変わる日本の秋・失われる原風景
自然が教える日本社会の危機
秋の野の花と言えば「ススキ」です。
否、正確に記するなら、「ススキでした―」と過去形で表すほうが正しいと思います。
私の子供の頃は川の土手には、秋になれば「ススキ」がたくさん穂を出して、秋風に揺られていました。
それが日本の田舎における最も自然な風景であったのです。しかし、いつの頃からかその風景は一変してしまいました。
この写真を見て下さい。
私が田舎に帰って日曜に撮った写真です。これが現在の秋の風景です。これはセイタカアワダチソウというアメリカからやってきた帰化植物です。昔は余り見かけませんでした。
※田舎の両親はブタクサなどと言っていましたが、そうではありませんでした。ブタクサとセイタカアワダチソウ、両方共に外来の帰化植物です。
今ではご覧の通り大群生をなし、日本に古来から生き続けてきた植物は全て席捲され、ついにその場所からは完全に駆逐されてしまいました。
自然界には国際化による共存共栄なる言葉は存在しません。人間社会では共生社会などという言葉が安易に使われ、輝ける未来を告げるかのような錯覚に陥っています。
人間と言えども自然の摂理から逃れることは出来ません。つまり、外来種と共存することなど出来ないのです。それはこの一枚の写真が物語る現実でもあります。
混種混在して生きることは、それは自然の摂理に反することであり、それを理想の如く語られることこそが問題であると思います。そのような考えは自然のバランスを破壊し、自然の滅亡を早める結果にしかなりません。
自然界には縄張りというものがあります。その縄張りの中で生活する動物はそれを生きるために必死で守ろうとします。何故ならば他者の侵入を許せば、それは自らの死を招くからです。
十分な餌を補給出来ずに飢えで死ぬことになります。よって戦わざるを得ないのです。敗れれば死ぬか、その縄張りを明け渡しそこから去るしかありません。
自然の神は寛容な心など持ち合わせてはいないのです。また、寛容でないからこそ、種は生き延びて進化を遂げながら現在に至ってきたのだと思います。
つまり、自然界の絶妙なバランスの上に全ては生きながらえて来たと言えるのです。そうして自然は守られ、生命は絶えることなく生き続けてこられた。
今、日本の秋の風景がこのように変化しているという事は、バランスが崩され、多くの生命が死にかけていると言えます。
それを我々がただ傍観視していて良いのでしょうか?
これはやがて我々人間社会にもやってくることなのです。何故ならば、人間も自然に生きてきた生物であるからです。
このエントリーで言いたいことは、以前に移民の問題を取り上げた時の読者のコメントに全て集約されます。ここに紹介します。
琵琶湖、その他日本の湖に密かに放流されたブラックバスやブルーギルは、すさまじい勢いで在来種を食べつくし、繁殖の一途を驀進しています。支那人はブラックバスです。ブルーギルです。一千万人も受け入れたら、数十年で在来種(日本人)は食べつくされてしまいます。
Posted by みいこ at 2008年06月25日 03:28
国籍法に断固反対する
http://blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/51233685.html
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