2022年11月10日

紹介チラシの作成を開始(2)

紹介チラシの作成を開始

ジャーナリスト、政治活動・農業

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神奈川知事選出馬に関するチラシの作成の準備をそろそろ始めたいと思います、自分どのような人生を送ってきた人間何かを知ってもらうためにつくるものです、これをつくるために何段階かに分けて紹介するものです。

最初は東京にきて、就職募集の案内をみてそのような編集プロダクションに入り文章書き始めるころ、最初は新聞の編集発行人、次には雑誌の編集、そして発行人となり言ってみれば一端の人人間とんなっていく過程、そのころから単行本を書き始め、合計10冊以上の本を出しましした。

論文や評論物はなくほとんどが自分が経験したことを綴ったものであり、ノンフィクションものばかりです。

では、最初にだしたものから紹介します。

第二回めです。

東南アジアの反日感情を煽る味の素  

展転社
  

日米友好時代は終わった       
  

展転社


世界戦略を語る。 倉前義男 VS小室直樹


世界戦略研究所に関しては別のページで述べます

ネットが変える 日本の政治

コアラブックス

 このネットを変える日本の政治を参考にして戦い成功したのが、参政党であり、NHKから日本を守る党であり、できなかったのが日本第一党であったことは余りもにも皮肉だ。



これらの単行本をだした。この
  展転社は相沢社長、湯原君、そして今村君など当時新右翼と呼ばれた人たちで、この関係でで鈴木邦夫さんと知り合った。  展転社からはヒトラー思想のススメと言う本もだした。

 これらは世界戦略研究所を設立し世界戦略という雑誌も10冊ほどだした。

 また、strategyというネットでは一番早く、デスカッションホーラムといういうという討論の場を開設して様々な人と語り合った。

また当時実名でチャンネルの投稿し幾つものスレッドで討論していました。

極右2ちゃんねる論争 (36)



以上


  
Posted by the_radical_right at 16:51 │ mixiチェック

2022年11月09日

裁判報告会(1)

裁判報告会(1)

佐久間吾一さんの裁判

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昨日の裁判はいつものように相手側は誰れもこず寂しものでした、

こちらがわも証人尋問もないので、しかも、お相手側もいつものように、来ないで、よって支援者すくなかった結審は今年内には終わり判決は6月ころになります?本来は神奈川県知事選挙前に在ればと思っていたが残念です。

しかし佐久間吾一さんが石橋を訴えた裁判の証人尋問の写しのコピーをもらいました。この裁判は終わり判決が年内中にでます。この裁判は私は最後の裁判だけ傍聴できなかった、いつも相手方は弁護士が10人以上並び威圧をかけるようにしてきます。


佐久間さんの裁判で裁判官が石橋に質問した内容が非常に気になりました。この件は相手方は書いていません。今日は忙しいので明日報告します。







支援者も

  
Posted by the_radical_right at 09:09 │ mixiチェック

2022年11月08日

紹介チラシの作成を開始

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ジャーナリスト、政治活動・農業

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神奈川知事選出馬に関するチラシの作成の準備をそろそろ始めたいと思います、自分どのような人生を送ってきた人間何かを知ってもらうためにつくるものです、これをつくるために何段階かに分けて紹介するものです。

最初は東京にきて、就職募集の案内をみてそのような編集プロダクションに入り文章書き始めるころ、最初は新聞の編集発行人、次には雑誌の編集、そして発行人となり言ってみれば一端の人人間とんなっていく過程、そのころから単行本を書き始め、合計10冊以上の本を出しましした。

論文や評論物はなくほとんどが自分が経験したことを綴ったものであり、ノンフィクションものばかりです。

では、最初にだしたものから紹介します。

 使途不明金 笠倉出版  これは一番最初にだした本で福島の書店ではいつも売り上げトップで3万分ほど売れた。東北の小佐野と言われた政商小針福島交通、福島民報社の社長を追求し単行で、この疑惑追及のきっかけとなったのは、当時読売新聞の事件記者と言われた三田和夫さんに一時弟子入りしたからだ。

ウイキペディアにも次のように紹介されている


978年に正論新聞社設立者の三田和夫に師事し、福島に戻ってミニコミ紙の発行を始め、仙台を経て東京でジャーナリストとして活動[12]。
三田先生のことはブログでも何度か取り上げた。


古くは2006年2月の記事だ。

辺恒夫「読売新聞社」と三田和夫「正論新聞社」

 昨日、投稿した読売新聞社会長・渡辺恒夫氏の英霊を冒涜した発言は、本当に許せないもので、何故あのような発言をするのか?その真意を聞いてみたいものだ。こう書くと渡辺氏がそのように以前から思ってきたことを、素直にその心情を吐露したのではないか、との指摘も出るでしょう。

 もし、そうであるなら、私は渡辺氏の人間としてのこれまでの人生について問いたい。渡辺氏は戦後右翼のフィクサーと云われた故児玉誉士夫氏や中曽根康弘元首相らとの親密交際を重ねて、読売新聞社の会長の座にまで上りつめた御仁である。

