〜極左評論への反論〜
昨日、当ブログからの反論に対して、極左評論諸氏よりご回答を頂いた。概ね西村眞吾議員が「テロ集団の頭目」であることを根拠に政治家として相応しくないと断じておられるが、そこで今回は我々の右翼テロに関する見解を述べることで、極左評論諸氏に対するご反論とさせて頂きたい。
以下は極左評論より抜粋
次に『一人の政治家が最高顧問を務めていた刀剣愛好団体がテロ事件を起こしたに過ぎないのだ。』との主張だが、我々としては到底受け入れられるものではない。
何故ならば、西村氏自身最高顧問の職にありながら、テロ事件を起こしている、つまり西村氏はテロ集団の集団員ということになる。
それが現職の国会議員として許さないことだとは火を見るより明らかであろう。
そして今回の非弁活動の件でもまた然りだ。
更に言えば、先日の西村氏の『小泉純一郎は狙撃されてもいい男』などはまさにテロ行為を容認するような事であり、刀剣友の会によるテロ行為ともつながってくるとも推測できなくもない。
国会議員たるもの、暴力やテロにより物事を解決すべきではない。
(以上、引用終了)
まず、「建国義勇軍」あるいは「国賊征伐隊」と称してテロ事件を起こした刀剣愛好団体のメンバーらが、思想の上において西村議員の影響を多分に受けていたことは想像に難くない。しかし、『刀剣友の会』とは刀剣の愛好者が集う団体であり、テロ行為を目的として結成されているわけではない以上、西村議員を「テロ集団の集団員」と規定することは無理がある。
西村議員が、暴力行使によって社会的要求の達成を目的とした政党または団体の「最高顧問」として名を連ねていたというのであれば話は別だが。
飽くまでも刀剣愛好団体のメンバーが中心となってテロ集団を結成し、実行したに過ぎないのだ。
拉致事件の風化さえ危惧された状況下、日本国の主権を侵害した北朝鮮の蛮行、そして直接的または間接的に北朝鮮に与する一部政治家に対して、国民の間から非合法手段を用いてでもそれらを糺そうとする動きが出てきたとしても何ら不思議ではなかっただろう。
我々は世界貿易センタービルが標的となった9・11同時テロのような米国を標的としたテロ行為には反対の立場を表明している。それは一般市民をも巻き込んだ無差別テロであるからというだけでなく、米国が日本の同盟国だからである。
勿論、かつて世間を震撼させた赤軍やオウム教団によるテロにも反対だ。彼らの革命の名を借りたテロ行為は特定のイデオロギーや自らが属する集団の価値観に基づいて無辜の人々を死に至らしめ、今なお後遺症によって犠牲を強いている行為は非道な暴力として断罪されるべきだろう。
翻って、建国義勇軍による一連のテロは県教組やオウム教団を歯切りに朝鮮総連にその牙を剥いた。これらを含め日本の右翼テロは「一人一殺」の言葉に示されているように標的以外の者を巻き込まず、一人を倒すことによって多くを生かす「救世主的使命」を美学としている。それがテロ行為を肯定する理由にはならないが、テロ行為を金銭目的の強盗と同列に断罪する方々に述べたい。
暗殺行為を示唆するかの如く、それ以外の一切の手段が封じられている状況は多々有り得るものだ。テロリズムとは、その実行者が己の無力さを痛感するところから燃え滾(たぎ)る情念として生じる。
日本人がこよなく親しむ忠臣蔵事件然り、天皇陛下万歳を三唱し自刃して果てた三島由紀夫の自衛隊決起の呼びかけもまたテロリズムの一形態である。
かつて「革命前夜」とも言われた時代―。
労働者を扇動し国会包囲・突入をも画策する左翼指導者の台頭に、保守・右派陣営は危機感を募らせる中、自らの生命と引き換えに社会党委員長を葬った一人の愛国少年がいた。
中共・北朝鮮なる共産主義独裁国家の脅威がより現実的なものとなった現在、そうした国々に、我が国の政治家・官僚らが与することが如何に国家にとって不利益を及ぼすかが分かろう。
国家が存立の前提に持つべき主権を守るためのテロ行為―。それが最良の手段であるとは思わない。
しかし、このパラドックスを否定していては、拉致事件を含めて法治国家での安全は語れないのである。
最後に―。
政治家、官僚―、国家を司る者らはテロの標的となることは宿命ですらあると言えよう。それは「小泉狙撃」発言に言及した西村眞吾議員とて例外ではない。西村議員が生命を賭して政治に携わっていたことを無視するかの如く、西村議員の発言を「テロ容認」としてバッシングするのは不当であると感ずるのだ。
ブログ・ランキング ←応援クリック頼みます!
