2006年06月28日
危険な水域、外国人犯罪
危険な水域に入った「外国人犯罪」
東京都渋谷区で美容整形外科医の娘さんが誘拐され、3億円の身代金が要求された事件の主犯は中国人の不法滞在者であった。またこの3人組は他に朝鮮人(特別永住者と考えられる)と日本人の混成部隊でもあった。
現在、このような中国、朝鮮、日本など国籍の違う者らが金銭欲で結び付き、犯罪に走るケースは珍しいことではない。中国人強盗団の手引き役として日本人が荷担するケースも多くなった。
しかし、今回の凶悪事件はこの外国人犯罪がより一歩危険な水域に入り込んだという印象を受ける。それはこのメンバー構成もさることながら、彼らが大都会の片隅で混住している現実についてである。
主犯格の中国人は就学ビザで来日、在留期限が切れた15年5月に半年の更新を行なったが、同年11月から「不法滞在」を続けていた。このブログで前にも書いたように、就学ビザで来日していても、それは不法就労が目的であり、殆どの中国人が日本に居座ってしまう。
日本人名「山川」を名乗っていた朝鮮人には妻と子供3人がいると報道されているので、「特別永住資格」を持つ者と考えられる。最近は家に寄り付かなかったとも書かれてあるので、定職を持たずにブラブラしていたと思われる。
主犯格でないにしても、日本人の犯人は警察官に改造拳銃を発砲するなど、凶悪な面を覗かせたが、元々はトラック運転手で死亡事故を起し逮捕された経歴を持つ。糖尿病を患って家族とも離縁しており、今年4月にはパチンコ店でガードマンに発砲した強盗事件で指名手配を受けていた。
中国人の不法滞在者、生活苦から家にも寄り付かなくなった朝鮮人、自暴自棄になって何をしでかすか分からない日本人。このような人間が大都会で触れ合い、しかも凶悪な犯罪を引き起こした。
ここに現代社会が持つ病巣が見られ、それを放置してきた国家の責任は重大であり、また「人権擁護」を声高に叫んで、このような犯罪の温床を許してきたマスコミ、似非人権派団体の責任も改めて問わなければならないだろう。
我々は1992年(平成4年)に「不法滞在者」問題に本格的に取り組み始めました。それまでも関心を持ってはいましたが、街頭に出て積極的に活動を始めたのはこの頃でした。
上野公園や代々木公園にイラン人が屯して、日本人とトラブルが多発するに及び、我々は「イラン人追放!」のステッカーを都内に10万枚張り出しました。ビラ張りの軽犯罪で私も何度か警視庁に逮捕された。
この時、新聞やテレビは我々を人種差別主義の排斥者として大きく取り上げ批判した。人権派団体は「不法滞在者といえども真面目に仕事をして日本社会に貢献している」としてこれを擁護しました。
しかし、我々は「不法滞在者」のネットワークが形成されれば、やがて凶悪な犯罪を引き起こす温床となり、これを徹底的に日本社会から排除しなくてはならないと主張し続けて来ました。
当時からその兆候は徐々にではありますが、目につき始めていたのです。これまで中国人の犯罪は段階的に発展を見せてきており、現在その犯罪は恐れていた段階に達したと言っても良いでしょう。
最初の段階は、中国人が中国人のエステやそこで働く中国人ホステスを狙っての犯罪でした。これは日本の社会に浸透しておらず、いわば自分たちの生活圏の中においての犯罪であったことを意味していました。
次にスナック経営者のママさんの自宅に強盗が押し入ったり、経営者宅が襲われる事件が相次ぎましたが、これも調査をすると何らかの形で「不法滞在者」と接点が見られました。
それはそのスナックに中国人ホステスがおり、給料日の夕刻にはママの自宅に銀行員が給料を運んで来るのを知った上での犯行でした。或いは経営者宅が襲われたのは「不法就労者」を使っていた事業経営者でした。
これらは「不法滞在」の従業員が情報を中国人犯罪組織に流し、犯罪の実行者は中国から来日して犯行後はすぐに日本を離れるという手口で、「不法滞在」の労働者と犯罪組織の連携が成り立っていたのです。
