2009年02月04日

『赤報隊』の名付け親

連載・『赤報隊』と『日本民族独立義勇軍』��

「赤報隊」の名付け親は野村秋介氏

 


 週刊新潮に朝日新聞社阪神支局を銃撃したと、実名で告白している島村征憲氏は今週発売予定の号で、『赤報隊』の名付け親として新右翼活動の理論・行動面におけるリーダーだった野村秋介氏の名前を挙げています。

 野村秋介氏の詳しい経歴などについては下記のウィキペィデアをご覧下さい。

野村秋介 - Wikipedia

 まだ発売前なので、この件についてはこれ以上は触れません。しかし、この具体的な名前が出たことで、更にこの問題は大きな波紋を呼ぶことになるでしょう。

 野村秋介氏はもう既にお亡くなりになったとはいえ、まだその教えを受けた多くの関係者がおり、当然故野村氏とこの実名告白者の関係を知る人は多いはずです。

 また、野村氏はかつて「赤報隊と会ったことがある」と述べていたと記憶していますので、その生前の証言とも一致しています。朝日新聞社はこの告白者の手記には信憑性がないと言っているが、そのようには取れない様相を呈してきたことだけは確実です。

 ※野村氏が赤報隊関係者と会ったというのは、あくまでも私の記憶です。一水会の鈴木邦夫氏は会ったと記載した記事は確かに見ています。これらの資料は私の福島の自宅にあるので、帰らないと確認が取れません。

 前回号の記事に関してコメント欄に投稿があったので紹介しておきます。

 朝日新聞襲撃事件の真相か 平井修一

週刊新潮「私は朝日新聞阪神支局を襲撃した!」(09年2月5日号)を読んだ。

・この事件は昭和62年(1987)5月3日午後8時15分頃、阪神支局が襲撃され、猟銃で撃たれて記者1人死亡、1人重傷というもの。

・実行犯は右翼団体を装った池袋の暴力団組長・島村征憲(65)。別件で下獄し、今年1月4日に網走刑務所を出所したばかり。

・島村によると、ある公的な組織の人物から朝日襲撃を依頼され、報酬目当てに引き受けた。この人物は昨年4月に退職しているが実在。

・昭和62年1月24日、朝日東京本社の壁に銃弾発射。同年5月3日、阪神支局襲撃。同年9月24日、朝日の名古屋社員寮に侵入し銃撃(器物損壊)、翌63年3月11日、朝日静岡支局爆破未遂事件を実行した。いずれも平成15年までに時効成立。

・阪神支局を襲撃するために関西の暴力団A組に1000万円で協力を依頼し、アジトと協力者・ヨシダを得る。

・逃走経路の確保など試験走行を繰り返した。決行まで支局の人の出入りをチェックし、公衆電話で支局に電話をかけるなどして、休日が人数が少ないことを確認し、5月3日に襲撃することを決めた。

・オートバイ2台に分乗し、ヨシダが運転する車には島村が、ヨシダの舎弟の運転する車には島村の子分のマモルが乗り、島村は猟銃、マモルは拳銃を携行

「以下次号」ということだが、島村は刑務所から朝日新聞社に手紙を出している。年輩と若い記者が面会に来たが、若い記者が「あんたね、うちの小尻(記者)を殺しといて、なんだよ、その態度は!」と喧嘩腰で怒鳴ったので話すのが嫌になったという。朝日はスクープを逃したのかもしれない。

島村の話が真実かどうかは分からないが、島村が週刊新潮に話を持ち込んだのは金のためだろう。出所直後で金に困っていたろうし、「ある公的な組織の人物」に無心して断られたかもしれない。復讐してやろうという気分もあったかもしれない。

今のところこの記事にマスコミは触れていないから、半信半疑なのだろう。真実ならば新潮の大ヒットだ。

Posted by 酷いことしよる at 2009年01月31日 11:51

 故野村秋介氏との関係などの検証については後日行ないたいと思います。

 

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2009年01月30日

初めて明かす義勇軍創設と私の立場

連載・『赤報隊』と『日本民族独立義勇軍』��

初めて明かす義勇軍創設と私の立場

 前のエントリーで書いたように、私は田舎で実家の農作業をしている所にまで兵庫県警の警察官に来られて嫌な思いをしたと昔の話をしましたが、多くの読者の中には不思議に思われた方もおられることでしょう。