 児玉誉士夫や中曽根康弘両氏との交遊において、もし渡辺氏がそのような考えを心の中に持ちながらいたとすれば、それは自らの心を偽りながら媚びていたとしか思われない。

 もし、そうだとすれば自らの出世と保身のために政治家や右翼を利用してのし上がって来た者が、今になって「日本の右翼は…」云々は、片腹痛い。まさに滑稽そのもので笑止千万と言わねばならない。

 今日は同じ読売新聞社出身ながら、権力に頑固なまでに背を向け、記者魂を最後まで忘れなかった愛国者・故三田和夫先生の話を書いてみたい。この三田和夫先生の名前を知る人は世間ではあまりいないだろう。

 しかし、ジャーナリズムの世界では三田先生を知らない人はモグリと言われたほどの大物であり、三田先生が主筆を務めた『正論新聞』は政財界の御偉方にとっては、とても怖い存在だった。

 ネットで検索すると、まだ生前、お書きになっていた文章が残っていました。

「80歳の現役記者!」が独自の観点で世相を衝く!http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8868/

 この中に経歴が紹介されています。

大正10年6月11日、盛岡市に生まれる。
府立五中を経て、昭和18年日大芸術科を卒業。
読売新聞社入社。同年11月から昭和22年11月まで兵役のため休職。
その間、2年間に及ぶシベリアでの強制労働を体験。
復員後、読売新聞社会部に復職。
法務省、国会、警視庁、通産・農林省の各記者クラブ詰めを経て最高裁司法記者クラブのキャップとなる。
昭和33年、横井英樹殺害未遂事件を社会部司法記者クラブ詰め主任として取材しながら、
大スクープの仕掛け人として失敗。犯人隠避容疑で逮捕され退社。
昭和42年、元旦号をもって正論新聞を創刊。
昭和44年、株式会社「正論新聞社」を設立。
田中角栄、小佐野賢治、児玉誉士夫、河井検事など一連のキャンペーンを展開。現在に至る。

 渡辺恒夫氏のような戦争体験もほとんどなかった人間とは違う。シベリア抑留も経験して共産主義の恐ろしさを身に染みて経験していた人でした。また、政財界のフィクサーの田中、小佐野は勿論、右翼や検察にも挑戦した稀代のジャーナリストだった。

 私が先生とお会いしたのは、私がまだ27歳の時でした。公務員生活をやめ、新聞記者として生活を立てようとしていた当時の私に、「超一級の事件記者がいるから紹介してやる」と当時、福島民友新聞社(親会社が読売新聞社)の社員に連れられ東京でお会いしたのが最初であった。

 私は三田先生から新聞の書き方、作り方を教えられ、地元福島に戻ってミニコミ紙の発行を始めました。その後、東北の中心地・仙台、そして東京へと舞台を移しながら記者として生活をしてきました。

 私は三田先生の持つ強烈な個性を自分では受け継いできたつもりです。「言論報国・破邪顕正」の精神です。「事件記者」として活躍したい―、それが自分の夢でもあったのです。

 三田先生は3年ほど前に亡くなられました。ある雑誌は「告別式もなく悪名だけを残した」と書きましたが、それこそ先生の本望だったでしょう。権力には絶対に媚びることなく、自分の信念を貫き通した、その素晴らしい人生に私は今でも感動を覚えます。

 同じ読売新聞社の記者として二人の人生は余りにも違い過ぎる。しかし、三田先生は読売新聞社の外にあっても、読売を愛し続けていた。人生の明暗はどこにその尺度があるのか、私などには分からない。

 しかし、私は死の直前まで記者魂を捨てなかった三田先生を心から慕ってきた。いつもジャーナリスト達が集まる『無名会』で、挨拶すると「元気か!」と声をかけてくれました。

 今日は全く私的な文章になってしまいました。読売新聞社の渡辺会長の発言に憤りを感じましたが、また自分に目をかけてくれた読売新聞社が生んだ「偉大な鬼才」を皆様方にも知って欲しいと思い書きました。

 最後に三田先生の生前の文章から次のような言葉を見つけました。ご紹介しておきます。

天皇陛下のために生命を捧げて神国日本を護ろうといったことも、つい先ごろのようでもあり、もうずいぶんと昔のことのようでもある。 三田和夫

これはブログなので詳しく紹介しているが、この本の出版で報道特集のテレビで取材を受けてテレビにもでた、
二日刊ゲンダイにも連載で書かせていただき、内外タイムスの新聞にも書かせていただいた。
最近私の知り合いが内外タイムスの
遠矢健一社長とお会いしたら私のことを覚えてくれており感激した。

これらは後に私の人生として単行本として発刊されるはずだ、勿論私の死後でだれの手によるかは私は知ることもない。

次回は

中国士中曽根康弘 けいせい出版

味の素商法

などと続きます。


















 

























ぉ
  
Posted by the_radical_right at 07:39 │ mixiチェック