2012年08月08日

<政局>公明党が自民党を脅す



 <政局>公明党が自民党を脅し始めた。

 「党が持たない、選挙協力が出来なくなる。」

 
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 中小野党が揃って内閣不信任案を提出した。一番慌てているのは自民党の谷垣総裁と執行部だ。民主党と一緒になってこれを否決して野田内閣を信任することは避けたい。そこで独自に首相への問責決議案の提出を考えた。

 公明党はこれに反発している。自民党とは一緒には問責決議案や内閣不信任案を出せないと、この土壇場で言い出した。「党が持たない、選挙協力が出来ない」と自民党に圧力をかけている。

 選挙協力云々と言っている以上、これは恫喝だろう。自民党は決断を迫られている。ここはもう公明党を切って、対決姿勢を強めるしか自民党には手は残されてはいないでしょう。

 民主党や公明党はそんなに消費税の増税をやりたいなら、衆院を解散して民意を問うのが民主主義政治の王道でしょう。公明党の山口代表は昨日も3党合意を守れと自民党に迫っているが、自民党はそんなものは蹴飛ばせば良いのです。

 公明党は3党合意が破棄されれば増税法案が成立しなくなると心配しているが、国民生活に重大な影響を与える大事な増税法案を、国民に選挙で問わないで決めようとしていることのほうが信じられない。

 自民党の大勢は「野田首相が解散を公言しなければ増税法案の廃案はやむなし」に傾き始めています。今は増税法案に前向きなのは民主党政府と公明党だけである。

 増税法案は今回は諦めて国民に信を問うべきが筋であり、ここは公明党などに義理立てしないで、3党合意など破棄して堂々と解散・総選挙に追い込むべきでしょう。

 自民党は公明党と手を切る最大のチャンスだと思います。政権奪還を目指すならカルト宗教団体の創価学会の組織などに頼るべきではない。

 なぜ、公明党はこの増税法案に賛成してきたのか? その経緯をここで振り返ってみます。支持者に貧困層が多いとされる公明党は当初は反対する空気が強かった。

 しかし、これに協力することで話し合い解散にもって行こうとした。民主党は今、選挙をやれば敗北するので選挙はなるべく後回しにしたい。出来れば来年に持ち越し、参院選挙とのダブル、いや首都・東京の都議選とのトリプル選挙まで長引かせたい。

 そうなると一番困るのは創価公明党である。東京都議選を勝利に導くにはその前に選挙に踏み切り、自民党や民主党と連合して与党に返り咲きたかった。そのほうが都議選には何かと有利である。

 このような思惑もあって3党合意で突っ走ってきたのが、今の公明党の山口執行部である。ここで3党合意が破棄され、自民党が単独でも問責決議案を提出し、それに中小政党が賛同するなら、公明党のこれまでの戦略は破綻する。

 選挙を何とか池田大作が存命の内にやりたいという思惑もあったでしょう。この党は常に国民の為ではなく、支持母体の創価学会の組織を優先する政党なのです。

 自民党は本日午前中までに野田総理が解散を約束しなければ、内閣不信任案を提出する構えであり、先に提出した中小野党とも足並みがそろう。こうなると置いてきぼりをくらうのは創価公明党だけであり、山口代表がどのような巻き返しに出るのかが注目される。

 3党合意を破棄し創価公明党を切るくらいの覚悟を示さないと、もう自民党の谷垣総裁も終わってしまうという、まさに土壇場まで来ました。自民党は今こそ創価公明党と手を切って独自の選挙戦を戦えばいいのです。

 そのほうが余程、国民の支持は回復するでしょう。日本の政界から公明党をたたき出せ!に賛同する方は応援クリックお願いします。また、『政教分離を求める会』への入会もよろしくお願いします。


 
来るべき衆院解散総選挙に向け、創価公明党との対決を本格化させます。

 
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2012年08月07日

ネット発・反原発運動の脅威 (4)


 ネット発・反原発運動の脅威 (4)

 危険性を悪戯に煽り被災者を不安に陥れる。

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昨日は67年目の「広島原爆の日」だった。平和式典が執り行なわれ野田首相も出席した。野田首相が今回、原子力発電所の事故や今後の展望について何ら指針を明らかにしなかったとマスメディアは批判した。

 本来、何を語れば良かったのか? それを今日は考察してみたい。

 福島原発の事故直後、避難した子供達に対して、「放射能がうつるから近づくな!」と虐めにあったとの報道を目にした。この「放射能がうつるから・・・」という間違った理解を作り出してきたのが、67年という長い歳月に及ぶ、日本の反核運動の正体ではなかったのか?

 ただ、放射能の危険性だけを声高に叫び、実際に放射能を浴び続けてきた実情を真摯に受け止めてこなかった。その結果が今回の無用な混乱に結びついてしまっています。

 広島・長崎の訴えとは何であったのか? 被爆者の健康管理はどのように行なわれ、そのデータから、どのような事が示されたのか?