 別に私が犯行グループの一員と思われていた訳ではありませんが、犯行グループを知る立場にいた人物と見なされていたことは事実のようです。

 これまで一切自らは明らかにして来ませんでしたが、今回の連載ではそのことも含めて書いていこうと思っています。嫌なことであっても、またそれは自分の歩んできた運動歴の一部である以上、それを今さらなかったことにも出来ないからです。

 別冊宝島1582 漫画と重大証言で完全推理! 昭和・平成コールドケース

 上の写真ですが、宝島社から出ている本のようです。実は私はまだ読んでいません。「瀬戸さんと思われる人物が出ているよ」と、ある人から連絡があって知りました。

 昭和と平成の時代に起きた事件で、未解決の事件を特集したものです。この中に朝日新聞社への攻撃を続けた『赤報隊事件』も含まれており、このような記述があったようです。

 この中で、赤報隊の事にも触れられていたが、ここではナント、捜査当局が最後に絞り上げた十人の「赤報隊容疑者」がイニシャルとは言え、従来の報道よりも詳しく紹介されていた。

 「新右翼I会創設者で文化人のS」や「新右翼T軍初代議長で現在I会のK」に混じって、・・・・・・・・「新右翼T軍の創設にも関与したジャーナリストのS」がいる。

 はてさて、誰だろう(笑)

 この「新右翼T軍の創設にの関与したジャーナリストのS」とは、これは私のことです。今日はこのことに関して初めてブログで書くことにします。

 昭和56年頃、私は東京・東銀座の合同環衛ビルという所を事務所兼住まいとして、日本憂国会という名称で右翼活動をしていました。
 当時、私の元に皇心塾、一水会、北方領土奪還青年委員会の若い活動家が集まっていた。

 当時の私もまだ29才の若さでした。我々は既成の右翼団体の枠にとらわれることなく、先鋭的な運動を行なうことで意見が一致して、団体の名称を統一戦線義勇軍とすることにした。

 ※この昭和56年頃から・・・・・名称を統一戦線義勇軍とすることにしたまでの文章を正確を記して下記のように訂正しておきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 昭和56年頃、私は東京・東銀座の合同環衛ビルという所を事務所兼住まいとして、日本憂国会という名称で右翼活動をしていました。
 当時、私は皇心塾、一水会、北方領土奪還青年委員会などに所属する若い活動家と一緒に活動していましたが、そのような活動家が横断的に結合して出来たのが「統一戦線義勇軍」という組織でした。

 資料「昭和59年1月・公安情報」を参照

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 当時の私もまだ29才の若さでした。我々は既成の右翼団体の枠にとらわれることなく、先鋭的な運動を行なうことで意見が一致して、

 本部事務所を当時私が住んでいたそのビルの6階に置き、我々はすぐさま全国の若手活動家に対して「分裂混迷の状況にある日本民族運動を再生する道は、文字通り烈火のような運動の実践の中にしかない」として檄を飛ばした。

 東京都内においても電柱などに統一戦線義勇軍のビラを張り出し、活動を全国的に展開しようとしていた。その我々の呼びかけに応じるように全国から多くの人が訪れてくることになりました。

 関西方面からも何人もの人がやって来ては、時間の過ぎるのも忘れて議論して、朝になってしまったことも度々でした。私は関西からやって来た人にも、我々の統一戦線に加わるように積極的に呼びかけていました。

 56年の11月頃だったと記憶しています。関西出身者で仲良くなった友から夜遅く電話があった。関西での動きを伝えるための電話でした。

「関西ではそちらの方に合流するのは難しい。
 こちらは独自の活動を模索している。昔から東と西では合わないんだ。瀬戸さんは東北出身だから余り関係ないかも知らないが、ライバル意識もあるしね」

