連載・『赤報隊』と『日本民族独立義勇軍』��
「赤報隊」の名付け親は野村秋介氏

週刊新潮に朝日新聞社阪神支局を銃撃したと、実名で告白している島村征憲氏は今週発売予定の号で、『赤報隊』の名付け親として新右翼活動の理論・行動面におけるリーダーだった野村秋介氏の名前を挙げています。
野村秋介氏の詳しい経歴などについては下記のウィキペィデアをご覧下さい。
まだ発売前なので、この件についてはこれ以上は触れません。しかし、この具体的な名前が出たことで、更にこの問題は大きな波紋を呼ぶことになるでしょう。
野村秋介氏はもう既にお亡くなりになったとはいえ、まだその教えを受けた多くの関係者がおり、当然故野村氏とこの実名告白者の関係を知る人は多いはずです。
また、野村氏はかつて「赤報隊と会ったことがある」と述べていたと記憶していますので、その生前の証言とも一致しています。朝日新聞社はこの告白者の手記には信憑性がないと言っているが、そのようには取れない様相を呈してきたことだけは確実です。
※野村氏が赤報隊関係者と会ったというのは、あくまでも私の記憶です。一水会の鈴木邦夫氏は会ったと記載した記事は確かに見ています。これらの資料は私の福島の自宅にあるので、帰らないと確認が取れません。
前回号の記事に関してコメント欄に投稿があったので紹介しておきます。
朝日新聞襲撃事件の真相か 平井修一
週刊新潮「私は朝日新聞阪神支局を襲撃した!」(09年2月5日号)を読んだ。
・この事件は昭和62年(1987)5月3日午後8時15分頃、阪神支局が襲撃され、猟銃で撃たれて記者1人死亡、1人重傷というもの。
・実行犯は右翼団体を装った池袋の暴力団組長・島村征憲(65)。別件で下獄し、今年1月4日に網走刑務所を出所したばかり。
・島村によると、ある公的な組織の人物から朝日襲撃を依頼され、報酬目当てに引き受けた。この人物は昨年4月に退職しているが実在。
・昭和62年1月24日、朝日東京本社の壁に銃弾発射。同年5月3日、阪神支局襲撃。同年9月24日、朝日の名古屋社員寮に侵入し銃撃(器物損壊)、翌63年3月11日、朝日静岡支局爆破未遂事件を実行した。いずれも平成15年までに時効成立。
・阪神支局を襲撃するために関西の暴力団A組に1000万円で協力を依頼し、アジトと協力者・ヨシダを得る。
・逃走経路の確保など試験走行を繰り返した。決行まで支局の人の出入りをチェックし、公衆電話で支局に電話をかけるなどして、休日が人数が少ないことを確認し、5月3日に襲撃することを決めた。
・オートバイ2台に分乗し、ヨシダが運転する車には島村が、ヨシダの舎弟の運転する車には島村の子分のマモルが乗り、島村は猟銃、マモルは拳銃を携行
「以下次号」ということだが、島村は刑務所から朝日新聞社に手紙を出している。年輩と若い記者が面会に来たが、若い記者が「あんたね、うちの小尻(記者)を殺しといて、なんだよ、その態度は!」と喧嘩腰で怒鳴ったので話すのが嫌になったという。朝日はスクープを逃したのかもしれない。
島村の話が真実かどうかは分からないが、島村が週刊新潮に話を持ち込んだのは金のためだろう。出所直後で金に困っていたろうし、「ある公的な組織の人物」に無心して断られたかもしれない。復讐してやろうという気分もあったかもしれない。
今のところこの記事にマスコミは触れていないから、半信半疑なのだろう。真実ならば新潮の大ヒットだ。
Posted by 酷いことしよる at 2009年01月31日 11:51
故野村秋介氏との関係などの検証については後日行ないたいと思います。
〜新風連ブログ〜





