2006年12月23日

国歌「君が代」について

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「君が代」に誇りと名誉を!

 下記のようなメールを頂いておりましたが、忙しくお返事をしておりませんでした。また、この問題については皆様にも知って頂きたくエントリーの中で取り上げたいと思いました。

 極右評論、毎日拝見して影ながら応援しております。
 
 実は本日11時過ぎですがTBSラジオの永六輔氏のコーナーで
永氏が『日本の国歌は元は中国の雅楽なんです』と発言していましたが、本当でしょうか?
 
 以前は永氏にはいい印象を持っていたのですが、先日の“週間金曜日の件”でだまされていた事を知り非常に残念な思いで一杯です。
 
 今回の発言も疑問に思ったので瀬戸先生にメールしてみました。
少しでも勉強しようと色々なサイトを読んでいるのですが今回の話は知りませんでした。
 
 事実なのかそれともまたこれも、皇室を貶めようとするゆえの発言なのか・・・、
 お忙しい中誠に申し訳ありませんが、もし瀬戸先生がご存知ならばお教えいただければと思います。
 
 これからもブログ応援しています、頑張ってください。

 だいぶ時間が経過してしまい申し訳ありませんでした。このメールを頂いた方は女性です。年齢は書いてありませんでしたが、私と同じ位かあるいは私よりは少し上の年代かと勝手に推測しました。

 というのは、この永六輔氏が解説をするTBSのラジオ番組ですが、私も時おり耳にします。私は朝食が早いので昼食も11時半には取ります。殆ど外食ですがこの時間ならまだ食堂も混雑を免れます。

 よく行く食堂のラジオがこの放送を流していますが、そこのご主人と奥さんは、もうこの番組を数十年聴いていると言いましたので、かなり古くからやっているようです。

 このお店の老夫婦は勿論「週刊金曜日」の御皇室中傷芝居のことも知りませんでしたし、永六輔の「反日性」も全く知りません。このように彼の正体を知らずにファンになっている60歳代の方はかなり多そうです。

 さて、お問い合わせの件ですが、ネットで検索したら次のようなサイトが見つかりました。たくさんあるのですが、一番分かり易いのでそこから引用します。

 日本の心・君が代

http://homepage2.nifty.com/khosokawa/j-mind04.htm

 『日本の国歌は元は中国の雅楽なんです』との永六輔氏の言葉ですが、彼が言わんとしているような、中国の雅楽そのものではないようです。

 「君が代」が生まれた経緯は、明治の初めに、わが国は国歌を創る必要を生じ、『古今集』に由来する「君が代」が歌詞として選ばれました。これにつける曲は初め、イギリス軍楽隊の隊長フェントンが作曲しました。ところが、それでは、五七五七七の大和言葉による歌詞には、なんともなじみませんでした。

 そこで、改めて日本人自身の手によって、作曲されることになりました。この作曲に当たったのは、宮内省雅楽課の林広守でした。林は「壱越調律旋(いちこつちょうりつせん)」という雅楽の旋律をもって作曲しました。そして新しい「君が代」は、明治13年に完成し、その年の天長節(天皇誕生日)に発表されました。

  このように「君が代」の旋律は、雅楽に基づく日本風のものです。しかし、和声は洋楽によっています。ここにもう一つの特徴があります。和声は、東京音楽学校のドイツ人の音楽教授エッケルトが担当したものです。

 安西愛子氏によると、歌詞の「君が代は」まではディビジョンといってハーモニーが付かずメロディーだけで進みます。それでかえって言葉が明瞭に響くようになっています。そして「千代に」からハーモニーが付き、曲に厚みが増し、荘厳な歌へとなっていくのも特徴となっているのです。20世紀を代表する大指揮者カラヤンは、「世界の国歌のうち最も荘厳なもの」と称えました。

  作曲家・編曲家の内藤孝敏氏は、次のように語っています。

 「『君が代』が、今まで歌い継がれてきた理由は、何よりも『音楽』として優れたものであるといふところにある」と言っています。また、次のように語っています。「日本の音楽の底流には、二つの大きな源流が存在しています。…国歌『君が代』の旋律は、その第一の源流を伝える宮内省雅楽課の作品であり、また、その和声は、第二の源流である西洋音楽による作品であります。つまり、『君が代』の音楽は、和・洋の二つの音楽の役割を明確に旋律と和声に分けることで成功した日本初の記念碑的作品なのです。

「君が代」は、日本古来の音楽と、西洋近代の音楽とを融合して作られた曲なのです。まさに「和魂洋才」による傑作が、国歌「君が代」だと言えましょう。

 確かに宮内省雅楽課が担当したものであっても、日本風のものであり、また西洋風なものも取り入れられたものなのです。これこそが世界から様々な文化を取り入れ、自分たちの物にしてきた、日本文化の良さが示されていると思いました。