 福島原発事故からはまだ1年5ヵ月しか経っていないが、原爆投下からは67年が経過した。被爆者がどのような健康被害に遭われたのか、そのことを立証するには十分すぎる時間があった。

「健康都市」ヒロシマ

 広島市では、原子爆弾によって約35万人の住民のうち14万人もの人々が亡くなりました。現在は、人口約120万人の西日本有数の大都市へと復興をとげています。そして、あまり知られていませんが、日本トップレベルの「健康都市」でもあります。
 広島市の女性の平均寿命は、政令指定都市の中でトップです。さらに、出生率の高さで第2位、死産率の低さでも第1位です。なお、放射線が被爆者の子孫に与える遺伝的な影響は、これまでのところ確認されていません。
http://mainichi.jp/feature/news/20111127ddm013070047000c.html

 確かにこの事実は放射能を他より多く浴びた事が理由ではない。しかし、他と比較しても放射能が各段に悪い影響を与えたとも認められてはいない証左でもある。

 原爆投下時に広島市内にいた人々、或いは1945年(昭和20年)8月20日までに、市内の一定区域に入った人は被爆者と認定されて被爆手帳を交付された。

 昨年その被爆手帳を持つ人とお会いしたが、月々3万円を国からもらっているそうだ。このような人達に対する健康被害調査の結果が詳しく報告されたという話も聞かない。

 なぜ、公表しなかったのかと聞いたら、差別問題や結婚・就職問題があると言うことでした。先入観として放射能は人体にとって危険で、放射能を浴びた人は長生きできずに癌で死亡するなどというデマに怯えてきたという事でしょう。

 差別や偏見、間違った情報と認識

 これが全てだと思います。被爆手帳を持つ人がどのくらい存在し、その人達がどのような病名でなくなったのか? その平均寿命はどのくらいなのか? そのことを本当に調査してきたのか?

 そのことが明らかになっていれば、少なくとも今回の福島に関して言えば役に立ったことは間違いありません。

 
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 何故にこの事実は大きく取り上げて来なかったのか? 私の子供の頃は現在の60倍もの放射性物質が降り注ぎ、尿にもセシウムやストロンチウムが含まれていた。

 これだってもう半世紀からのデータはあるはずだ。一体どれほどの健康被害を我々日本人にもたらしたのか? 当時その危険性は何故問題にされなかったのか?

 今がこれだけの大騒ぎなのですから、もし今の60倍なら当時はもっと大騒ぎになるはずでした。しかし、子供の頃にそのような記憶は全くない。

 水田や畑の汚染度も今とは比較にならなかった。

http://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010724549.pdf#search=

 このような水田で栽培されたコメを当時は平気で食べていたと思います。

 現在、福島市の子供達の尿からはセシウムは検出されていない。また、今日の報道ですが、「福島の赤ちゃん電話健康相談窓口」に寄せられた7月の件数は222件で、全てを検査した結果、母乳から放射性セシウムは未検出でした。

 思えばこの67年間の擬似平和運動が「福島県への風評被害」を生み出した最大の要因だと思います。放射能への正しい理解さえ持っていれば、これほどの混乱はなかった。

 原爆投下後の「残留放射能」が人体にどのような影響を与えたのか?

 60年代に頻繁に行なわれた中国共産党の核実験を、平和の核とうそぶいてきた左翼によって、今回の反原発運動が組織化されている。

 彼らの狙いが何であるのかを我々は見抜かなければならないと思います。

 
 

delicateからの農産物の販売の御知らせ


 グリーンマローが収穫期を迎えました。

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2012年08月06日

原爆投下はユダヤ人によってなされた。


 反米右翼への疑問と批判 (3)

 原爆投下はユダヤ人によってなされた。

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 反米右翼はこの季節になると必ず私をこのように批判した。

 「米国は広島・長崎に原爆を投下して日本人を虐殺した、それでもお前らは親米なのか?」

 私の答えはいつも一貫していた。

 「米国は一握りのユダヤ人によって支配された国であり、そのユダヤ人に対する批判活動を行なってきた数少ない活動家である。そして、そのユダヤ人こそ日本へ原爆投下を行なった張本人に他ならない」

 皆さんも<マンハッタン計画>という米国において秘密裏に行なわれた原爆の研究開発とその作戦については耳にしたことがあると思います。

 その<マンハッタン計画>には多くのユダヤ人が参加した。もう殆どがユダヤ人であったと言っても過言ではありません。

 本日はそれを「ヘブライ館」というサイトの中にある。<原爆・ホロコーストの実態>から転載してご紹介することに致します。中の写真はリンク先に飛んで確認して下さい。

 

■■第1章:「マンハッタン計画」とユダヤ人科学者


●戦後のアメリカの「軍」と「産業」の癒着構造(軍産官学複合体)を生み出す大きなきっかけとなったのは、「マンハッタン計画」である。

「マンハッタン計画」とは、第二次世界大戦中にアメリカが極秘にスタートさせた原爆開発計画のことである。5万人にのぼる科学者・技術者を使い、総計20億ドル(7300億円)の資金が投入された。(ちなみに、1940年の日本の一般会計は60億円、1945年で220億円)。ニューメキシコ州の山奥に新設された秘密軍事研究所「ロスアラモス研究所」で、科学者たちは「原子爆弾」を完成させるべく日夜研究に没頭したのである。

