母の日
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今日11日は母の日です。昨日スーパーに買い物に行ったら母の日に関する商品が山積みされていた。多くの家族連れがその前で商品を見ていました。家族で母の日を祝えることって最高の幸せです。
現在の私にはもうそれが出来ない。母は2月27日に緊急入院しましたが、現在も入院中です。軽い脳梗塞で話が出来なくなり、同時に飲んだり食べたりすることも出来なくなりました。
当初は肺炎を起こして危篤状態にもありましたが、それを87歳という高齢なのに自力で直しました。この自力という意味は一切の抗生物質を使わなかったという意味です。母は今年で人工透析12年目で一日おきに4時間やっていました。
お医者さんはこれ以上体を壊すことは出来ないので、抗生物質は使えないと言いました。肺炎を治す特効薬とも言える抗生物質なしに回復するとはとても考えられなかった。
肺炎が治っても飲んだり食べたりすることが出来ないので、入院以来一滴の水も一粒のコメも与えられていません。日に日に痩せて衰弱して行く母の姿を見るのは忍びなく、毎日顔を出していた病院にも5日おきくらいになってしまいました。
いつも寝ており呼んでも目を開けない時もあり、こちら側の呼びかけにも反応を余り示さなくなった。モノを食べないと認知症も進むと言われるので、果たして私を息子と分かっているのかも不安な状態です。
昨日顔を出したら珍しく目を開けていました。「母ちゃん」と何度か呼びましたが、一応こちらを見ても顔の表情に変化はなかった。毎日顔を出してくれている妹の話では「もう、何も分からないかも知れない」と言っています。
体重が25キロをきりました。一日おきに4時間やらなければいけない透析も3時間が限度と言われた。健康な体で家に戻ることは出来ないとお医者さんに言われたので、レンタルしていた介護用のベットやトイレなどは妹と話し合い返却した。
お医者さんが言うには「75歳という高齢で透析を始めた患者の中では、一番長く生きている人です」と言われた。本人の節制と家族の協力がなければ12年間も生きることは難しく、お医者さんの患者では勿論初めてのケースだそうです。
昨日は目を見開いて天井を見ていました。今年なくなった恩師の奥様が言っていましたが、夜に両目を明けていたので何事かと思い語りかけたそうです。
「もう、真夜中よ、何を見ているの?何か見えるの?」
「ああっ〜色々たくさん見えるよ・・・・」
これが最後の会話になったそうです。
昨日の母も何かたくさん見ていたのかも知れない。いつも目を閉じているので看護士に聞いたら、やはり真夜中に目を開いて天井を見ている時があると教えられた。
人間、最後に何を見るのだろう? 母を見送れば順番はやってくる。でも、今はそんな事よりも母を見守っていくことが私の務めでもある。
母が私を産んだ頃に植えたりんごの木がもう大木に育っている。そのりんごの手入れをしながら生きている。否、生きていると言うよりは生かされている。
そんなことをふと考える歳になったしまった。本日は昼には埼玉に向かい、パチンコ廃止のデモに参加します。皆さんお久しぶりにお会いしましょう。
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