「そうですか、それは残念です。しかし、何か連携して運動が出来るようにしたいね。同じような名前とか、攻撃対象を同じく設定するとか…」

 そのような話をしていて、長話になったが眠たくなって電話を切りました。それから一ヵ月くらいが過ぎた頃のことでしょうか。 

 56年12月8日、大東亜戦争の開戦記念日の夜、神戸大使館が松明(たいまつ)を持った男に襲撃されたというニュースを耳にすることになります。

神戸米国領事館放火事件

日本民族独立ギユウグン声明 ダイ一ゴウ

 本八日未明 ワガグンは西南日本において米国外コウ公館をコウゲキせり。

 三十六年続きたる民族のダミンはかくて破れり。

 低ゾクレツ悪なるオウ米文物にタマシイをウバわれたる日本人達よ、今こそ民族独立のために立て、対米キュウダン文に示された日本民族の意キをヤマトダマシイを、日本民族のドレイ化をハカる内外の勢力にタタキ付けよ。

 昭和五十六年 対米開セン記念日   
日本民族独立ギユウグン

 キュウダン文

 日本民族は、日米両国接ショクよりこれまでクリ返された米国による一連の排日ブ日残ギャク行為について、心底からのイカリを込めてキュウダンするとともに、以下の各項を民族の名において、米国政府・国民に要求す。

一、バク末・ペルリ来航に際してとったホウカン外交への反省とチン謝。

一、バクマツ、明治維新にかけて日本に強要した不平等条約についての謝ザイ、およびそれにより日本から収ダツした財貨の即時返還。

一、排日移民法等、米国における日本民族への差別と迫害についての謝ザイ。

一、日本を大東亜戦争突入に追込んだ米国外交政略の公開と戦争開始責任の自認。

一、大東亜戦争中、米国在住日本民族に採った差別的ダンアツ行イへの謝ザイと原状フッキ。

一、オキナワ、長崎、広島、大阪、東京等でハンプクされた米グンによる無差別ホウバクゲキの非人道性を認めて謝ザイし、被害者およびその遺族に然るべき補償をなすこと。

一、東京裁判のギマン性ハンザイ性を認め、米国責任者の処バツおよび戦パンと称されて殺害された、あるいはダンアツされた日本人被害者の名ヨ回フクと遺族や本人への補償。

一、占領米グンが強要した「日本国ケンポウ」は米国製であることを明確化し、チンシャした上で、国際法上無効であると宣言すること。

一、低ゾクな米国文化や社会制度の強要によって日本民族の精神文化体系を組織的に破カイしたことへのシャザイ。

一、日米安保不平等条約の即時破棄。

一、日本民族ドレイ化のショウチョウたる在日米グン基地の即時テッ収。

 以上の他にキュウダンすべきコトは無数にあれどもとりあえず以上十一条を要求す。要求いれざれば、日本民族は最後の一人となれどもトウソウを継続するものなり。

 昭和五十六年十二月八日      日本民族独立ギユウグン

 

 私はこの「ギユウグン」という文字に衝撃を受けた。
 我々が統一戦線義勇軍の名で旗揚げし、檄を飛ばしたことに対して、呼応する形で関西方面の同志が決起したのではないかと感じたからでした。

 この後、日本独立義勇軍の事件は続いた。

横浜元米軍住宅放火事件
昭和57年5月6日。日本民族独立義勇軍が横浜元米軍住宅を放火。

大阪ソ連領事館火炎瓶襲撃事件
昭和58年5月27日。日本民族独立義勇軍が大阪ソ連領事館を襲撃。

朝日新聞東京・名古屋本社放火事件
昭和58年8月13日。日本民族独立義勇軍が朝日新聞東京・名古屋本社に放火。

対ソ糾弾文
昭和58年8月15日。日本民族独立義勇軍がソ連に対して糾弾。
 
 声明文は下記サイトから引用させて頂きました。

 http://guns-road.hp.infoseek.co.jp/geki/geki.shtml


 私はこれらの事件は確固たる思想に基づく戦いであると思い、これを支持する立場を当時から貫いていた。どのような会合や場所においても、この行為を賞賛した。

 よって権力側からは要注意人物として見られてきました。
 私は統一戦線義勇軍からはある事件をきっかけに抜けることになった。この件についてはいつの日か明らかにする時が来るかも知れません。

 しかし、そのことを今明かしても、もう余り意味はないので書かないことにします。ただ、私としてはかけがえのない私の部下を失ったという自責の念なのか、今以って悪夢に襲われ夜目が覚めることもあります。