この軍・産・官・学の連携によって進められた「マンハッタン計画」は、多くのユダヤ人科学者が参加したことで知られている。具体的にみてみよう。

 

 

●まず最初は、「コンピュータの父」として知られるフォン・ノイマンである。

彼はハンガリーの裕福なユダヤ人銀行家の家に生まれ、1930年に渡米。天才的頭脳の持ち主であり、現在のほとんどのコンピュータの動作原理であるストアードプログラム方式を考案した。アラン・チューリング、クロード・シャノンらとともに、現在のコンピュータの基礎を築いた功績者で、現在使用されているコンピュータは「ノイマン型コンピュータ」と呼ばれる。また、彼はゲーム理論におけるミニ・マックス法の発明者としてや、自己増殖オートマトンの考案、量子力学についての研究でも知られている。

大戦中は「マンハッタン計画」の軍事顧問として参加。

爆縮レンズ開発に従事し、爆薬を32面体に配置することにより核爆弾が製造できることを10ヶ月に渡る計算により導いた。また、地面ではなく空中で爆発させたほうが原爆の破壊力が増すことも計算により導いた。

その圧倒的な計算力と、極めて広い活躍領域から、「悪魔の頭脳」と評された。

 


コンピュータの父、フォン・ノイマン

大戦中は「マンハッタン計画」の軍事顧問
として参加し、原爆の開発に貢献した

 

●次は、レオ・シラードである。彼もハンガリー生まれで、アメリカに亡命したユダヤ人科学者である。

彼は原爆のアイデアを思いつき、同じユダヤ人でドイツからアメリカに亡命したアインシュタインの知名度を利用して、ルーズベルト大統領宛に原爆開発を促す手紙=「アインシュタイン書簡」(1939年8月)を送ったことで有名である。この手紙がきっかけとなって、アメリカの原爆開発はスタートしたのだ。

ちなみに、シラードがアインシュタインに自分のアイデア(核連鎖反応)を話したところ、アインシュタインは「考えもしなかった」と驚いたという。アインシュタインは、シラードが手紙を持ってきてから2週間悩んだすえに、署名したのだった。

※ アインシュタインは手紙に署名しただけで、「マンハッタン計画」には参加していない。彼は、手紙に署名したことを生涯の最大の過ちとして、その後の人生を平和のために捧げた。

 

 
ユダヤ人科学者アインシュタインとレオ・シラード

シラードはアインシュタインを説得して、ルーズベルト大統領宛に
原爆開発を促す「手紙」(右)を送った (1939年8月)

 

●同じくハンガリー生まれで、アメリカに亡命したユダヤ人科学者にエドワード・テラーがいる。彼はハンガリーからドイツに移り住んでいたが、ヒトラーの迫害を恐れたためイギリスを経てアメリカに亡命して「マンハッタン計画」に参加した。

(エドワード・テラーは1939年、アインシュタインの別荘をシラードとともに訪れていた)。

そして、彼は誰よりも早く、核分裂だけの核爆弾から核融合を用いた「超強力爆弾」(水素爆弾)へと核兵器を発展させるべきだと主張し、戦後、積極的に「水爆計画」に携わった。そして、1952年にソ連より半年早く水爆実験に成功し、「水爆の父」と呼ばれた。その後、「ロスアラモス研究所」に代わる第2の核兵器研究所「ローレンス・リバモア国立研究所」の所長に就任。


中略


●さて、話を「マンハッタン計画」に戻そう。

同じくハンガリー生まれで、アメリカに亡命して「マンハッタン計画」に参加したユダヤ人科学者に、ユージン・ウィグナーがいる。彼は「原子核反応理論」で1963年にノーベル物理学賞を受賞した。

 


ユージン・ウィグナー

1963年にノーベル物理学賞を受賞

 

●今まで紹介したユダヤ人科学者、フォン・ノイマン、レオ・シラード、エドワード・テラー、ユージン・ウィグナー……。

こうして並べてみると、ハンガリー生まれのユダヤ人科学者が「マンハッタン計画」で大きな力になっていたことが分かる。特にシラード、テラー、ウィグナーの3人は、原爆開発の発端となった「アインシュタインの手紙」の作成に直接関わった「ハンガリー3人衆」である。

もちろん、ハンガリー系以外にも、「マンハッタン計画」に携わったユダヤ人科学者は大勢いる。有名なところでは、「ロスアラモス研究所」の所長に就任して「マンハッタン計画」を主導したロバート・オッペンハイマーである。(彼はニューヨーク生まれのユダヤ人である)。


●ロバート・オッペンハイマーといえば、「原爆投下は日本に警告なしに行なわれるべきだ」と反日的な強硬論を主張した人物である。彼は、最初から最後まで投下目標について日本だけを論じており、ドイツを投下目標として論じたことはなかった。

彼は戦時中、日本への原爆使用に反対した科学者たちを巧みにのけ者にしていった。そして、1945年7月に、ロスアラモスで最初の原爆実験に成功した際、狂喜して、「いま私は死神になった。世界の破壊者だ!」と叫んだ。

 


