2007年12月22日

今年の人 プーチン大統領

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タイム誌「今年の人・ロシアプーチン大統領」

 日本では余り話題にする人はいないが、世界中を見渡しても、プーチン露大統領ほど指導力の持った有能な政治家はいないだろう。米国のタイム誌も彼を今年の人として選んだ。

 冷戦崩壊後のロシアは混乱の極地にあった。食糧難を始めとする様々な国内経済の危機に直面し、国力は衰退した。対して米国との差は広がるばかりで明暗を分けたかに見えた。

 しかし、プーチン大統領は任期期間中にばん回し、今日では旧ソ連を上回るほどの力を世界に示した。世界経済2位などと浮かれていた日本が徐々に衰退したことに比べ、短期間に国力の復活を成し遂げたその手腕に世界中の人達が驚嘆しています。

 プーチン政権は何故成功を納めたのか?ヨーロッパの多くの国では未だに不況からの脱出に苦しみ、米国の衰退はもはや誰の目にも明らです。ここでプーチン政権の成功を考えてみることも大切でしょう。

 旧ソ連が崩壊したときに、私はある予言を機関誌に書きましたが、残念ながらそれは外れました。私はロシアに極右政党が政権を樹立する可能性に言及しました。

 ソ連の崩壊後のロシアの状況は100万人を超える移民と西側資本の流入によって、国家は解体の運命にあると感じたのです。この「移民」と「グローバリゼーション」の攻勢がある限り、ロシアに極右政党が伸張するのは当然と考えました。

 しかし、その極右の台頭を抑え、その極右政党に流れたであろうロシア国民をまとめ、自らの政治体制に組み込んだのがプーチン大統領であったと思います。

 もし、ロシアにプーチン大統領がいなければ、ロシアは更に過激なナショナリズムの方向へと舵を切っていたのではないでしょうか。それを止めたのがプーチン政権であったわけです。

 欧州では軒並み極右と呼ばれる勢力が台頭していますが、ロシアにおいてはその流れは弱まってきました。それはプーチン政権がロシアの極右勢力が主張していたことを先取りして来たからです。

 ロシアの極右は次のように主張していました。

 「社会不安の元凶は民主主義と米国主導のグローバリゼーションにある。」(ジリノフスキーロシア自民党党首) 2002年来日時の発言

 彼は次のように欧州における移民政策を批判していた。

 「欧州を見るが良い、アラブ人、トルコ人、あるいはアルバニア人といった人々が自由に歩き回っている。それを受け入れている欧州の国々はやがて彼らのために生活保障を始め、お金を使わねばならなくなる。では、彼らが一体何を欧州にもたらしたかといえば、それは犯罪だけだ。」

 プーチン政権はロシアへの移民の流入を阻止し、強権を以て犯罪組織を撲滅した。グローバリゼーションの流れの中で、国際ユダヤ資本と組んで巨万の富を得ようとした新興財閥を次々に潰し国営化の道を推進した。

 そして、今ロシアは甦った。確かに日本との間での領土問題や戦後のシベリア抑留問題もあり、日本人の多くはロシアに対して好感を持っていない。

 かつて、「日本が北方領土を要求したら、東京に原爆を落とせ!」などと発言をしたジリノフスキー氏も来日の折には次のように冷静に語っていた。

 「日本は第二次世界大戦の敗戦で戦勝国より『ファシズム」であったと批判されたが、日本の開戦が本当にファシズムによるものだったのか?とんでもない。あれは追い詰められた日本の『国を救う』ための最後の策だったに過ぎない」

 彼はこのようにも話をしていた。

 「中国はロシアにとって最大の脅威だ。歴史的に見ても中国は一貫してロシアの領有する広大なシベリアや沿海地方に対する領土的野心を持っていた。…私達は日ロ連携でアメリカ・中国に対処したい」