 私はこの『日本独立義勇軍』が今回告白手記を書いた人物と、どうしても同じ人物、もしくはグループであるとは思えない。
 また、朝日新聞本社銃撃事件では確かに犯行声明は「日本独立義勇軍 別働 赤報隊」となってはいました。阪神支局銃撃事件は、それまでの事件と比べて余りにも乱暴と言うか暴力性がむき出しになって違和感を持っていた。

 もし、今回の銃撃を告白した人物と、日本独立義勇軍が別組織であれば、長年私が抱いていた違和感は解消される。是非そのことを私は今回の「告白手記」者に伺いたいものである。

 

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2009年01月29日

朝日新聞社が初めて事件に言及

連載・『赤報隊』と『日本民族独立義勇軍』��

朝日新聞社初めて事件に言及、事実と相違も

 
本社阪神支局「私が襲撃」週刊新潮に手記 事実と相違も
   
 記者2人が殺傷された87年5月の朝日新聞阪神支局襲撃事件(02年に公訴時効)で、週刊新潮2月5日号が実行犯を名乗る男性(65)による「手記」を掲載した。「私は朝日新聞『阪神支局』を襲撃した」との見出しで、計6ページで実名の告白として載せている。

 記事によると、男性はある公的な組織に属する人物から「朝日を狙ってくれ」と頼まれたと説明。関西の暴力団組長に紹介された若者を運転手役にして、バイクで兵庫県西宮市にある阪神支局に向かったなどとしている。一連の事件の東京本社銃撃(87年1月)▽名古屋本社寮襲撃(同9月)▽静岡支局爆破未遂(88年3月)=いずれも公訴時効=についても、「私が実行した」としている。

 この男性は05〜06年、朝日新聞へ「襲撃事件の実行犯」と名乗って手紙を送ってきており、朝日新聞は当時、男性に会って取材した。今月、週刊新潮編集部から、男性の「証言」が事実と合致しているかどうか問い合わせを受けたが、面会内容や取材結果から「本事件の客観的事実と明らかに異なる点が多数ある」と回答している。

 また男性は朝日新聞記者の取材を受けた時の状況についても触れ、「(記者が)喧嘩(けんか)腰で怒鳴る」などと書いているが、そうした事実はない。

 2009年1月29日15時2分


 初めて朝日新聞社がインターネットサイト上で、阪神支局を銃撃した犯人の告白手記について簡単に触れています。
やはり、この記事にまったく触れないということは、どうしても世間的には不信感を招くとの判断が働いたのでしょう。そこで簡単に相違点があるなどとしてやんわりと否定しています。

 しかし、その理由については「本事件の客観的事実と明らかに異なる点が多数ある」とした短いコメントを明らかにしたに過ぎません。これではいくら何でも国民や読者に対する説明にはなっていません。

 朝日新聞社はこの事件の解明には朝日新聞社としての威信をかけて臨んでいたのであって、時効を迎えた時にも時効とは関係なく事件の真相解明を求めると力強く宣言していました。

 しかし、今回自ら犯人であると名乗った人物に関して、この短い一行しか発しないとはどういうことなのか? 少なくともどのように客観的事実と相違があると判断を下したのかを明らかにすべきではないか。

 また、今回のこの朝日新聞社の報道は、告白手記を公表した人物の文章に対しての言い訳にしか見えない。

>「(記者が)喧嘩(けんか)腰で怒鳴る」などと書いているが、そうした事実はない

 手記によれば、朝日新聞社の記者は次のように激昂したと書かれています。

「何で小尻はやられたんでしょうね?」

「小尻は何か、虎の尾でも踏んだのでしょうか?」

 そう畳みかけてくるので「知りませんよ」と応じたら、横に座っていた若い記者が仕切りのアクリル板をドンドン叩き。

「あんたね、うちの小尻を殺しておいて、何だよその態度は! うちの小尻がなに迷惑かけたんだ」

 このことが気になって、弁解をしなくてはいけなくなったのかも知れませんね。

 ところで、今回の週刊新潮にはこの本文だけではなく、グラビアでも最初にこの人物が登場しています。顔写真はモザイクがかけられていますが、気になる説明文がありました。

 写真には二人載っており、この人物も事件の関係者であり、しかも指示をした人物であるという説明がなされていました。見張りの協力者もヤクザの親分から紹介を受けたと手記にはありました。

 当然、週刊新潮はこの「指示役」の人物からも事情を聞いたことでしょう。どうも組織的な背景はまだ続いているようにも感じました。不気味な展開は今後も続くと思われます。


お知らせ 2月3日の活動予定

在日本フィリピン大使館への要請行動!