ロバート・オッペンハイマー


「ロスアラモス研究所」の所長を
務め、「マンハッタン計画」を主導した。

「原爆投下は日本に警告なしに行なわれるべきだ」
と主張し、原爆の対日投下に反対した科学者たちを
巧みにのけ者にしていった。戦後は水爆に
反対し、エドワード・テラーと対立。

 

●しかし、オッペンハイマーは、戦後は核開発、特に水爆に反対するようになり、水爆の開発をめぐって、推進派のエドワード・テラーと激しく対立したことで知られている。

彼は、1945年10月に、ロスアラモス研究所の所長を辞任する際、「人類がロスアラモスと広島の名を呪う時が来るだろう」という言葉を残している。

 


ニューメキシコ州アラモゴードの核実験場

1945年7月16日、人類史上初めての
「核爆発実験」が行なわれた

 

●オッペンハイマーと同じく、ニューヨーク生まれのユダヤ人科学者、リチャード・ファインマンも、大戦中、「マンハッタン計画」に携わり、重要な役割を果たした。彼は量子電磁力学におけるくりこみ理論で、1965年にノーベル物理学賞を受賞した。

ドイツからアメリカに亡命したユダヤ人科学者、ハンス・ベーテも、「マンハッタン計画」に携わった。彼は、ファインマンの良き指導者となり、ロスアラモス研究所の理論物理学部門の責任者(初代理論部長)を務め、疲れを見せない研究への没頭ぶりから「戦艦」と称された。戦後は、歴代アメリカ大統領の核兵器問題担当上級顧問を務め、核融合の研究で、1967年にノーベル物理学賞を受賞した。

ファインマンとベーテの2人はチームを組んで、爆発を起こすのに必要な核分裂しやすい材料の量など、鍵となる数学方程式を考え出した。ファインマンの才能の1つは、数式を頭の中で早く解くことができるということであった。ファインマンとベーテは、三次方程式が早く解ける短絡解法を編み出したことでも知られている。

 

 
(左)リチャード・ファインマン。1965年にノーベル物理学賞を受賞。
(右)ハンス・ベーテ。1967年にノーベル物理学賞を受賞。

2人はチームを組んで、爆発を起こすのに必要な
核分裂しやすい材料の量など、鍵となる
数学方程式を考え出した

 

●ノーベル化学賞受賞のハロルド・ユーリーも、「マンハッタン計画」に携わったユダヤ人科学者である。

彼は1934年に「重水素」発見の功績によりノーベル化学賞を受賞し、第二次世界大戦ではその功績を買われて「マンハッタン計画」に参加。ウランからウラン235のみを得るための「気体拡散法」を開発し、原子爆弾の実現に大きな貢献をした。

 


ハロルド・ユーリー

戦後は、核科学研究所や
カリフォルニア大学の教授を歴任した。
1934年にノーベル化学賞を受賞。

 

●1925年にノーベル物理学賞を受賞したジェームズ・フランクも、「マンハッタン計画」に携わったユダヤ人科学者である。

ドイツからアメリカに亡命した彼は、オッペンハイマーと違って、実戦使用される前から原爆の対日投下に反対していた。彼は大戦末期の1945年6月11日に、対日戦での原爆の不使用を強く勧告する「フランク・レポート」を政府に提出したことで知られている。

 


ジェームズ・フランク

1945年6月11日、対日戦での原爆の
不使用を強く勧告する「フランク・レポート」を
アメリカ政府に提出したことで知られている。

彼はこのレポートの中で、原爆の威力を各国の
前でデモンストレーション(砂漠か無人島にて)で示す
ことにより戦争終結の目的が果たせると提案していたが、
この提案は政府に拒絶された。また彼はこのレポートで
「核兵器の国際管理」の必要性をも訴えていた。

1925年にノーベル物理学賞を受賞。

 

●先に紹介した、最初に原爆製造を進言したユダヤ人科学者レオ・シラードも、ナチス・ドイツの敗北が決定的になると、原爆の実戦使用(対日投下)に反対するようになった。

シラードにとって「原子爆弾」とは、ナチスの脅威に対抗するためのものであって、日本に使用するためのものではなかったのだ。

1945年3月、シラードは、アインシュタインと会い、再び大統領への手紙にサインするよう求めた。原爆の対日投下を阻止しようと、シラードは、大統領に働きかけるつもりだった。原爆開発を進めるにも、原爆投下を止めるにも、アインシュタインの名声が必要だったのである。アインシュタインは、再びシラードの意見に同調しサインした。

しかし、効果はなかった。

シラードは対日戦争での原爆使用に対して最後まで「反対請願」を展開したが、時すでに遅しだったのである。(戦後、シラードは、分子生物学へ転向した)。

 


レオ・シラード


 彼は最初に原爆製造を進言した男だが、
ナチスの脅威が去ると、対日戦争での
原爆使用に対して、最後まで
「反対請願」を展開した

 

●「近代量子論の父」で同じくノーベル物理学賞受賞のニールス・ボーアも、「マンハッタン計画」に携わったユダヤ人科学者である。(彼は、アインシュタインにつぐ、20世紀で最も影響の大きかった物理学者で、「近代量子論の父」と世界的に認められている)。

