2005年08月14日

虚妄の上に成り立つ戦後60年の総括と「国家基本問題」

明日は第二次世界大戦で日本が敗れて無条件降伏してから60周年となる。敗戦を終戦と置き換えてきた時から、わが国の歴史は虚妄の上に時を刻んできた。
現在日本人の多くが感じている日本という国家が置かれている現状、それはまさに袋小路に追い込まれているような閉塞感ではなかろうか。
 
このような状況からいかに脱却していくのか、今日に至った原因、背景、そしてそれを打ち破る道とは?それらのことについて、二回に分けて考えて見たい。
 
�,泙聖弔詛埓錺灰鵐廛譽奪�スからの一日も早い脱却を!
 
第二次世界大戦に破れた日本は米国軍によって占領されたが、戦勝国である米国の狙いは、わが国を単なる「自由主義陣営の生産工場」になる事だけを運命付けた。
 
すなわち、日本が再び国家意識や“日本的世界観”を持つ事がないように骨組みをバラバラにして、経済的な集合体としての日本を作り出そうとした。
 
そしてそれはある程度成功した。戦前の日本では当たり前であった国家に対する国民のロイヤリティー(忠誠心)は、今日においてはまったく見られなくなったのである。
 
現在の忠誠心は国家にはなく、自分が所属している企業に置き換えられてしまった。まさしく経済的(企業)な集合体としての日本が作り出された訳である。企業に忠誠心を持てない一部の人間は宗教などの組織・団体に忠誠を誓う有り様となった。
 
その結果どうなったかと言えば、感心事は経済的なことばかりであって、国防、教育、外交などの国家の根源をなす基本的な問題は置き去りにされてしまった。
 
この60年間を振り返って見れば、日本が曲がりなりにも経済的な成功を納め経済大国となったのは、このような国家の基本的な問題を素通りして、ただひたすら経済活動にのみ専念してきたからに他ならない。
 
※長文になるので、後は続きでご覧下さい
 
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今日本が直面している東アジアにおける状況こそ、日本が国家の基本的な問題を真剣に考えてこなかったからである。北方領土返還、拉致事件、突きつけられる賠償問題、領有海域での資源強奪問題など、全ては外交、国防、教育をおざなりにしてきた当然の結果といえるだろう。

いつまでも、日本がこの国家の基本問題から避けていることは許されない。なぜなら日本は独立国家であり、その主権は日本国民にあるわけだから、我々日本人が自らの手によって、この国家の基本的問題に取り組んでいかねばならないのは当然だった。

だが残念ながら、そんなことは以前より分かっていたことだったが、自らの手では何も決定できないという重い現実が横たわってきた。
常に米国や近隣諸国の顔色を覗わなくては何も決められない、或は何もできない状況が長く続いた。

国家の基本的な問題を自らの手で決定できないという現実は、日本という国家の脆さ危うさを現してきた。米国や中国、南北朝鮮の顔色を見なければ何も決められないという姿を、我々はこれまで何度も見せ付けられて来たのだった。

経済大国になり軍事的な装備の面でも米国に次ぐ日本が、これほどにも腰抜けなのはなぜなのか。
それはサンフランシスコ条約によって、日本は占領から脱して独立したとはいえ、精神的にはその後も敗戦国としてのコンプレックスの殻を打ち破れないで来たからだろう。


この戦後の敗戦国家体制を支えて来たのは他でもない日米安保と占領憲法であった。
日米安保は日本人の自立自尊の国防意識をものの見事に解体してしまった。
占領憲法は<個人>の原理を不可侵なものとして聖域化して、これまた民族国家として本来持つべき国民の連帯意識を崩壊させた。

若い世代の日本人が、この敗戦コンプレックスから先ず脱していくには、民族の心を荒廃させている<占領体制>の発足の過程と継続の状況を打ち破らなければならない。
この60年を虚妄に上に打ち立てられたものとして、その戦後的なる精神的な呪縛からの解放を目指すのであれば、先ずその占領に起因する成立の状況から振り返って見なければなるまい。

この続きは明日になります。


Posted by the_radical_right at 05:53│ mixiチェック │教育・日本人精神