 ロシア国民は極右政党ではなく、実務的な能力に優れたプーチンを選択し、彼にロシアの将来を託した。ロシア国民はシナ・朝鮮ほどは反日教育を行なっていない。

 解決すべき問題は山ほどあるにしても、この復活した大国との外交関係は良好であるにこしたことはない。それが日本の将来にとって有益であることは疑いのない事実であろう。

 
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2007年05月07日

日本の対露外交への不安

日本の対露外交への不安

エリツィン前大統領の国葬しめやかに、日本の特使の姿なし

 【モスクワ=遠藤良介】23日に死去したロシアのエリツィン前大統領の国葬が25日、モスクワ中心部にあるロシア正教の総本山、救世主キリスト大聖堂で、プーチン大統領以下の政権幹部や諸外国要人が参列して営まれた。宗教を弾圧したソ連時代を経て、ロシア正教会が国家指導者の葬儀を執り行うのは113年ぶり。

 葬儀はエリツィン氏の棺を聖堂中央に安置して行われ、総主教アレクシー2世が「故人は、ロシアの運命に対する責任を引き受けた力強い人物だった。いつの日か歴史が公正に評価するだろう」と冥福を祈った。その後、参列者は市内のノボデビッチ修道院まで葬列となって歩み、棺の埋葬を見守った。

 ソ連・ロシアの政治指導者でクレムリンに埋葬されないのは、スターリン批判を行ったフルシチョフ元共産党第1書記に次いで2人目で、現在のロシアが抱くエリツィン氏への複雑な評価が反映されている。

 間に合う飛行機なかった

 故エリツィン前大統領の葬儀には世界各国の現旧指導者が参列したが、日本からは斎藤泰雄駐ロシア大使が参列するにとどまり、プーチン政権下で冷え込む日露関係を象徴するかのようだ。

 葬儀には、米国のクリントン前大統領や現大統領の父ジョージ・ブッシュ元大統領、ドイツのケーラー大統領、メージャー英元首相、欧州各国の外相のほか、旧ソ連構成諸国の首脳らが顔を揃えた。また、韓国は韓明淑前首相を代表とする政府弔問団を送った。これに対し、日本からは政府特使や有力政治家の姿はなかった。エリツィン氏の朋友だった橋本龍太郎元首相や小渕恵三元首相はすでに鬼籍に入っている。

 塩崎恭久官房長官は25日午後の記者会見で、日本が特使を派遣しなかった理由について「ロシアから葬儀の通報を受けたのが24日午前で、商用機では間に合う便がなかった。日本は首相が26日から訪米を予定しており、(特使派遣の)政府専用機を飛ばせなかった」と説明した。

 ただ、安倍晋三首相は対露外交を重視する姿勢を表明している。23日に死去の報を受け直ちに特使派遣を決めれば、24日午前の直行便でモスクワ入りは可能。それだけにロシア側に日本の姿勢を疑問視する声もある。
(
産経ニュースより引用)

 左派系ブロガーというか、安倍総理批判を繰り返すブロガーが主に取り上げている。彼らに同調するわけではないが、この問題では私も安倍総理の対応には首をかしげざるを得ない。

 もし、現プーチン政権に対しての配慮から、特使の派遣を見送ったとするなら、これは明らかに間違った判断でしかない。中曽根元首相や小泉前首相、森元首相らを派遣すべきではなかったのか。

 その理由について述べてみたい。昨日の朝に続いてロシアネタになったが、この問題はもっと前に触れておきたかった。他の話題があって私もその時期を逃した。

 しかし、この問題を傍観することは出来ない。何故ならば、私はエリツィン前大統領は歴史上の人物として、語り継がれるほど重要な人物であり、政府がそれをしっかりと認識していなかった点を残念に思う。

 私が人生の中で目にした一番忘れることの出来ない事件とは、これは何と言っても共産主義国家体制の瓦解であった。確かにこの世に磐石にして永久的な権力体制は存在しないかも知れません。

 しかし、私には旧ソ連邦が自壊していく様を、自分が生きている間に見ることが出きるとは思いも寄らなかった。インターナショナリズムの総本山が自らの手で自らに終止符を打つ、その主役を演じた人物こそエリツィン氏だったのである。