 この「君が代」を永六輔氏は先の皇室中傷劇でアメリカの国歌の演奏で唄ったそうですが、それは米国に追従している日本を皮肉って見せたかったのでしょう。

 しかし、彼は「君が代」の良さを全く分かっていない人であると思います。我々が「君が代」を聞いて感動するのは、日本人としての魂に響いてくるからです。

「君が代」は厳粛な儀式には欠かすことが出来ません。日本人としての誇りと名誉、永い歴史に育まれたそれらの全てのものを含んだ大変深い意義と意味を持っています。

 日本人を演じるこの薄っぺらな支那系の人間になど言われたくもありません。誰が何を言おうが「君が代」は我々日本人の誇りであり名誉であることを再確認しようではありませんか。

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Posted by the_radical_right at 18:03│ mixiチェック │自然の再生と共存(御皇室) 
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12/19〜24の朝日川柳から(◇は選者のコメント)。 教育基本法&タウンミーティングネタから。 ● そう言えば総裁選もやらせ気味   (静岡県 菅澤正美 12/19)  ◇TMだけでなく。  ※TVの街頭インタビューとか、人生相談とか、記事や「声」欄にある「....
自分らの思い通りにならないからって清水寺の貫主にまで八つ当たりするなよ【朝日歌壇鑑賞会【今週の作品】】at 2006年12月24日 16:32
この記事へのコメント
言論統制の混合(錯綜です)「靖国参拝に反対した経済人や天皇発言を報じた新聞社が、火炎ビンで脅かされる。加藤紘一氏に至っては実家が放火されてしまった。言論の封圧をねらう卑劣な脅しである。」は何処の国でもある個人行為の仕業です。中国や韓国、北朝鮮は国家が言論統制している国です。ロシアに至っては言論人の暗殺すら許可する政権です。国家の仕業です。朝日新聞は故意に物事個人行為の仕業と国家行為の仕業を混合して錯覚を読者に起こさせるように誘導しているつもりなのでしょうね。 本当にそう思ってるとしたらかなり柔道の性sん障害でしょう!
Posted by ようちゃん at 2006年12月26日 02:28
5
古田氏の君が代論は無意味です。前漢書が記す百余国が耶馬台国へ、そして大和朝廷へとつながっています。鏡・剣・玉は近畿を中心とする前期古墳の副葬品であり、まつりごと(政治)は、まつり(祭)に由来する。祭とは日神(太陽)祭祀であり、上代語の男子の尊称をヒコ(日子)、女子の尊称はヒメ(日女)と呼び太陽の子を意味する。国旗[日の丸]はこれに由来する。 [君が代]は、室町幕府も儀式に取り入れ、各大名家はもとより徳川幕府も代々、元旦を言祝ぐ儀式で詠われています。 日本人としての誇りを感じます。
Posted by 愛国者 at 2006年12月25日 02:17
(上から続く)
他王朝だからといって、その素晴らしさを認めず、無視や恨み節をするのは、日本的とは思われません。
長年、シナの属国であった恨の国を見習わず、和解に努めた精神性を大切にしたいものです。
恨の国を見習っていては、国を譲った出雲から出土した多数の銅鐸・銅剣も重要と認められませんし、九州にある古墳の壁画の素晴らしさも認められないような国家・国民となってしまいます。
Posted by とおる at 2006年12月24日 17:38
(上から続く)
例え、他王朝の歌からの“転用”だとしても、古今和歌集の選者は、純粋に和歌として素晴らしいと思ったのか、天皇家によって屈服させられた「筑紫の君」を鎮魂するためか、分かりはしませんが、その結果、幾年に渡って怨念が続く事も無く、民族・国歌の統一に役に立った事を考えると、ちょうど、聖書が創世記だけで無く、その他のレヴィ記などを含むように、古事記・日本書紀に続く、重要な文書として、日本の生成過程に果たした役割は、批判出来るものではありません。
和歌とは、その名称自体が、聖徳太子の「和を以って尊し」の体言化したものにも思われます。
Posted by とおる at 2006年12月24日 17:28
> 下記 古田先生の解釈・論文が妥当と思います。
> http://sun.ap.teacup.com/souun/198.html

