奉祝・天皇誕生日
天皇陛下は今日23日、76歳の誕生日をお迎えになられました。
天皇陛下のお誕生日を心からお祝い申し上げると共に、今後益々のご健康を祈願してまいりたいと思います。
天皇陛下は23日、76歳の誕生日をお迎えになられました。陛下はこの1年を振り返っての感想を文書で綴り、それが宮内庁のサイトで紹介されております。
以下、宮内庁のサイトより引用させて頂きます。
http://www.kunaicho.go.jp/

本年は,私の即位から20年,私どもの結婚から50年という節目の年に当たりますが,4月の結婚50年に際して,また,11月の即位20年に際して,多くの人々から祝意を寄せられたことに深く感謝の意を表します。
この20年間も,我が国の人々は様々な困難を乗り越えてきましたが,人々が高齢化の著しい社会状況に対処しつつ,助け合って良い社会をつくるよう努める姿に接する時,深い感動を覚えます。私どももこのような国民に支えられ,日々の務めを行なっていくことに幸せを感じています。
(引用はここまでです)
多くの国民から祝意が寄せられたことに感謝の意を表するなど、お優しい天皇陛下のお言葉です。また「国民に支えられ、日々の努めを行なっていくことに幸せを感じています」とも述べられておられ、この謙虚さに国民の一人として感動を覚えました。
どこぞの傲慢な幹事長とは雲泥の差であることは言うまでもありませんが、どうかこれからも末永くご健康に配慮されて、国民と共に進まれることを切に願うものです。
昨年も紹介させて頂きました。今から9年も前になりますが、2ちゃんねるにおける私の天皇論に関する討論スレッドです。まだお読みでない方はご覧下さい。
「神」「天皇」「国民」の間に溝はないその(2)
アナーキストさんとの「天皇論争」 私はこの転載された冒頭のスレッドでも、愛国党の今は亡き赤尾総裁の言葉を紹介しました。
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/
52122633.html
かなり長いものですが、その一部分だけを紹介させて頂きます。
とりあえず、122及び124での氏の意見に反論しておきます。
>人それぞれ能力に差があり、努力するものとしないものとで又差が生じる。 >平等とはとても簡単なものではないでしょう。
この点に関しては、氏の意見に全く同感です。
能力のある者はその能力に見合っただけの代価を受け取って当然であり、 個人の資質を無視して「結果の平等」だけを求めるのは、才能と努力の 否定に他なりません。
私が特権階級としての天皇制を否定するのは、その地位が本人の資質に 関係無く世襲制によって決定されるからです。世襲制には能力も努力も 必要無いですから。
>そこで天皇の問題となります。 >天皇の地位は日本国民の総意に基づくとあります。
本当に国民の総意に基づいているかは、憲法第1条制定時に国民に対し て民意を確認した事実がないので「判らない」のではないでしょうか?
少なくとも、現在ではこのスレッドに決して少なくない数の天皇制拒否 の意見が挙がっている事から見ても、もはや「総意に基づく」状態では
ないのは明らかだと思います。
「天皇制を否定する人は少数派」というのは、瀬戸氏の嫌う暴力団右翼 が天皇制に異を唱える意見を封殺する暴力装置として働いていたから故 に否定意見がタブーであった事を考えると額面通りに受け取ることは出 来ないです。
それと、占領軍は天皇制を廃止「出来なかった」のではなく「しなかっ た」だけという可能性もあります。事実確認ができない事象についてそ
の是非を議論していても不毛なだけなので、この辺にしておきますが。
>その理由を考えて見てください。
上記のように、前提条件の認識において氏と私には見解の相違がありま すので、「その理由」というのは私の立場からは成り立ちません。
あえて何か言うとすれば、「日本民族のアイデンティティは世襲制によ
る個人を引き合いに出さなければ説明できないほど脆弱なものなのか?」 といったところでしょう。
あなたと19番さんの意見が立場は違っていても、天皇制に対する否定的な 見解としては非常にわかりやすい。感情的な天皇嫌いの方もおられようが、 その人達に対しては反論のしようがない。まさか、私はとにかく好きですでは討論に なりませんからね。
そこで、もう暫く討論を続けたいと思うのでよろしくお願いします。
>「日本民族のアイデンティティは世襲制によ る個人を引き合いに出さなければ説明できないほど脆弱なものなのか?」
アイデンティというか民族のルーツというか、確かにそれを語るには天皇家の存在を 抜きに語ることは日本の場合は不可能です。 それは置いておいて、これからは批判を承知で<深みにはまる>事にします。
あなたが言わんとするところは、能力や努力と関係のない身分とその世襲についての ご不満であると考えます。 また、これは個人的な動機によるものとは思いませんので、より政治的或いは 社会的な見地から検証することにしましょう。
ずばり、万世一系の問題です。あなたも聖徳太子や古い時代の天皇が日本の政治の 中で果たした数々の功績を否定するものではないでしょう。 この遥か大昔は天皇家が日本の指導的立場であったことは紛れもない事実です。
問題なのは、その天皇家の血筋というか血統が貴ばれ、その血統によって皇位が 維持されてきた点についてでありましょう。
実はこの万世一系を生物学的あるいは遺伝学的に説明しようという試みが なされていますが、そのような考えでは長い歴史の中では矛盾を来たさないわけには いかないでしょう。
私は故にこれを理念とみます、つまり生物学上の一系の意味とは同列ではないということです。 この理念によって世襲はなされてきました、では外国には例を見ないこの万世一系という 理念とは何であるのか? それを考えてみたいと思います。
「天皇が偉いのではなく、それを守ってきた我々が偉い。」
ここでこの意味をもう一度考えて欲しいと思います。
何故に天皇は人々から崇められてきたか、それは一つの権威として歴史上に 君臨できたからです。人々は良くも悪くも“権威"を求めひれ伏すものなのです。
ひれ伏すという表現が嫌であれば、礼を尽すとでも言いましょうか。
そのような存在は人間社会の中では決して珍しいことでなく、ごく自然に 行われてきたことです。この権威というのは実に便利なもので、これが ある事によって社会が平穏であったり秩序が保たれたりします。
では、その権威の中身は一体何で在るのか?
為政者はそれを民衆支配の道具として使おうとした事実もある。 しかし、それにはその権威というものが、誰にでも認められた存在でなければならない。 そこで導き出せる結論は"権威”とは信頼と尊敬である。
これがなければ権威などすぐにも吹き飛んでしまうであろう。
日本人は天皇という存在が万世一系という日本独自の理念として、 それを信頼し尊敬し、その権威を守りとおしてきました。
西欧社会では権威とは唯一絶対のキリスト教のローマ法皇によって、各国の王様に 与えられました。しかし、その王とは個人的には善人や賢人や英雄であった。 西欧ではより善人や賢者、英雄が現れる度に前者は駆逐され、革命という手段 によってその連続性は断ち切られた。
対して、我が国では最初から基準が善人や賢人、英雄とは違ったもの
つまりは血統であったが故に、国家の同一性、無窮性が維持されてきた。
これが他の西欧の近代国家と日本の大きな違いです。
この国家の成り立ちを認めない、悪い見本と見るのか。 それとも、それを日本独自の国家のありようとして大切なものと 考えるのか。 まさに、そのことが現在討論されている、私と反天皇性論者の 違いではないでしょうか。
以上。
←ブログランキング応援クリックお願いします。



