日本財界の大陸フィーバーは歴史的にみても危険な兆候
日本経団連と言えばいわずと知れた日本財界の総本山である。この最高指導者である奥田碩会長は9月末に中国の北京を訪問、胡錦濤国家主席と会談をしていた。財界トップの海外要人との会談は、その日程から訪問の目的まで、事前に明らかにされるのが普通だ。
しかし、この訪問は極秘で行なわれ、会談の目的についても伏せられている。大手新聞社は大物財界首脳の動向は常に把握しているし、公安当局も警護の対象としており、全く雲隠れすることは不可能である。
このような場合、事前にマスコミや公安関係者には知らされるのが一般的であり、今回の訪中も事前に周りの人達には伝えられていたと考えられる。正式に報道されなかったのは、報道を控えて欲しい旨の要請があり、マスメディアが一旦はその要請を受託したからだろう。
しかし、その後中国主席との会談を行なっていたことが漏れ伝わり、新聞社としては報道しないわけには行かないとの立場から、確か記憶によれば『産経新聞』が始めに取り上げたと思う。
では、何故この時期の訪中であり、共産中国の最高主導者との極秘会談であったのか?様々な憶測は流れているが、奥田会頭が黙して語らぬ以上、それは暗いヤミの中だ。しかし、その目的とは一つしか考えられない。
時として日本財界は大陸進出を資本主義の発展、そしてその逆としての不況からの脱出と時代によって使い分け、常に生命線として大陸への魅惑に取り付かれてきた。実はそのことが国家や国民をより危険な方向へと導いてきたのである。それは近代の歴史を検証すれば明らかだ。
資本主義の危機は必ずと言っていい程に、対外進出を持ってそれを乗り越えようとする動きに表れてきた。慢性化した国内不況、欧米諸国からの経済封鎖、市場と資源を求めて、1930年代の日本はその活路を“満州帝国”建国へと突き進んだ。
その結果が米国からのより強い経済封鎖と国際的孤立を招き、そして中国大陸内においては国民党と共産党の内戦に引き込まざるを得なかった。国際連盟の要請でソビエト共産主義の脅威に対抗するために派遣された、日本軍の本来の大義はかき消されてしまった。
戦後社会になってからも、昭和62年頃再び日本財界の大陸フィーバーが始まった。急速な円高不況は日本財界を大陸進出へと駆り立てた。私はこの頃この中国大陸進出への警告を発し続け運動していた。
当時私が展転社より出した『日米友好時代は終った』の中でも、第7章に�‘�本財界の「中共ブーム」は危険が一杯、�∈討嗅笋Α崔羔Ε屐璽燹廚亡躙韻呂覆い里�。��上海騒乱事件で失速した経済改革・・・・などの記事がある。
私は中共への財界の進出はやがて「産業の空洞化」を招き、それは「国家の空洞化」となると危機感を訴えたが、財界首脳は「今世紀残された最大の市場」とその動きは加速化されてきた。
そして今日、状況は深刻さを増している。日本財界は数多く進出した工場に950万人以上の中国人雇用者を抱え込んでしまった。日本の企業と家族は人質となったのである。
奥田会頭がなぜ中国に行かなければならなかったのか?それは目前に迫った小泉首相の靖国参拝を前にして、「反日暴動」の再現を恐れたのである。日本財界はいわば「反日」というキーワードによって支配されてしまった。
戦前の日本人は「中国大陸は日本の生命線」論を愚かにも信じ込まされ、それを死守しなければという切迫感の中に置かれ、国家の存亡に関わるという意味で、逆に守り通せば未来があると錯覚して無惨にも敗れた。
今回も同じようなことが起きようとしているのではないか。かっての日本人は“王道楽土”の満州というイリュージョンを与えられた。しかし現在の日本人が与えられているものは実利的なものであるだけに始末が悪い。
例えばそれは安定した経済発展、これがなければボーナスも給料もない。今日の経済が破綻するといえば、多くの日本人はパニックさえ起こすだろう。日本財界の共産中国への益々の傾斜は、国家と国民を再び危険な道へと引きずり込むかもしれない。
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