麻生総理の決断と鳩山総務相の辞任
改めて見せ付けた、決断とは力だ!
今回の鳩山邦夫総務相の辞任についてはマスコミは勿論、多くのブロガーもこれを取り上げています。今回の問題では多くの言葉が飛び交いまいした。
中でも「正義」と「決断」という言葉が印象に残った。
すなわち何が「正義」だったのか。このことに関しては鳩山氏が「正義が通らない」と口にしてお辞めになっただけにより印象を深めた。また戸井田とおる厚生労働大臣政務官が同時に辞表を提出したことも、「正義」に殉ずる行為のように受け止められた。
今回の問題が「正義」とか「不正義」といった観点から果たして論ずべきものなのだろうか? もし、鳩山氏の言を「正義」とするなら、野党の主張は全て「正義」=善となってしまう。
この「正義」という言葉が一人歩きすることは危険だと思います。冷静に判断しなければならない問題であると思います。今回の問題は善悪で判断されるべき問題ではない。
この点についてはまた機会があったら述べてみたいと思います。本日はそのことよりも、今回の麻生総理の「決断」が評価されていないということに関して考えてみたい。
決断が遅過ぎたが故に「政権運営にダメージを与えてしまった」という報道がなされています。また、自民党の内部にも「どうせやるなら、もっと早くすべきだった」として、その総理の決断の遅れを指摘する声もあります。
この点に関して私は次のように考えます。
決断とは早い遅いという時期的な問題もあるが、やはり力を持つ者が行なってこそ、正当な評価がなされる。つまり、現在の麻生総理には力があるともう見なされていない。そこが一番の問題であると感じています。どうしても指導力のなさが目についてしまう。
麻生総理に関しては私はこれまで、その政治姿勢を支持してきた立場だけに残念ですが、この力強さが失われつつあるという現実を認めないわけにはいきません。
今、政治の指導者に求められているのは、実はこの力強さではないか。
私のブログを読み支持してくれている若者に特に訴えておきたい。
今、若者の間では「決断主義」を巡って盛んに論争が行なわれているようです。興味のある若者はヤフーで「決断主義」と入れて検索してみてください。
私は決断というのは力ある者が行なってこそ、正当に評価されるものだという論を支持するものです。
麻生総理の今回の決断は正しいものであったと思いますが、それが正当に評価されないのは、残念ながら力の低下以外の何ものでもない。
また、「正義」とは必ずしも力ではありません。しかし、「力なき正義」も時には虚しいものとなります。「正義」と「決断」という言葉が飛び交う、この日本の政治の現状に若者は何を今、感じ取っているのでしょう。
政治は混迷を続けています。
4年前に国民は小泉首相の掲げた郵政民営化に300議席を与えました。しかし、その郵政民営化は4年後の今度の秋に民主党政権が誕生すれば全否定されるかも知れません。
これをどのように考えるかです。今、行なわれているのは日本の郵政事業を巡る利権の争奪戦であり、既得権益を賭けて各政党や労働組合、特定郵便局長会が争っている醜悪なる姿にしか私の目には映らない。
