青年に告ぐ!強くて侮りを受けない国家を目指そう!
「小さな政府」とか「大きな政府」とか、言う前に「弱い国家」のままで良いのか!?
東シナ海の日中中間線付近での共産中国のガス田強行開発に対して、我が日本政府は外交ルートで抗議しているが、中共政府はこれを一切無視している。日本国家はなぜこうも舐められる弱い国家と成り果てたのか。
日本という国家は歴とした独立国家なのに、残念ながら国家としての体を全くなしていない。常に周辺諸国より侮りを受けてきた。このような情けない日本国家とは一体何なのか?それを考えて見ることにしたい。
冷戦構造の崩壊直後の一時期、日本が世界の中で「大国化」していくのではないかという論議が盛んに行なわれた。しかし、冷静に考えればそれは夢物語にしか過ぎなかった。「大国化」の条件が日本には欠けていたからだ。
確かに日本は経済的には大国かも知れない。しかし、政治的には「弱国」であり、軍事的には「貧国」である。国力とは総合的なものであり、経済・政治・軍事の総合力からいえば「小国」でしかない。
また戦後日本とは「国家にも価しない」という説もある。この説に従えば大国とか小国とかの論議をすること事態が間違いである。例えば、戦後思想界の巨星・故清水幾太郎先生はその著「日本よ国家たれ」の中で次のように述べている。
『敗戦後、国家の本質を見失った日本は、仕方なく、「平和国家」とか「文化国家」とか名乗った。・・・・・・・・一口で言えば「国家」でなくなった日本は「社会」になったのだと思う。」
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『「国家」でなくなった日本は「社会」になった、と前に書いた。勿論、両者が表裏の関係にあるのが正常の姿であるが、戦後の日本では国家の影が薄くなっただけ、社会の影が濃くなったというものを煎じつめれば軍事力になり、軍事力としての人間は忠誠心という人間性に徹した存在でなければならぬ。自分を超えたものの存在及び発展のために自分を献げ、それによって深い満足を得るという傾向、それは万人の内部に潜む人間性であるが、この傾向を純粋化したところに、軍事力としての人間が実現される。これに対して、社会の実質は究極において経済活動である。西欧の多くの国語では「社会」という言葉と「会社」という言葉とは同じである。経済活動に従う人間を動かすものは、これも万人共通の人間としての利己心である。国家であることを止めて、社会になった日本は忠誠心を不要にし、利己心だけを必要とした』
我々は、戦後日本は経済的集合体としての企業国家であり、国民のロイヤリティーは国から企業へと置き換えられてしまったと主張してきた。この戦後日本を真の日本国家へと甦らせることこそ急務である。
「経済大国」などというまやかしに惑わされることなく、真の新国家創造運動に邁進しよう。
Posted by the_radical_right at 17:41│
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青年に告ぐ!
日中の懸案である、東シナ海での中国ガス田の操業開始という形を迎えてしまった今、わが国に成すべきことは何なのだろうか。
帝国石油に試験掘削を行わせ、わが国でも既成事実を作ることであるが、そのときに起こる恐れのある、中国軍艦と空軍機による妨害工作である。
中国...
日中の中間線と紛争【手前ら、日本人をなめんじゃあねぇ】at 2005年09月22日 19:41
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