2024年01月26日

台湾からの義援金 25億円

台湾からの義援金・支援金 25億円

果たして共産シナは



ブログランキング←ブログランキング応援クリックお願いします。

台湾からの義援金は昨日までに25億円に達した。これは世界で最高でしょう、さて共産シナはどうなるのか?

前にも書いたが、シナはどれほどの額になるのか、どれだけほしいのか、などと高飛車な態度に出てくることは確実です。
親中派のマスコミや政党がどのように論評するのかが楽しみです。

台湾は日本の友好国であり大切な隣人です。対してシナは日本にとっては敵国です。当然、経済規模も人口も台湾以上であり期待しましょう。


自叙伝


私は市の職員というか、水道局に勤務していました。市職員は政治活動はできませんでしたが、公共企業体職員なので政治活動はできます。私はこの頃、政治団体に所属しておりました。23歳でした。

当時スト権ストと言うものが起き、革命前夜の騒ぎでした。

※ストライキ権奪還ストライキまたはスト権ストは、なんらかの理由でストライキ行為を法令により禁止されている労働者が、ストライキを行う権利を求めて(禁止を不当とする立場から見れば、権利を「奪還」しようとして)行うストライキである。それ自体が法令に違反するかどうかは、事例により解釈の余地がある。

日本で単にスト権ストと言った場合、公共企業体等労働組合協議会(公労協)が行った日本国有鉄道(国鉄)のストライキ、特に1975年(昭和50年)11月26日から12月3日をさす。


聞かなくなった「ストライキ」、2023年は…物価上昇は賃金 ...

この時に国鉄の列車は止まり、これを指導したのは社会党の最左派の連中(公労協)であり、まさに革命前夜の騒動でした。

山形県米沢市がその公労協の拠点となり、私は部下を連れその拠点をに向いました。しかしそのばで、出てこい、と叫んだが姿は見えない。既に逃げた後でした。看板を外し投げ捨てて福島に戻った。


その後、器物損壊で任意捜査され罰金を受けてしまいました。この事件では懲戒免職にはならずそのまま仕事は続けられた。

尚、このスト権ストは国民から支持されず、利用者が石を投げるなどして終了した。


※
器物損壊罪
器物損壊罪は、親告罪とされています(刑法264条)。 すなわち、被害者の処罰を求める意向(告訴)があって初めて検察官が起訴をすることが可能となるような仕組み。法定刑は、3年以下の懲役又は30万円以下の罰金若しくは科料(1000円以上1万円未満」の金銭納付)。
科料はもっとも軽い刑罰ですが、言い渡されると前科になります。
尚、前科は戸籍や住民票に記載されることはなく、検察庁が管理する前科調書に記載される。
  

Posted by the_radical_right at 18:59 │ mixiチェック

2024年01月25日

嫌がらせコメントの削除へ自叙伝

嫌がらせコメントの削除へ自叙伝

大日本愛国党とは違った道に


ブログランキング←ブログランキング応援クリックお願いします

先ず、信頼できる方にブログの管理をお任せしました。私の書くブログに対する批判や嫌がらせについて削除することにしました。
批判は良いのですが同じ内容を繰り返す行為を続ける人にもう我慢の限界を越えたということです。

放っておけばいずれ消えると思っていたが、やめません。これからは私が書いた内容と関係ないものは全て削除します。

さて、自叙伝ですが大日本愛国党とは、違った道に進むことになったことは前回書きました。

その後、私は赤尾敏総裁と直接会って話する機会がありました。それは裁判所の判決の時でした。仲間がある事件で逮捕されて私は自首を進めた事件です。

赤尾敏総裁の「亡くなった人はもう戻らない。これから刑に服す人間は必ず戻る、それを待って暖かく迎えてあげるのが、君のつとめだ」、その言葉が最後であり、それ以後は二度と会うことはありませんでした。

