平成元年8月13日の誓い
20年前の自分に想いを馳せる
平成の世も20年目となっている。
昭和という時代が一つの終わりを告げ、新しい平成という時代の幕が開いた。
「平成」という文字からも分かるように、平和で静かな時代を願っての命名だったのでしょう。
私はこの平成元年の8月13日、ある人物の墓参りに出かけた。
今から丁度20年前のこ日であり、私がまだ36歳の時でした。その時の日記から紹介することにします。
平成元年8月13日
日本列島は暑い夏の真っただ中にあった。
私は盆休みを利用して、かねてから一度は行って見たいと思っていた山形県鶴岡市に向かっていた。
東北自動車道の宮城県村田インターから、新しく出来た山形市に向かう高速道路に乗り換えて、一路山形を目指した。
濃い緑に覆われた山々、ひときわ目につく高い山は、国立公園にも指定され、登山家であれば一度は足を運ぶ月山である。
周りの素晴らしい自然景観に見とれながら車を飛ばすこと四時間半、ようやく庄内平野に辿り着いた。
当たり一面、見渡す限りの水田地帯である。
稲の穂が一斉に出始めたばかりであり、風に揺れて広い水田がまるで波打つように動いている。まさに壮観そのものである。
私が目指すのは、鶴岡と酒田の丁度中間に位置する山形県飽海郡の西山町である。そこには石原莞爾先生の墓があると書物で見ました。
石原莞爾将軍は日本の敗戦後、生まれ故郷に帰り、自らこの地を開墾されて西山農場を創られた。
今日、開拓や開墾などと云えば、何か夢やロマンのある言葉として聞こえるが、当時は大変苦労の伴うことだった。私の母方にも戦後都会から帰り、福島県伊達郡の霊山のふもとに開墾に入られた方がいた。
その経験談を子供の頃に聞いたが、とても信じられるような話ではなかった。家をつくるにも当初は材料がまったくなく、まず穴を掘り、そこに何本かの杭を打ち、そこにトタンの屋根をかけて雪や雨をしのいだというのです。
地図を頼りにしての場所探しでしたが、道に迷い地元の人に尋ねることにした。石原莞爾先生の名前を出すと、地元の方は「あの、偉い先生のお墓ですか」とすぐに教えてくれた。
何度か道を尋ねながら探したが、皆さんその都度親切に教えてくれた。若い人も含めて「知らない」と首を横に振った人はいなかった。やはり、石原莞爾先生は郷土が生んだ誇り高き英雄なのでしょう。
私は若くして右翼・民族派団体に入り、そして自ら団体を創り運動をしてきたが、ある日を境に弟子たちに譲って自らは運動を停止した。そのような決断をしたのは本当に最近のことである。
私もいつの間にか子供を持つ親となっていたが、3年ほど前に福島で日教組の全国大会があった。娘はまだ小学校の1年生であったが、右翼の街宣車の騒音がうるさいというので休校となっていた。
その娘が右翼の街宣車が怖いと言って私にすがってきた。この時ほど自分でショックを受けたことはなかった。将来の日本を担う子供たちに恐怖感を与えるような運動が、果たして真の愛国運動なのだろうか?
それから私は右翼の街宣車による活動を自らは停止して後進に道を譲った。そして、その頃から戦前に活躍された人々の書物などを読むようになった。
中でも興味をひいた人物の一人が石原莞爾先生の唱えた世界観でした。石原先生の唱えた「世界最終戦争論」は世界史に残る偉大なる思想哲学であると思います。
※今日は石原先生の思想には触れません。また、別の機会に紹介します。
石原莞爾先生の墓は小高い山の上にあった。
すぐ下には秋田県に抜ける幹線道路が見える。そこをひっきりなしに車が通っていた。しかし、先生がこの地に入られた頃は静かな寒村だったのではないか。
冬ともなれば、冷たい風が日本海から吹きぬけて行ったことだろう。この小高い丘は周辺を見渡せる最高の場所だった。石原先生のお墓という案内板がなければ見逃してしまうところだった。
初めての道なので遠く感じたが、それほどの距離ではない。昼でも高い松林に覆われて、薄暗い山道を登って行くと、そこに石原先生のお墓があった。
こんもりと高くもられた墓には細長い石塔が建っていた。周りはきれいに掃き清められ、菊の花が飾られていた。
石原莞爾先生の唱えた「都市解体・農工一体」と彫った石碑もありました。
私の胸の中に大きな感動が湧き起こった。
来て良かった!
