電力会社の責任を問う
「もう、いくら何でも酷過ぎる―」
昨日、福島に戻った私の元に、旧くからの友人から電話があった。以前、書いたこともあるので、昔からブログを読まれている方なら御存知のはずだ。
私は右翼になる前は自民党の党員で、丁度、党員となった18歳当時、原発公聴会が開催され、大騒ぎの頃でした。私は原発については、その時代から関わって来ました。
原発推進のビラ配り、ポスター貼り、何でもやりました。東京電力が原子力立地を福島県の浜通りに決定したのは、昭和36年でした。私が9歳の頃です。それから完成したのが、約11年後だったと記憶しています。
その当時、福島において、この原発推進の運動を共にやった仲間の一人です。今は立派になって、地元では各種団体の世話役なども務めています。
「もう、いくら何でも酷過ぎる」と言ったのは、東京電力の今回のトラブル隠しです。もう言葉も出ないほどの呆れた対応ぶりに、これまで東電をかばってきた自分として「面倒見切れない」とさじを投げてしまっています。
全国の原発で炉心内の制御棒が抜け落ちるトラブルが相次いで起きていたことが発覚しています。最初に報道されたのは北陸電力でした。99年中の定期検査の際に、その事故は発生しました。
制御棒が抜けて炉心の中で、核分裂反応が連続して起きる「臨界」に達していたというのです。原発では一番最悪な事故で、核爆発につながるものだ。その事故が北陸電力だけでなく、中部電力でもあったことが判明しました。
東電も社内調査で、制御棒が抜ける事故があることを認めた。しかし、最初の公表ではそれほど大きな事故ではないとされていた。だが、22日に公表された事故は驚くべきものだった。
1978年11月というから、原発が稼動し始めた初期の頃です。確かに古い話ではあります。この時、定期検査中に制御棒が5本抜け、核分裂が連続して起きる「臨界」が7時間半も継続されていた可能性があったというものでした。
この重大事故を東京電力は隠微してきたのです。この当時、明らかになっていたら、その後の原子力発電の立地は暗礁に乗り上げていたことでしょう。原発そのものが頓挫していたかも知れません。
今回、他の電力会社も同様な事故を隠していたことが明るみになったので、この際に、すべてを公表した方が良いと考えて公表に踏み切ったのかも知れません。この企業の論理と言うか、隠微体質に皆呆れ果てているのです。
今回、判明した更に驚くべき事は、当時は国への報告義務がなかったという理由です。「臨界」に達したという確かな事例ではなく、飽くまでも、その可能性ということで報告しなかったというのです。
電力会社も国も、そのような事態を想定していなかったのでしょう。構造上は簡単には抜けないように作られています。定期検査中の人為的ミスでそのような事態になるとは思いも寄らなかったのは分かります。
しかし、多くの電力会社で事故は起きていた。定期検査中にこのような事故が起きていることを、各社が正直に明らかにしていれば、つまり横の連絡、情報の共有が図られていれば、事故は防げたのではないか―。
「昔の話だから、今は心配ない」などと説明されて、一体誰が納得するというのでしょう?
「ふざけるな!」と言いたい。電話をくれた友人、地元で受け入れのために奔走した協力者に何と言い訳するのか。
福島県原子力発電所所在町協議会会長の遠藤勝也富岡町長は次のように語っています。
「日本の原発はスタートから事業者任せだった。国の知識が非常に脆弱で事業者に委ねるしかなかった。安全を前提にした原子力行政を進めて欲しい」
もう、東京電力は相手にしていない。突き放した言い方だ。あくまでも国にその責任を持ってもらわねば、という考え方である。地元民は一企業に協力したのではない。国に対して協力したのである。
私もこの考えを支持します。私がまだ18歳の頃でしたが、私も東電に協力した意識などありませんでした。国策として推し進めている原子力発電所だからこそ、「原発を推進しましょう!」のポスターを徹夜で電柱に貼って歩きました。
今、残念ながら裏切られた気持ちで一杯です!
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