ボーアは大戦中、アメリカに渡り「マンハッタン計画」に参加した。しかし、彼は原爆が日本に投下される前に、その巨大な破壊力がいかに恐ろしい惨禍をもたらすかを誰よりも早く悟っていた。

戦争が連合国側の勝利に終わると、ボーアは祖国デンマークに戻り、その後の人生を、「超大国が責任を自覚し、核エネルギーを適正に管理し、平和利用に専心するように促すこと」に捧げた。

しかしその努力は、実を結ぶことはなかったのである。

 


近代量子論の父、ニールス・ボーア

1922年にノーベル物理学賞を受賞。

核エネルギーの「軍用化」には
反対の立場をとっていた。

 

 続く→こちら
  
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原爆投下はユダヤ人によって強行された。


 (続き)
 
 原爆投下はユダヤ人によってなされた。
 


●結局、原爆開発に関わる科学者たちを駆り立てた「戦争早期終結論」は、広島に続く「長崎」への原爆使用によって、「ドイツ原爆対抗論」と同様に虚構の理論であったことが明らかにされた。


●最新の調査によると、アメリカ政府は1943年5月という早い時点で「対日投下」を決定し、原爆使用を来たるべき戦後の原子力開発競争において、アメリカがとりわけソ連に対していかに優位を確保していくかを中心に議論していたことが判明している。

大戦中、アメリカとソ連は同じ陣営に属してはいたが、戦後の世界再建に向けてにらみ合っていた。ともに増大する軍事的脅威に危機感を感じ取っていた。ソ連はヨーロッパ戦線でベルリンを陥落し、東ヨーロッパの大部分を手中に収めるにまで至っており、アメリカと対等の席につくはずであった。ところが、原子爆弾という切り札によってソ連の優位は崩れ、アメリカに交渉のイニシアティブを握られてしまったのである。

原子爆弾は「対ソ外交」を有利に運ぶ上で、効果的な材料だったのである。

 

 
(左)ヨシフ・スターリン (右)激戦の末、ベルリンの帝国議会の
ドームに翻ったソ連国旗(1945年4月末)

 

●ちなみに、「マンハッタン計画」に携わったユダヤ人科学者の中で、もっとも反日強硬派だったのはフォン・ノイマンだろう。彼は日本人を蔑視し、京都を原爆の最初の血祭りにあげるべきだと主張。京都が日本国民にとって深い文化的意義をもっていたというまさにその理由によって、京都の破壊を求めていたのである。

しかし、ヘンリー・スチムソン陸軍長官の反対によって、京都は原爆のターゲットから外された。彼は、京都の代わりに長崎の追加を指示したのである(1945年7月22日)。


●一般に、この時にスチムソンが京都を原爆のターゲットから外した理由として、「スチムソンは京都が歴史のある都市であることを理解していたから」という “美談”で語られる場合があるが、だまされてはいけない。この“美談”は、戦後、GHQがお涙頂戴好きの日本人を洗脳する為に、意図的に流したニセ情報である。

アメリカ軍部の一部は京都を原爆投下目標とすることを諦めず、空襲を実施しなかった。原爆投下後に原爆の影響を正確に把握するため、空襲が禁止されていたのである。京都が最後まで空襲されなかったのは、原爆投下の前に日本が降伏したからにすぎない。

スチムソン以外にも、「京都を戦果から救った恩人」と言われるアメリカ人が何人かいるが、すべて何の根拠もない流言に過ぎないのだ。詳しくは吉田守男著『京都に原爆を投下せよ ― ウォーナー伝説の真実』(角川書店)を読んで欲しい。当時のアメリカ政府は、日本の文化遺産を根こそぎ破壊することに、なんのためらいもなかったのである。

 


『京都に原爆を投下せよ』
吉田守男著(角川書店)

京都・奈良・鎌倉など、貴重な文化財の残る古都が
アメリカ軍の空襲を免れたのは、その価値を認めてくれたからだ、
という「定説」は、まったくデタラメだった。それどころか、
京都は第3の原爆投下目標のひとつだったのである。
その証拠を丹念に洗い出し、この俗説が
流布・信奉された理由を暴いている。

 

●ところで、「マンハッタン計画」をスタートさせたフランクリン・ルーズベルト大統領は、日本人を“劣等人種”として激しく差別していたことで知られている。一般のアメリカ人の間にも、日本人に対する人種差別意識が蔓延していた。

当時のアメリカの雑誌にはこう書かれていた。

「アメリカ人はドイツ人を憎むことを学ばなければならないが、日本人に対しては憎しみが自然と湧いてくる。これはかつてインディアンたちと戦ったときと同様に自然なものだ。」

「普通の日本人は知性が低く、無知である。たぶん人間なのだろうが、人間であることを示すような点はどこにもない。」

 

 
(左)「マンハッタン計画」をスタートさせた、
第32代大統領フランクリン・ルーズベルト。
強烈な親中反日主義者であった。

(右)『人種偏見 ─ 太平洋戦争に見る日米
摩擦の底流』ジョン・ダワー著(TBSブリタニカ)。

あまり語られることのない「人種戦争」の真相。
太平洋戦争における日米両国の憎悪の
構造を分析し、「人種主義」再生の
危険性に警鐘を鳴らす問題作。

 