胸が熱くなって自然に涙がこぼれた。
ズボンに土がつき、汚れるものかまわずに、その場に正座し手を合わせた。
しばしの間―、時が忘れるほどに瞑想した。
幽明堺を異にした先生の言葉を聞こうとしたが、それは叶わなかった。考えてみれば、私はまだ先生の声を聞くほどの人間ではない。
しかし、嬉しかった。自分の探し求めていたものと、ようやくやっと遭えた、子供の頃の嬉しさとでも言ったら良いのか、そんな爽やかな気分であった。
ふと周りを見ると、赤い郵便ポストが一つ置いてあった。最初はあまりにも大きな感銘を受け気がつかなかった。
一体、何があるのだろうとフタを開けてみると、そこには一冊の「記帳」と書かれた大学ノートがあった。
それを開いて見た私は再び大きな感動に溢れた。
そこに記帳した人たちの、その数の多さに驚いた。
私が訪れた13日の午前中にも既に一人が記帳していた。昨年の8月から今年の8月までの一年間に、二百人以上の人が石原莞爾先生の墓にお参りしていた。
遠くはブラジルのサンパウロやリオデジャネイロから日本では九州から北海道は言うに及ばず全国一円である。
私は先生の墓に来たのが、如何に遅かったか、自らの不勉強を恥じるばかりです。
記帳
念願がかない、先生の墓に参ることができました。先生の唱えた「世界最終戦争」の時代が到来したと信じる一人です。
やがて来る「日米経済死闘」に勝利して、国家・民族の繁栄のために全力を尽くします。
平成元年8月13日 瀬戸弘幸
私はこの当時は日米間の熾烈な経済闘争が、「世界最終戦争」の時代であると思い、そのことについて論陣を張ってきた。そして日本は米国との経済戦争に敗れた。
しかし、本当の意味での「世界最終戦争」とは日米の間ではなく、米中間における戦争を指すのかも知れない。
最近、そのように思うようになってきた。もう一度、石原先生の墓に行って見たい。そのような気持を強く抱く今日この頃です。
☆動画ご紹介!
反日極左と入管法違反韓国人のデモを粉砕!
ドガログ版
http://dogalog.excite.co.jp/
YouTube版
http://jp.youtube.com/watch?v=
8月15日は靖国神社でお会いしましょう!
署名活動をお手伝いしてくれる人を募集しています。移民反対の幟を立てておりますので、そこにおいで下さい。
「河野談話の白紙撤回を求める署名」活動と一緒に、1000万人移民受け入れ反対の署名も行ないます。
街頭署名(8月15日)のお知らせ
<「河野談話」の白紙撤回を求める署名活動にご参加を!>
日本の威信を失墜させ、次代を担う青少年に自虐を注入する元凶、それは慰安婦強制連行の虚偽を国家が認めてしまったいわゆる「河野談話」です。昨年以来進めている「河野談話」の白紙撤回を求ねる署名は15,339名にのぼり、内閣府宛に提出済みです。
平成5年8月4日に、当時の河野洋平官房長官が発表した「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」(所謂河野談話)は、我が国の誇りと名誉を大きく傷付けただけではなく、次代を担う青少年の精神に「自虐」という猛毒を注入し続ける亡国の談話です。
日本民族をシナ・朝鮮の属国に組み入れているのが「河野談話」、これの撤回なくして民族と国家の自立はあり得ません。心ある方々の署名活動へのご協力をお願いいたします。
日時:平成20年8月15日(金) 午前7時から午後15時まで
場所:東京・九段下(東京理大前)
※雨天決行
署名終了後、懇親会を開きます
※17時から水道橋・天狗:03−3292−0338
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=4&pg=1&grp=teng&ino=BA577628
【主催】
「河野談話」の白紙撤回を求める市民の会
【協賛】
主権回復を目指す会、せと弘幸Blog『日本よ何処へ』、NPO外国人犯罪追放運動
【連絡】
西村修平(090−2756−8794)
有門大輔(090−4439−6570)
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