2006年02月14日
『老獪さと醜悪』 読売・渡辺恒夫
老獪と醜悪
何故に英霊冒涜なのか?
読売新聞社の渡辺恒雄会長がニューヨークタイムス社の取材に応じ、次のように述べた。
「日本の右翼は現在、特攻隊を天皇のための自発的な殉教者として称賛する。しかし、特攻隊員が『天皇陛下万歳!』と叫んで勇敢に喜んで行ったというのは全てうそだ」
―と怒りを込めて言う。そして、
「彼らは、屠殺場の羊だった。誰もがよろめいていた。何人かは立ち上がることさえできず、運ばれて、機関兵達により無理矢理に飛行機に押し込まれた」
この発言が多くの右系ブログや2ちゃんねるサイトで取り上げられている。私もこの老獪な渡辺の英霊に対する罵詈雑言を取り上げないわけにはいかない。私には84歳の父と80歳の母がいる、父母からこの発言とは全く異なる戦争体験を聞いて育ったからだ。
この老獪はまるで見てきたような嘘を平気でしゃべりまくっている。なぜ、見てきたような嘘と断言できるかと言えば、彼の経歴がそれを証明している。
「1945年、東京帝国大学文学部に入学。同年7月に陸軍砲兵連隊に入営するも、終戦の2日前に除隊」
この経歴を見れば、彼が特別攻撃隊を送り出した航空母艦にいた形跡は全くない。にも拘らず、この老獪はこのような話をインタビューで受け答えしている。
聞いた話であるならば、誰に聞いたかを先ず明らかにすべきだろう。その上での話であるならまだ分かる。しかし、実際に目にしてもいないことを平気で話しするその神経が信じられない。
私の父は航空母艦に乗って多くの特攻隊員を送り出してきた。このような話は先ず聞いたことがない。父の話はこちらに掲載してあります。 http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/50514299.html
老獪は「特攻隊員が『天皇陛下万歳!』と叫んで勇敢に喜んで行ったというのは全てうそだ」と語るが、私は自分の父の言葉を信じる。また、靖国神社で刊行した遺稿集の中に特攻隊員が書いた手紙がたくさんある。その中には「喜んでお国の為に参ります。父母へ」と書かれた手紙は数え切れないほどある。
母はこの老獪と同じ歳の生まれで現在80歳である。農作業の辛い毎日の中で身体を壊し、現在は一日おきに透析に通う毎日であるが、戦争のことを思い出しては絵に描いている。15歳過ぎには八王子の軍需工場に来て、爆弾製造を行なっていたそうだ。米軍の爆撃機に突っ込もうとして撃ち落とされた日本の飛行機を何度も見たという。
母達は本土決戦を覚悟したという。竹槍を持って訓練し、一人でも多くの米兵を殺してやろうと皆で誓い合ったそうだ。硫黄島玉砕、沖縄決戦の中で米国は日本人の精神を見た。だからこそ原子爆弾の投下を決断するに至ったのである。
女・子供までもが命がけで祖国を守ろうとしていた時に、青年の多くが果して命を惜しんだであろうか?あろうはずがないだろう。
我々は耳を澄まして静かに英霊の慟哭を聞こうではないか。
もう、何も言うまい。この老獪が何を考えての発言だったのか?考えるほどに虚しさを覚えるからだ。
慟哭が聞こえる
…英霊はすすり泣く、現在の繁栄とは一体何なのだ。自分たちの戦いはどれ程の意味があったのだ。今生活している人はそれぞれに意味を見い出してはいよう。
誰しもが生きていて良かったと思うに違いない。そう考えているのなら<我等>のすすり泣く声に耳を傾けよ。古代からの武士道の勇敢さを<我等>は一度足りて忘れたことがない。それを誇りに見守ってきたのだ。
英霊の痛みを共に感じて、その大義のために生きようと志す者がいても不思議ではない。若く純真な気持ちを持つ者であれば、それは強烈に心の中に刻み込まれるはずだ。
今回のこの驚くべき醜悪な発言に惑わされてはならない。英霊の声に応えて我々は前に進もう。それが祖国を思い散って行った英霊への我々の責務である。
かつて我々の先輩は進んで戦争に志願し、自らの尊い生命を国家に捧げた。それを今に継ぐ義勇奉公の戦いを我々は始めようではないか。それが狂気と呼ばれようが己の信念を国家に捧げようではないか!
