2006年07月20日

昭和天皇のお言葉に触れた朝

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驚天動地の朝だ!しかし厳粛に受け止めました―

 私は目覚めが早い。5時には起きて近くのコンビニで新聞を買う。今朝もいつもながらのパターンだった。しかし、コンビニの新聞売り場で思わず立ちすくんだ。

 私の目に触れた日本経済新聞の一面トップ記事はあまりにも衝撃だった―。

A級戦犯 靖国合祀

昭和天皇が不快感 

参拝中止「それが私の心だ」

 記事の内容を紹介しよう。昭和天皇が1988年当時の宮内庁長官・冨田朝彦氏(故人)に語っていた話をメモしたものを日本経済新聞社が入手したというものだ。

 それによれば、昭和天皇は「私は或る時に、A級戦犯が合祀され、その上、松岡、白取(原文のまま)までもが。筑波は慎重に対処してくれたと聞いていたが」と語ったと記されている。

 更に「松平の子の今の宮司がどう考えたのか。易々と。平和に強い考えがあったと思うのに、親の心子知らずと思っている。だから私はあれ以来参拝をしていない。それが私の心だ」とも述べたと記されている。

 筑波氏とは靖国神社の宮司で、66年に厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取っても合祀しなかった人物であり、松平氏は合祀に踏み切った宮司を指している。

 ここまではっきりとお話しされているとなれば、このことを無視した議論は成り立ち難い。正直言ってこれを論じるのは私には重いものを感じる。出来るならば、これから続々と出るであろう保守論壇の論客や識者の見解を待ってからにしたい気持ちである。

 しかし、このブログも昨日応援クリックしてくれた方が5500人を超えました。北のミサイル発射の日は6300人でしたが、普段の日でもこれだけの人が応援してくれる中で、この問題で沈黙を通すことは出来ないと考えます。

 私はこれまで女系・男系の問題では沈黙を通して来ました。その理由は何度も書いたとおり、天皇の践祚(せんそ)についてはその霊威に従うとだけ申し上げてきました。これは天皇陛下が自らの言葉で語ることがあっても良いのではないか―という意味も込められています。

 この点についてはいずれまた詳しく説明させて頂きますが、今回は昭和天皇御自らが口になされたという点で、これを軽々に論じるべきではないと考えます。確かにメモの信頼性などの問題は残ります。

 ここで私の見解を先ず述べさせて頂きます。

 昭和天皇が先の大戦における「戦争責任」として、そのようにご自分が判断なされていたとすれば、これに従うことに致します。

 この場合の「戦争責任」という意味は、あくまでも日本国民に対してと理解してのことです。戦勝国に対してという意味ではありません。しかし、それでもこれまでの主張との矛盾や今後の論説に影響することは否定できません。

 しかし、共産中国の内政干渉に屈する形で、今後の靖国神社参拝問題を語るよりも、昭和天皇のお言葉の意味を深く考えて、今後の在るべき姿を論じるならば、それは後者の方が余程有意義であると考えます。

自分史の中の昭和天皇

 私は天皇陛下と戦争で亡くなられた父の兄の写真が並んで飾ってある家で生まれ、幼い頃よりその写真を毎朝拝むことから一日が始まりました。

 お国のために息子が戦争で亡くなったことが、何よりも誇りとしていたのが祖母でした。天皇陛下によって日本は守られてきたと教えられて育ちました。

 その写真でしか見たことのなかった天皇陛下を実際に見たのは、小学校に入る直前の頃だったでしょうか。私の生まれた家は東北線からそう離れてはいません。昔は蒸気機関車が走っていました。

 ある日、その東北線の沿線に多くの人が集まり、皆、ござを敷いて座り込んでいます。その数はかなりのもので数千人に膨れ上がったのではないでしょうか。皆が一斉に立ち上がり「天皇陛下万歳!」を何度も、何度も繰り返します。それは列車が視線から消えるまで続いていたようでした。

 その時、列車から帽子を振ってその万歳三唱に応えておいでだったのが、昭和天皇でした。後で知ったことでしたが、全国行幸の途中であったということでした。

 私の脳裏に今もその光景はくっきりと映し出されます。自発的に殆どの村民が集まっていたのではないでしょうか。強制されたり動員された様子はなく、自然に集まってきたという感じでした。

 それから、何度か皇居などでお姿を拝謁する機会に恵まれました。大喪の礼の時は本当に涙が止まりませんでした。自分はこれまでの活動の中で立場を変えて来ました。旧来の行動右翼、新右翼、そして極右などです。

 しかし、変わらないものが一つだけあります。私は右翼とか極右とかという立場とは別に<天皇信者>です。それは死ぬまで変わらないでしょう。

 今回の報道は私自身のこれまでの論説への修正を求めるものとなるかも知れません。

追記

 前の文章は全てこのメモが真実であるとしてのものです。どうしても疑問に思えることもあるので記述させて頂きます。

 A級、B級戦犯で処刑された方々の遺族は年金をもらえなかったので、国民がそれはおかしいと一大署名活動が持ち上がり、4千万人を越す署名が集まり国会に提出され、国会は全会一致で「戦犯は存在しない」として名誉の回復がなされたのです。

 この経緯を天皇陛下が知らぬ訳はなく何よりも戦後国民と共に歩むとした天皇陛下の言葉としては信じられないものです。国民の意志は4千万人という、その圧倒的な署名数に表されていたのですから。

 靖国神社が合祀するに当たっては、必ず天皇陛下の御許可を受けているはずです。知らなかったというなら、宮内庁が天皇陛下にお伺いをしないで行なったという疑惑も出てきます。それを後で取り繕うために、この元宮内庁長官がそのようなメモを残したということも十分考えられます。

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Posted by the_radical_right at 07:15 │ mixiチェック