日本で彷徨う自国民カルデロン一家を速やかに引き取れ!

 日比両国の健全で良好な友好関係を尊ぶ日本国民として、親密な日比両国の関係に亀裂を生じかねない犯罪に関して大いなる懸念を表明するものだ!

 埼玉県蕨市に滞在中のフィリピン人、カルデロン・アラン・クルズおよびその妻サラは、1992年〜1993年の間に、他人名義の旅券を使用し日本に潜入した。その事実は2006年には日本の法務省が掌握しており、クルズおよびサラが、日本侵入に際し違法な手段を用いた事は明白である!

 また、クルズおよびサラは現在に至るも、まったく反省の態度を示さず違法な滞在を継続するのみならず、国内の一部勢力と結託し、自分達の娘を人質にしたとも思える、非人間的で人道に反する宣伝工作を行ない、日本国内に居座ろうとしている!

 この犯罪の放置は両国の友好関係に大きな亀裂を生じさせる危惧を抱かせるに十分な事柄であると考えられるだろう!

 他人名義の旅券の使用について、我々日本国民は決してこれを認める事ができない!
 かつてキムヒョンヒなる朝鮮人が他人名義の旅券を利用し日本人に成りすました上で115名を殺害する事件があり、この事件を契機に北朝鮮が日本国内に偽装旅券で工作員を侵入させ、テロ活動や宣伝工作を行っていた事が広く日本国民に認知されている!

 また、「テロとの戦い」という意味でも、出入国の管理の厳格化は日比双方の課題だ!
 もし、旅券の不正利用に対し厳正な対応をとなければ、密入国者は増加し、それに乗じた国際的テロ組織や他国の工作員の捕捉が困難となるだろう!
 すなわち、これはテロとの戦いの一環でもある問題に他ならない!

 アランおよびサラは自国に帰還する事を避ける為、日本国内の一部危険なプロレタリア国際主義勢力と想像される集団と結託し、自分達の娘をメディアにさらし者とする宣伝工作を行なっている!
 自分の娘すら自己の勝手な欲求の為に利用するカルデロン夫妻の非人間性は、それ自体が大きな問題であり、日本国民としては彼女がこの様に政治的宣伝に利用され、さらし者にされている姿は見るに忍びない!


 【日時】
平成21年2月3日(火曜日)11:30集合・開始

【場所】
フィリピン大使館前
〒106−8537
東京都港区六本木5−15−5
TEL:03−5562−1600〜02

周辺地図

【その他】
雨天決行、日章旗・プラカード持参歓迎

【主催】
NPO外国人犯罪追放運動
国民社会推進協議会

【問い合わせ】
有 門 大 輔(090−4439−6570)
中村としのり(090−6109−0712)


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朝日新聞社の不気味な沈黙

連載・『赤報隊』と『日本民族独立義勇軍』��

朝日新聞社の不気味な沈黙

今も闇からの「刺客」に怯えているのか?

 この週刊新潮の白黒の広告が今日の朝日新聞の紙面にも掲載されています。6面の下4段のスペースですから相当目立つ広告です。今朝の朝日新聞の広告で、この件を知った読者は驚いたことでしょう。

 しかし、朝日新聞社の紙面を隅から隅までくまなく見ましたが、この件に関する記事は何一つ掲載されていません。一体どうなっているのでしょう?

 実に不思議なことです。朝日新聞社の阪神支局を襲撃したと、犯人が実名で告白記事を掲載したというのに、それに対して言及する記事が一つも見当たりません。

 時効になってしまったから、もう関係ないという訳じゃありませんよね。

 この朝日新聞社への攻撃を繰り返した『赤報隊』に関しては、時効になったけれども、犯人を追い詰めて真相を明らかにすると言明していました。にも関わらず、その犯人が名乗りを上げたというのに、そのことに対してまったく報道がなされないとは、一体どういうことなのでしょう?

