「学歴のなさを補うもの」
維新政党・新風を応援する私に対する批判が『2ちゃんねる』などで多く書かれている。それだけ邪魔な存在となっているのかも知れない。新風にあまり迷惑をかけてはいけないとは思っているが、かかる火の粉は払わねばならないので、ブログの中で書くことにします。
私は自分で正直に何でも書いています。学歴や職歴、逮捕歴まで書いている。それを隠していても、知っている人は知っているので別に気にはしていない訳です。
2ちゃんねるで今日このような書き込みが、私に関するスレッド【極右の】維新政党・新風と瀬戸弘幸【台頭】にありました。
福島瑞穂 東大 辻本清美 早稲田 志井和夫 東大 菅直人 東工大 横路孝弘 東大 田中康夫 一橋 筑紫哲也 早稲田
≪≪≪≪≪≪≪≪≪超えられない壁≫≫≫≫≫≫≫≫≫
瀬戸弘幸 東北?の農業高校卒 →→→ 事実かどうか確認願います (プッ!
別にこれは事実なのでどうこうありません。私は自分の著書にも全て、福島農蚕高校卒と書いてあります。私は自分の学歴に誇りを持っています。農業は人間が生きていく上で最も大切なものです。
次のようなものもありました。
東北の百姓出らしいけど、
瀬戸弘幸 農業高校卒 って本当?
この書いた人は百姓という言葉の意味を理解した上で書いたのでしょうか。百姓とはひやくしょう、或いはおおみたからと読みます。
日本固有の大和言葉では、「天皇が慈しむべき天下の大いなる宝である万民」を意味する「おおみたから」の和訓がふられているのです。
この投稿した人は百姓を差別的言葉として捉えたのでしょうが、それはマルクス史観による考えであり、当の農民の方では今では逆にこの「百」と言う字にこだわりを持つ人が増えてきた。
日本神道を主体とする日本文化の多様性をこの「百」という字に投影し、自らが日本文化の担い手であるという自負心である。私なども百姓という言葉に愛着を感じている人間です。
彼らは我々≪極右≫を差別主義者や排他主義者と批判する。今回も以下のような書き込みがありました。
基礎的な道徳と教養哲学すら身につけてないから、
平気で、チョン追放だの、チョン粛清だの言ってるわけか。
民主主義の発達した先進国ではありえない言質をペラペラと・・w
で、社会の底辺のクセして人を差別したい中卒〜高卒が
チョンなら差別出来るじゃんって感じで、やたら共感を感じて
寄り集まってきた、いわば虐げられた人生の補償行為党なわけだな。
教養や道徳的観念は学歴とは違うでしょう。在日朝鮮人のことに関して話をしているのは、それなりの理由があってのことであり、民族的な差別感とはまったく関係がない。
民主主義の最も成熟した西欧社会において、極右政党が台頭してきた事実はどのように説明するのでしょう。社会の底辺にいる人が差別するなどとは、何を根拠としているのか。
俺 「ネット右翼ってどういう人たちなんでしょうか?」
教授「うむ。ナチスを研究したフランクフルト学派によると、統計的には低収入の若者たちが多いだろうね」
俺 「なぜ、低収入だとネット右翼に走るのですか?」
教授「彼らは社会的立場が低く抑えられているという抑圧感と欲求不満が強く、その憂さを晴らすために力や権力、限りない賞賛を自分のものにしたいという欲望が強いのじゃ」
俺 「そこで国家・皇室・歴史の栄光など『大いなるもの』に憧れ、自己との一体化を図ることになるわけですね」
教授「そういうことだ。その『大いなるもの』に対する憧れが、いわば彼等の愛国心の発露なわけじゃな。その偏狭な愛国心を煽りたて政治利用するカリスマが登場してナチスが出来たわけじゃ」
俺 「でも、わからないんです。『大いなるもの』に憧れるネット右翼が、なぜ民族差別に走るのでしょう?」
教授「良い質問じゃ」 ・・・・ズズズ(お茶を飲む音)
「『大いなるもの』への憧憬心理と排外主義・差別主義は表裏一体なのじゃよ」
「まず、人間には上昇志向が本能的に備わっている。それは本来、自分自身を磨いて達成すべきなのだが、 社会から不当に低く扱われていると思い込むと、自分の努力では抜け出せないという心理的抑圧感が高まってきて自分の社会的信用を築く努力を放棄してしまう。これは世代の集団心理としても作用する。
代わりに自分よりも価値の無い人間や国を作り出すことで充足感に浸ろうとする。こうして血による差別が出来るんだね。日本人であるというだけで自分が優秀であるってことにすれば、本人は何の努力もせずに、他者に対する自己優越感を得られる」
俺 「なるほど。ネット右翼というのは、虐げられた人生の補償行為なんですね」
教授「そういうことだね。彼らは公共心や正義心から動いているわけではなく、単に自分の嫉妬心・憎悪心・虚栄心を増幅させたいだけなんじゃ。真の愛国心とは程遠いところにいる人たちと言える」
俺 「なるほど。人間的にはかなり未熟な人々とも言えますね」
この現代のネット右翼を論じるのに1930年代のナチスですから、もう腹を抱えて笑うしかありません。これは単なる妄想、こじつけの類でしょう。
もうお笑いの部類にしか入らないものだが、この人達は歴史をもっと真摯に学び直さねばならないでしょう。歴史の生んだ事象を現代の社会病理や病者の幻想と混同して、あたかもそれが真実であるかのように考える愚かさを露呈している。
通俗的な偏見と無知による決め付けがここまで来てしまうと、もう反論するのも面倒になってしまう。今度ゆっくりやらさせて頂こう。そもそも自己犠牲の精神を知らない左翼が、このような思考回路を持っているようです。
愛国心やナショナリズムが現在の時代に現れているのには、それなりの理由があるのです。そして、それを一番敏感に感じ取ったのが若者ということです。多分この「俺」と「教授」にはその理由が分からないでしょうね。
実はこれは左翼に当てはまる典型的パターンなのです。次のような言葉があります。
脾肉の嘆
《「蜀志」先主伝・注から》
功名を立てたり手腕を発揮したりする機会のないのを嘆くこと。蜀(しよく)の劉備(りゆうび)が、平穏な日々が続き、馬に乗って戦場に行くことがなかったため、内ももの肉が肥え太ってしまったのを嘆いたという故事による。
自分は他人よりも能力があっても、機会(運)に恵まれずに能力を発揮できない事を逆恨みして、他人を貶しては喜んでいる。実はこれは左翼の高学歴者に多い。
自分は人よりも頭が良いのに認められないのは、世の中が悪いせいだと、社会を見下し差別に走ることを言っています。私は自分の素性を晒してブログを書いています。学歴も高卒であることを別に隠してもいません。私がこのブログを始めるにあたって、一番気をつけていることは、「正直である」ことと「誠実な対応」ということです。
なぜ、今起ちあがったのか。日本の前途を危うくする最大の要因は愛国心の欠如した政治家達の跳梁である。それを許しているのが、与野党にまたがる奸物(心のひねくれた者)どもである。
何らの反省も見られずに愚政に驕る様はまさに末世の観である。最後に言いたい。混迷の時代において、能力を持ちながら力を発揮できなかった人も多い。
しかし、その反対に能力や学力がなくとも、その機会を捉えて活躍した人も多かった。その違いとは何であったか?それは「情熱と勇気」である。

有楽町マリオン前
http://www.youtube.com/watch?v=zpj4hmfA2J0
埼玉・新越谷駅頭
http://www.youtube.com/watch?v=059V43XgmHo
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