鈴木邦夫氏・木村三浩氏は何を語るのか?
atkuc @atkuc
3月14日(木)16-18時@参・1F講堂●排外主義・人種侮蔑デモに抗議する国会集会●基調報告 安田浩一、上滝浩子、金尚均●会場からの発言 鈴木邦男、木村三浩(いずれも一水会)呼びかけ議員 照屋寛徳(社民)平山誠(みどり)有田芳生、徳永エリ、金子洋一(民主)など
我々愛国者のデモに対してレイシストなどと批判している連中が、何やら上記のような院内集会を開くらしいのですが、ここに一水会の顧問の鈴木邦男氏と木村三浩氏の二人が呼ばれたらしい。発言もすると書いてあるので何かお話するのでしょう。
以前木村氏は人民新聞などという左翼の新聞に在日特権を許さない市民の会を批判する記事を投稿していたことがありますが、何故かこの人民新聞が私の事務所に十部程送られてきた。私と有門大輔君に読ませたかったのだろうか?
我々を口汚く罵るような新聞を十部も送りつけるなど、まるで我々に喧嘩を売るようなこの人民新聞社のやり方に憤慨したのを覚えています。まさか行儀のよい木村代表がそのようなことを命じるはずもなく、これは人民新聞社が勝手にやったことなのでしょう。
この時は私は無視しましたが、有門君はやはり私よりは若いので黙ってはいられず記事にしています。その時の記事を紹介しましょう。
引用記事はBLOG『最右翼勢力』(当時は『侍蟻 SamuraiAri』)より。
記事は09年7月3日 参政権反対行動に必要な日本人の概念(前編)
同7月4日 参政権反対行動に必要な日本人の概念(後編)

先頃、私ども『NPO外国人犯罪追放運動』の顧問・瀬戸弘幸(ブログ『日本よ何処へ』主宰 世界戦略研究所代表)の元へ『人民新聞』なる新聞が届けられた。
人民新聞、名前からして支那(中国)や北朝鮮を想起させる媒体だが、中立を装ってはいるものの、やたら「人権」やら「生きる権利」とやらを声高に主張する左翼サイドの新聞であることは社名からも紙面からも明らかだ。
同紙は大阪府大阪市港区に本社を置き、さる平成21年6月13日に京都府で行なわれた『在日特権を許さない市民の会』(略称:在特会 桜井誠会長)主催の外国人参政権反対デモ行進についても密着・追跡取材をして1面トップに記事を掲載している。
:当ブログの関連記事
http://blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/51352797.html
http://blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/51352871.html
これら一連の行動を呼びかけた者として、瀬戸弘幸らの元へ挑戦的に新聞を送って寄こしたのだろう。同封されていた新聞は約10部。
当日の在特会のデモについては「もうこれはデモではなく、公然わいせつだ」「妄想に取り憑かれ被害者意識全開」などと仰々しく見出しに書いているものの、一体どの辺りが公然わいせつに当たるのかの記述は見当たらない。
在特会が「我々は排外主義者ではない」としながらも「朝鮮半島へ帰れ!」と主張したことについて「支離滅裂」「尋常ではない」と口汚く論評する同紙だが、在特会をはじめとする我ら「行動する保守」運動は単に外国人が嫌いだから出て行け、帰れと言っているのではない。
そのような合理的理由のない区別・排除からの主張ではなく、一外国人として日本で様々な恩恵に浴しながら「不当な差別を受けている」として不平不満ばかりを口にする者らは日本で暮らすに相応ではないとする合理的な理由から主張しているのである。
次いで同紙では「特別永住者は50万人足らず、外国人登録者数は200万人そこそこだ。どうしたら1億3000万人の日本を乗っ取ることができるのか?」として、参政権の実現によって日本が乗っ取られると懸念する在特会らの主張を「誇大妄想」「被害者意識」として罵倒する。
しかし、ごく少数民族・人種あるいは少数宗派の者が他の大多数の上に君臨し、支配体制を確立するような構図は各国にいくつも見られた例ではないか。
事実、日本でも在日朝鮮・韓国人が膨大なパチンコ利権を独占し、組織暴力団の上層部に占める率は多く、芸能界やマスコミなど各界に及ぼすその影響力は驚異的である。
第一、彼らは日本に住む少数民族ではなく、飽くまでも「外国人」に過ぎない者らが特別永住資格という世界に類例を見ない「特権」を享受している上に、今まさに参政権まで得ようとしていることが問題なのだ。
さて、人民新聞本体に対する批判はこのくらいにしておこう。
ここで主な問題として取り上げたいのは、新右翼『一水会』代表の木村三浩氏が同紙に寄稿し、在特会デモについての批評を行なっていたことである。
単に左翼系メディアが論点を巧妙にすり替えた論評を行なっているだけなら、そのような媒体は数え切れない。
しかし、良くも悪くも日本の右翼の代表的存在として知られる木村氏が、ごく一般の国民がインターネットでの呼びかけを中心に街頭での行動に打って出るようになった動きをどのように見ているのかは興味深いところだ(尤も、これまで数々の出版物で概ねの見解は見聞きしていたが)。
人民新聞も記事中、木村氏の見解を数度引用しているところを見ると、我ら「行動する保守」運動との対比として捉えたい意図がありありなようである。
では、その対比として登場させた新右翼のリーダーが果たしてどこまで真っ当なことを述べているのかを検証してみたい。
現代日本人は支那人・朝鮮人よりも「下」という現実!
