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2005年07月28日
<親米論者VS反米論者>の論争
2005年07月27日
「日米共同覇権構想」への批判に答えて。
投稿日: 2665年7月27日(水)08時44分 投稿者: 瀬戸弘幸 削除
親米か反米か、日本の将来にとってこの二つの対立と選択は難しくはあるが、避けて通る事の出来ないものでる。
第二次世界大戦の勝利によって獲得された米国の軍事的・経済的な特権はあらゆる方面において発揮され続いてきた。
この特権を認めざる得なかった「戦後日本社会」とは、果たして屈辱的ではあったが絶対悪として唾棄すべきものだったのか?
私は現在はそうは思っていない。祖国の再建に当たっての米国の手助けはこれを正しく認めなければいけない。
わたしは昭和27年生まれであり、学校給食においては米国より支給された粉ミルクを飲んで育った世代である。
また米国のテレビドラマを見て、素朴に米国社会に対して憧憬の念があったのは事実だったと思う。
我々の世代の中には大学に進み反米的な左翼の社会運動を志した者も多かった。
私は高卒で実家の農業を継いだが後に右翼へなった。若かりし頃は反米愛国のスローガンを掲げ活動してきた。
国粋右翼の多くは反共を掲げながらも反米志向が強かった。ただ、大日本愛国党の赤尾先生だけは声高に親米反共を唱えていた。
日比谷公園の定例街宣において、赤尾先生はソ連、北朝鮮、共産中国が真っ赤に染まった東アジアの地図を開き、日米関係が堅固でなければ赤化され飲み込まれてしまうと声高に訴えておられた。
当時この赤尾先生の考えは分からなくはなかったが、それではいつまで経っても日本の自主独立は望めず、米国に一方的に追従する道に他ならないと思っていた。
米国は東アジアにおいては日本の真のパートナーではなく、戦略的な思考によって米国の国益追求のために、ただ日本を利用しているに過ぎないと考えてきた。
しかし、時代はその後大きな変遷を遂げた。旧ソ連は崩壊し最大の脅威であったソ連の軍事力は影を潜めた。
一時的に日本の経済成長は米国をも凌ぐ勢いを感じさせた。しかし、バブル崩壊によって失速する。
この頃から米国の戦略にも微かながら変化が見られ、9・11以降はそれが明確になってきた。
と同時に東アジアにおける米国の考えも、クリントン時代とブッシュ政権とでは明らかに違ってきた。
これまでのように日本が口を出す事を許さず、自らの国益追求のみで動くその姿勢を改め出した。米国は自らの国益と日本の国益をいかに合致させるか、
それを「対日戦略」の基本に据えてきたと私は思っている。
そこで私は東アジア地域に限定した「日米共同覇権構想」を提唱しています。
なお、文明の衝突における日本の立場とその衝突を回避するために、西欧諸国
と一定の距離をおこうという中東政策の是非論はまた別の機会に述べます。
