昭和天皇と大東亜戦争 (3)
昭和16年12月8日、日本は米英両国に宣戦布告をしましたが、12月12日の閣議で戦争の名称は「大東亜戦争」と決定しました。更に 昭和17年1月21日、東条首相は議会で大東亜共栄圏建設の指導方針を表明し、これは大東亜宣言と称され戦争の目的はアジア諸国の植民地からの解放と民族の独立であると規定されたのです。
しかし、宣戦の詔勅にも示されているように大東亜戦争は日本がやむなく自存自衛の戦争に決起したとされ、これが一番の戦争の動機ではあるが、目的とは合致しなかった。そこで戦後まで考えて重光外相が提言し、東条首相がこれの具体化を指示。大川周明博士などの手によってその骨格が作られた。
戦争が始まるや、日本軍は破竹の勢いで西欧列強軍を打ち破って進軍した。この戦果は長く欧米の植民地支配に苦しめられてきたアジアの人々を勇気づけたのです。
日本軍は捕虜となったイギリス軍のインド人兵士を解放。彼らはインド国民軍を結成し、日本軍と協力してインドに向けて進撃した。インドネシアやビルマでも日本の援助で軍隊組織が創られていった。
日本の指導者の中には、戦争遂行のためには占領した地域を日本の軍政下に置いておくほうが良いという考えも強かった。しかし、これらの地域の人々が日本に寄せる期待に応えるために、日本は1943(昭和18)年、ビルマ、フィリピンを独立させ、また、自由インド仮政府を承認した。
さらに日本はこれらのアジア各地域に戦争への協力を求め、併せてその結束を示すため1943年11月、この地域の代表を東京に集めて大東亜会議を開催した。会議では各国の自主独立、各国の提携による経済発展、人種差別撤廃を謳う大東亜共同宣言が発せられ、この戦争の理念が明らかにされた。
この大東亜会議の出席者は、東条首相をホストとして、満州国・張景恵総理、中華民国・汪精衛院長、タイ国・ワンワイタヤコーン殿下、フィリピンのホセ・ペ・ラウレル大統領、ビルマのウー・バー・モゥ首相、自由インド仮政府首班としてチャンドラ・ボース氏が加わった。
戦後米国占領軍は「大東亜戦争」という呼び名を禁止し「太平洋戦争」と呼ぶことを強制しましたが、それはこの戦争が紛れもなく日本が盟主となって西欧列強に挑んだ聖戦の事実を覆い隠すためでした。
現在においてもマスコミの報道や日本の学校教育においては、この「大東亜戦争」という呼称を使用していません。その意味は占領米軍と同様の発想から来ているのでしょう。
昭和18年11月6日に大東亜共同宣言が発せられました。これは西欧列強の植民地からの独立解放闘争に当時決起していた、そのアジア諸国の独立運動家や兵士に宛てられた宣言文です。
この大東亜共同宣言に署名した国は日本を入れて6ヶ国で、日本、タイ、フィリピン、ビルマなどの当時の首相や大統領、更にはタイ国は国王殿下の名前も見られます。先ずはこの宣言文を紹介しましょう。
大東亜共同宣言
抑々世界各国が各其の所を得、相扶けて万邦共榮の樂を偕にするは世界平和確立の根本要義なり。
然るに米英は自國の繁榮の爲には他國家他民族を抑壓し特に大東亞に對しては飽くなき侵略搾取を行い大東亞隷屬化の野望を逞うし遂には大東亞の安定を根柢より覆さんとせり大東亞戰爭ノ原因茲に存す
大東亞各國は相提携して大東亞戰爭を完遂し大東亞を米英の桎梏より解放して其ノ自存自衞を全うし左の綱領に基き大東亞ヲ建設し以って世界平和の確立に寄與せんことを期す
一、大東亞各國ハ協同シテ大東亞ノ安定ヲ確保シ道義ニ基ク共存共 榮ノ秩ヲ 建設ス
一、大東亞各國ハ相互ニ自主獨立ヲ尊重シ互助敦睦ノ實ヲ擧ゲ大東 亞ノ親和ヲ確立ス
一、大東亞各國ハ相互ニ其ノ傳統ヲ尊重シ各民族ノ創造性ヲ伸暢シ大東亞ノ文化ヲ昂揚ス
一、大東亞各國ハ互惠ノ下緊密ニ提携シ其ノ經濟發展ヲ圖リ大東亞ノ繁榮ヲ�畤淵�
一、大東亞各國ハ萬邦トノ交誼ヲ篤ウシ人種的差別ヲ撤廢シ普ク文 化ヲ交流シ進ンデ資源ヲ開放シ以テ世界ノ進運ス
日本 内閣総理大臣 東条英機
中華民国 国民政府行政院長 汪兆銘
タイ国 ビブン首相代理 ワンワイタヤーコーン殿下
満州国 国務総理大臣 張景恵
フィリピン共和国大統領 ホセ・ラウレル
ビルマ国首相 エヌ・バーモウ
昭和18年11月6日
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