 この週刊誌の告白手記を読むと、この自ら犯行を告白した人は、最初に朝日新聞社に対して行なっています。本来なら、朝日新聞社が一大スクープ記事として一面トップに掲載しなければならない筈です。

 しかし、どういう訳か朝日新聞社はここに至っても沈黙しています。朝日は何かに怯えているようにも感じられます。朝日新聞社としては、本当はこのまま大人しくして世間が忘れてくれるのを待ちたかったかのようです。

 一体、事件の真相とは何なのか? 当の朝日新聞社が沈黙していては何も分かりません。この報道に関して朝日新聞社はどのように考えているのでしょう?

 一読者として朝日新聞社に訊いてみた。

問い 今朝の新潮の広告に驚いていますが、朝日新聞の記事には一行も触れられていないのは何故ですか? 事実ではないということですか?

朝日 …(ちょっと間があった)本人から手紙が来て、うちの記者が会ったというのは事実です。

問い それでどうしたのですか?

朝日 実際に話を聞いたが要領を得ない話であったということのようです。

問い と言うことは事実ではないと判断されているわけですか?

朝日 何とも対処のしようがなかったということです。

問い 今後の対応はどのように考えておられますか?

朝日 まだ来週に続くようなので、事態を見守るしかないということです。

問い 先ほどの要領を得ない話ということですが、いわゆる刑事ドラマなどに出てくる秘密の暴露的なものがなかったということですか?

朝日 判断のしようがないということで、暫く様子を見させて頂くということです。

終了


 今日の段階ではこれくらいにしておきました。この朝日新聞社の広報部の返答ですが、本当にこのように困惑した状況にあるものなのか? 或いは背後関係を知ってはいても話が出来ない状態なのか? 勿論、電話だけではつかめません。

 本当のところはどうなのでしょう?

 以前、下記の文章をある方より頂いて読んでいました。

 


 これは3部作の構成になっています。

�…�日が書けない「赤報隊」の正体

�∪嵎鸞發函屮哀螢鎧�件」の奇怪な接点

��「朝日銃撃事件」と「許永中」

 この件についても今後詳しく検証を進めるつもりです。

 これらの件については、私は当時の機関紙『世界戦略』の昭和62年12月15日号に読者からの投稿文として紹介してあります。

 朝日新聞社銃撃事件については、朝日を敵と見ているのは何も右翼だけではない・・・・新左翼も朝日を狙っていた。

−というものですが、当時、関西の新左翼は朝日新聞社とは対立関係にあった。朝日新聞社内部には民青出身者の共産党員が多く、何かと新左翼とはトラブルが絶えなかった。

 この新左翼とつながりのあったのが在日朝鮮組織であり、部落解放同盟であった。この3部作はそのような闇の世界にも足を踏み入れて取材しているものです。

 いずれにしても、朝日新聞社員は週刊新潮の広告に出ている小尻記者の笑顔をもう一度見つめるべきである。もはや、沈黙は許されない。これまでの取材で知り得た事実を、自分たちの新聞社に都合の悪いことであっても国民に知らせなければならないでしょう。

 

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連載・『赤報隊』と『日本独立義勇軍』(2)

連載・『赤報隊』と『日本民族独立義勇軍』��

朝日新聞社は犯人の正体を知っていた。

朝日新聞襲撃犯、名乗り出る…87年阪神支局で発生
すでに時効、実名公表し詳細語る

 1987年5月、朝日新聞阪神支局に何者かが押し入り散弾銃を乱射、記者1人が死亡した「赤報隊事件」(時効)の実行犯を名乗る男が、29日発売の週刊新潮に実名で手記を寄せていることが分かった。今年1月、別件で4年間収監されていた網走刑務所を出所した男は昨年1年間、同誌と情報を交換。収監先の刑務所では、朝日新聞記者2人と特別面会もしていたという。

 記事によると、男は都内の元右翼構成員。誰もが知る“公的な組織に属する人物”から「朝日を狙ってくれ」と金で依頼され、「東京本社」「阪神支局」「名古屋本社寮」「静岡支局」の順に襲撃(静岡支局は爆破未遂)。当初言われていた怨恨や思想的背景はなく、記者1−2人を殺害することのみが目的だったという。

 また、一連の朝日新聞襲撃事件と同じ「警察庁指定116号事件」に後に指定された「リクルート会長江副浩正宅銃撃事件」、参考事件の「中曽根康弘元首相襲撃事件」には関与しておらず、「赤報隊」を名乗る犯行声明は後日、別人に書かせたものだという。