そして、今日目立ってきたケースとは「不法滞在者」が日本人を巻き込んで犯罪を引き起こすケースであり、それもそのような危険な人物が都会の片隅で容易に接触が出来るという条件が整いつつあるという点だろう。
この中国人の主犯格の男は滞在4年で「流暢な日本語」を会得していた。それが日本人を犯罪計画に引き込むことに成功した要因でもあった。片言の日本語であれば警戒されるかバカにされたことだろう。
この日本語学校への就学ビザ留学には、前にも問題にしたが政府の補助が行なわれており、文科省の外郭団体はその総額を知っているにも関わらず公表しようともしない。
この就学ビザを見直すべきである。また、中国人の「不法滞在者」に対する徹底した取締りを行なわなければならない。そのためには我々国民の側も協力しなければならないし、「不法滞在者」に手助けする者を幇助罪で摘発しなくてはならない。
「不法就労者」への仕事の斡旋。借家への斡旋などにも罰則は適用されなくてはいけない。そして何よりもこの問題への関心を高め、国民が一丸となって取り組む必要性を訴えていかねばと思います。
特に政治家のこの問題に対する関心のなさは酷過ぎます。私の記憶ではこの問題を国会で質問として取り上げたのは自民党の前参議院議員の佐々木知子女史一人であったと記憶している。
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2006年06月27日
変革への願い[外交・防衛]
日本変革への願い 第二章
外交と防衛を語るにあたって
日本は変わり始めたのか?そのように聞かれれば、確実に変わり始めていると答えることが出来るだろう。これまでのマチガイにようやく気がつき始めた。しかし、気付くのに60年もの歳月を要してしまった。
また、せっかく変わろうと動き始めた歴史の歯車を逆に戻そうとする動きも見られる。その反動勢力の動きが現在強まっており、油断がならない状況ともなっている。
これまでの日本外交と防衛を言い表わすならば、外交は「謝罪」であり、防衛は「非武装」ということになるだろう。日本の戦後の外交とは現実を見据えるのではなく、過去の戦前の歴史にばかりに翻弄されてきた。
確かに戦後の日本は平和で安定していた。国民はその平和を享受してきたが、それを「非武装中立」をお題目にして唱えてきたからだと勘違いしている人もいる。
憲法9条によって平和が保たれたなどと語っている人は、もう一度戦後の冷戦という時代を振り返ってほしい。米ソが激しく対立し、世界を分割支配してきた。日本は米国支配の側に組み込まれていたことが、平和を享受してこれた要因であった。
平和を有り難く享受してきたが、そのためか、平和とは何であって、それを守るべく術をすっかり忘れてしまった。外交、防衛問題を語る上で重要な視点は、我々日本人が戦後忘れてしまった二つの点にある。
外交については戦前の正しい歴史観であり、防衛については国を守るべく術である。しかし、我々日本人はようやくこの点に気がつき始めた。目覚めてきたと言っても過言ではないだろう。
日本<変革への願い>第2章においては、この二つの視点をもう一度再検証しながら、戦後の謝罪外交の誤ちと防衛問題の認識不足を問いかけることにしたいと思います。
これらの点については、ネット・ブログを閲覧している人達にとっては釈迦に説法なれど、この二つの問題がしっかりと変わらなければ、本当の意味で戦後が終って、改革元年がやってきたことにはならないでしょう。
今年は国政選挙はありませんが、自民党総裁選挙が9月に行なわれます。反日勢力はアジア外交の確立とか靖国神社のA級戦犯分祀を主張しておりますが、これこそ旧態依然のままで戦後体制の延命を図る策謀に他なりません。
自民党総裁選挙に我々《極右》は介入することはありませんが、その前段階で旧体制が総力戦で繰り広げるであろう、この思想戦争には果敢に参戦するつもりです。共に闘いましょう。
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2006年06月26日
混迷イラクの将来?