 ゴルバチョフのペレストロイカは混乱を招くだけでした。遂に共産党と軍部はクーデターに決起しましたが、中途半端であったために失敗してしまう。大衆はクレムリンに出動した戦車の前に座り込んで平和を訴えた。

 このクーデター騒ぎから一週間も経たないうちにソビエト共産党は解散という事態に追い込まれました。私は当時、ただただ急速に進む歴史の流れの中で、驚きの目を以って眺めるだけでした。

 実は後で分かったことですが、この一連の流れの中で、それを確実なものにした人物こそエリツィン前大統領でした。ロシア共和国議会に呼ばれたゴルバチョフ元大統領は、その議会演説中にエリツィン氏の巧みな誘導によって、共産主義の終焉を自らの口から発せねばならなかった。

 エリツィン時代こそ、日本は北方領土返還の好機到来でもありました。私は領土問題に光明がもたらされると信じました。しかし、残念ながらエリツィン氏は日本兵のシベリア抑留などの戦後処理については、その過ちを認めましたが、領土問題では進展が見られなかった。

 この背景こそ我々は見抜かなければならなかったのです。その背景を見抜いていれば、今回エリツィン氏の国葬に特使を派遣しないような失態もまた、なかったと分析します。

 共産主義が終焉しても、戦後処理については、エリツィン氏ほどの豪腕の持ち主でも出来なかった。日本は当初から政経不可分のもと、ロシアへの経済支援に消極的だったが、軌道修正を迫られた。

 ロシア救済の大合唱が続いた背景には何があったのか。クーデターが成功していれば、共産主義の終焉もなかったし、エリツィン氏の歴史の表舞台への登場もなかった。

 現政権への遠慮からの特使派遣を見送ったとすれば、それは余りにも歴史を軽視した、或いは歴史を冒涜した考えでしかない。歴史上の人物に対する正しい評価こそ、指導者に求められるものではないでしょうか。

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2007年05月06日

ロシアに復活する強権政治

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ロシアに復活する強権政治

 バルト三国へのロシアの野望

 エストニアの首都タリンで先月26日から27日にかけて発生したロシア系住民らと警官隊の衝突をきっかけに、ロシアとエストニアの間で緊張が高まっている。
 モスクワのエストニア大使館前ではプーチン大統領の親衛隊集団が27日から連日、抗議集会を開き、大使館は2日、主要業務の中断に追い込まれた。
 カリユランド駐露大使は同日、記者会見し、欧州連合(EU)と対露制裁を協議していることを明らかにした。

 エストニア政府は先月26日、国会決議に基づき、タリン中心部にあった旧ソ連兵の記念碑を撤去し、郊外の軍人墓地へ移転する作業を開始した。
これに抗議するロシア系住民が同日夕から記念碑周辺に集まり、解散させようとした警官隊と衝突。

 1人が死亡、市民44人が負傷したほか、一部が暴徒化して市内の商店を襲撃。計約1100人が拘束された。撤去は先月27日に完了し、今月8日に移転先での記念碑の除幕式が予定されている。

 エストニア国民の約3割にあたるロシア系住民にとって記念碑は、第二次大戦後、エストニアをナチス・ドイツから「解放」した誇りあるソ連の象徴。
だが大半のエストニア人には旧ソ連による占領の象徴で、毎年5月9日の戦勝記念日には、記念碑周辺で双方の小競り合いが続いてきた。

 ロシア側は「歴史の書き換え」などと反発し、上院は27日、政府にエストニアとの国交断絶を要求。プーチン大統領を支持する親衛隊「ナーシ」などの若者約100人が、モスクワのエストニア大使館前で深夜まで大音量の音楽を流して抗議集会を開き、「指名手配・ファシスト国家の大使」と記したカリユランド大使の似顔絵を市内各所に掲示するといった嫌がらせを続けている。

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070503k0000m030040000c.html

 ロシア問題を取り上げるのは久しぶりです。実は私はロシアというか旧ソ連問題が一番得意でした。その理由は私の20代〜30代というのは、旧ソ連こそ日本にとって最大の脅威を与える国家であったからです。