新右翼とは既存の右翼勢力とは異なり、自ら新たな存在たらんとする右翼として主にヤルタ・ポツダム体制(戦後体制)の打倒を掲げ70年代に登場。以降、その象徴的存在たる『一水会』はマスコミからの脚光を浴びてきた。
木村三浩氏は同会書記長などを歴任、新右翼の論客として知られた鈴木邦男氏の後を受けて平成11年、代表に就任。
その前後にわたって数々のテレビ番組や朝日新聞などのメディア媒体で論陣を張っていることで知られる新右翼勢力の中心的人物だ。
人民新聞に掲載された寄稿を見てみよう。
在特会とそのデモ行動について「感情論を優先させ、意見が違うと徹底的に排除する傾向が強く、相手と議論しようとする姿勢がない」と木村氏は批判する。
この「議論しようとする姿勢」については度々インターネット上でもいわゆる「綺麗事保守」と言われる層が強調して述べることだが、木村氏は支那人(中国人)や朝鮮人と議論したことがないのではないか?
かの東条英機首相のお孫さんにあたり、参院選にも出馬した東条由布子女史がかつて支那人と歴史認識についての討論をした際、いきなり相手が言いたい放題に日本に悪口雑言の限りをまくし立て、こちらが何かを反論しようとしても「ちょっと待って」「もうちょっと言わせて」と支那人の側は際限なく喋り続け、在りもしない日本の戦争犯罪の数々を並べ立てた挙げ句、全てを言い終えると「もう、こんな所にはいられない。馬鹿馬鹿しい」として足早に立ち去ったというエピソードを披露してくれたことを思い出す。
これが支那人・朝鮮人の手口なのだ。
そもそも議論しようにも支那(中国)や朝鮮とは歴史認識について完全に異なっているのだから、最初から折り合いがつくはずがない。
「目的」が同じなら、終着点に至るためのコースについて議論する余地はあるが、日中間および日朝間の歴史認識は正反対の方向にあるのだから議論など成り立つほうがおかしいのである。
議論をするということは相手の主張を僅かであっても聞き入れ、受け入れることを意味する。
つまり日本側からそのような妥協を示せば、日本側が譲歩を余儀なくされ、終いには際限なく受け入れざるを得ない。
では、支那人や朝鮮人の側は日本人の言うことを僅かでも聞き入れ、受け入れてくれるのだろうか? 絶対に有り得ない!
木村氏が言う「感情論を優先させ、意見が違うと徹底的に排除する傾向が強く、相手と議論しようとする姿勢がない」というのは支那人・朝鮮人のほうであり、こうした周辺国の厄介な隣人を相手に日本は日本国として打ち立てた自国の歴史観を固持する以外にないのである。
それでも色々と誹謗中傷はされるし、内政干渉による妨害もあるだろう。それでも頑として自らの歴史認識を貫く以外にない。
そう! 戦って争うスピリット!
現在、日本に必要とされ為さねばならないことは議論ではなく、「戦争」である!
我々は日本国の政治を司る政治家には国益を賭して外国と「喧嘩」することを求めている。まして曲がりなりにも「右翼」と称してきた者らは、日本民族の鋭敏な「触覚」として、明らかに意見の異なる支那・朝鮮という外国人と「衝突」することが求められている時代である。
「戦争」とは何も武器を持って殺し合ったり傷つけ合ったりすることではない。自らの主張を声高に毅然と述べ、確たる意志のもとにこれを押し通すと街頭で行動する気概。そして、その活動状況をインターネットの動画サイトに流すことで呼びかける「情報戦」もまた戦争の一形態である。
これが「真の言論による勝負」だ!
「言論で勝負」は木村氏が代表を務める一水会のキャッチフレーズでもあるが、少なくとも木村氏は言論で勝負する気概もなく、ただ「議論」という行為においていたずらに問題を長引かせているに過ぎず、右翼としての使命感、反骨精神を忘却したとしか言いようがない。
この「議論する姿勢」は、一見はクリーンに見えて実に厄介なものである。
支那・朝鮮は「南京大虐殺」や「従軍慰安婦強制連行」なる日本の戦争犯罪をでっち上げ、対して日本の右派・保守派はこれを否定する作業に追われた。
まんまと支那・朝鮮の術中に挙って嵌り、日本の右派・保守派は相手の弱点(チベット虐殺など)を衝く本来の使命を忘却し、行動を疎かにした。
未だに月刊誌など情報媒体で南京大虐殺や強制連行について、その虚構を見破り喝破した保守論客が拍手喝采を浴びたりしているが、それがいかに本来的な使命からかけ離れたレベルにあるかが分かるというものだ。
支那人や朝鮮人との議論について、これがまだ日本がかつての『大日本帝国』のように軍事的強国であった時代なら「まぁ少しは聞いてやろうか」と悠然と構えていることも許されるだろう。
しかし、今の日本が置かれた状況はそうではない。
支那・朝鮮という軍事強国に侮られ、国内では支那人や朝鮮人が幅を利かせて平然と参政権要求などの反日行動さえ行なう。
我々日本人は今や支那人・朝鮮人に遥か及ばない地点に立たされ、横暴な反日行動によって言論の自由さえ脅かされている状況下でなりふり構わず、そのスタイルはどうあれ猛然と反撃に出なければならない。
それでさえ間に合うかどうか分からないのである。 以下次回に続きます。
以上
今回は殆ど紹介記事だけになりましたので、明日私の考えを述べたいと思います。
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さて、私はこの度、前々から計画していたことではありましたが、県内の除染作業の仕事を始めることに致しました。