米国のイラク政策に変化の兆し
米国のブッシュ大統領を後世の歴史家は、最も愚かな指導者として審判を下すか?それとも世界を救った英雄として称えることになるのか?正直言って現在その判断は難しい。
全世界を揺るがしているイスラム・テロ組織との対決は、出口のない戦いとなっており、沈静化したはずのアフガニスタンにおいても、タリバンは再び勢いを盛り返しているようにも見える。
国際テロ組織アルカイダの米国への同時多発テロ攻撃で始まった一連の戦争は、西欧キリスト教とイスラム教という永い歴史的な対立の経緯を抱えているだけにそう簡単ではない。
内戦状態が続いていたソマリアでは、アルカイダとも関連があるとされるイスラム過激派勢力が首都を制圧した。イランも核開発計画で攻勢を強めている。イラクから英国、豪州、日本が撤収すれば、米国は孤立してしまうのではないかと懸念される。
これらの点を見て、このイラクへの米国の介入は失敗であったとする論説が多い。しかし、米国はベトナムで犯したような失敗を再びしてしまうのであろうか?そのことについて考えてみたい。
先ずイラクのクウェート侵攻以前に時計を戻して、政治状況を見るならば、現在見過ごされている多くの事実に気がつくはずである。イラクのバグダットには米国大使館が存在し続けていたように、両国には曲りなりにも外交関係があった。
対して米国と国交断絶していたのが隣国のイランである。首都テヘランの米国大使館は閉鎖されたまま、両国は対立したままである。この経緯は今更説明するまでもないだろうが、イスラム教シーア派のホメイニ師の革命によって敵対関係になってしまった。
イスラム教は大多数のスンニ派と少数派のシーア派に別れるが、シーア派が政権を握っているのはイラン一国だけである。しかし、その教徒は中東全域に国家の枠を超えて存在している。
この国家の枠を超えて存在していることが、逆に国家との軋轢を増して、国家権力を握るスンニ派との対立を呼び起こしてしまう。ここに来てスンニ派とシーア派の対立が深まったのがイラクである。
イラクにおいて当初米国はシーア派との対立を避け、スンニ派の旧サダム政権残存勢力追討に力を入れてきたが、最近では両派の対立を見守っているだけだ。いや、むしろスンニ派に対する懐柔策が目立っていると云われる。
今回、日本の自衛隊や英国軍が撤収を決めたのは、シーア派住民の居住区であり、今、イラクにおいてはクルド人、スンニ派、シーア派の住み分けが急速に進んでいる。
これは一体何を意味するのであろうか?イラクはシーア派が人口の6割を占める。シーア派としてはここに第二のシーア派国家の建設を夢見ていると考えて間違いはなかろう。それを一番恐れるのはスンニ派である。
イラクとイランは長い間、戦争状態にあった。ホメイニ師はサダム・フセインを「不信心の社会主義者」として罵倒していた。中東の多くの国と西欧社会がイラン・イラク戦争でサダムを支持したのは、彼(独裁者)の方がイラン(狂信者)よりは、まだ「まし」だと見られていたからに他ならない。
この辺りでまとめに入ろう。以前のこの立場に米国が戻る可能性が強まっている。スンニ派との和解であり、シーア派との対立の継続である。この戦略はシーア派の台頭を恐れる中東諸国には受け入れられ易い。
米国における「ベトナム後遺症」とはベトナムと戦ったこと自体にあるのではなく、唯一敗戦したことにある。そう考えるのが米国という国家なら、その反省から学ぶとしたら一つしか答えは見つからない。
「力は正義」と信じた米国が、その力を過信した結果として今があるなら、方向転換も十分考えられるということだ。つまり、米国は「正義は力」という腕力主義からの戦術的転換を図ろうとしていると私には見えてくる。
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