2005年10月04日

統一ドイツ誕生から15年、何を学ぶべきなのか。その��

949ec84c.jpegゲルマン民族分断の真相はなぜ隠微されてきたのか。

ドイツの総選挙は与党の社会民主党と野党のキリスト教民主・社会同盟の議席差が4しかなく、どちらも過半数の議席に達しないため混迷の度を深めている。社会民主党にしても左派勢力と組んで政権を維持することは出来ず、二つの大きな政党の「大連立」に進むことになろう。

統一ドイツが誕生したのは今から15年前の1990年の10月3日であった。1989年11月9日に、28年間にわたってドイツを分断の象徴・東西冷戦の最前線として屹立してきた「ベルリンの壁」は、ドイツ民族の統一に懸ける意志の前に呆気なくも崩壊した。

それから僅か1年足らずで“国家の統一”という偉業を達成しようとは、例えそれを許す国際環境の情勢があったとはいえ、誇り高きゲルマン民族のその偉大さに、当時私は敬意の念を表したことを覚えている。

統一ドイツへの脚本兼演出、さらには主役までも務めたのはヘルムート・コールしであった。彼は類まれな現実感覚と米ソを向うに回した周到な政治工作で、確かな勝算を胸に秘めて行動したことは想像に難くない。コール氏はその大柄な体躯と相まって、ビスマルクの再来とまで賞賛され、専らな評判だが、宣なるかな、彼の名は栄光あるゲルマン民族の歴史の中に刻みこまれた。

では、そもそも何故ドイツは分断国家としての悲劇をかみ締めなければならなかったのか。巷述べられてきた通説では、第二次世界大戦の敗戦とその後の冷戦構造に因を帰し、朝鮮半島と同様に米ソという二大強国の勢力均衡により、一民族二国家の形式を取らざるを得なかった。

しかし、では果たしてそれだけであったのか?ドイツは何故“分断”されなければならなかったのか。そこにはドイツが欧州で最強の国家であり、それを徹底的に破壊する必要があったのである。

何故、それほどまでにドイツという国家を恐れたのか。それは国土面積が37500キロメートルを有する欧州一の国家であったから、国土が分割された訳ではなかった。米ソ超大国による分割支配の真の意味は隠微されてきた。

彼ら戦勝国がドイツ民族を分断してまで、警戒と恐怖を憚ることがなかった存在とは、改めて述べるまでもなく、それは1993年1月30日に成立した「第三帝国」という歴史的事実の存在に他ならなかった。

アドルフ・ヒトラーという余りにも偉大で傑出した指導者と生成流動するNSDAPの運動そのものへの記憶であり、深層心理にインプットされた恐怖でもあった。彼らにとって「第三帝国」とは永遠に封印されなければならない存在であったのだ。

だからこそ、7840万人もの人口を擁する統一ドイツの誕生は、彼らをして「第四帝国」への予感に苛まれるに足る大事件であったのだ。国防軍の削減やオーデル・ナイセ以東の放棄などを明言させ、新生ドイツに手枷足枷を課さねばならなかった理由もそこにあった。  【この続きは明日入れます。】

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Posted by the_radical_right at 12:20│ mixiチェック │欧州極右