●当時、トマス・ブレーミー将軍も、こう演説していた。

「諸君らが闘っているのは奇妙な人種である。人間と猿の中間にあると言っていい。文明存続のために我々は最後まで戦いぬかねばならない。日本人を根絶しなければならない!」


 ●さて、最終的に、2個の原爆が日本に「無警告」で投下されたことに満足したフォン・ノイマンは、戦後のビキニ環礁の核実験に立ち会ってガンになり53歳の短い人生を終えた。

また、全人口に対してユダヤ人口が5〜6%にしか過ぎなかった当時のアメリカで、広島に原爆を投下したB29「エノラ・ゲイ号」の搭乗員として特別に選ばれた15名のうち、ユダヤ人が7名も占めていた。機長のポール・ティベッツもユダヤ人である。広島に原爆を落としたとき、彼はまだ30歳だった。

ポール・ティベッツ機長をはじめ搭乗員の多くは、戦後もずっと「全く後悔していない。夜眠れなくなったことも一度もない。あの時、我々は人類にとって最善のことをしたんだ」と述べ、原爆投下の正当性を強調した。

このことからも、ユダヤ人の中には原爆の対日投下に反対する一方で(レオ・シラードなど)、日本に対して敵対的な感情を持つユダヤ人がいたことが伺える。

 

 
(左)ユダヤ人ポール・ティベッツ機長 (右)B29「エノラ・ゲイ号」の搭乗員たち

彼らは戦後もずっと「投下は間違っていなかった」と述べ、
原爆投下の正当性を強調した



広島に原爆を投下したB29「エノラ・ゲイ号」


 
(左)広島に投下されたウラン型原爆 「リトル・ボーイ」
(右)長崎に投下されたプルトニウム型原爆 「ファット・マン」

 

●ところで、アメリカのユダヤ人には、猛烈な反日ユダヤ人もいれば、日本の文化を愛する親日ユダヤ人もいる。

現在も、日本に何の興味も持たないユダヤ人もいれば、「日ユ同祖論」を信奉する強烈な親日家もいる。また、アジアの中では日本よりも中国(華僑勢力)との友好を求めるユダヤ人もいるし、アジア勢力全体を嫌悪するユダヤ人もいる。

アメリカのユダヤ人は、親日家と反日家含め、実にさまざまな人間がいるといえよう……。


以上、見てきたように、原爆の誕生にはユダヤ人が大きく関わっている。これは否定できない事実である。

もちろん、対日使用に賛成の者もいれば、反対の者もいた。様々なユダヤ人が様々な「思惑」を抱いて関与していたのである。(念のために繰り返しておくが、当館は、「原爆の責任は全てユダヤ人にある」と主張するつもりはない)。

これら原爆に関わったユダヤ人たちに対する評価は、人によって大きく分かれると思うが、いずれにせよ、広島と長崎の悲劇は、アメリカ政府が犯した「戦争犯罪」だったことは確かである。(この件に関しては、次章で詳しく触れたい)。


 以上


 私の政治思想経歴をここで今更述べることもないとは思いますが、誰よりも反ユダヤ主義を掲げて戦ってきた人間です。


昭和62年2月20日
反米・反フリーメソンの街頭行動を実施

2010052805520000 
 我々は日本で初と思われるフリーメイソン日本支部が設けられている麻布のビル前に結集した。

 私はまだ34歳という若さでした。昨日の夜この時代の機関紙を手にとって眺めていると、若い時の活動が思い起こされて胸が高鳴りました。

 今とはまったく違った活動であったかも知れないが、その心の中には燃えたぎる“愛国心”があった。

 この日本を守らねばならないという確固たる信念は今でも揺らぎはない。


 現在の日本は政治の混乱、経済の低迷、道義の喪失、そして周辺諸国からの侵略の危機が顕著に現れている。そして国民の心の中には、言いしれぬ不安と焦燥、深刻なまでの空虚が支配するまでになっている。

 今日の状況とは徳川300年の暗い停滞を打ち破った幕末時代よりも危機的状況に満ちてはいないか。有史以来、最大の未曾有の危機と言っても過言ではない。


 過去記事より


 私のウィキペディアにも次のように紹介されています

ナチズムと国家社会主義 [編集]

1980年代末からの一時期「ネオナチ」を自称し、現在でもヒトラー・ナチズムへの親近感を隠さない。ホロコースト否定論[59]やユダヤ陰謀論[60]を好意的に紹介することもある。国家社会主義者を自称し、世界恐慌(1929〜)に対するナチス政権の軍拡・大規模公共事業による失業者対策[61]、世界金融危機におけるオバマ米大統領の金融規制改革をともに高く評価した[62]。小泉内閣の主導した新自由主義路線が格差を拡大したことに批判的で、貧困層の救済[63]・企業の不正追及を標榜している[64]。農家に生まれ農業高校を卒業した経歴もあり、ともに二・二六事件の思想的背景となるなど日本の近代史において国家社会主義と交差した農本主義にも親近感を示している[65]。