上記には、次のように書かれています。
「“君が代”は天皇家の歌ではない。他王朝の歌からの“転用”あるいは“盗用”である。」
これは、国歌としての「君が代」を批判する内容と思われますが、上記の事は事実であっても問題にもなりません。
重要なのは、「君が代」の歌詞・旋律・国歌として相応しく思えるかどうかです。
Posted by とおる at 2006年12月24日 17:17
君が代。音楽についてはわかりました。壮言さ疑いなし。
 カラヤンがみとめたいうのが事実なら幸甚でdす。
ところでその歌詞については 矢張り分かりにくい箇所もあります。
 千代が千年とか八千代が8千年となる解釈は日本語ではありません。
 「まで」の 意味が逆にわかりにくくなりますがこの元歌を
しれば 下記 古田先生の解釈・論文が妥当と思います。
http://sun.ap.teacup.com/souun/198.html
 2006.12.24 
Posted by tanaka nobutoshi at 2006年12月24日 11:43
始めまして。ハンドルネームで失礼致します。
「君が代」について、三つの「君が代」があったという解説がありますのでお知らせ致します。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tpnoma/hyousi.html
(野間裕史のページ)君が代について

瀬戸様のご意見をいつも拝読し、ありがたく力強い思いを致しております。ますますのご活躍を祈念申し上げます。
Posted by 勇一郎 at 2006年12月24日 10:06
今朝のTBS「サンデーモーニング」にて、佐高信 経済評論家が、銀行の政治献金に関して、「国民をなめている」というコメントをしていました。
先日の皇室中傷芝居では、市民団体と関係していましたが、国民と市民の区別をしている点に興味が湧きます。
市民というのは、国民では無さそうです。
市民というのは、主に、在日朝鮮人・在日中国人では無いでしょうか?
在日朝鮮人・在日中国人を隠すための用語として、市民を使っているように思えました。
Posted by とおる at 2006年12月24日 08:46
5
瀬戸先生、皆様おはようございます。永六輔の皇室侮辱の言動は、永自ら如何に下劣な人間であるかを証明しています。日本人なら誰も、彼を正常と思わないです。
Posted by 防人 at 2006年12月24日 08:07
ここのblogを以前から見ていましたが、日本人として、
何かしなくてはと思いblogを作りました。
じゃまにならない程度にがんばりたいと思います。
出来れば、今後のトラバもお許しください。
Posted by kta at 2006年12月24日 02:45
永六輔氏へ

今回の発言で偽知識人とばれましたね。
中国から輸入されたと言いたのであればそれは"唐楽"であろう。
偽知識人というのは突き詰めると返答できなくなるのでばれるものです。
試しに君が代を反対する輩に歌詞の意味を聞いてごらん。
答えられる者は少ないから・・。

Posted by 山椒小粒 at 2006年12月24日 02:13
 左翼とかエセ知識人ていう輩はアンチ日の丸、アンチ君が代が多いんですよね。でも、本質的なことを理解して言っていないんです。瀬戸さんもご説明くださいましたが、加えれば、君が代は第一回国歌コンクールでグランプリに輝いたことがあげられます。また、1200年前の短歌という日本の当時の文学作品を国歌にしている国もありません。現在のほとんどの国は1200年前に存在すらしていないのです。また、言葉も全く異なりました。「細石の巌となりて...」は、ご指摘の通り小さな石が長い風雪の影響で鍾乳石と同じような現象で、大きな石になるということですね。この石は実は靖国神社の大鳥居を入った、すぐ左側にひっそりとおいてあるんですね。永六輔という反日は、もう想像力がなくなってきたのでしょう。かわいそうな人です。
Posted by ジョバンニ24世 at 2006年12月24日 01:33
永六輔氏の『日本の国歌は元は中国の雅楽なんです』と発言についてですが、永六輔氏の家ははもともとは支那の帰化人です、こんな発言もしてもおかしくはないでしょう。しょせんは日本が大嫌いなシナ人ですよ。
Posted by SS at 2006年12月24日 00:40
瀬戸様 皆様 こんばんは
オリンピックなどの国際競技大会でメインポールにたなびく日の丸には、やはり君が代が一番よく似合うと思います。
諸外国の、どちらかと言えば動的で軽快な国歌が多い中で、君が代の持つ静的で荘厳な響きを耳にするたびに、日本人に生まれたことへの誇りと感謝の念をしみじみと感じます。
日本国憲法もし改正されるなら「第1章 天皇」に続けて先ずは「第2章 国旗・国歌」を定めるべきと思います。

今日は仕事でかなり広範囲に車で動き回ったのですが、特に都市部では日の丸を掲げているお宅をほとんど見かけず、寂しいものでした。
高層マンション・アパートなど、建物構造も影響しているのでしょうか。
Posted by ROM太郎 at 2006年12月24日 00:22
持つのはいわれ無き誇りだけ。だから起源を自分のもにし、歴史も歪曲・捏造し続けなければならないのです。哀れな民族です。
Posted by 日本太郎 at 2006年12月23日 23:53
この永六輔のような低劣な奴らを見ると本当に腸が煮えくり返りますね。
実際愛国心教育は世界の殆どの国が行っているのに何故日本は・・。