次回からはある事件で逮捕され、懲戒免職を受け、新しい生き方として選んだ、もの書き、ジャーナリストの道です。

この道こそ私を右翼とは違った道を進ませた。
  
Posted by the_radical_right at 07:33 │ mixiチェック

2024年01月18日

自叙伝 大日本愛国党

自叙伝 大日本愛国党

ブログランキング←ブログランキング応援クリックお願いします

私が大日本愛国党に興味を持ち、入党を考えたのは事実でした。
しかし、当時の私は政治家になろうとしていたのも事実でそこまでの勇気はなかった。当時の私は自民党に席をおき、福島民主主義研究会と言う名で、活動していた。自民党会館で勉強会を開きそこで学んでいた。

メンバーは駐在員の国士舘を卒業したばかりで、それでも最年長、一人は地元国会議員の秘書、そして戦前の国柱会(法華宗系在家仏教団体)の信者の牧場経営者などでした。この宗教法人国柱会との関係はその後の私の人生に少しだが影響を与えた。

 この自民党にいたことで、私は愛国党とは違った右翼の道に進むことになる。自民党にいた時に糸山英太郎と言う人物が、参院の全国比例区に出馬した。

その時に私は一番若かったので、その選挙運動の手伝いをさせられた。選挙運動をする中で東京の右翼団体の人間と知りあった。それが民族思想研究会の篠原節と言う人物でした。

 この選挙で自民党は大敗をし、共産党が伸びた。私は危機感を抱き、この篠原会長の所に行きいろんな話を聞くようになる。

 数週間後、篠原会長から誘いがきた。東京で初めて勉強会に出た。小玉誉士夫という人物の話でした。その時にいたのが、時の大蔵大臣水田三喜男。時の大蔵大臣が
小玉誉士夫に頭を下げる光景に正直ショックを受けた。そこから、私の右翼活動が始まる。
  
Posted by the_radical_right at 18:49 │ mixiチェック

2024年01月13日

自叙伝 序章・右翼への興味

自叙伝 序章・右翼への興味

愛国党総裁・赤尾敏先生の演説

ブログランキング←ブログランキング応援クリックお願いします

 福島市内の電柱には大日本愛国党の宣伝ビラが貼られていた。成人式での街宣カーを目にしたこともあり、是非とも演説を聞きたいと思い上京した。

 赤尾先生の演説は有楽町の交差点で毎日のように行われていました。赤尾先生は大きな東アジアの地図を掲げ、それを背にして演説しておられた。

 前にテレビで見たことはあった。当時、私の家にはテレビはなく、近所の店にテレビがあり、そこで見ていた。その時、当時の社会党の浅沼犬次郎が愛国党の若い党員に暗殺されたシーンを偶然目にした。そのようなこともあり、是非とも赤尾先生の生の演説を聞きたいと思ったのです。


 ソビエト、シナ、北朝鮮が真っ赤にそまり。韓国と日本が白い、今にも日本韓国が共産主義に乗り込まれてしまう。その危機感を抱いた。韓国に何度も行ったのそのためです。農村支援活動にも参加した。

 その後の政治活動で私が親韓、で親米なのはこの時の影響であり、米国の星条旗を掲げてその後活動してきたのも私一人です。否、私と一緒に行動を始めた皇進塾の二団体です。トランプ大統領の訪日歓迎のデモを主催したのも私一人で、多くの仲間が参加してくれました。

 さて帰ろうとしたら、ある人に声をかけられて喫茶店に入りました。私は同じように赤尾先生の演説を聞きにきた同志と思い話に応じた。

 しかし、相手は私の事を、どこからきたのか 何歳になるのか、 などといろいろ聞いてくる。どうも怪しい男だ。話しているうちに、その男が公安警察か公調の人間だということがわかった。

 当時は新幹線もなく、急行便でも6時間にも及ぶ、早く帰らないと夜になる。赤尾先生の話を聞いた興奮は一気に覚めてしまいました。

  
Posted by the_radical_right at 07:18 │ mixiチェック