 反米右翼は反ユダヤ」主義の立場を明確にしていない。反米とは言っても反ユダヤで我々と共闘したこともない。何故か反ユダヤ主義を避けてきた。ヒトラーを評価するとユダヤ人虐殺のホロコーストを擁護しなければならないので、逃げてきたと思います。


 私は反米を掲げてはいないが、反ユダヤを掲げてきました。日本人虐殺を狙った広島・長崎への原爆投下はユダヤ人の手による許されない日本人への戦争犯罪なのです。


 

delicateからの農産物の販売の御知らせ


 グリーンマローが収穫期を迎えました。

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 生のままスライスしてサラダにしたり軽く炒めたり、一晩塩でもんで漬け物にしても美味しいです。

 どのような野菜かについてはこちらをご覧下さい。

 1箱 4個入り 900円の販売になります。

 送料 関東地区 400円 東北・信越地区 350円 東海地区・関西地区 600円

 中国・四国地区 670円 九州地区 820円 北海道地区 730円 
3箱まで同じ価格です。

 fukushimaseto@gmail.com

 尚、リンゴジュースは残り240本 ジャムは40個となっております

 

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2012年08月05日

反米右翼への疑問と批判 (2)


 反米右翼への疑問と批判 (2)

 共産主義者との戦いは先の大戦の<大義>である。

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 前回「日本の心を学ぶ会」の勉強会の演題は<大東亜戦争と日米関係>でした。私は先ずこの演題そのものに苦言を呈した。こんな事は珍しいのですが、先の大戦を日米間の戦争だけと見るのは明らかに間違いです。

 私は正確には第二次世界大戦と称すべきだと考えています。そうしないと本当の意味での先の大戦の大義が見えてこない。

 (1)アジアの解放

 (2)自存自衛の戦い

 大東亜戦争とするとこの二つの大義が挙げられます。当時東南アジアの国々の殆どがアメリカ、イギリス、フランス、オランダなどの植民地となっており、日本はそれらの国を植民地から解放するために戦った。

 日本はABCD包囲網ラインなどによって原油の輸入を事実上止められ、生存することが出来なくなった。よって戦争はやむ得ないものだった。

 この二つから先の戦争は侵略戦争ではないと主張して来ました。

 しかし、大東亜戦争という視点から見るとこの二つの大義は正しいが、実はもう一つの大義が見えてきません。

 第二次世界大戦という視点から見るとそれが良く見えてきます。先の大戦を日本は単独で戦ったわけではありません。ドイツ、イタリアとの三国軍事同盟を結び連合国と戦争したのです。

 ドイツとの軍事同盟の目的は「日独防共協定」でも明らかなように旧ソ連即ち国際共産主義との戦いでありました。この考えを持たないと次ぎの問題が理解できない。

 ★ロシアにおける共産主義革命によってソビエトの脅威が高まり、国際社会の要請で日本はシベリアに出兵、その後朝鮮半島北部の沿海州や満州へのソ連軍の侵略に備えるために日本軍は増強された。

 ★シナ大陸においても共産主義を掲げる毛沢東の人民解放軍が台頭し、日本はその共産軍との戦いを強いられることになる。

 朝鮮半島国家や中共は日本の先の大戦を侵略戦争と一方的に決め付けるが、日本がシナ大陸に進出したのは、共産主義との戦いであったのです。

 もう一つの大義として掲げなければならないのが

 (3)国際共産主義との戦い・・・・・なのです。

 終戦時、ソ連との国境には当時世界最大の陸軍と言われた関東軍60万人が布陣していた。もし、米国とだけの戦争ならばこれほどの大規模な軍隊を対峙させておく必要はなかった。

 この視点が抜けていると米国だけの戦争といった見解になってしまい、本当の戦争の背景や意味を理解できない。

 この点を左翼は勿論のこと日本の保守派や民族派団体も否定している。いや避けてきたと言っても良いでしょう。かつて小林よりのり氏を支持する掲示板において、私だけがこの持論を展開し戦った経緯があります。

 保守派はドイツと一緒にするな!とか、日本はヒトラーのような残虐な侵略戦争をやっていないと批判する、しかし、その事で逆に朝鮮半島の併合や満州国の建設までの過程を自ら捻じ曲げてしまった。

 これは読売新聞社が先の大戦を歴史的に総括した書籍の中に現れています。少々長くなりますがここで紹介します。

 

2006年08月13日

石原莞爾先生を誹謗、読売の検証報告委員会

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『読売新聞』の呼称「昭和戦争」に重大な誤りと錯誤

 読売新聞社は『戦争責任検証委員会』なるものを設立。過去一年間に渡って「なぜ、あのような無謀な戦争に突入して行ったのか、どうして戦争を早期にやめられなかったのか―などについて検証作業を進め、随時紙面で報告してきた」とし、今朝の新聞でその総括を試みた。

 その中で先の大戦を「昭和戦争」と呼称することにしたとしている。これは「昭和天皇を念頭に置いたものではなく、昭和の時代に起きた戦争という意味で元号の昭和に冠したものである」としている。

 日本を代表する新聞社がこれ程誤まった認識を、半世紀も過ぎた今日宣言しようとは正直言って驚愕した。彼らがどのように言い繕おうとも、これでは戦争の性格・性質といったものが矮小化されてしまう。

