履き違えた正義
名古屋高裁「9条違反」を「下された正義」と叫んだ人へ!
4月18日の各新聞社の朝刊は自衛隊のイラク派遣を名古屋高裁に憲法違反として訴えがあった件で、バグダッドを「戦闘地域」と認定した上で、航空自衛隊が多国籍軍への武装兵を空輸しているとして「他国への武力行使と一体化した行動であり、憲法9条に違反する」と判断を下したことを大々的に報じた。
政府はこの裁判所の判断については、「バクダッドの飛行場は非戦闘地域の要件を満たしており納得できない」と町村官房長官が述べたが、訴えそのものは国の勝訴なので、この問題はこれ以上裁判所で争われることはない。
また、空自の活動は「9条に違反」としたものの、陸上自衛隊の派遣についてはまったく言及がなかった。原告側が主張した「平和的生存権」なるものについても、これに基づく損害賠償が退けられた以上、認められなかったものと解釈する。
さて、この憲法9条については、もうここで今更これを議論する必要もないと思います。
憲法9条で「交戦権」を否定しており、それを解釈によって誤魔化してきた以上、このような結果を招くことは当然と言えば当然なのです。
私が今回問題としたのは、元外交官の天木直人氏が「正義」と書いたことに対して、私の考えを述べてみたいと思ったからです。
これを何故「下された正義」としたのでしょうか?
気になる文章があったので、それを見ることにしましょう。
>青山裁判長については、大学の教授に就任するために
>定年を2ヶ月残して3月31日付で依願退職しているから、
>このような判決が書けたのだと言う向きがある。
>しかし、そのような事を軽々しく言えるものは、自分の進退を
>賭けて行動する状況に追い込まれたことのない幸せな者だ。
>というよりも、自らを決してそのような状況に置こうとしない、
>保身に汲々とする臆病者だ。
天木氏はこの裁判長こそが「正義」だと言いたいようだ。しかし、私はこの裁判官を「正義の使者」などとは思わない。もし、本当に「正義を貫いた人」なら、私は別な人の名前を挙げさせて頂く。
それは天木氏と同様に外務省で働いていた外交官である。
自分の信ずる道を命をかけて全うした外交官
自ら進んで危険な状況に身を置き保身に汲々としなかった外交官
その「正義」とは何かを教えてくれた外交官こそ故奥克彦大使である。
イラクの復興支援のためにイラクに派遣された奥克彦大使と井ノ上正盛一等書記官は、日本の果たすべき役割を自覚した上でイラクに赴いた。
奥大使の信念は次の言葉に表されています。
「イラクで続発するテロは一人ひとりの子供に文房具を与える機会さえ奪い、新たなる脅威を世界中に拡散する」
だからこそ、彼は他の国の外交官が二の足を踏むような地域での活動を勇気を持って行なっていたのです。
「子供達の輝いた目がある限り、この国は、イラクは必ず甦る。私はそう信じる」(生前の奥大使)
独裁者を排除して、圧制と抑圧に苦しむ人々を救うためには、危険を顧みずに、その任務に就き全力を上げて取り組む、まさにそれを日本人外交官の責務としてお二人は殉職された。
志半ばで亡くなられた二人の外交官に対して、日本国がイラクに留まり、支援を続けることを私は国際社会に対する義務であり、これを「正義」と呼びたい。
自衛隊は何のために、日夜訓練に励んでいるのか?
日本人は自衛隊のために血税を払い、最高の装備を揃えてきた。
その自衛隊が世界の平和に貢献できないなら、これほどの無意味なことはない。
何の武器も持たずに危険な地域で、日々復興に奔走して凶弾に倒れた二人の日本人外交官の死を無駄にしないためにも、日本政府は空自の活動を断固として継続すべきである。
それが二人の死に対する、日本国としてのせめてもの「正義」を貫く道であると私は信じる。正義とは言葉だけでは為し得ない。それは命を賭けた戦いによって、始めて為し得る行為である。