別に支那のように、おもちゃの拳銃と国旗を子供に持たせて、町を行進させろとまでは言いませんが、節度を守る人間の育成として必要だと思います。最近は見本となるべき大人が、一番節度を守っていませんからね・・・。
Posted by スサノオ at 2006年12月23日 23:17
瀬戸先生、皆様こんばんは。
国歌を馬鹿にするとは、最低な奴ですねこんな奴の日本国籍は消して方がいいでしょう。
最近では学校行事で国歌を歌わなくなりました。
悲しいことです。運動会や体育祭で歌えば、かなりいい勝負になると思います。
Posted by 司令長官 at 2006年12月23日 21:46

むしろ、旋律云々より、君が代は日本人のあるべき道徳を歌い上げていると
いう点がもっとも肝要な点ではないでしょうか。
国民として、 天皇陛下の御世が末永く続きますように、と歌うのは
太古からの皇御国の永続と平安を願う、最高の護国祈念だと思います。

君が代が明治に出来た、とか旋律に洋楽の要素が入っている云々は
むしろ歌詞の雄渾さに比すれば枝葉末節では、と感じる次第です。
Posted by 右支持のカス at 2006年12月23日 21:24
いい話を聞かせていただきました。
「君が代」に、大陸から伝わった雅楽の要素があるからといって、永六輔氏のように、『日本の国歌は元は中国の雅楽なんです』という話にはなりません。
要素の一つを取り出して、全体は要素に支配されると勘違いしています。(永六輔氏は、意識的に勘違いをするような情報操作を意図しているのかもしれません。)
その雅楽が、中国では廃れてしまい、旋律さえも独自には復帰出来ず、日本の雅楽を通して復帰するという話をテレビで聞いた事があります。(文化を大切にしない中国ならではの話です)
日本の良さは、良い所・優れている所は取り入れて、悪い所・合わない所は取り入れないという点にあります。
Posted by とおる at 2006年12月23日 20:47
カァ さんへ
>私は現代の支那で「雅楽」というものを聞いたことがありません。支那では既に「死滅した文化」なのでしょうか

大変貴重なコメントありがとうございます。
正倉院には既に喪失してしまった古代のシルクロード文化を感じさせる
様々な備品が残っており、それは世界で正倉院にしかないと言われています。
永六輔がそのようなことも知らずに発言していたとしたら、本当にあきれるばかりですね。
Posted by 瀬戸弘幸 at 2006年12月23日 20:44
はじめまして。
 私は現代の支那で「雅楽」というものを聞いたことがありません。支那では既に「死滅した文化」なのでしょうか。考古学や歴史学の対象でしかないように思います。
 しかし日本では生きた文化、宮廷音楽として残っており、我々庶民も結婚式などで聞くことができます。「天ぷら」をポルトガル料理とは世界中の誰も思わないのと同じようなものです。
 日本にはこういった継続性があります。文化の継続性とは、民族にとっては非常に重要なことで、これこそ民族の証です。結局、中華人民共和国ってのは「新しい国」ってことでしょうね。

 永六輔氏が言っていることは、そういったことを一切無視し、まるで日本を支那の属国であるかのように蔑むことです。浅はかな知識をひけらかすのが進歩的知識人ってことなんでしょうね。
Posted by カァ at 2006年12月23日 20:34
歌詞もなかなかすごいです.
さざれ石がいわおになる,という意味が,子供の頃,理解できませんでしたが,さざれ石が石灰質角礫岩と知って,納得です.
昔の人の自然観察力には恐れ入ります.
Posted by ガセネタ at 2006年12月23日 20:07
君が代
現代語訳
君が代は、千年も八千年も、細石が大きな岩になってそれにさらに苔が生えるほどまで、長く長くずっと続きますように。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%9B%E3%81%8C%E4%BB%A3
Posted by 意思を告ぐねこ at 2006年12月23日 20:05
国歌の歌詞もしらない人間が増えていますね。
嘆かわしい

それと 校歌も歌わなくなったと聞きます。
集団への帰属意識を薄めさせようとする策謀なのでしょうか?

そういえば・・ 長野には「信濃の国」がありますね
素晴らしいことです。

国、郷土、母校の歌を学校できちんと教えないといけない
知ることが社会人として当然の事であると私は思います。
Posted by はてな at 2006年12月23日 18:54
近年この君が代をうたわない教師や生徒がいることを嘆かわしくおもいます
生徒は教師のはなしを鵜呑みにし
君が代は軍国主義をたたえる歌だの平和への冒涜などと吹き込まれたのでしょう
思えばわたしが中学生の時人権に熱心な教師がいましたがその教師も君が代を問題としてとりあげたり部落差別をとりあげたりして修学旅行にまで人権博物館のようなところにつれていかれた記憶があります
反日へのいざないだったのでしょうか
Posted by 打緒 at 2006年12月23日 18:25