日系人と言えども「外国人」である!生まれも育ちも違えば、信じる宗教、話す言葉も違う!文化・風習も違う!安易な気持ちで無警戒であってはならない!
広島市において小学1年生の女子児童が殺害された事件で、日系ペルー人のフアン・カルロス容疑者(30)が逮捕された。この事件は今日の日本の社会・治安情勢を語る上において、避けて通る事の出来ない「外国人犯罪」という面を検証しないわけには行かない。
昨夜のニュースステーションを見ていたら、被害者の父親が語った「たまたま外国人であった」という言葉を捉え、そのコメントに何か救われた気持ちであると解説者は述べた。また、「この逮捕された日系ペルー人の置かれた周辺環境をよく調べなくてはならない」とも付け加えた。
この解説者は一体、視聴者に対して何を言いたかったのだろう。この種の性的な変質者の犯罪については、日本人による犯罪も外国人による犯罪も、そこには同情すべきものは点は何一つない。奈良県において同じように女子児童を殺害した日本人変質者による犯行の場合は、このような“不可解”なコメントはなかったのではないか。
口を極めて変質者の犯行を厳しく断罪したはずである。では、彼ら左翼マスコミ人は一体何を視聴者に訴えかけたかったのか?それは外国人を日本社会が疎外、差別する傾向があるから、それが外国人犯罪の多発に繋がるという主張に他ならない。
特殊な性癖を持つ者の犯行であっても、それが日本人ではない、外国人ということについて、これを日本人による犯罪とは分けて考えることは当然ではないか。その意味から言えば、「不法就労・治安の盲点」「日系ペルー人逮捕」と一面トップで報道した産経新聞社の報道姿勢は、社会の木鐸として評価できるものだ。
来日外国人(合法・不法も含めて)による犯罪は増加の一途であり、過去最高を記録している。来日の目的の大半が賃金を目的とするもので、この不法就労こそが外国人による犯罪の根底にある。
たしかに今回のペルー人の場合は、日系3世ということで就労を目的としたビザを取得しての来日であるから、最初から不法就労が目的の韓国人や中国人とは異なる。しかし、就労が出来なくなって職業不詳になった場合、ただちに本国に帰国をさせる制度は確立されていない。
就労ビザを与えても働く職場がなければ、それはある意味で不法滞在者と同様になってしまう。不法滞在者の多くが犯罪に手を染めるのは、働く場所がないから帰国するという認識よりも、せっかく来たのだから悪事をやっても稼ぐという気持ちが先に立つからである。
今回の事件から一つの教訓を学びとるとしたら、この日系ペルー人が起した犯罪は確かに特殊な性癖を持つ者の犯行ではあるが、その背景には増加する一方の外国人による犯罪が、ついに新たな段階に入ったと認識すべきである。
最初の頃の「外国人犯罪」は外国人による同胞を狙ったものであった。しかし、次第に不法滞在者のネットワークがつくられると情報が容易に入りやすくなり、金持ちの日本人がターゲットにされた。しかし泥棒や強盗はあっても横領や詐欺はなかった。
これはまだまだ日本人社会には溶け込んでいないことを表していた。では性的な変質者の犯行はどのように見れば良いのか。それは日本人社会にそれだけ警戒心が薄れてきた結果と見るべきだ。
テレビではやたら外国人タレントが出演する今日この頃だ。外国人を警戒なく受け入れてしまう、無警戒心がこの事件の背景にあるような気がしてならない。「男は皆オオカミだ」は一つの戒めの言葉でもあるだろう。
かつて私が幼少の頃を過ごした田舎においては、祖母から「よそ者を見たら泥棒と思え」と教えられたものである。共同社会とは仲間同士で助け合う精神は優れたものがあり、また同時によそ者に対しては警戒心を怠らなかった。
いくら日本人の血を引くと言っても、生まれも育ちも違う。話す言葉も信じる宗教も違う。そのような人間を簡単に回りに受け入れることの恐ろしさが分かっていない。