 先の大戦は日清、日露戦争という日本の近代史の中で論じられなければならない。昭和の時代だけを浮き彫りにしたら、全体像は見えてこなくなる。

 明治・大正・昭和という時代の中にあって、日本が近代化の中で避けては通れなかった道が、戦争という形態でもあったのだ。それを遮断して「昭和戦争」とだけ名付けてしまったら、それこそ誤まった認識を広めることになってしまう。

 例えば満州問題とは日清戦争、日露戦争における日本の勝利が、満州地域への日本の権益として約束されたことに起因する。また、ロシア(旧ソ連)の南下に対する戦いといった側面が消されてしまう可能性もある。

 現に『読売新聞』はその歴史的な経緯に触れず「昭和戦争の出発点は1931年に起きた満州事変であり、それを引き起こした首謀者は関東軍の石原莞爾と板垣征四郎」と敬称もつけずに書いている。

 タイトルも「指導者責任・戦火の扉開いた石原、板垣」である。

 特に石原氏に対する記述は攻撃的だ!

 「『謀略により国家を強引する』という、陸軍中佐・石原らの満州への侵略行動は、文字通り日本を戦争へと引きずり込んでいった。石原の軍事思想の核心は、日米両国が東西文明の盟主として、戦争で世界一を争う世界最終戦争論だった」とまで言い切っている。

 石原先生の名誉のために書かせて頂くが、先生は単なる好戦家の軍人ではない。当時、誰もが考えつかなかった「戦争は進化している」という驚くべき法則を発表した。

 その法則によれば「戦争は決戦戦争、持久戦争の二つの類型を繰り返しながら進化発展を遂げており、近い将来、その発展は極限に達して最終戦争時代を迎え、ついにはこの地球上から姿を消す」と予言した。

 事実、第二次世界大戦後の地球において、世界的規模の戦争は起きていない。これをこの時代に断言したのは世界広しと言えど石原先生一人である。

 これほどの「先哲の予言」者に対して、まるで戦争の張本人扱いとは恐れ入った。では訊くが、何故石原先生は東京裁判において起訴されなかったのか?

 病弱を理由にしての起訴を免れたというような詭弁を弄すのだけはやめて欲しい。石原将軍を「昭和戦争」の張本人と名指しするなら、少なくとももう少し丁寧な解説をしなくてはならないだろう。

 読売新聞社の『戦争責任検証委員会』に是非教えておきたい事がある。

 歴史に嘘があってはならないからだ!

 読売新聞はこれまでの左翼が主張してきた事をそのまま踏襲している。即ち「軍部独断の謀略による満州事変、日本の満州建国は略奪目的の侵略行為」というものだ。

 しかし、実際は違う!

 満州国は蒋介石も認めた共産勢力の浸透を阻止する独立王国の建設であった。この時、石原氏は「一切の搾取をしてはならない。日本資本主義の進出を許さない、あくまでも五族協和・王道楽土の理想郷を建設する」としたのです。

 石原先生は三井・三菱財閥の満州進出を許さず、日本財界は「関東軍はいつから共産主義者になったのだ」と嘆いたほどだった。代わりに現在の日産や日立製作所などの会社が呼ばれたのである。

 日本は満州に侵略したのではない。共産主義の南下に備えて、明治以来の日本の権益と在留邦人の保護、そして満州民族を中心とした共存共栄の理想国家を目指したのである。

 発展のバロメーターである鉄鋼生産は昭和18年、日本国内の35パーセントにも達していた。不毛の地・満州をわずか10年で中進国並みに発展させたのである。

関連エントリーを挙げておきます

http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/50708334.html

http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/50702984.html

http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/50649488.html
「反中国歴史講座」より


 以上

 大東亜戦争としてではなく、第二次世界大戦という総括がなされなければ、反米思想を超えることが出来ない。読売新聞社はなぜか国際共産主義の脅威からアジアを守る為に始った満州国建設さえも、石原将軍の「日米最終戦争論」を持ち出して、これを日米間の問題にすり替え、共産主義との戦いを歴史から外そうとした。

 今右翼民族派団体の中には親中国とまでは行かなくても、シナ・中国批判よりも米国批判を重視する人達もいれば、北朝鮮に頻繁に行く右翼関係者もいる。

 中国共産党にしろ北朝鮮にしろ、日本に取っては最大の脅威であり、東アジアにおける最大の不安定要因である。米国を敵視するよりもこの冷戦崩壊後にも力を保持する共産主義の残滓に警戒するのは当然である。

 米国は日本における最大の友好国である。

 対して、シナ・中国と北朝鮮は最大の敵国である
。この事を再認識すべきです。

 米国との戦争は終わったが、国際共産主義との戦いは現在も継続中であることを忘れてはなりません。

 

        
852d7257☆お中元のモモ販売のお知らせ☆

 現在出荷しているのは「あかつき」という品種です。

 明日で盆前の受付を終了します。


 まどかや黄金桃の受付はお盆過ぎから始めます。


http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52881175.html

 御中元用だけでなく、自家用の販売も行なっています。

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fukushimaseto@gmail.com



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Posted by the_radical_right at 07:42 │ mixiチェック