合体の強化を狙う久光にとっては、これは阻止しなければならないことだった。
久光は攘夷派を鎮圧するために精鋭の藩士を寺田屋に派遣、攘夷派と斬り合いになって攘夷派の有馬新七らが死亡して、薩摩藩における攘夷派は壊滅した。
昨夜の最大の見せ場はこのシーンでした。これまでにも、何度も映画やテレビでも放映された有馬新七の最後を、的場浩司(まとばこうじ)さんが熱演していました。
有馬は斬り合いの最中に刃が折れてしまうが、その折れた刀を捨て、相手の道島に抱きつき、助太刀に入った橋口に「おい(俺)ごと刺せ」と叫んだというのは、余りにも有名な話です。
橋口は言われるがままに新七ごと道島も串刺しにした。この事件で7人の薩摩藩士が死んでいる。この話は薩摩勇人の勇猛果敢ぶりを後の世にも伝えた。
有馬はこの時、37歳であった。当時の武士の社会にあっては、藩主の命に背くことは絶対に許されないことだった。その家系ごと断絶される可能性も高かった。
しかし、有馬は藩士としての自分の立場よりも、日本国家の行く末を考えて藩士としての立場を捨てて、藩の命に楯突いても尊攘運動の道に殉じた。
これは再度書きますが、当時の武家社会においては驚愕すべきことでした。それは純粋に国家に殉じようとする真心があったからに他なりません。
それはまた藩主の命に従った者達も同じであった。同志の決起を止めようと向かった奈良原喜八郎は、両刀を捨て、もろ肌を脱いで涙を流しながら叫んだ。
「行くなら自分を斬って行ってくれ!」
そして、両手を合わせ目を閉じたと言われています。その閉じた目から涙が止め処なく流れ落ちた。残りの志士達はその姿に打たれ降伏して薩摩藩に戻った。
「攘夷」か「開国」かで国論が分裂し、攘夷派の志士達は幕府の対応の軟弱さに激怒して、時代は大きく変貌を遂げようとしていた。
この時の互いの行き詰る交渉の中で、もう話し合いに応じようとはしなかった決起組の田中謙助の言葉を最後に紹介しておきましょう。
「事ここに至る何ぞ是非を論ぜん」
田中はしびれを切らした道島に「上意!」と言われるなり、眉間を斬り付けられ真っ二つに眉間は割れ、眼球が飛び出して昏倒した。その場では絶命は免れたが、後に切腹を命じられた。
(※今回の記事は宝島社刊・幕末志士列伝を参考にして書きました)
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8日午後9時半ごろ、東京都千代田区永田町の国会議事堂中央玄関階段で、男が腹を数回刺した。通報で駆けつけた警視庁麹町署員が建造物侵入の現行犯で男を逮捕が、その後釈放し、病院に搬送した。軽傷で命に別条はない。