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2006年02月13日
「大日本順民」と日本軍を歓迎した北京市民
「反中国講座」��
義和団事件で日本軍を歓迎した北京市民
共産中国が日本の「侵略行為」という最大の根拠というか、分かり易い説明が日本軍が支那大陸で中国軍と戦ったという事実だろう。中国にしてみれば戦場が支那大陸であったわけだから、日本が侵略してきたという説明は一見分かり易い。よって日本でもそれを受け入れてしまう人もいる。
先ずこの日本軍の支那大陸進駐が何故起きたのか?
そのことについて述べておきます。日本軍が最初に支那大陸に進駐したのは明治33年の「義和団事件」が発端となりました。義和団事件とはおよそ次のようなものでした。
「中国,清朝末期におこった外国排斥運動。北清事変ともいう。列強勢力やキリスト教の進出に反感をもった民衆は,宗教結社の義和団に入って鉄道や教会をおそった。運動は山東(シャントン)省からおこって北京(ペキン)にもおよび,1900年には外国公使館を包囲した。清朝は義和団を支持して,各国に宣戦を布告。日本など8か国は連合軍を送って北京を占領し,1901年清朝を屈伏させて,巨額の賠償金や外国軍隊の駐屯権をとり,中国の半植民地化をすすめた。」
※この義和団事件の騒擾に乗じてロシアは満州を占領した。
居留民保護と治安回復を目的として英・仏・米・露・独・伊・墺と日本の8カ国からなる連合軍が北京に出兵しました。これを侵略の始まりと言うなら、日本だけでないことは明らかで、この8カ国全てを侵略国として批判しなくては筋が通りません。
義和団は鎮圧されましたが、この時の日本軍は上は司令官から下は一兵卒に至るまで秩序が維持され、他国のような略奪騒動は全くなかった。ひたすら治安の回復に努めたので、北京市民は「大日本順民」と書かれた紙や布切れで歓迎した。「大日本順民」とは「大日本に順(したがう)市民」という意味である。
戦前の日本の正式名称は「大日本帝国」であり、「大日本順民」となったのである。現在、共産中国が組織する官製反日デモで掲げられるのは「小日本」という垂れ幕だが、時の流れとはこうも変わるものなのだと考えさせられる。
また、この義和団事件鎮圧後、清国政府は日本軍に進駐軍の最高司令官に就任することを要請している。もし漢人が日本軍を歓迎しなかったら、これらのことは説明できないでしょう。現在、この義和団事件を巡って中国内部で歴史論争が起きているとも聞きます。
ところでフジテレビに出演した安倍晋三官房長官は中国による小泉首相の靖国参拝批判について次のように述べました。
「アメリカには信仰の自由がある。アーリントン墓地には義和団事件で亡くなった海兵隊兵士も眠っている。それは中国にとっては不愉快かもしれない。しかし、アメリカは自国のために戦った兵士を手厚く遇している。信仰の自由、良心の自由を大切にしている」
この発言は「諸君!」2月号の大特集『もし中国にああ言われたらこう言い返せ』の中の、新田均・皇學館大学教授の論文「(中国に)『A級戦犯を祀る靖国に首相・閣僚が参拝するのはケシカラン』と言われたら」を意識しての発言だった。
「中国民主活動家の相林氏によれば『胡錦濤や江沢民も訪米したら花輪を持ってアーリントンに行く』(本誌平成17年7月号)といいます。これが本当だとすれば、この行為は中国人民の感情を傷つけなかったのでしょうか。なぜなら、アーリントンの無名戦士の墓には朝鮮戦争の戦没者も眠っているからです。朝鮮戦争は、中国側の解釈では、アメリカの侵略に対する反撃だったはずです。その侵略の手先が眠る墓に何故中国の指導者は詣でることができたのでしょうか。何故、問題にならなかったのでしょうか。寡聞にして私は、アメリカが朝鮮戦争を自国の侵略と認めて謝罪したという話を知りません。」