 旧ソ連問題に関しては、専門家と討論しても互角に渡り合える自信があります。しかし、現在はこのロシア問題は余り話題になりません。それだけ、日本に対する直接的な脅威を感じなくなったせいでしょうか。

 なぜ、今回このバルト三国の中のエストニア問題を取り上げるかと言えば、バルト三国問題と北方領土問題を以前はリンクさせながら主張してきた経緯があったからです。

 第一次湾岸戦争で世界中の注目がペルシャ湾に集中していた時、まだ旧ソ連と言われた時代ですが、バルト三国のリトアニアに駐留していた旧ソ連軍の赤軍空挺部隊が、突如としてテレビ・ラジオ局などを占拠、13人が死亡、150人が負傷する事件が発生しました。

 また同じラトビアに進駐していたソ連軍も市民に発砲して一人が死亡した。このバルト三国の独立運動を抑えるために画策していたものこそ旧ソ連の諜報謀略機関KGBだったのです。

 そして現在のロシアを支配するのが、このKGB出身のプーチン大統領とそのKGB時代の仲間達です。だから、今回のエストニアの混乱の背後には、その旧KGB残党の動向が非常に気になるところです。

 当時、日本のマスメディアなどは、この事件を小さく報道したに過ぎませんでした。軍部の独走という見解です。しかし、我々は狡猾極まるロシア人が、その正体を現したものであると強く批判しました。

 紛争が起きて、そちらに目が奪われている時に動き出す。これがロシア人の得意とする行動パターンです。古くは1956年、やはり世界の目がスエズ動乱に向けられていた時に、ハンガリーの反ソ連決起を武力で鎮圧しました。

 このバルト三国はソ連邦崩壊で独立を果たしましたが、その歴史的経過からして、またロシア人がこのバルト三国を植民地にしてから大量に流入したこともあり、この問題が簡単に解決するとはとても思えません。

 旧ソ連はどん欲なまでに領土拡張を貫いてきた歴史上稀なる国家でした。ソ連とはロシア語では国家を意味する言葉ではなく、共同を意味しており、共産主義イデオロギーによる共同社会というものでした。

 しかし、その共同体なるものは幻想であり、ロシア人による他の民族に対する支配と圧政に他ならなかったのです。現在、またかつてのように他民族を抑圧するような考えが台頭してきています。

 確かに共産主義体制は崩壊しましたが、かつての旧ソ連時代を懐かしむ強権政治が復活しているように思えてなりません。我々は以前より、旧ソ連体制の崩壊こそ、北方領土の返還に繋がるとして活動してきました。

 しかし、残念ながら旧ソ連体制が崩壊しても、北方領土は返還されなかった。この問題は機会があれば詳しくやりたいと思いますが、これは日本の政治的な大きな失態です。

 この北方領土返還の大きなチャンスを生かせなかったのは、これまで日本の政治に直接、間接的に関わってきた与野党の責任であり、それを負わねばならないと思います。

 今回、プーチン政権が性懲りもなく、かつての侵略主義の常套句を繰り返さないとも限りません。いや、逆にそのような手段に出た時こそ、日本政府や与野党は、このバルト問題と北方領土をリンクさせて、現プーチン体制を批判して揺さぶるべきです。

 北方領土問題を日露二国間問題でやっていて、果たして取り戻せる可能性が少しでもあるのでしょうか。旧ソ連時代に武力で併合した全ての地域を返還させる―、そのことを国際的に主張することの方が大切ではないのでしょうか。

 プーチン政権は共産主義という衣こそ外したものの、その体質は全く変わっていません。いや、むしろKGBと旧ソ連体制の官僚組織、軍部が結びついた超保守的全体主義体制が確立されたと見るべきです。

 世界情勢が混沌となればなるほど、彼らがまた対外的に、侵略主義の傾向を強めないと果たして言い切れるのでしょうか。このエストニア問題を遠い世界のことと見過ごしてはいけない。

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