 阪神支局襲撃にはバイクを使用し、複数回の下見の後、関西系暴力団に所属する案内役兼運転手と、男の手下で見張り役らの複数で実行。事件から10年後の97年、見張り役の男が自殺したことから、真相を表に出したいという思いを強くした。

 2004年、刑務所収監時に朝日新聞東京本社や阪神支局に手紙を送付し、記者2人との特別面会が実現したが、刑務所の面会室で、記者の1人に高圧的かつ直接的に問いただされたことから面会は決裂。今回の独占手記につながったという。

ZAKZAK 2009/01/28

http://www.zakzak.co.jp/gei/200901/g2009012817_all.html

 今回の事件ですが、謎は深まるばかりです。
 この犯行手記を週刊新潮に発表した人物に関して、朝日新聞社は本人と会って取材までしているのに、紙面ではまったく報道していなかったという事実です。

 朝日新聞社はこの事件が時効を迎えるまで、5月3日の前後にはかなりの紙面を割いて報道していましたが、自ら犯人であると名乗りを上げた人物に関して、読者に一切知らせなかった…。その理由とは一体どこにあるのでしょう?

 実は今回の手記はかなり重要な意味を持ちます。それはこの犯行手記の中に書かれてあります。まだ、発売前なので詳しくは触れることは避けますが、この朝日の記者がこの人物と刑務所内で面会した時の、朝日新聞社の記者の言葉にそれは表れています。

「小尻は何か、虎の尾でも踏んだのでしょうか?」

 これは極めて重要な言葉です。朝日新聞社は小尻記者が殺害されたのは朝日新聞社に反感を持つ、そのような右翼思想の人間に襲撃されたと言ってきました。

 しかし、この「小尻は何か、虎の尾でも踏んだのでしょうか?」という問いかけは、これまで朝日新聞社が報道してきたその「思想犯」とは、まったくかけ離れた犯人像を朝日新聞社が考えていたということを暗示させるものです。

 この面会した朝日新聞社の記者の言葉から察すれば、この阪神支局の襲撃事件に関して、朝日新聞社は思想性の理由からではなく、また別の理由から襲われて小尻記者は殺されてしまったと考えていたということになります。

 小尻記者が事件前に何を取材していたのか、その取材の中で相手方を追い詰めるだけの重要な証拠なり証言を取ったために、口封じのために殺された…。朝日新聞社の面会した記者の質問内容から、それが読み取れます。

虎の正体を朝日新聞社は知っています。

 思い当たることがあるからこそ、そのような言葉が出たのでしょう。しかし、読者には一切そのことは知らされてはきませんでした。この事件は右翼の思想性をもった事件に便乗し、何者かが「殺し屋」に依頼して口封じに及んだ。

 そして、その何者か。つまり虎の正体については朝日新聞社は知っていながら、それをこれまで隠し続けてきたとも考えられます。

朝日新聞社に問いたい!

 早急に小尻記者が殺される前に、取材していた事件を明らかにせよ。そしてこれまで秘密にしてきた全ての経緯を明らかにせよ。

 私は今回の手記が明らかにされたこの時期に、日本独立義勇軍と赤報隊に関して、連載記事をこのブログで書くことにしました。

 私はこの事件には何の関わりもありませんが、当時、兵庫県警から執拗に会いたいと連絡を受けていた。

 私が田舎に帰って稲刈りをしている時のことです。もう何年頃の出来事かも忘れましたが、稲刈りをしていると、リンゴの木の下で私を見ている4人ほどの男がいた。

 気になって近づいて訊くと、兵庫から来たと言う。田舎で4人もの男が背広姿で私を見張っているようで目立って仕方がない。私は帰ってくれるように言った。

 彼らはそこを離れようとしませんでした。私が警察への協力を一切拒否していたので、彼らは嫌がらせの手段に出たと思いました。両親に迷惑をかけたくないので、仕方なく場所を改めて会う約束をして帰ってもらった。

 当時の記憶を思い出しながら、明日から連載記事を書くつもりです。また別エントリーも従来どおり上げていきます。この連載に関しては、投稿コメント欄には、これまで通りニュースのお知らせや、それに関する意見は歓迎します。関連性のないものでも結構です。

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