共産中国最高指導者自らが義和団事件で死亡した米軍兵士が眠るアーリントン墓地に献花するくらいだから、義和団事件を契機として日本軍が駐留した件は、間違っても「侵略行為」などではないだろう。
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腐朽する日本官僚制度
腐朽する日本官僚と不正の防止
昨日の政治討論番組の中で官製談合が取り上げられていた。日本の官僚制度の腐朽をこのままに放置しておくことは出来ない。話を聞けば聞くほどその思いにかられた。
我が国は他国と比較にならないほどの役人天国である。あらゆる組織が官僚どもに乗っ取られていると言っても過言ではない。その官僚制度が今、腐朽して土台からボロボロになりつつある。
国家は財政危機の中で喘いでいるというのに、高級官僚と言われる人達は、そのようなことはお構いなしに、第二の職場でわが世の春を謳歌している。それを可能にしているのが、各省が発注する公共工事に群がるゼネコンや電気・設備業者である。
今回の官製談合で無駄に使われた国家予算は防衛施設庁、文科省だけでも数千億円の規模というから驚きである。全ての省庁で行われていると仮定すればゆうに数兆円の規模に達するらしい。
各省庁の外郭団体と天下りの実態、この公務員制度の改革なくして国家の再興は考えられない。全て既得権の上に胡座(あぐら)をかき、自分等が権益を貪ってきた。まるで国家にたかる寄生虫のような存在である。
我々はこれまで日本の官僚を悪と見なしてきた。それは彼らの能力は抜群であり、計画を作りそれを推進する力はそれなりに評価できる。
しかし、社会的弱者に対する“共感”という人間として当然兼ね備えていなければならない部分に欠けていると見たからだ。
彼らは学歴社会における最優秀者であり極めて知能が高い。彼らからすれば、社会的弱者というのは、知能において劣っている学歴競争社会における敗北者である。
彼ら高級官僚は極めて冷酷である。しかし、成功者即ち金持ちには平気で“媚びる”ことができる人種でもある。この官僚の思考に従えば、強者は増々強者となり、弱者は増々弱者となる。
本来はこの強者と弱者との差を縮めるのが政治の使命であるが、この官僚制度が邪魔になって、政治はその力を十分に発揮することが出来ない。故にそのツケは常に庶民に回されてきた。
地方自治法には地方公務員が市民の意向に沿わない不正な行為をした時にはリコールで辞めさせることの出来る制度がある。これを国家公務員においても早急に確立しなければならない。憲法には「公務員を任免するのは国民の固有の権利」と書かれているが、これは死文化している。
不正をいかに阻止していくのか
国民側には免職する権利があるが、その方法はない。検察庁や公正取引委員会もそれなりにやってはいるが、いつも氷山の一角を摘発しているに過ぎない。ここは専門のチームを発足させ、監視を強めるべきである。
この種の事件の罰が軽いのも問題だ。懲役刑を重くして財産の没収などを考えるべきである。特別の法廷を設立しても良かろう。公務員を罷免することが国民固有の権利とされているなら、これをその根拠にすればいい。
官僚だけに限定して人民裁判制度(言葉は相応しくないが)のようなものをつくり、一般の告発によって役人を法廷に引きずり出す。これまた一般から選ばれた裁判員や陪審員が判決を下す。刑罰は懲戒免職と財産の没収、懲役刑に関しては従来の裁判所が行う。
これくらいの厳しい制度を設けないと、この種の犯罪は撲滅できない。
官僚制度とは上は権力と癒着して、下は左翼系労組の牙城でもある。このような官僚天国を何とかしなくてはならない。
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