連載・『赤報隊』と『日本民族独立義勇軍』��
新右翼運動が生んだ“落し子”なのか?
『日本民族独立義勇軍』にしても『赤報隊』にしても、新右翼運動と呼ばれた戦後の70年代〜80年代にかけての右翼民族派運動が生み落したものではなかったかと思っています。
右翼に旧いも新しいもないと皆さんは思われているでしょうが、私が25歳の頃は、結構このことが盛んに論議されていた時代でもありました。
私は今日は福島の自宅に戻っていますが、当時は新左翼系の人達が好んで読んでいた『現代の眼』という雑誌がありました。
この雑誌の1976年3月号を見ていたところです。
特集 胎動する新右翼ー不毛への逆照射
戦後にとって右翼とは何か
津久井龍雄VS丸山邦男
この二人の対談の中でも、新旧と言ってもその境目は曖昧であってはっきりしたものではないと述べられています。新右翼運動とは思想とか理念の面において新しいのではなく、その運動形態に新鮮さを求めたものと言えるでしょう。
この雑誌を今日少し目を通してなるほどと思う言葉を見つけた。
保守か革新かじゃなくて、問題を提起すれば保身主義か、どうかです。結局保守も革新も全部保身主義だと思うんです−、捨て身というと非常に何か身を捨てて大儀の為に・・・・・略、自分を犠牲にするという、そのような精神の復活がないかぎり何も変わらない・・・・
私が初めて鈴木邦男氏(当時、一水会代表)と野村秋介氏を知ったのもこの『現代の眼』の1976年の2月号における両者の対談でした。
現代右翼・民族派の思想を視る
われわれは現体制の手先ではない
鈴木邦男VS野村秋介
この二人の対談の中にも、心に響く言葉がたくさん見られた。
鈴木氏
右翼の運動というのは元来が在野の運動であり、国民の正義に根ざした運動であったと思う。つまり政策決定レヴェルでの運動とは質を異にする。相手国があり・・・妥協があり・・・と言った次元での、つまり先の先を見た運動ではない筈だ。
野村氏 (鈴木氏が左翼は数で迫ってくるという発言に対して)
僕はその考えには根本的に疑問を持っていたんだよ。<数>を増やすということは<質>を低下させることですよ。戦後の右翼運動がダメになったのはその<数>の信仰に頼って来たからです。
私はこのお二人が日本における新右翼運動の旗手であったと思うし、この二人を抜きに日本の新右翼と呼ばれた70年代〜80年代の右翼活動は語れないと思います。
さて、このお二人がこの日本民族独立義勇軍と赤報隊をどのように見ていたかですが、日本民族独立義勇軍に関しては好意的に見ており、赤報隊に関しては「あれは右翼ではない」とまで言い切っていました。
今回、週刊新潮に告白手記を掲載している人物は、野村氏を名づけ親としています。また「犯行声明文」の作成を依頼したとも言っています。犯行を金で受けるような連中が、果たして野村氏に直接そのような依頼をすることが出来たのでしょうか?
そこに私は大きな疑問を感じるのです。ただ、この告白手記を書いた人物がまったくの架空の話をデッチ挙げているのではなく、誰からか依頼されて今回名乗りを上げている可能性を私は感じています。
この人物が本当の『赤報隊』の正体を知っている可能性までもは否定できないのではないか。この人物は現在、大阪方面の組織とつながりを持つと見られており、その組織に固くガードされているとも聞きました。
いくら野村さんが亡くなられたとはいえ、遺族の方や当時の弟子もたくさんいる訳ですから、いい加減なことを言えばただではすみません。そのためには組織に守ってもらってもらわないと、これだけ大胆な発言はそう簡単には出来ないと思うからです。
いずれにしても、この告白手記が金目当てだけで行なわれたものではなく、何らかのメッセージを朝日新聞社に伝えるために行なわれているような気がしてなりません。
日本民族独立義勇軍と赤報隊との接点は、「犯行声明」の中に『日本民族独立義勇軍 別働 赤報隊』とあったのみですが、なぜこのような犯行声明が作られたのか?
この点だけはどうしても解明したいと願わずにはいられません。
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