「戦後社会」と「東京大空襲」
今朝のエントリーには、いつになく真剣な投稿が相次いだように思います。勿論、いつだってふざけたコメントなどありませんが、今日は特段に、私がそのように感じたのかも知れません。
今朝の新聞広告を見て一番目についたのが、『文藝春秋』の広告の中にあった先帝陛下・昭和天皇の若い頃の写真でした。軍服に身を包み、凛々しい顔で映っています。
私達戦後生まれの日本人には余り馴染みのない写真です。私達の知る昭和天皇とは、温厚な顔で笑顔を絶やさない優しいお顔でした。しかし、今日見た写真では険しい目つきをされていました。
考えてみれば、戦前とはわが国においては戦争の時代でもありました。現在の今上天皇陛下もかつて新聞記者との懇談で「私は戦争のない時を知らないで育ちました」と述べられているのを目にした事があります。
米英を相手にした戦争は4年足らずでしたが、それ以前は中国とは10年以上の戦乱が続きました。確かに日本はこの戦争で大きな犠牲を払い、アジア諸国も巻き込んで迷惑をかけて来たのは事実です。
しかし、それから既に半世紀も過ぎました。わが国は戦争の時代の何倍もの平和な時代を守っているのです。世界の多くの国が、この半世紀の間にも戦争を繰り返してきました。
わが国の既に80%の国民が戦争の体験を持たない。このような国家は世界の中で日本くらいしかないでしょう。まさに世界史的にも稀有な存在であるのです。
この日本が半世紀以上にわたって平和を守ってきたのは、二度と悲惨な戦争を起こしてはならない。そのような国民の総意が得られてきたからでしょう。
しかし、その反面、この日本人の努力を全く認めようとせずに、日本人はいつまで経っても反省がなく、再び侵略の牙を剥くというようなプロパガンダが浴びせられて来ました。
今回の騒動も、その延長上にあります。半世紀の歳月を経ても、なお日本を敵視する隣国。一体いつまで謝罪を要求し、賠償を求めるのであろうか。
戦争には戦勝国が主張する侵略的なものだけではなかった。自存自衛という戦いでもあったし、欧米諸国からの亜細亜の解放という聖戦でもあった。また国際共産主義との戦いでもあったのです。
戦後の日本人はこの一方的な侵略戦争と自衛・聖戦という二つの戦争史観の中で、長い間、葛藤を繰り返し相克を続けてきた。それだけ苦しみ抜いてきたということでしょう。
しかし、我々のその苦悩を全く認めない、或いは否定する、そのような攻撃が続けられてきたのも事実です。そのような勢力の声が強まるならば、日本人の戦後の悔恨とは何であったのか―。
その意味を真剣に問いかけなければならないでしょう。戦争犠牲者の方々に深い反省と哀悼の意を捧げることは当然ですが、我々だけがそう思っても平和な社会が訪れはしない。
そのことを今日は農作業を手伝いながら思っていました。母は東京大空襲を体験したそうです。空一面に群がる爆撃機に、高射砲が放たれるが、そこまでの距離に達せずに途中で皆下に落ちてしまった。
また、B29に体当たりをして落ちていく日本の小型機を何機も目にしたとも語っていました。母が見たというのですから、私はその言葉を信じます。
立川の爆弾製造工場で働き、夜は竹やりで敵を突く訓練を毎晩していたことを聞きました。皆、死ぬ気だった、生きてまた自分の家に戻れるとは思わなかった、とも語っていました。
東京大空襲は日本の家が木造住宅であることを知った米軍が、その全てを焼き尽くすために行なわれたものでした。彼らが60年前を問題にするなら、我々もまた60年前を持ち出すしかないのかも知れません。
《御知らせ》
6時より<憂國チャット>を行ないます。ただ自宅のパソコンが古いので支障が出た場合は私は退室しますが、皆さんは続けてください。お願いします。
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