イチローと一郎の「一日」
日本人らしさの象徴<潔さ>を考える
本来、この話題は昨日上げなければならないエントリーでした。
皆さん、この点に関してはコメント欄にたくさん書き込みがあったので、もう既に読まれた方もたくさんおいでになると思います。
さて、この日は私にとっても個人的にも嬉しい一日になりました。と言うのは長男が大学を卒業し社会人となるので、これまで住んでいたアパートの引越しの日となりました。
引越し代金もばかにならないので、友人に手伝ってもらい福島から神奈川県までレンタカーを借りてこの日は息子と3人で行ないました。朝早くから夜遅くまで12時間以上かかりましたが、かなりの強行軍でした。
ブログの記事は事前に用意していたものを、頼んでUPしてもらいました。やはり昨日はWBCと小沢の秘書の起訴については言及したかったのですが、そのようなわけで書けませんでした。
高速道路で運転中にWBCの結果は携帯電話からライブドアニュースやヤフーニュースを見ていたのですが、9回で同点にされ10回でイチロー選手が逆転打を放ってから、やや暫くの間結果がネット上に表示されずにやきもきしていました。
日本の勝利を信じていただけに、結果を知った時には思わず「やったー!」と叫んでしまった。
実況を見ることが出来ずに残念でしたが、逆に結果だけを文字で見ていたほうがヤキモキしないで良かったかも知れません。
途中で海老名パーキングエリアのドライブインに立ち寄った時には、黒山の人だかりでした。丁度日本が一点リードしている時で、韓国選手の大きな外野フライを取ったので、皆さん大歓声を上げていました。
8時に帰宅して荷物を片付け、9時からの再放送をゆっくりと楽しませて頂きました。勝った試合ですが、それでも映像で見ると臨場感に溢れ、胸が高鳴ってきます。本当に素晴らしい試合であり、韓国の選手にも拍手を贈りたいと思います。
イチロー選手の最後の逆転打にはしびれました。長い野球人生で得た「悟りの境地」のような心でのバッターボックスではなかったかと勝手に想像していました。
さて、もう一人の政界の一郎さんこと小沢・民主党代表ですが、あの記者会見を見て、正直申し上げれば怒りと言うよりは、哀れみを感じました。何故、それほどまでに権力の椅子にしがみ付くのか?
潔さこそが日本男児たる証であると私はかつて教えられたことがありました。私が高校生の頃でしたが、福島県の護国神社で空手を教える先生がいて、その先生に習っていた時のことです。
日本人は潔い生き方こそ大切であると教えられたのです。
「マレーの虎」と呼ばれた旧日本軍の山下奉文(もとゆき)という陸軍大将についてこのように語ってくれました。
山下将軍はマニラにおいて戦犯として絞首刑に処せられたが、13階段を上る時にある唄を口ずさんでいた。米国の宣教師はそれを見て、神に祈る歌と思った。
しかし、後日それは日本人なら誰でも母から一番最初に聞く「子守唄」だと知って驚いたというのです。この宣教師はその後日本に来て、山下将軍が最後に口ずさんだその唄に、大きな感動を覚えたと書物に書いたと言います。
それは日本人の死を直前にした時の、何事にも動じないその心と潔さにあったと言うのです。高校生の時にこの話を聞いた私は山下将軍の生き様に、心を打たれたのを今でも忘れません。
小沢一郎は政治的に死を迎えたことを自覚すべきでした。潔く一旦は身を引き、ケジメをつけるべきではなかったか。私はそう思っています。
今、日本は桜の開花を迎えています。日本人はかくあるべきとする書物をここでご紹介します。
「桜は大和魂の典型」−古来より日本人は様々に桜を愛でた。満開になるやいなやさっと散る桜花は<潔さ>の象徴であり、日本人は長年に渡りこの<潔さ>を美徳としてきた。
また、その潔い姿に人々はこの世の無常を観じ、武士達は己の生き様をそこに投影した。西洋に広く日本の武士道を紹介した新渡部稲造は桜の美しさには気品・優雅・純真さがあると表現した。
http://www.paw.hi-ho.ne.jp/yamatodamashii/index.html
イチロー選手だったら、いや日本人選手は、もし韓国に敗れたとしても、最後は<潔さ>を見せ、相手方を讃えたのではないか。
それこそが武士道、サムライの道であると感じました。
〜新風連ブログ〜
小沢一郎・民主党代表は企業献金の禁止を口にした。



