2006年02月02日

進出であって侵略ではなかった[正しい歴史観講座]

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『反中国講座』��

「進出」であり
「侵略」ではなかった!


 朝日新聞社が旧文部省時代の昭和57年6月に、教科書の検定で「侵略」を「進出」と書き換えさせたと報道した誤報事件を契機に、共産中国、韓国、北朝鮮らが騒ぎ出して満州への進出が「侵略である」との考えが半ば日本では定着してしまった。

 日本軍が支那本土にいたことは間違いないが、それは植民地支配を目指してのものだったのか、或いは進出と表現すべき軍隊の派遣であったのか?このことをしっかりと再検証しなくてはならない。後に分かった事であるが、この「侵略」から「進出」への書き換えは全くの誤報であった。にも拘らずあれだけ中国や韓国が強烈に反発した背景には、逆にそう書き換えられていたとしても仕方がない要素がたくさんあったと見るべきではなかったかと思う。

 つまり、極東軍事裁判によって日本は支那大陸に植民地を求めて軍隊を送ったと断罪されたが、それは戦勝国の一方的主張であり、また違った歴史の真実があったのではないのか?我々はまずそのことから歴史を見つめ直す必要がある。

 例えば、現在、日本の自衛隊はイラクにおいて人道復興支援を行なっている。現地においては一部の過激派はこれを日本の侵略と捉えるかも知れないが、現在のイラク政府はそのような立場はとっていない。しかし、また旧サダム政権が万が一にも復活したら、これは日本軍の侵略とされてしまうだろう。

 つまり、時の政権の移り変わりによって、その行為は180度違ってくることも事実なのである。このような視点から見るなら満州に60万人もの軍隊がいたとしても、それが即侵略的行為であったとは言えないだろう。

 明治時代に遡る―、支那大陸は満州族が支配して清国と名乗っていた。清国は朝鮮を属国と考え、帝政ロシアは朝鮮に対する野望を抱いていた。日本は自国の安全のために朝鮮の中立性と自立を望んでいた。しかし、朝鮮の李王朝はすでに五百年も続いており、官僚腐敗と国土の荒廃、さらに清国とロシアの脅威によって国家が崩壊寸前で、自らの力で運命を切り開く能力はなかった。

 日清・日露戦争とはそのような状況の中で起きたものであり、日本は多大な犠牲を払ってこの戦いに勝利したのである。日露戦争の勝利で得た最大のものは、当時ロシアが清国・満州に持っていた様々な権利であった。これを日本は清国との協議の中で譲渡を受けたものである。

満州に関する日清条約の要約(1905年12月22日)(明治38年) 

 第1条 清国政府は露國が日露講和条約第5条及び第6条により日本国に対してなしたる一切の譲渡を承諾する。

  第2条 日本国政府は清露両国間に締結された租借地並びに鉄道施設に関する原条約に照らし、努めて履行すべきことを承諾する。将来何ら案件の生じたる場合には随時清国政府と協議の上これを定むべし。

このように見てくれば、確かに日本は満州に様々な権利を有することになったが、これは日本が直接支那大陸に戦争を仕掛けて奪い取ったものでないことは明らかだろう。

明日はシベリア出兵について触れる予定である。なぜ、日本が60万人もの大軍を露満国境に貼り付けていたのか?それも他国への侵略とは全く関係のない、国際連盟からの要請によるものだった。

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Posted by the_radical_right at 18:03 │ mixiチェック

2006年01月30日

[反中国講座 開始]支那にまつわる不可解さ!?

f5c8c968.jpeg「反中国講座」� �

支那は蔑称語なのか?隠された真実

 本来なら「反支那講座」と題すべきなのかも知れない。しかし、現在、支那という言葉はほとんど使われないので、ここでは中国と表示する。
 石原慎太郎東京都知事がテレビで支那という言葉を連発した時、司会の田原総一郎氏が「石原さん、支那というのは中国への差別用語だよ」と注文をつけた。

 すると石原都知事は待ってましたとばかりに「なぜ、中国が支那を差別用語とか侮辱した言葉とか言うのかさっぱり分からんな。世界中の英語表記はChina(チャイナ)でその翻訳がシナだよ」とこれを軽く一蹴した。
 田原氏は「しかし、相手が嫌だと言うものを、敢えて使うことはないでしょう」と答えたが、何故中国が支那という言葉を蔑称として嫌うのかまでは言及しなかった。

 実は中国を支那という国名表記は外務省が1946年に使用してはいけないと関係機関に通達している。よって戦後の教育においては支那という国名は存在しなかった。公的な機関全てが使用禁止となっている訳だから、当然の如く所轄官庁の指導にある民間の会社においても使われていない。

 例えば放送局であるが、これもかつての郵政省の監督下にあったわけで、支那という言葉は禁止されていた。つまり戦後この支那という言葉は完全に死語となっていたが、これを生き返らせてくれたのは他ならぬ石原都知事であった。

 では、何故に支那という言葉は禁止用語になってしまったのか?これは中国からの要請によるとされているが、信じられないことにその理由は開示されていない。外務省は自国民に支那という呼び方をしないように通達しておきながら、これまでその理由を明らかにしてこなかった。

 差別用語として放送禁止に触れる言葉がある。例えば「ツンボ」とか「びっこ」とか「めくら」とか言った身体的な欠陥を表わす言葉である。しかし、この支那はそのような言葉とは全く意味が違う。それは「政治的圧力」によって日本に押し付けられたものであるからだ。

 ただ、ここで面白いのは支那はいけないが、シナのカタカナ表記は問題ないとされる。だから東支那海は駄目だが東シナ海は問題ないのである。どうも漢字で支那というのが問題らしいのだ。これまでこの件について真正面から問題にしたのは石原都知事である。

 石原知事を批判するサイトに次のような文章を見つけた。
『石原氏は1996年、香港の記者のインタビューに応じた際、「世界中では一般的に貴国を中国と称しているが、私はそれを支那と呼んでいる。聞いた話では支那と呼んではいけないそうだ・・・・・・その理由は二つの漢字が良くないからだ』と語った、とある。

 しかし、何故・・・・・・←この部分が消されてあるのか?この消された部分にこそこの問題の本質が隠されているようだ。実はこのサイトでは中国が支那の言葉を嫌う理由を次のように説明している。
「日清戦争で日本が勝った時、『日本は勝った』『支那は負けた』と狂気のように叫んだ。その時から『支那』という言葉は戦敗者に対する軽蔑的感情と心理を帯びたものになり…」としているのだ。これは『人民日報』でもそのように説明しているらしい。

 では当の石原都知事は…と隠された部分で何を語っていたのか?最近、雷韻出版から出た「汝の敵、中国を知れ」に次のように書かれてある。
「石原知事が彼の国の駐日大使に『支那』は蔑称かと聞いた際、その大使は『日本が本で、支那が支というのは止めて欲しい」と語ったと書かれている。

 日本と中国は漢字の国である。確かに日本が本社の本で、中国が支社の支ではまずいのだろう。
 笑い話のようなことだが、意外にもこれが彼らの本音かも知れないのである。中国にして見れば自分達こそ本店で日本は支店だと思っていよう。であるからこそ、支那は絶対に受け入れ難いのである。

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Posted by the_radical_right at 19:41 │ mixiチェック